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氷は砕けども (1)


メイベルがその腕に飛び込むと、ルスランはしっかりと抱きとめてくれて。メイベルもルスランをぎゅっと抱きしめて、ルスランのぬくもりにホッと息をつくと、思わず涙も零れ落ちてしまった。


一度あふれ出てしまった涙は止めることもできず、泣きじゃくるメイベルを抱きしめてルスランが言った。


「遅くなってすまなかった」


早く迎えに来てって言ったのに。そう恨み言をぶつけてやりたかったのに、メイベルは泣くことしかできず、ルスランの胸にすがりつくばかり。

メイベルが少し落ち着くと、ルスランがそっと身体を離してメイベルの涙を拭う。


ルスランは、乗って来た気球を見ながら説明する。


「オリガ、ニラム、ニタク。君たちはこの気球に乗って脱出しろ。男三人ぐらいなら乗れる気球だ――女性であれば、もう一人ぐらい乗れるはず。気球の操作のために、アンドレイが残る」


まだ籠に残ったままの陸軍大将アンドレイ・カルガノフが軽く手を振り、ファルコは抱えていたニタクをすでにそこに乗せようとしていた。

オリガは戸惑いながらルスラン王を見る。


「私たちが乗るということは……陛下や王妃様は……?」

「私たちは別ルートから脱出する。もともと、全員が乗れないことは分かっていて立てた計画だ。気球を操るのにアンドレイが必須となれば、誰が残るかは相談する余地もない――私とファルコならば自力で突破できる。そうなると、足手まといは少ない方がいい」


王を差し置いて自分たちが先に脱出してしまうなんて、と反論しかけたオリガの言葉を封じるように、ルスランは強引に話し続けた。

ですが、とオリガも退かない。


「ならば、残るのは私が。負傷したニタクはまだしも、問題なく動ける私より王妃様をお乗せすべきです」

「いや!」


今度はメイベルが強く拒否した。

ルスランの腕にぎゅっとしがみつき、ルスランを見上げて首を振る。


「もうルスランと離れるのはいや!お願い、一緒に連れて行って」


オリガたちへの気遣いもあったが、ようやく再会できたルスランと離れたくないという本音も込めて、メイベルが言った。


ルスランが優しく笑ってメイベルの頭を撫で、オリガも反対することを止めて、ニラムと共に籠に乗り込む。将軍アンドレイは、籠にあるボイラーのようなものに火を入れており、ルスランは彼に声をかけた。


「アンドレイ、上昇急げ」

「すでに始めておりますよ。すぐに出発できないことも気球の難点ですから」


オリガから銃を返してもらい、ファルコが自分の装備を検めている。ルスランは、将軍から渡されたマントをメイベルに羽織らせた。


「行くぞ。アンドレイたちがここを離れられるようになるまで、我々は陽動の役割も担っている。空に上がってしまうまでは、気球は無防備だからな」


メイベルは頷き、ルスランの手を握って走り出す二人についていく。屋上を出る時、半分ぐらい萎んでいたバルーンが、少しだけ起き上がるのが見えた……。




屋上へと繋がる階段に戻って、一フロア降りた途端、メイベルはダリヤ・フォミーナの部下の男二人と出くわした。


メイベルたちの部屋は見張りが倒されていて、気球の着地音はなかなか騒がしい――当然、誰かがここに駆けつけてくるに決まっている。先を走っていたほうの男はルスランが剣を抜いて素早く倒し、後ろの男はファルコが撃つ。

訓練所でファルコがいつも持っているものよりは小ぶりの銃だが、銃声はよく響く。これで、メイベルたちがどこにいるか相手にはっきり伝わったことだろう。


長い廊下を走り、ルスランが窓から見えるものを指して言った。


「西にあるあの塔まで移動して、二階から湖に飛び込む。上空から見たおかげで、城の全体図はだいたい把握できた。あの塔からならば直接湖に飛び込める」

「人が飛び込むには悩むぐらいの高さがありそう」


窓から見える塔を見て、ファルコがげんなりした様子で言った。そうだな、とルスランが相槌を打つ。


「鍛えている私と君でも、やらずに済むならそうしたいことだ。また無理をさせてしまうな」


自分に向けて言われているのだと分かり、メイベルは返事をする代わりにルスランの手をさらに強く握った。


道理で、オリガたちではなくメイベルが選ばれたはずだ――女性に無茶をさせることを厭うルスランにとって、唯一の例外がメイベルである。

でも、メイベルはルスランの計画を知っても躊躇うことなく、覚悟が揺らぐこともなかった。ルスランが一緒なら、きっと大丈夫……。


「あの塔に向かうなら……三階にある長い通路を通っていくのが早いと思う。私の客室は、もともとあっちの棟にあったから……」


塔に行ったことはないが、あの塔のある棟は多少うろついている。存命だった頃の城主に、軽く説明してもらったから、メイベルでも少しぐらいは棟内の構造が分かっていた。


一階まで降りて地上から西の塔へ向かおうとしていたルスランは、降りていた階段を引き返して三階に移動し、目的地を見失わないよう外を何度も確認しながら走る。手を引っ張られ、メイベルも必死に彼についていって。


急にルスランが足を止め、メイベルは彼の背中に激突した。

小柄なメイベルがぶつかったぐらいでは、軍人王のルスランはびくともしない。ルスランは、後ろをついて来ていたメイベルを気遣うことも忘れたように叫ぶ。


「ダリヤ・フォミーナ!」


大声で呼びかけ、ファルコも彼女も足を止めた。


中庭を見下ろす大きな回廊の向こうに、数人の部下を連れてどこかへ向かうダリヤ・フォミーナがいる。呼ばれてハッとなっているところを見ると、彼女はメイベルたちを追っていたわけではなさそうだ。

