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余興 (3)


踊り子の一人がメイベルの姿に気付き、慌てた様子で仲間に声をかけ、踊り子たちはいっせいに姿勢を正して頭を下げた。

メイベルは中庭に出て彼女たちに近づき、微笑んで声をかける。


「昨夜の芸は見事でした。王も楽しまれたご様子……改めて、私からも礼を言います」

「もったいないお言葉にございます」


ヴァローナ人の踊り子が答えた。


「陛下や王妃様のお気に召したのならば、これに勝る誉はございませんわ。この名誉を励みに、いっそう精進して参ります」


そうい言ってメイベルを見上げるヴァローナ人の踊り子の表情は、何やら含みがあるような気がした。

もっとも、その背後に彼女の感情の色が見えているメイベルにとっては、そちらがはっきりと語ってくれているので読み解くことも不要なのだが。


彼女の後ろで異国人の踊り子たちがクスクス笑い合っている。こっそり何かを囁いたりもしているのだが、異国の言葉はメイベルには分からなかった。そっちも感情の色でどんなお喋りをしているのかは察した。


だがそんな彼女たちに、ファルコがピシャリと何かを言い捨てる。

彼もまた外国語――サディク語だったと思う。サディク語はまだ勉強中なので、完全に聞き取ることはできなかったけれど……調子乗るなよ、みたいな言い回しだったような……。


メイベルはファルコ、ラリサ、若い女官を連れて廊下へと戻り、当初の予定通り散歩に出かけることにした。

若い女官のミンカはぷりぷり怒っているものだから、ラリサが苦笑いで諫めている。


「気持ちは分かるけれど、怒った顔は相手に勝ったと思わせ、喜ばせるだけよ。取るに足らないことのようなふりをして、涼しげに笑い飛ばしておやりなさい」

「きっとラリサ様の言い分が正しいんでしょうけど……悔しいです!明らかに挑発してきてるのに、腹を立てたら負けだなんて。思いっきりバチコーンと引っ叩いてやりたいです」

「俺はそれも悪くないと思うぜ」


憤慨するミンカに、ファルコが笑って同意した。


「舐められっぱなしなのは性に合わないもんで。たまにはド派手にやり返してやってもいんじゃないか」

「時と場合によっては、そういうのも必要でしょうね」


さらっとラリサまで同意するものだから、メイベルも笑った。


メイベルたちが滞在している屋敷の裏には小さな入り江があり、メイベルがこの町で一番気に入っている場所であった。静かに波が打ち寄せる砂浜をのんびり歩き、海を眺める。

美しい海原は、少しだけメイベルの気持ちを浮上させた。


だと言うのに、屋敷に戻ってみればまたあの女に出くわして。

待ち構えていたのだろうな、とメイベルは内心でため息を吐く。ここを通ることは分かっていても、いつ戻ってくるかも分からないのに――これ見よがしに、仲間の踊り子たちに囲まれてヴァローナ人の踊り子が泣いている。

メイベルが通りがかかるのが見えると、彼女を慰めていた周りの踊り子たちが、睨むようにこちらを見てきた。


また見えてる茶番に付き合ってあげなくてはならないのかと思うとうんざりしてしまう。見なかったふりで通り過ぎるのもありかもしれない。

メイベルが中庭に面した廊下で足を止めて考えていると、ルスランが姿を現した。


「イネッサ、何があった」


ヴァローナ人の踊り子は、イネッサという名前らしい。イネッサはルスランに声をかけられると地面に伏す勢いで頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。

恐るおそる、壊れてしまった首飾りを差し出しながら。


「申し訳ありません……陛下から賜ったお品を、私の過ちでこのような姿に……」


……などとイネッサはしおらしく言っているが、自分を睨む周囲の踊り子たちは、王妃の仕業だと訴えるような空気を作っている。イネッサも、ちらちらとメイベルの顔色をうかがうようにわざとらしくこちらを見てくる。


