狙われた王妃 (1)
ヴァローナ王国の国境近くに位置する山間の町カザコフはいま、非常に賑やかであった。
なにせ国王夫妻が訪ねてきて、この町で結婚式を挙げるらしい――町の人々には直接関わり合いのないことなのだが、王と王妃を祝うという名目で祭りが開かれ、楽しそうな空気に包まれている。
「王妃様は鈴蘭姫と呼ばれる、それはそれは可憐なお姫様だそうだよ。ハルモニアでもめったにお目にかかれない御人だったらしい。うちの王様を、一目で骨抜きにしたんだってさ」
露店でヴァローナ名物のお菓子を買っていたメイベルは、店主でもあるおばちゃんが喋る噂話にぎこちなく相槌を打つ。
メイベルの後ろで、護衛も兼ねて付き添うファルコが意味ありげに笑っている。
「なんでこんな町で、王様が結婚式を挙げるかね?王都にだって、立派な大聖堂があるんだろう?」
メイベルの隣で、旅の人がメイベルと同じようにお菓子を買いながら店主のおばちゃんに尋ねた。
「結婚式にはイヴァンカからお客さんが来るんだってさ。だから国境近くのうちの町が選ばれたんだそうだよ」
「へえ、イヴァンカから。もしかして噂の黒雷かい?見てみたいものだねえ」
店主は旅人風の客と話し込み始め、メイベルはファルコを連れてそっとその場を離れた。
賑やかな物売り広場の片隅で買ったばかりのお菓子を一口食べて、ファルコに話しかける。
「町の人たちって耳が早い。尾ひれも背ひれもたくさんついちゃってるけど」
「別に間違いってことでもないだろ。ヴァローナ王も魅了する可憐な鈴蘭姫ってのは本当の話だ」
「ニヤニヤ顔で言わなければ信じた」
ファルコの言葉に対し、メイベルはそっけない。本心なのに、とファルコは肩をすくめてみせる――本心半分、からかい半分であることは、メイベルも見抜いていた。
お菓子を食べ終えると、メイベルも滞在先の屋敷へ帰ることにした。
屋敷から町の楽しそうな雰囲気が伝わってきてどうしても見てみたくなり、散策に出かけたのだが、思った以上に楽しかった。最後は反応に困る噂話を聞いてしまったが。
屋敷に戻ると、ハルモニアからの客が到着していた。ハルモニアの副宰相アルフレート・プロイスが、メイベルの夫と話をしている。
メイベルが帰ってきたことに気付いて、ハルモニアの副宰相はすぐに挨拶にやって来た。
「お久しぶりです、メイベル様。父の名代で、私がお二人の結婚式に参加させて頂くこととなりました」
「来てくれてありがとう。でも……プロイス様は来てもらえなかったのね」
ハルモニア王国は先の戦争でヴァローナに敗北し、当時のハルモニア王を失っている。女主となったメイベルがこの国に嫁いで……共同統治者という肩書きはあるものの、実権はメイベルの夫が握っていた。
そのことについて、ハルモニア側も色々と複雑な思いを抱いている。アルフレートたちはメイベルの心労を増やさぬよう、ハルモニア諸侯の不満を抑えてくれているようだが……。
しかし、憂うメイベルに対してハルモニアの副宰相は目を泳がせた。
「いえ……。父も、ちゃんと自分が出席するつもりだったんです。ヴァローナ王にもご挨拶に参らなくてはなりませんし。ですが、ハルモニアの威光を示すためにもメイベル様への祝いの品をあれこれ選んで、勝手に忙しく仕切っている間に……腰を痛めました」
出発の直前になって、ハルモニアの宰相はぎっくり腰に。それで、仕方なく息子のアルフレートがハルモニアを代表して結婚式に参加することになったそうだ。
いまその話を聞かされていたらしいメイベルの夫は、控えめながらも笑っている。
「お父上にはよろしく伝えてくれ。一日も早い回復を祈る」
「恐れ入ります」
ヴァローナ王ルスランが言い、アルフレートは頭を下げた。ルスランは親しげに振る舞い、ハルモニアからの客を歓迎する。
「式は明日――君たちも、今日はゆっくり休んでくれ。イヴァンカからの客が到着するのも明日のことだ。私も、今日は羽を伸ばしているつもりだ」
町にお忍びで出かけていたメイベルは、被っていた帽子を脱ぐ。なるべく見えないようにまとめていた髪も解けて、長い銀髪が肩にかかった。そんなメイベルの髪を整えるように、ルスランが手を伸ばして撫でた。
「町は楽しめたかい?」
「とっても」
「それは何より。私も一緒に行ければ良かったんだがな。君の優秀な女官たちは、仕事熱心が過ぎる」
遠回しな嫌味に、メイベルはルスランを軽く睨む。
式の衣装合わせをしたいとずっと前から言われていたのに、面倒がって今日までのらりくらりと逃げ回っていたのはルスランのほうだ。
女官たちだって王都を出る前にヴァローナ宰相から厳命を受けてしまったのだから、何がなんでも王を捕獲しようとするのは当然のこと。
自分のことを棚上げするルスランに、メイベルはぷいっとそっぽを向いた。
「王妃様」
女官のオリガが、メイベルに声をかけてくる。町へ出るための軽装のままだから、部屋に戻って着替えるよう促しているのだろう。メイベルは彼女の意図を察し、自分に宛がわれた客室に戻ることにした。
城にあるよりは小さなものだが、部屋には浴室も備え付けられている。湯の用意もしてくれているのでメイベルは風呂に入り、のんびりと髪も洗ってもらって……。
「ラリサは元気かな……。アンドレイ様も仕事だからルスランと一緒に来るしかなかったとは言え、一人にしてしまって……」
