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狙われた王妃 (4)


メバロータの城主が部屋に運ばれると、城の医者がすぐにすっ飛んできて彼を手当てしたが、助からないだろうというのは誰の目にも明らかであった。


死が近いという状態を超えて間もなく命の火が消えるという状態にまでなっていたら、メイベルの目でも何も見えないということは何度か経験していた――メイベルは時折、人の死期までも見えてしまうことがある。

今回は、何も見えなかった……。


城主の奥方も夫の死は避けられぬものと考えているようで、目を覚ますことのない夫の手を握って静かに涙を流し続けている。医者は血を拭い、治療ではなく城主の苦痛を和らげることしかできないでいた。


このまま二度と目を覚ますことはないものと思っていた城主が、わずかに目を開く。奥方が必死で夫に呼びかけ、城主は視線だけを動かして周囲を見、メイベルに目を留めた。


「お、逃げ……すぐに……」


負った傷は大きく、城主は話すこともままならない。それでも、何かをメイベルに訴えている。


「……ちか……道が……」


そして、城主は力尽きた。

握っていた手から力が失われるのを感じ、奥方が泣き崩れて夫にすがりつく。医者もがっくりと項垂れて言葉を失い、部屋に控えていた召使いたちも泣き始めた。

メイベルも気の良い親切な知人の死を悲しみ、夫を喪った女性を憐みつつ……ルスランと離れてから以降抱き続けていた不安が、大きく膨れ上がっていた。




夫の突然の死に、荒れた天気、貴賓への対応……やるべきことが多すぎて悲しみに浸る余裕もない奥方や城の人々にいまは余計な負担をかけるわけにもいかなくて。

メイベルは自分の客室で大人しく過ごしながらも、城を出られないかとたびたび考えていた。


「天気が回復するまでは、橋は降ろさないそうです。湖も水量が増えて橋を降ろしても沈んでしまうだろうと城の者が言っておりました。陛下も、この雨では近くの町に留まっておられるでしょうし、迎えもすぐには……」


メイベルに相談されたオリガは、そう答えた。


城の者たちも予想外の出来事に奔走し、忙しくしているので、いまはメイベルたちも強く主張することができない、という遠慮はある。

オリガも、例えヴァローナの王妃と言えど、世話になっている以上は滞在先の人々にも配慮すべきだと考えているのだろう。メイベルの悩みをワガママだと遠回しに諫めていた。


双子の女官たちは城の人たちを手伝うことで、色々と情報を仕入れてくれているようだ。

ダリヤ・フォミーナは、メイベルとは別の棟にある客室に泊まっていることを教えてくれた。


「フォミーナ候も、いまは外に出られませんから。お城の人たちにとっても、ご城主様を助けて連れてきてくれた恩人ですから、それなりにもてなしてるみたいです。フォミーナ候ご自身も、待遇に不満を言うことなく与えられた客室で静かに過ごしているそうですよ」

「奥方様、とてもお気の毒……。一人で幼い子供たちを抱えて、城の人たちに指示出して、私たちの世話までして、いっぱいいっぱいみたいです。でも、働いてるほうが楽だからって頑張っていらっしゃって……外に出る催促をするの、私たちもちょっとしんどいです……」


自分が顔を合わせると城主の奥方にかえって気を遣わせてしまうので、向こうから訪ねてくる以外では部屋に閉じこもるようにしていたのだが……やはり、もっと見舞う必要があっただろうか。

もちろん、臨終の場に居合わせた時に奥方を労わり、お悔やみの言葉をかけてはいる。でもそれ以降、ほとんど接触はなかった。ダリヤ・フォミーナのほうも、最初に声をかけられた以外では姿を見ることもなかった。


結局、二、三日もすれば橋も降りてルスラン王が迎えに来てくれるのだからという結論に落ち着き、女官たちは城を出てしまいたいメイベルには同意してくれなかった。


そして城が閉ざされてから二日目。大雨は続くものの強風は止んだその日、相変わらず昼とは思えぬ暗い空を見上げていたメイベルのもとに、双子の女官の内、めがねをかけたほうの少女が大慌てで部屋に駆け込んできて言った。


「王妃様!このお城、実は外に出れる地下通路があるみたいです!お城の一部の人しか知らなかったけど、橋が使えなくなった時とか――いまみたいな天気で外への出入りが難しくなった時には、そこを通って向こう岸に渡ってたんですって!」


