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女難は続く (3)


ルスラン王にとっては少々退屈な日々ではあったが、宰相ガブリイル・エリシナは政務に追われていた。王が城にいる間に、片付けてしまいたい仕事が山のようにあるのだ。

メイベル効果でルスランが真面目に政務に専念してくれるようになったことを感謝しつつ、今日も次々と仕事を片付けていっていた。


「――コヴァレンコ親子が王都を出て行ったこと、確認が取れました。二度と王都に足を踏み入れることのないよう、親族の代表にも誓約させております」

「うむ。私個人としては王の意を捻じ曲げた挙句、王妃を貶める発言をした旨で処刑でも構わんとは思うのだが……重い罰を下すと、かえってメイベルが気にするからな」


見せしめも兼ねて、王妃を軽んじることがどういうことか、ヴァローナ諸侯に思い知らせる必要がある、とルスランも常々考えてはいた。

これは浮気がバレてしまったことの八つ当たりだけではなく、ルスラン自身にとっても、ヴァローナ王が選んだ妻に異議を唱えることが許せないのだ。しかも連中は、夫のために敵を増やさぬよう慎ましく振る舞う王妃の態度を見て、さらに増長しているし……。


「陛下の憤りももっともではございますし、私も、王妃様への不敬な態度を取る連中にはどこかで厳しい対処が必要だと考えてはおりますが、ご懐妊中の王妃様の心労をいまは増やすべきではないかと」

「そうだな……。私に恨み言をぶつけてくれれば、容赦なくやり返してやるのだがな。妊娠中のメイベルを巻き込むのがいっそう許せん」


本当に、と宰相も頷く。


王妃メイベルへの不満は、結局のところ、ルスラン王への不満なのだ。だが王に直接ぶつけることができないから、か弱い王妃にすり替えてその不満をぶつける――卑劣なやりように、ルスランが苛立つのも同意しかない。


王の執務室で一通りの報告を終えた宰相は、まとめておいた書類を渡し、次の仕事へ向かう。

王の代理を務める王妃と共に謁見の対応を――ということを話して執務室を出ようとしたら、ルスランに声をかけられた。


「妊娠中の王妃を、まだ働かせているのか」

「……陛下が逃げ回るので、私としても王妃様に頼るしかないのです。ご不満なのでしたら、ぜひお越しくださって結構なのですが」


非難するような王の口ぶりに、宰相も盛大に不機嫌オーラを出して答える。しまった、とルスランは目を泳がせた。

……便利な腹心に押し付けたことを、すっかり忘れていた。


しばらく気まずい空気が執務室に流れていたが、やがて宰相がため息をつき、諦めたように言った。


「……正直なところ、謁見の対応については王妃様のほうが優秀ですので、できれば私もこのまま、王妃様にお任せできるところはお願いしたいと思っております」

「むさ苦しい男よりも、若く美しい王妃のほうが相手も喜ぶ。無理はさせぬ程度に、よろしく頼む」

「王妃様の体調には十分配慮し、お身体に差しさわりの出ぬように致します」


改めて頭を下げ、宰相は執務室を出て行った。

宰相を見送った後、ルスランは一人、渡された書類を黙々と片付けていたのだが、次第に王妃と宰相による謁見の様子が気になってきて、二人の仕事ぶりを偵察しに行くことにした。

――決して、書類仕事に飽きてサボりの口実にしているわけではない。




謁見の相手は日によって異なり、内容も様々である。各都市の代表による訴え、王都に住む人々のお願いごと……今日は、沿岸地域の領主たちが城に参上して、挨拶代わりに一年の交易の収支報告と来年の交易方針についての奏上であった。


どのような相手、頼みであろうとも、王妃が答えることはいつも同じ。


「非常に重要な案件である。王に申し上げ、慎重に対応しましょう」


是とも否とも答えず、その場は受け流して宰相たちに任せる。

これはヴァローナ王であってもこう答え、自身で判断を下すことはめったにない。ましてや、政治の勉強を始めたばかりのメイベルでは答えられるはずもない。

宰相ガブリイルですら、これが最も最良の答えであることは認めている――要するに、謁見とはそれらしい態度だけ取り繕って、相手の話は聞き流すだけの簡単なお仕事なのである。


