女難は続く (2)
「あの子が一方的な思い込みで喋ってるっていうのは分かってた。嘘……と断じるには微妙な色合いだったけど、実態のなさそうな感じではあった」
まるで自分がルスランから望まれているような口ぶりであったが、ヴァローナ王から本当に寵愛されていたら、そんな感情の色にはならないかな、ということはメイベルも見抜いていたのだ。
ただし、感情の色についてはメイベルが長年の経験から独自に判断しているもので、絶対の答えがあるわけではない。
だから、もしかしたら……という疑惑を完全に打ち払うことはできないのだ。
「それに、メバロータの女性とあまりにもタイプが違う。ルスランの好みじゃないのにな、とも思ってた。一晩の関係ならそういうこともあるだろうけど、私がいる城で、私を差し置いて寵愛しようっていうなら……色々と違和感」
さらりと言ったが、メイベルの言葉にルスランの色が激しく動揺する。
懸命に表情に出さないようにしているが、ルスランはメイベルの能力を知っているのだから、自分が動揺しまくっていることに気付かれていると、ルスランのほうも気付いていた。
「……彼女は、間もなくメバロータを離れる」
しばらく目を泳がせ、あれこれ悩んでいたようだが、観念して話すことにしたらしい。
メイベルの反応をうかがいながら、ルスランが話す。
「僕との関係もそれまで――彼女自身、夫君を亡くした心細さから一時的にすがっただけで、いまは立ち直り、子どもたちと新たな生活を始めることを決めた。婚家に戻り、子どもが成長していずれあの城を継ぐことができるようになれば……と考えているそうだ」
それまで、メバロータの城はルスランが指名した者が管理するそうだ。
ルスランの説明に、ふうん、とメイベルは感情のこもらない声で相槌を打つ。
メバロータ城主の奥方――いまは未亡人である彼女に対し、メイベルへの被害を拡大させた件でルスランは腹を立てていたくせに。彼女を許し、憐れんであげてとお願いしたのはメイベルのほうではあるが……その言葉通りにルスランは未亡人の彼女を慰め、ちゃっかり良い仲になっていた。
未亡人は、小柄で、守ってあげたくなるような雰囲気のある可愛らしい女性だ――メイベルに似たところがあると、女官たちがぽつりとこぼしていた。
冷たい反応を示す妻に対し、ルスランは必死で言葉を続けた。
「彼女とは、本当にもう別れる。城を出る彼女たちを見送って……それでもう、会うのは終わりだ」
「次の予定はもう立ててあるのね」
メイベルはさらに冷たい声で言った。約束してしまったから、とルスランは目を泳がせながらもそう言って……メイベルはため息を吐く。
「……分かった。もう終わらせるとルスランも言ってくれてるんだから、私も……モヤモヤはするけど、あの人のことを話すのはこれきりにする」
ダリヤ・フォミーナの時以来、メイベルがメバロータ城の未亡人と接触することはなく、彼女と顔を合わせることもなかったが、ルスランとの将来を望んでいる様子がないことは分かっていた。ルスランの感情の色から、それは察していた。
夫を突然失って、それでも子どもたちのために立ち直るしかない彼女も、誰かにすがりたくなる時もある――そんな時にヴァローナ王が親身になってくれたら、心が揺れてしまう気持ちも理解できる。
メイベルとしても、見て見ぬふりでやり過ごしてあげたかったのだが……。
「アントニーナ・コヴァレンコのことは早く何とかして。メバロータのことでたくさん我慢してるのに、あんな子のことまで我慢したくない」
色々と耐えているメイベルの神経を、あの女の子は見事に逆撫でしてくれた。八つ当たりの自覚はあるが、メイベルもこれ以上は許容できない。
睨みつけるように自分を見るメイベルに、早急に対処する、とルスランは急いで答えた。
コヴァレンコの誤解は解けたものの、ルスランはメイベルのご機嫌取りをし、久しぶりに二人で同じベッドで眠った翌朝。
まだ寝ているメイベルを起こさないようにルスランは先に起き上がり、身支度をして政務に向かおうとした。
見送る女官長のラリサが、意味ありげに笑いかけてくる。
「……陛下。私は、間もなく王妃様のおそばを離れます――短い期間ではございますが。王妃様が休暇を許可してくださいましたので」
「うむ。アンドレイからも聞いている。我が子とゆっくり過ごしてくるといい」
「ありがとうございます。ただ、私としてはいまの王妃様のおそばを離れるのはとても不安です」
本題が来たな、とルスランは愛想のよい笑顔を崩すことなく、心を引き締めた。
「いまの王妃様は心安らかにお過ごし頂くことが何よりも大切な時期だというのに、外野の雑音が大き過ぎですわ。私たち女官が壁になるよう努めてはおりますが、陛下までその音を煽るような真似はお控えくださいますよう……」
「分かっている。メバロータのことは、本当に次で終わりに――」
「メバロータのことも重要ですが」
女官長としての分を弁えているラリサにしては珍しく、不敬にも王の言葉を遮って言葉を続ける。
「ラストルグエフの女性とも、お早めに結論をお出しくださるようお願いいたします。メバロータへの旅の最中の夜遊びについて、王妃様のお耳に入らないようにしておりますのに。かの娼館に少し通い過ぎでしてよ。ヴァローナ王愛用の店があると、王都にまで評判が届き始めております」