双子の相方が目を丸くする。


「この湖の下に、地下通路ってこと?」

「そう。それがこのお城、最大の自慢なんだって。一応、秘密の通路だから大っぴらにはしてないけど。橋が完全にダメになって王様が迎えに来れなくなっちゃったらどうしようって悩んでるふりして聞き回ったら、こっそり教えてくれたの。さすがに陛下が相手じゃ、秘密にしきれないものね」


メイベルは立ち上がり、情報をもたらした女官に詰め寄る。


「城を出る準備をして。そこを通って、ルスランのいる町まで行く」


いけません、と即座に反対するのはオリガだった。


「湖を出ても荒れた天気の中をうろつく危険は変わりはありませんし、近くまで来てくださっているとはいえ、女だけで王のもとへ向かうなど」

「奥方にお願いして、城から人を借りる。どっちにしろ、その通路を使わせてもらうのなら、主となった奥方に許可を取らなくてはならないもの」

「――僭越ながら。王妃様の一個人的な感情で、彼女たちの負担を増やすべきではありません」


オリガがピシャリとたしなめた。

オリガの言い分が正しく、自分のほうが度の過ぎたワガママを言っている自覚はあった。それでも、メイベルはこの城を離れたくてたまらないのだ。ダリヤ・フォミーナが大人しくしている間に、穏便に彼女から遠ざかってしまいたい――せめて、ルスランと合流できれば……。


王妃を厳しく睨むオリガ。珍しく女官相手に強く命じてくる王妃。

間に挟まれた双子の女官はオロオロと二人を見やり、眼鏡をかけたほうの女官が口を挟んだ。


「あ、あの。だったら、私が城を出て、陛下を呼びに行ってきます!陛下は無理でも、ファルコ様だったら通路のことが分かればすぐに迎えに来てくださいますよ!」


ニタク、とオリガが眼鏡をかけた女官の名を呼んで諫める。眼鏡をかけた女官は、明るく振る舞った。


「大丈夫です。私、田舎の山育ちですから、オリガ様より体力と方向感覚には自信があります。湖さえ渡ってしまえば、歩いても二、三時間ぐらいの距離の町なんですよね?こんな天気だったら変な人も出歩かないでしょうから、かえって安全です」


さすがに、この提案にはメイベルも同意しなかった。一人で行かせてしまうのは話が違う。

ワガママが過ぎた、と自分の非を認め、オリガが正しいと自分の意見を引っ込めることにした。

……だが、いつもは穏和なメイベルがあまりにも強く主張したことで、女官たちにいらないプレッシャーを与えてしまったらしい。


双子の女官のうち眼鏡をかけていないほうの女官から、ニタクが外へ行ってしまったことを聞かされた――彼女が出て、数時間も経ってから。


「勝手な真似してごめんなさい!王妃様は何も悪くないです!私たちが自分で勝手に決めて、勝手に出て行ったことなので……!」


もちろん、王妃と共にその報告を聞かされたオリガはニラム――眼鏡をかけていないほうの双子の女官のことを厳しく叱責したが、起きてしまったことはもう取り返せない。

メイベルも、女官たちの不安を他ならぬ自分が煽って追い詰めて……彼女たちに危険な真似をさせてしまったことを猛省しつつ、ニタクの無事を祈った。


ニタクが無事にルスラン王が滞在する町に到着していれば、迎えが来てくれるまで半日程度……。ひょっこりと姿を現してくれることを願いながら夜を迎え、メイベルが望まない人物が部屋を訪ねてきた。


ダリヤ・フォミーナに仕える男だった。男物の装いをしつつも華やかな彼女の使用人はみな、主にならって美しく着飾っている。所作も言葉遣いも皇族に仕える者に相応しい気品あるものだが、人間らしさを感じられない無機質さがあった。


「夜分遅くに失礼致します。我が主が、メイベル様にお会いすることを望んでおりまして。足をお運びいただきたく、お願いに参りました」


そう言って、使用人は見覚えのある眼鏡をメイベルに差し出す。アッと声を上げてニラムが慌てて自分の口を押えた。

メイベルもその眼鏡に心当たりはあったのだが、ニラムの反応で確信した。

――これは、ニタクがかけていたはずの眼鏡だ。


とても愛想のよい笑顔に、流ちょうなヴァローナ語。完璧な礼儀を持って恭しく接する使用人だが、友情は一切期待できぬことは見える感情の色から分かった。

彼らの固い忠誠心は、何があろうとも揺らがない。主人が命じてきたら、この笑顔を一変させて冷酷に武器を振り下ろしてくるはずだ。


断れるはずもなく、座っていた椅子からメイベルは立ち上がる。使用人は洗練された動きでメイベルを案内し、主人のいる別棟へと連れて行く。オリガ、ニラムも一緒だ。

使用人は、上階へと進む。ダリヤが滞在してる棟には塔があり、そこへ向かっているような……。


最上階の部屋で、ダリヤはメイベルを出迎えた。

その部屋には分厚いカーテンで仕切られた奥があり、ダリヤは部屋の手前にいる……部屋に入ると、メイベルはひどく胸騒ぎがして、立って彼女と向かい合うのも恐ろしい気分に襲われた。