退屈極まりないこの仕事が、ルスランはとても苦手だ。

愛想笑いを取り繕い、じっと座って人の話を聞き続ける。誰が聞いても、ルスランには向かない、と言われてしまう内容。

ポーカーフェイスが得意なメイベルは、飽きや疲れをちらりとも見せることなく全ての訴えを聞き終えていた。




「謁見の間での対応そのものは、王妃様にも陛下と同じことをして頂くだけです――陛下と異なり、王妃様はそれをまったく苦としておられぬようですが」


謁見が終わると姿を現したルスランに、宰相が言った。メイベルは椅子に座ったままだ。


「適材適所というやつだ。相手も、私より可愛らしい王妃のほうが話しやすい」


陽気に笑う王に対し、宰相はこれ見よがしに大きなため息を吐く。それから、二人のやり取りを見ていた王妃に視線を向けた。

それを合図にメイベルが口を開く。


「三番目の人と、七番目の人」

「ドルジエフ……コロープカ……ですね。早急に、この二名の話について裏取りをさせます」


そう言って、宰相は手に持った書類を見る――書類は、先ほどの謁見の内容を書き留めたものだ。

それから、とメイベルが言葉を続ける。


「最後の人――」

「ラフマニン氏ですか?」

「その人の、右後ろにいた人。赤い帽子被ってた……あの人、領主が話してた時に、なんだか落ち着かない様子で……変だった」


宰相が頷いて、もう一枚書類を取る。

ラフマニンの領主は善良で有能な男で、宰相ガブリイルも信頼している。王妃の指摘にわずかに眉を寄せたが、彼ではなく彼の部下への不信だったことで安堵したようだ。


王妃と宰相のやり取りの意味を、ルスランはすぐに理解した。


メイベルには、相手の感情を色で見抜く特殊な能力がある。自分に訴えかける相手の感情の色を見て、偽りや隠しごと、後ろ暗い感情を見抜いたのだろう。

このヴァローナ宮廷でメイベルの能力について知っているのはルスランだけで、宰相は王妃の人並外れた観察眼、洞察力の賜物……と考えているようだが。

メイベルは、その能力を謁見で遺憾なく発揮させていた。


「ハルモニアにいた頃も、実は同じようなことしてたの」


その日の夜、王妃の部屋を訪ねたルスランに、メイベルがこっそり打ち明けてくれた。


「直接対面するのはハルモニア王の兄で、私は陰からこっそり見てるだけだったんだけど……あとで、違和感のある色をしてた人を教えてた」


なるほど、とルスランが相槌を打つ。

道理でメイベルも慣れているわけだ。宰相が王よりも優秀だと言いたくなるのも納得である。

ルスランのほうが人生経験豊富で為政者としてのキャリアも圧倒的に上であるが、メイベルほど的確には見抜けないだろう。


「特別な能力でズルしてるだけだから、自慢するようなことでもないけどね」


メイベルは謙遜するが、自分の能力を使いこなして、能力を生かすのに相応しい場をしっかり見極めているのは、十分誇るべきことだ。ルスランがそう言って頭を撫でると、メイベルはちょっと照れていた。


素直で利発な可愛らしい妻に、ルスランもニコニコだ。




一年の終わりは静かに過ぎ、平穏に新しい一年を迎えて程なく。王城に、珍しい客が訪ねてきたことをメイベルは知らされた。

――その客は前触れもなく直接城を訪ねてきて。


その日、雪の積もる城の外観を建物内の廊下から眺めていたメイベルは、広い正面玄関前に馬車が入ってくるのを見つけた。


「オリガ。私は何も聞いていないけど、今日、お客様が来る予定があったの?」


城に入って来た馬車は、派手さはないもののかなり高級なもので……重鎮貴族か、王族などが乗るようなものではないか、とメイベルは思った。


玄関前の兵士が馬車に近づいて中に乗っている人と話したかと思うと、大慌てで城へと入って行く。馬車からは誰も降りてこない。

やがて、階級持ちの兵士が小走りで出てきて、馬車に乗る人に恭しく頭を下げた。


遠すぎるのと、窓が閉め切られていることで、話し声まではメイベルのもとにも届かない。

話しかけられたオリガもメイベルの隣で窓から覗き、一連のやり取りを見ている。


やがて、馬車から人が降りてきた。

雪も降る寒い季節――降りてきた人は、頭からすっぽりマントを被っている。顔はよく見えないが、仕草や体型から、女性ではないかとメイベルは思った。

もう一人降りてきて……こちらも頭からすっぽりマントを被っていたが、少年ぐらいの背格好の子どもに見える……。


兵士たちに出迎えられて城に入ろうとした女性が、マントのフード部分を脱いだ。

束ねた黒髪が少し解け気味の、儚げな色気のある美しい女性……。


メイベルの隣で、オリガが声を上げた。


「エリザヴェータ様……」


若い女官たちも別の窓から下を覗き込んでいたが、女性が誰なのか分からないらしい。

反応するオリガに、一斉に視線が集まる。


「あの御方は、陛下の御兄君ジェミヤン様の奥方様です。エリザヴェータ様とのご結婚の際、ジェミヤン様は王位継承権を返上して臣籍に降下しておりますので、妃の位はございません」


オリガが説明した。


「ということは……ご一緒の方は、ご子息のハンス様でしょうか……。ジェミヤン様とエリザヴェータ様の間には、たしか御子が一人いらっしゃったはずですから」


もう一人はマントを被ったまま、女性と共に城に入ってしまった。客のいなくなった馬車がゆっくりと厩舎のほうへ向かうのをメイベルはその場で見送り、見るものがなくなっても、しばらく窓のそばに立ち尽くしていた。


お部屋に戻りましょう、とオリガが声をかけてきて、ようやくその場を後にする。

部屋へ戻る途中で、オリガにしては珍しく、自分からメイベルに話かけていた。


「エリザヴェータ様のご訪問については、私も何も聞かされておりません。王族ではないとは言え、亡くなられた御兄君の奥方が訪ねてくるとなれば、陛下も私たちにお声がけをするはず……兵士たちのあの慌てようから見ても、突然の訪問なのではないでしょうか」


ルスランの亡くなった兄の妻。いままで交流もなかった人だ。そんな女性が突然……という疑問を抱くのは、もちろんメイベルだけではなかった。


メイベルの後ろで、若い女官たちもヒソヒソ囁き合っている。


「何しに来たのかしら。陛下のご兄弟の配偶者なんて、私、聞いたこともなかった」

「いくらなんでも礼儀知らずな訪問よ。なんだかちょっとヤな感じ」

「妃の位がないのだったら……城の女主が王妃様であることに変わりはないわよね?だって、メイベル様は王の妻だもの」


オリガがわざとらしく咳払いして、若い女官たちのお喋りを止めさせる。

メイベルは、いまは女官たちのヒソヒソ話に耳を傾ける余裕もなく、あの美しい女性ことばかり考えていた。


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