余興 (4)
「野暮用を片付けていたら遅くなった。待たせてしまったな」
「いいえ。陛下を待つことも、私にとっては幸福な時間ですわ」
とびきりの笑顔でイネッサは言い、ふと、ルスランが抱えているものを見てしまった。視線に気付き、ルスランも手にしていた箱を見せる。
「城に戻ったら、無駄遣いを宰相に叱られるだろうな」
ルスランが開けて見せた中身は、美しい首飾り――昼間、イネッサが壊したものとは同等か……それ以上の素晴らしいもの。
前のもののほうがイネッサ好みの豪華なデザインではあったが、壊れてしまった代わりを気前よく用意してもらって、イネッサは分別なくはしゃぎそうになるのを必死で堪えた。
新たな贈り物に感動するふりは容易で、イネッサは心から美しい首飾りに喜んだ。
だがイネッサが手を伸ばそうとするよりも先にルスランが箱を引っ込め、蓋を閉じる。
え、と驚いて顔を上げたイネッサは、ルスランを見て思わず後ずさってしまった。
ルスランが持っているものにばかり視線が奪われていて、気付かなかった。自分を見下ろすルスランは、ゾッとするような冷たい笑みを浮かべている。
「ようやく、野暮用がすべて片付いたらしい」
ルスラン王がそう言う否や、ドサリと男の死体が部屋の中に倒れ込んでくる。故ボルトラーン領主に仕えていたシードルだ。
死体の足元で、ヴァローナ陸軍大将アンドレイ・カルガノフが、剣を収めている。
ルスランは部屋の出入り口に転がる死体を一瞥することもなく、冷酷な色が浮かぶ目でイネッサを見下ろしていた。将軍の命令を受け、彼の部下でもある兵士たちが死体を外へと運んでいく。
将軍は、そのまま部屋に入って来た。
「処刑しろ」
将軍が自分の背後近くまで来ると、ルスランは短く言い捨てて踵を返す。イネッサはハッと我に返り、慌てて王にすがろうと腕を伸ばした――そんな彼女を、将軍が捕らえて阻む。
「待って――お待ちください!違うのです!私は――私は、脅されて協力させられただけなのです!」
イネッサは必死で訴えた。
「どうかご慈悲を……!私は今夜、陛下におすがりするつもりでした!すべてを打ち明け、陛下にお助け頂こうと……!」
自分たちの計画を、ルスラン王はとっくに見破っていた。ここで何が起こるか、イネッサの役割がなにか、全部。
――こんなことなら、昨夜のうちにシードルたちを見限ってルスラン王につくべきだった。せめて、昼間……宿を指示された時に、ボルトラーン兵たちの企みを告げてしまっておけば……。
かなり苦しい立場であることは分かっていても、それでもイネッサは命乞いするしかなかった。
将軍アンドレイが後ろ手に自分を捕らえてきて、王には近付けない。
部屋を出る直前で、ルスランが立ち止まった。
「もしかしたら、それは本心なのかもしれないな。生憎と、私にはそれを見抜く目はない――王妃であれば判別もできただろうが……」
最後はぼそりと呟くので、王が何と言ったか、イネッサには分からなかった。
王が、振り返ってイネッサを見る。
「あるのは君が裏切り者だったという事実だけだ。君が何を考えていたか、そんなものを私が考えてやる必要はないし、疑惑を晴らす努力は君がすべきものであって、そんなものにいちいち構ってやる時間も私にはない。連れて行け、アンドレイ」
再度命じ、王は部屋を出て行ってしまった。
これでようやくボルトラーンのことに片がついた。まだルスランにはクリアしなくてはならない最大の難問が残っているというのに、これ以上、こんなところに留まっていられるか。
後処理はすべて将軍アンドレイに任せ、ルスランは滞在先の屋敷へ足早に帰る――彼女に許してもらうことだけは、人任せにできない。
……できるのなら任せたいのが本音だが、やはりルスラン自身でメイベルに許しを乞うしかないだろう。
「お帰りなさい。陛下ならば、もうお部屋に入ったわよ。メイベル様も、もちろん陛下のお帰りをここで待たれていたわ」
夜も更けた頃に屋敷へ帰って来た夫に、女官長のラリサが声をかける。