女官が自分の世話をするたびに、メイベルは女官長のラリサのことを思い出さずにはいられなかった。
普段なら、王妃の世話は女官長であるラリサが一番に行う。この町に来る時だって、副女官長の地位にあるオリガのほうが城に残って留守を任され、ラリサが一緒に来るはずだった。
でもいま、彼女は妊娠している。お腹もすっかり大きくなって、結婚式が終わってメイベルたちが王都に帰り着いた時には、子供が生まれているかもしれない状況。
ここまでの長距離を連れ回すわけにもいかず、メイベルが反対したこともあって、ラリサは王都に残っている。
――彼女の夫は陸軍大将で、国王の親衛隊長。彼は、同行するしかなかった。
「ミンカも残っておりますから、問題ないかと。少し落ち着きのない子ですが、なかなかの働き者ではありますから」
オリガは礼儀正しく答えた。
副女官長のオリガはラリサに比べると少し若く、職務能力の高さはラリサ以上なのだが、ちょっとお堅いところがある。女官長があの若さで熟達し過ぎているような気もしなくはないのだが……気安く接することのできるラリサと違い、メイベルも彼女とはまだ距離があるように感じていた。
オリガのほうも――決して、メイベルを侮ったりしているわけではないのだが――まだヴァローナ王妃一年生のメイベルにどのように接したらいいか、考えあぐねている様子だ。
この機会に、少し距離が縮まったらいいな、とメイベルは思っている。
風呂から出て身体を拭き、軽く寛衣を羽織って。
オリガは鏡台の前に座るメイベルの髪を丁寧に乾かし、ブラシで梳く。
……鏡越しに後ろを見て、ため息を吐いたオリガは振り返った。
「あなたたち、まだ決まらないの?」
後ろでメイベルの衣装を並べてヤイヤイ言い合っている若い女官たちに、オリガが厳しく言った。すみません、とそっくりな顔をした二人の女官が、慌てながら同時に頭を下げた。
彼女たちはオリガと同じく王妃付き女官で――いま城に残っているミンカと合わせ、仲良し三人娘とメイベルが勝手に認識している女の子たち。この二人は双子で、片方が眼鏡をかけている以外はそっくりだった。
「私は、ゆっくりお寛ぎ頂けるよう、こちらのドレスのほうがいいと思うんです。なのに――」
「絶対こっち!今夜はハルモニアからのお客様たちをもてなすために宴が開かれるんだから――王妃様の美貌が映えるドレスにすべきよ!」
「王妃様の美しさを引き立てるなら、こっちのドレスだって十分じゃない!美しくて、動きやすくて、実用性も兼ね備えて完璧でしょ!?」
オリガに向かって弁明をしていたはずが、また二人で言い合いを始めてしまった。
――要するに、メイベルに何を着せるか決まらないらしい。
状況に合わせて王妃のための衣装を選ぶのも、王妃付き女官の立派な仕事。
……いつもなら、双子の女官があれやこれや言い合って案を出して、ミンカが二人の意見をまとめてちゃんと決めてくれるのだが。いまは決定役がいないので、二人の意見は平行線のままだ。
「早くなさい。王妃様がお風邪を召してしまうじゃない」
「はい、ただいま――」
「――では、やはりこちらで!寒くなって参りましたし、夜風は身体に良くありませんもの。このドレスのほうが温かいですから」
「どうせこの後、陛下に脱がされるんだから、こっちのゆったりしたドレスのほうが陛下の手を煩わせずに済むわよ!」
「そうだな。私も脱がしやすいドレスのほうが好きだ」
突然聞こえてきた男の声に、双子の女官たちがピタッと言い合いをやめた。メイベルの髪を梳いていたオリガも、手を止めてヴァローナ王にお辞儀する。
「一応、外から声はかけたんだがな。気付いてもらえなかったので、勝手に入らせてもらった」
「申し訳ございません」
オリガは平謝りだ。慌てて頭を下げ、女官たちも縮こまっている――たぶん、彼女たちが騒がしく言い合いをしていたので、ルスランの声は届かなかったのだろう。
鏡台の椅子に座ったままのメイベルに、ルスランが近付く。
まだ少し水気の残る銀色の髪を一房手に取り、クルクルと指先で弄んで。
メイベルの髪は、ルスランのお気に入りだ。
「私と王妃は、宴には参加しない。だから今夜、ドレスは不要だ」
銀色の髪に口付けると、ルスランはメイベルを抱きかかえて奥の寝室へ向かう。
オリガは静かに頭を下げてメイベルたちを見送り、双子の女官たちはぽかんと口を開けて互いの顔を見やった後、ハッとなってオリガにならい、もう一度頭を下げた。
メイベルを降ろしたベッドに、ルスランも乗り上げてくる。すぐ着替えるつもりで寛衣を軽く羽織っていただけだから、メイベルの足はほとんど丸出し状態だ。露わとなっている白い肌を撫で、ルスランが意味ありげに笑う。
「ドレスよりもよほど、君の魅力を引き立てている。僕はこういう恰好のほうが好みだ」
「エッチ」
悪態を吐くメイベルに、ルスランが声を上げた笑った。
「そんな可愛らしい悪口を言われるのは初めてだ。そんなけしからん侮辱をする妻には、罰を与える必要があるな」
そう言ってメイベルに口付け、大して服として役目を果たしていない寛衣に手をかける夫の首に腕を回しながら、メイベルは何気なく気になったことを尋ねた。
「私の部屋でするの?」
「僕の部屋だと、アンドレイたちが連れ出しに来るだろう。ハルモニアと接待して、交流を深めろ――ヴァローナ王として働けと。明日は嫌でも真面目に働くしかないというのに、今夜までそんなことやってられるか」