「ようこそ、私の牢獄へ。寝泊まりしている客室は下の階なのだけど、それとは別に、一部屋お借りしたの。私、誰かを閉じ込めるなら地下牢よりも塔のほうが良いと思うのよね。今日は何をしようかしらって、ワクワクしながら階段を登る瞬間が大好きなの」


ダリヤは上機嫌の笑顔で言い、メイベルに近寄って手を取る。メイベルの白い手を握る彼女の手は……血で汚れていた。彼女の手もメイベルに劣らず白くほっそりとしているから、血の色はよく目立つ。だが、彼女の手についた血の色よりもおぞましい赤い感情の色が、メイベルに恐怖を与えた。


メイベルの手を取ったまま、ダリヤは奥へとメイベルを誘う。

メイベルと共に部屋に入ったニラムは、奥の部屋に入った途端、悲鳴を上げてオリガが急いで彼女の口を塞ぐ――ニラムを抑えてオリガも蒼白となり、叫び出しそうになったのを懸命に堪えているようだった。

ダリヤの不興を買って、彼女を刺激してしまったら、ニタクが危ない。


「ダリヤ様、これは?」


メイベルは努めて平静を装い、ダリヤを真っすぐ見つめる。

彼女のすぐ後ろで、血まみれになって逆さづりにされているニタクの姿からも、目を逸らさず。


「彼女、あなたの女官よね?この天気の中を一人で出て行こうとしていたから、私、止めたの。危ないわって。なのにこの子は恩知らずにも私の制止を振り切り、あろうことか私の顔に傷を――」


そっと、ダリヤが自分の顔を撫でる。


薄暗い部屋なので気付かなかったが、言われてみれば確かに、彼女の白い頬の端にはうっすら赤い線がついていた。

化粧でどうにでも隠せそう……数日もあれば、跡も残らず完全に消え去ってしまいそうなもの――まさかそう反論できるはずもなくて、メイベルはダリヤに頭を下げる。


「申し訳ありませんでした。私が命じたのです。何としてでも、ルスランに知らせて迎えに来るよう伝えよと。私が追い詰めたせいで、あの子もなりふり構わず命令を果たそうとして、ダリヤ様に多大なご迷惑をおかけしました……」


顔を上げ、改めてダリヤと……彼女の背後にいる逆さづりにされたニタクを見た。

ニタクの顔には、死の色が浮かび上がっている――死が、間近まで迫っている。だがこの色が見えるということは、まだ彼女は救える範囲にいるはず。

メイベルの対応次第で、きっと。


そう信じて、次の言葉を期待するダリヤを見据え、メイベルは言葉を信じた。


「……どうか、不出来な女官に代わって、私がダリヤ様にお詫び申し上げる機会をお与えくださいませ」

「詫びだなんて、そんな」


嬉しさと歪んだ喜びの色を隠すことなく、ダリヤが言った。


「なんて可愛らしいことを言ってくれるのかしら。もちろん、いいわよ――あの子を降ろしてあげなさい」


ダリヤは自分の使用人に命じ、美しい装いをした使用人たちは顔色変えることなく礼儀正しく愛想のよい笑顔を貼り付けたまま、てきぱきと行動する。

ニタクは降ろされ、ニラムが急いで自身の片割れに駆け寄る――ニタクの顔に浮かび上がっていた死の色は、すっと消え去った。


オリガはニタクに駆け寄る仕草を見せながらも足を止め、メイベルの肩を抱いて部屋を出ようとするダリヤと、双子の女官たちを交互に見ていた。


「オリガ、あなたもニタクを手当してあげて。私なら大丈夫……すぐ戻ってくる」


メイベルが女官に向かって命じると、オリガが笑う。


「私が何を望むか、あなたはちゃんと分かってるのね。お兄様が気にしていらっしゃるのも納得……。私、そんなに分かりやすい女のつもりはないのに。どうしてかしら」


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