もしかしたら今夜の王は独り寝かもしれない――報告をしてしまおうか、と王のいる客室に来てみたのだが、扉の前にラリサがいるのを見て陸軍大将アンドレイ・カルガノフは制止されてしまった。
「そうか。王妃様はとっくにお見通しだったということか。ファルコが話したのかな」
「そうかもしれないわね。でも……私が見た限りだと、最初からちゃんと分かっていらっしゃったのだと思う。それでもお辛い思いをしたことには変わりないのだから、陛下には精一杯メイベル様にサービスして頂きたいものね」
妻の言葉に、アンドレイは苦笑するしかできなかった。
彼女の言う通り、王妃の物分かりの良さを利用して、ろくに説明もしないでメイベルに一方的に耐えさせた。今回だけでなく、結婚してからずっと、メイベルは不憫な役をやらされてばかり……。
「王は、ずいぶん王妃様に甘えていらっしゃる。本来ならば考えられないことだ」
将軍アンドレイは宰相ガブリイルと共にルスラン王とは幼馴染で、長い付き合いがあって、多くのことを乗り越えてきた。
ルスラン王の王妃メイベルに対する信頼や頼り方は、そんな自分たちにも劣らないもののように感じる。結婚して、一年も経たぬ仲だというのに。
ちょっとだけ妬けてしまう、という感想は、苦笑いで流すことにした。
「ボルトラーンのこともそうだ。陛下はメイベル様がゲルマノフ・ボルトラーンの好みだから利用すると発案していたが、これが他の女であればそのような計画は立てなかった」
例えばボルトラーン領主の好みが、ラリサだったら。
ラリサもルスラン王との付き合いは長く、信頼は深いが……幼馴染みの妻だからできない、ということを抜きにしても、王はラリサを囮に利用するなんて計画は立てなかったはずだ。
王妃ならばすべてを許し、自分の望んだ結果をもたらしてくれると信じたからこその選択。
……だからどんな目に遭わせてもいいとは言わないが。アンドレイも、健気な王妃に対して時々胸が痛む。
「そう言えば王妃様にどんな犠牲を強いてもいいってわけじゃないわよ。王妃様ご自身がお許しになるから、結局、私たちも何も言えなくなっちゃうけど」
「そうだな。ガブリイルに、今回もきつく絞ってやれと報告ついでに言っておく」
「それぐらいはね――あなたも、人任せにしないでたまには自分で陛下を締め上げるべきよ」
愛想のよい笑顔のままではあるが、ラリサはどこまでも手厳しい。この機会に、いままで内に抑えていた不満をぶっちゃけてるな、とアンドレイは観念して、妻の小言を受けることにした。
短剣を振り下ろすメイベルの腕を、ルスランはつかんで止める。
自分の寝室のベッドにちょこんと腰かけて待っていたメイベルは、ルスランが近付くなりベッドに膝立ちになって、ルスラン目掛けて短剣を振り下ろしてきたのだ。
メイベルの腕をつかんだまま、ルスランが言った。
「今回の浮気は、連中を泳がせて一網打尽にするためのものだ。すまなかった、許してくれ」
「ちゃんと許してる。ルスランが自分や私を守るために必要なことだったのに、それを責めるほうが間違ってる」
でも、と止められた腕にさらに力を込める。
「怒らないとは言ってない」
「ごもっとも」
メイベルの攻撃を軽々と押さえつけながら、ルスランは苦笑する。
あの女がただヴァローナの王に惹かれてアピールしているわけではないことは、彼女から見える色でメイベルには分かっていた。ただの好意にしてはドス黒くて、何か大きなものを隠している。
一方でルスランは、メイベルが違和感を抱いたことに気付いた。彼女が馴れ馴れしく距離を詰めてくるのを許し、彼女の正体と真意を探るために誘いに乗った。
……内心では役得だと思い、それはそれとして美しい女を楽しんだのも事実である。
ルスランはメイベルの腕をひねり上げて短剣を落とさせると、ベッドに腰かけて妻を抱き寄せた。夫の腕の中にすっぽり収まっても、メイベルは頬を膨らませてルスランを睨む。