声の主を探してこちらを見たダリヤが……かなり遠かったが、目を見開いて息を呑む表情になるのを、メイベルも辛うじて視界にとらえた。


次の瞬間、銃声が鳴り響く。

一発や二発ではなかった。ダリヤの悲鳴も混ざっていたような気がする。


メイベルが見た限り、ルスラン王の姿を見つけたダリヤの部下の男たちが何人か銃を向けてきたが、全員が撃たれ、ダリヤも右肩を撃たれていた……と、思う。自信はない。

ダリヤは生き残っている部下たちに庇われて、すぐに回廊の向こう側へと逃げ込んでしまった……。


「……なんで仕留めなかった。女だから情けをかけたわけじゃないだろうな」


ルスランの少し後ろで、銃を下ろすことなくファルコが言った。銃口は、ダリヤ・フォミーナが去っていったほうを向いている。

見れば、ルスランもメイベルと手を繋いでいないほうの手に銃を持っている。


「仕留めるつもりだったのに外したんだ。私には、君ほどの腕がないものでね」


ルスランは、舌打ちしそうな勢いで悔しがり、銃を下ろした。ため息をつき、ファルコも銃を下ろす。


「下手くそ。あんたに譲ったりせず、自分で撃てばよかった」

「返す言葉もない」


……なんてやり取りをしていたが、あとで将軍アンドレイに聞いたところ、あの距離を一瞬で狙いをつけてダリヤに命中させただけでも、ルスランの腕は十分人並み以上に優れているらしい。


同じ条件で、あの中から銃を向けてきた者だけを見極めて三人撃ったファルコが人間離れし過ぎているそうだ。しかも、ファルコは全員頭を撃ち抜いていた。




ダリヤ側との交戦はそれだけで、メイベルたちは目的としていた塔の二階に到着し、ルスランは窓を開けて改めて下を確認する。


「メイベル、上着を脱げ。ドレスを着た女は男よりも難易度が高いと思い知った――できるだけ身軽でいてくれ」


ルスランと共に水の中に落ちるのは、すでに経験済みだ。あの時は何も言わなかったけど、ルスランも実はかなり大変だったらしい。

今回はドレスではなく肌着だけなので、少しはマシだろうか。メイベルは、ルスランが着せてくれたガウンを素直に脱ぐ。


先に登って窓枠に立ったルスランが、自分に向かって手を差し出す。ファルコが窓のそばで片膝立ちとなって、台代わりになってくれて。

靴も脱ぎ、メイベルは慎重にファルコの太腿に足をかける。差し出された手を取ると、ルスランがメイベルを引っ張り上げた。


ルスランをつかんで支えにしながら、メイベルも細い窓枠に立ってなんとかバランスを取っていた。


「首を引っ込め、できるだけ身を縮こませていろ。君も水に落ちる経験はしているから、どんなことになるかはだいたい予想ができるだろう。水に落ちたら、下手に動かず僕に任せてくれ」


メイベルは頷いた。

ルスランを信じて任せる――ルスランの背後に見える色は、メイベルの彼に対する信頼を強めるだけ。

自分の選択に、妻も容赦なく付き合わせる人だけど……メイベルは一度だって後悔したことはなかった。


ルスランが自分を抱き寄せ、彼の合図で共に飛び込む。

水に落ちる衝撃のほとんどは、ルスランが自分の身体でかばって引き受けてくれた。でも、ルスランよりずっと華奢で……体力も限界だったメイベルは、水面に叩きつけられた衝撃に耐え切れず、気を失った。

――大丈夫だと自分に言い聞かせ続けていたが、もうそんな誤魔化しも効かないほど、精神的にも限界だった。




気が付いた時、メイベルは見覚えのない天井をぼんやりと見つめていた。遅れてガタガタとした振動が身体を揺さぶって。


「気付いたか。ここは馬車の荷台の中……無事に、僕たちは王都へ帰っている途中だ」


ここはどこ、と考えるよりも先にルスランが自分の顔を覗き込んできて、そう言った。

顔を少し動かすと、荷台で横になっているメイベルのすぐそばに、ルスランが座っているのが見える。


ルスランはメイベルに手を伸ばし、首や頭に触れ……熱を確認しているのだと、ぼんやりした頭で察した。

発熱時特有のだるさと痛みが、メイベルの身体を苛んでいる。


「オリガたちともちゃんと合流しているぞ。ニタクは熱がすっかり下がって、元気になった。入れ替わるように熱で寝込む君の看病も、オリガ、ニラムと共にやってくれている。本当は付きっきりで看病したかったのだろうが、城で何があったのか、詳細を話せるのが彼女たちだけなので、いまはアンドレイに呼ばれている」


ぱさりと、自分のそばに何かが落ちる微かな音が聞こえた。額に乗せられていた布が、メイベルが横を向いたことで落ちたらしい。

ルスランは濡れた布を拾い、近くにある水桶で布をまた濡らして、メイベルの額に置いてくれた。


「聞きたいことはあるだろうが、いまは何も考えず、何も心配せず休んでくれ。僕も、君と色々話したい――だから必ず、元気になるように。ヴァローナ王の命令だ」


最後はおどけたように話すルスランに、メイベルも精一杯の笑顔で応えた。

それからまだ重い瞼を閉じて、久しぶりに心ゆくまで眠った。


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