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出会い (3)


一日の務めを終えてルスラン王が自室へ戻ると、女官長のラリサが自分を出迎えた。

自分に向かって静かに頭を下げる彼女を、じっと見つめる。


――ラリサには、もう王妃付きとしての務めがある。王妃メイベルにも彼女のための自室は用意してあり、昨夜の無体の詫びも込めて、今夜はそちらで休むのを勧めるようラリサに言いつけてある。

そんな彼女が、いま、自分の部屋にいる。ということは……。


ルスランが足早に寝室でもある奥の部屋へと向かってみれば、寝台の端にちょこんと腰かけ、昨日も読んでいた本を見ているメイベルが。


「その本が気に入ったのなら、君の部屋にも贈っておこう」


ルスランが声をかけると、メイベルは顔を上げ、じっとルスランを見つめた後、首を振った。


「この本、結構好き……だけど、あなたを待つ間の時間潰しに読むことにする。だから、この部屋に置いていてほしい」

「……それは構わんが」


これからもこの部屋に来るつもりでいるメイベルに、ルスランは内心で目を丸くする。


メイベルはいそいそと本棚に本を返し、また寝台へと戻ってくる。彼女の隣にルスランが腰かけてみれば、逃げる様子もなくじっと見つめてきた。

……表情の起伏が乏しいのも、好奇心の強い視線も、相変わらずだな……。


「部屋は気に入ってもらえたかな。気になるところがあれば、ラリサに言えばいい。なんなら、君の望むように総模様替えしても構わないぞ」

「うん、ちょっとだけお願いするかも。でも可愛いお部屋だった」


メイベルが頷く。


「部屋だけじゃなくて、婚礼衣装もちゃんと用意して、式の準備もしてくれてたこと、お城の人たちが教えてくれた。あなたが私を試そうとして、この部屋に案内したことも……まさかそのまますっぽかされるとは思わなかったって、みんなに言われた。すごく申し訳なさそうに」


メイベルの視線に冷たさが加わるのも気付かないふりで、ルスランはわざとらしく笑い飛ばした。

ふう、とメイベルがため息を吐く。


「……正直に言えば、私はこれで良かったと思ってる。いまは着飾る気分になれないから」


これまでルスランを真っすぐ見つめていたメイベルが、初めて顔を伏せた。俯く彼女を今度はルスランのほうがじっと見つめ、ふっと笑う。


「ならば式は、コルネリウス王の喪が明けてから改めて行うことにしよう。私も堅苦しい式は苦手だが、形式も時には必要だ。私と君の婚姻には、国同士の同盟もかかっているからな。ヴァローナ王妃となった君のお披露目をやらないわけにもいかないだろう」

「うん。気遣ってくれてありがとう」


メイベルは顔を上げてルスランに礼を言ったが、すぐに首を傾げ、不思議そうにしていた。

そんな彼女の反応に、ルスランのほうが苦笑してしまう。


「いや……僕が言うのもなんだがな、ハルモニアに攻め入り、コルネリウス王の命を奪った張本人だぞ?気遣いもなにも、こうなった元凶だと言うのに……。君は少し人が好過ぎる」

「兄の死は、あなたの求婚を断ると決めた時に分かっていた」


そう話すメイベルの顔から、表情がすっと消える。表情の起伏が乏しい少女だと思っていたが……こうして見ると、人間らしさはいままではっきり出ていたのだなと実感させられた。


「戦場に行ってしまったら、私はもう何もできない。だから、その前に兄の選択を変えるしか手はないと、分かって、いた、のに……」


メイベルは、途切れがちになりながら話す。


一言話すたび懸命に堪えなければならず、ついには黙り込んでしまった。唇を噛み締めるメイベルの頬にルスランが手を伸ばすと、メイベルは目線を上げ、ルスランを見た。

その拍子にぽろりと、目尻に浮かんだ涙がこぼれる。一度涙が零れると、堰を切ったかのように止まらなくなってしまって。


泣き始めたメイベルを抱き寄せれば、メイベルもまた、すがりつくようにルスランに抱きついた。


「しゅ、出立の直前――兄から……ハルモニアを頼むと言われて……私、返事をしなかった……わ、私じゃ、国を治めるなんて、できないって――だから、絶対に帰ってきてって……そうでないと、ハルモニアは終わりだって……拗ねて、兄を困らせた……それが、最後の言葉だったのに……」


涙の合間に、メイベルが必死で言葉を紡ぐ。


「ハルモニアのことを心配させたまま、心残りだらけで、兄を、死なせてしまった……何もできないのに……安心させてあげることもできなかった……」


なるほど、と。

心の内で、ルスランは相槌を打つ。


どうやらメイベルには、ルスランよりももっと責められるべき相手がいたらしい。すべて野蛮な侵略者のせいにしてしまえばいいのに……。

自分の腕の中で泣きじゃくるメイベルを抱きしめたまま、ルスランはあやすように彼女の背を撫でた。

仇の自分がこんなことをするのも図々しいとは思うのだが、目の前で泣いている女を放置するのは、戦場で敵に背を向けるぐらい難しいものだ――。




十年前。ルスランが彼女と出会ったのは、ハルモニア王城の中庭でのことだった。

彼女たちの母親でもあるハルモニア女王が亡くなり、新たな王が即位した――その祝いに、隣国の王としてルスランも参加したのだ。


人混みに少々疲れ、ハルモニア新王への挨拶の順番待ちにも飽きて、気分転換に中庭に出ていた。人のいない庭で、誰に気兼ねする必要もなく外の空気を吸って……大きくため息を吐いたルスランは、何気なく視線をやった先で、奇妙なものを見つけた。