うぐ、とルスランはくぐもった呻き声をもらして押し黙った。
長い沈黙の後、恐るおそるラリサを見て、アンドレイか、と呟く。
陸軍大将アンドレイ・カルガノフはルスラン王の護衛隊長でもあるため、お忍びの旅にも同行している――彼は、ルスランの女性関係のほぼすべてを把握していた。
中にはルスラン本人がすっかり忘れてしまっている一晩きりの火遊びなども、すべてきっちりと。
「夫も、調子に乗るな、乗らせるなと締め上げておきました。念のため申し上げておりますが、王妃様も薄々察しておりますわ。知らぬそぶりを努めていらっしゃるだけ――バレないと思ったら大間違いでしてよ」
笑顔を貼り付けながらも、ラリサの視線は鋭く、冷たい。
せっかくだから君も楽しめ、とそそのかしてラストルグエフの娼館にアンドレイを誘ったのは、他ならぬルスランである。女遊びの共犯に、アンドレイも巻き込んだ。
……彼の妻のラリサに、睨まれる心当たりしかない。
「王妃様は、ご自分が閨の相手をできないのだから仕方がない……と目をつむっていらっしゃるだけ。私のほうが、王妃様のご寛大さにも気付かぬ陛下のお姿に耐えられなくなって来ました」
ラリサが、とびきりの笑顔で言った。
「オリガにきっちり引き継いでから休暇に入りますので。その時にラストルグエフのことを伝えずに済むのでしたら、私も非常に助かります」
非常に、の部分に力を込めるラリサに、分かった、とルスランは項垂れて答えるしかなかった。
冬になり、戦好きのルスランも王城に留まって大人しくしておくしかない季節となって。
やっぱり、夫の身を心配しなくて済むのは有り難い。
細々とした悩みはあるものの、ルスランの無事を祈る日々に比べれば、ずっと心安らかに過ごせているとメイベルは考えていた。
春になったらまた戦に赴くようだが、今回はイヴァンカ帝国という後ろ盾もあるので、ルスランもあれこれ策謀を働かせる様子はなかった。
今日は、厩舎へ馬の世話をしに行くファルコについて行っていた。
「俺がヴァローナ宮廷ででかい顔してるのも、あんたにとっては逆風なんだろうな」
何気ない世間話をしていたつもりだったが、不意に、ファルコはそう言ってきた。
愚痴っぽくなってしまわないように気を付けていたが、外国人の王妃を危険視するヴァローナ諸侯のことを、自分はつい話してしまったらしい。
馬の寝床を掃除しながら、ファルコが話す。
「ルスランやアンドレイ将軍が気前よく許してくれるから忘れがちだけど、本来、俺はこんなに自由に振舞ってていい身分じゃないからな。もっと立場を弁えて、あんたとも、もっとちゃんと距離を取るべきだ」
ファルコは、サディク朝から人質として差し出された外国人の皇子。ルスランの許可がない限りはファルコも軽々しく触れてこないとは言え……頻度も高くないが、メイベルとは愛人関係にある。
外国人の王妃が、外国の皇子と。組み合わせとしては最悪だ。
いまもこうして二人きりで過ごして。
……厩舎の出入り口には王妃付き女官もちゃんと控えていて、離れたところでは他にも馬の世話をしている馬番もいるのだが、王族的な定義としては二人きりである。
「そうね。私も……なんだかんだ、ルスランに守られてるのをいいことに、ヴァローナ王妃として隙や問題の多い行動を取ってるのも事実だと思う。気にし過ぎもよくないけど、どこかで線引きもしないとダメなのよね」
そう話すメイベルに、馬が長い鼻をすり寄せてくる。
甘えるような仕草にメイベルは笑い、持ってきた馬用のおやつを与えた――その様子に、ファルコが作業の手を止めて苦笑した。
「そっちのほうも線引きしろよ。可愛がってくれるのはいいけどさ。バリーはまたダイエットが必要になって、とうぶんおやつ禁止にしてるから」
「可愛くて、つい。馬たちには、ちゃんと決められた量だけにしておく」
ファルコのおかげで厩舎に出入りするようになったメイベルは、すっかり馬に慣れて。
……馬たちからは、ちょっと舐められてしまっているような気がする。メイベルなら、甘えればすぐにおやつをくれると。
あげ過ぎないように、とメイベルもたびたび注意されている。
それはファルコの飼い猫に対しても同様で、猫のバリーは自分を猫かわいがりするメイベルたちによくおやつをねだりに来る。
メイベルだけでなく、女官たちも甘やかすものだから、ファルコはしょっちゅう飼い猫にダイエットを敢行していた。
王城の主が一番バリーを甘やかすので、ダイエットは遅々として進まないそうだ。メイベルからも、夫を諫めておこう。
「戦もなくて城に籠るしかないとなると、ルスランの甘やかしがいっそうひどくなる」
ファルコの言葉に、そう言えば、とメイベルはルスランの外遊びがぐっと減ったことを思い出す。
去年は獲物は期待しないながらも狩りに行ったり、馬に乗って少し遠出をしたりしていたのに。
……メイベルのご機嫌取りをしているのかもしれない。自分の浮気が、メイベルにバレていたことが発覚したから。
「私のせいかも……。ちょっと可哀相なことをしちゃったかな」
「いいじゃん。たまには。いつもメイベルを振り回してるんだから、この冬の間ぐらい、せっせとメイベルに尽くしてればいいんだよ」
自省するメイベルに対し、ファルコは容赦なく言い切った。