そんな妻にルスランは笑い、持ってきたものを見せる――片手でまだメイベルの動きを封じたまま、もう一方の手で持っていた箱を開けて、中の首飾りを見せた。
「……これは?」
「似合いもしない女に見てくれだけの安物を選ぶという行為が、あまりにも虚しかったものでね。つい衝動買いをしてしまった」
美しいサファイアが映える、上品な首飾り。
そう言えば、とメイベルは思い出す。去年、メイベルが見抜いた詐欺師商人がこの屋敷に出入りするのを見かけていた。交易で盛んな町を治める領主に贋作など通用しないから大丈夫だろう、とラリサが言うので放置していたが……もしかして。
ルスランが首飾りを手に取るのを見て、メイベルは羽織っていたものを少し脱ぎ、後ろを向いて首もとがよく見えるようにした。
首飾りが、メイベルの首にかけられる。似合っている、とルスランが満足そうに言った。
「やはり君に似合うな」
「ガブリイル様に怒られるよ」
そう言いながらも、機嫌を直したふりでメイベルは振り返ってルスランの胸にしなだれかかった。
――ここらへんが、落としどころだろう。
浮気相手はいなくなり、ルスランはメイベルに謝罪をして、ご機嫌取りまでしようとしてくれている。
ならばもう自分も、腹を立てるのは終わりだ。
いつまでも腹を立てていてルスランとの仲が本当に拗れるのも嫌だし、戦を終えて帰ってきたルスランにとって、寛げない相手になってしまうのも嫌だ。
内外に多くの敵を抱えるルスランが帰ってくる居場所――安らげる居場所であろうと、メイベルも強く決心しているのだから。
メイベルが機嫌を直したことで、ルスランも改めて妻を抱きしめてくる。甘えるようにすり寄って、メイベルが言った。
「これでもう、安心してお城に帰れそう?」
「そうだな。僕もそろそろ、見飽きた王城が恋しくなってきた。明日も泊まっていってから、帰ることにしよう」
「もう一泊するの?」
明日には帰るものだと思っていたメイベルは、目を丸くしてルスランを見上げる。
せっかくだからな、とルスランが笑った。
「結婚してからずっと、君にゆっくりヴァローナを見せる機会もなかっただろう。どこかへ連れ出すのは、僕の企みに付き合わせるためだけ。観光どころではなかった」
言いながら、ルスランは銀色の髪を愛しむように撫でる。
「この国の王妃となってくれた君に、ヴァローナの良いところを見せたいと、前から思ってはいたんだ。そう思いつつ、つい自分のことばかり優先させていた自覚はあるが……この町も、僕にとってはお気に入りのひとつ。明日、改めて君とゆっくり見て回りたい」
自分の額に口付けるルスランの頬に手を伸ばし、メイベルはベッドの上にまた膝立ちとなって、自分からルスランに口付ける。
自分を抱くルスランの腕が力強くなって、メイベルを手放すまいとしているようだった。
そのまま押し倒してくるルスランに逆らうことなくメイベルはベッドに横たわり、長い指が、首飾りのかかった首元をかすめるのを感じた。
見下ろすルスランは、美しい装飾品で着飾ったメイベルの姿に満足しているらしい。メイベルの首筋に、唇を落とした。
「……王都に戻ったら、結婚式をしよう。先延ばしにし過ぎた」
「嬉しい」
自分の首元に顔を埋めるルスランの頭を抱き、メイベルが呟く。
ルスランの思い付きのせいで挙げることのなかった結婚式。その後は、兄を失ったばかりで華やかな式に臨む気になれないメイベルを気遣って延期となって。
とっくに喪も明けていたのに、今度は戦支度でルスランのほうが忙しくなってしまって、延期どころか式はしないままで終わりかな、とメイベルも思い始めていたところだった。
式を挙げずともすでに夫婦ではある。ヴァローナの人たちもみな王妃メイベルを認めてくれているのだから、それで十分だと思っていた。
でもルスランがちゃんと覚えていくれて、式を挙げられるのなら本当に嬉しい。
自分の心の中で誓ったことを、今度は二人で、祭壇の前で誓うことができるのだから。