様々な植物が植えられた庭の中でも、ひときわ大きな木のそばに、小さな靴がちょこんと落ちている。しかも片方だけ。

思わず近付いて靴を拾い上げてみれば、ポコンと頭に何か落ちてきた。


「あっ、ごめんなさい」


小さな衝撃を受けた頭に触っていたら、頭上から声が聞こえてきて驚いた。顔を上げてみれば、ルスランの腕よりも太い木の枝に小さな女の子が腰かけ、ルスランを見下ろしている。

生い茂る枝葉の隙間から、彼女が裸足であるのが見えた。


「借り物だから、サイズが合ってなくて……」


自分の頭に落ちてきたのは、もう片方の彼女の靴だったらしい。先に拾ったものと対になっている。だいぶ古くなって、ボロボロだが……。


ちょっとだけ悩んで、ルスランは自分も木に登った。

女の子のすぐそばの枝まで登って――目線が合う高さまで。ぱちくりと目を瞬かせ自分を見つめる女の子に笑い、彼女の小さな足をそっと取って持ってきた靴を履かせる。

女の子の言ったとおり、靴はサイズが余ってぶかぶかだ。


恐らくは、誰かのお古。

着ている衣服も、彼女のものではなく誰か……兄の幼い頃のものだろう。古くなってはいるが、上等な素材に、ところどころ特徴的な刺繍が入っている。王族でなければこんなものを着用できるはずがない。


女の子の正体を、ルスランはすぐに察した。

だがそれには触れず、振り返って彼女が見ていたものを見た。高い木の上からは、王城の高い塀も越えて、ハルモニア王都の町並みが見える。


「良い景色だ」

「新王の即位式に合わせて、町の人たちもお祭りしてるみたい。いつもよりいっそう華やか」

「そうか。美しい町だな。君は、町を見たことがあるのかい?」


我ながら意地の悪い質問だな、と内心で笑う。彼女の正体を察していながら――彼女が、城からほとんど出たことのない箱入り姫だと知っていながらする質問ではない。

女の子はじっとルスランを見つめ、静かに首を振る。


「馬車に乗って通り過ぎたことがあるだけ。それも何回かだけ……私、怖がりだから。お母様たちが行かなくていいよって言ってくれるのをいいことに、ずっと閉じこもってる」

「でも、興味はある」


ルスランが笑って言えば、女の子は頷いた。


「怖くて勇気も出ないくせに、気になっていつも見に来ちゃう。ワガママだよね」

「無理からぬことだ。世界は辛くて苦しいことだらけで、そんな悲しみを、わざわざ味わいたくはないのが普通だ」


女の子は、またじっとルスランを見つめている。今度は彼女の返事を待つことなく、ルスランは話し続けた。


「それなのに、なぜか皆、広い世界に惹かれてやまず、まだ知らない何かを知りたいという欲には抗えない。人というのはどこまでも強欲で、愚かさ。それが人間というもので、君が特別ワガママというわけではない」


この言葉が彼女にどう響いたのか――ルスランは、彼女の反応を見ていなかった。説教じみた台詞だったが、いまにしてみればあれは自虐だったようにも思う。ただの愚痴に、幼い彼女を付き合わせてしまった。


直後にハルモニア王妹を探しているような女官たちの声が聞こえてきて、女の子――ハルモニア王妹メイベルは慌てて木を降り始めた。

すぐそばにいたルスランが小さな身体を抱え、共に木を降りる。


地面に降ろされた彼女は、ありがとうございます、と丁寧に頭を下げた。


「あの……ここに登ってたことは言わないで。本当はダメって何度も怒られてたの。危ないから」


困っているように見えなくもない表情でメイベルが言い、ルスランは声を上げて笑う。


「可憐な女性に懇願されては否とは言えないな――分かった。このことは僕と君だけの秘密にしよう」


そう返事をした時、初めてメイベルが笑った。

感情の起伏が乏しい彼女が……控えめではあったが、花が綻ぶような笑顔に、ルスランも一瞬視線を奪われた。


「ありがとう、親切な人」


ルスランに礼を言い、メイベルは中庭を出て行く。その声にはどこか意味深なものがあったような気がして。

もしかしたら、彼女のほうもルスランの正体には気付いていたのかもしれない。


確かめる機会も必要性もなかったから、それについては永遠に謎となるはずだった。




灯りの消えた寝室で、ルスランはふと目を覚ました。

――ずいぶんと、懐かしい夢を見たものだ。


よりにもよって彼女と出会った時の夢を見たのは、やはりこれが原因だろうな、と横になったまま視線を下ろし、自分の腕を枕にスヤスヤと眠るメイベルを見下ろす。

手を伸ばしてあの頃と変わらぬ柔らかい銀色の髪を撫でてみれば、メイベルが身じろいでわずかに目を開けた。


涙の影響でまだ少し濡れている瞳でぼんやりとルスランを見つめ……さらにルスランにすり寄ったかと思うと、また眠り始めてしまった。

無防備な姿にルスランは吹き出し、彼女を起こしてしまわないように笑いをかみ殺しながらひとしきり笑った後、自分もメイベルを抱き寄せて目を閉じた。


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