ルスランはメイベルを見ることなく、首飾りを差し出すイネッサの手を取って、彼女を立たせた。


「形あるものはいずれ壊れるもの。そう気に病むことはない」


ルスランはイネッサを慰めるように彼女の肩に手を添え、イネッサを連れて中庭を出た。残った異国人の踊り子たちはヒソヒソと外国語で何か言い合い、露骨にメイベルを睨んでその場を去る――ヴァローナ王が王妃に一瞥もくれずにイネッサに寄り添うので、王妃に気を遣う必要もないと考えたようだ。


彼女たちが見えなくなると、メイベルは我慢していたため息を吐いた。


「……なんですか、いまの。まるでメイベル様が犯人とでも言いたげな!」


メイベルがため息を吐くのを見て我慢しきれなくなったミンカがまた憤慨し始めた。怒りでわなわな震えている。


「あの女の首飾りなんて、手にする機会もなかったのに!いままでメイベル様は屋敷にすらいなかったんですよ!」

「そうは言っても、この屋敷の召使いは全員、王妃様の意のままに動くわ――メイベル様の意向を受けた屋敷の誰かの仕業だと疑惑を抱かれたら、こちらがかなり不利でしょうね」


ラリサは冷静に話すが、彼女もため息まじりである。とんだ茶番だとラリサも思っているのかな……。


「でも、あの人たち、証拠どころか何の根拠もないんじゃないですか。勝手に王妃様の仕業だと決めつけてる感じですよ」

「きっとその通りよ。ただ……メイベル様だったらできるわよね、という可能性を指摘されて、それを王がどう受け取るかということが重要なの。犯人だと決めつけるなら証拠が必要になるけれど、疑惑を口にするだけなら個人的な推測で構わないもの」


もっとも、とラリサが続ける。


「王妃様との身分差を考えれば、彼女には口にすることも許されない暴挙ではあるわね。王が彼女にそれを許してしまうことでもない限り」


先ほどのルスランの振る舞いを思い出し、ミンカは唸っている。ミンカには、ルスランがイネッサの味方をするように見えたのだろう。

メイベルは、憤るミンカには聞こえないようさり気なくファルコに近付いて、こっそりと言った。


「私付きの女官たちには、ちゃんと話しておくべき……?」

「いいんじゃないか。誤解させておけよ」


ファルコは皮肉な笑みを浮かべる。


「騙すためにやってるんだから、あんたの女官を怒らせ、嫌われることも分かってるはずだろ。女官長あたりは薄々気付いているだろうけど、彼女たちも本気でルスランに嫌悪感示してるぐらいのほうが向こうも騙せる――浮気自体は、誤解でもなんでもないことだし」


それはそうね、とメイベルは静かに同意した。

イネッサを気に入ったような態度は見せかけだが、ルスランが一晩の寵愛を与えたことは変えようのない事実だ。ルスランの意図を見抜いて、メイベルが理解した上のものであっても。




その夜、イネッサは町の宿にいた。ルスラン王からの指示で、町でもっとも高級な宿の最上の部屋で王の訪れを待つ。

……まんまとここに王を誘いこむことができたと、満足げに笑いながら。


広い部屋を飾る豪華で大きな家具の陰に身を隠して、男が話しかける。


「気は抜くなよ。あれでルスラン王は裏切りに厳しい男だ。おまえの正体が露見すれば、容赦なく剣を抜いて来るぞ」

「分かっているわよ。そっちこそ、これだけの用意をしておきながら、いまさら失敗するなんてことはないでしょうね」


海賊に金を渡してそれなりの戦闘力を整えさせ、旅芸人一座に潜り込ませた自分を、一座ごと捕らえさせる。王がその海賊を倒して旅芸人の一座を助け出した後、恩返しがしたいと申し出て王に近づく機会を得る。

うまく王の関心を惹きつけられるかどうかは賭けであったが、あの男はまんまとイネッサの魅力に引っかかった。ちょろい男。


それからあの男を町の宿へ呼び出す。多少の護衛はつくだろうが、町の宿など領主の屋敷に比べれば警備も手薄だし、愛人との逢瀬では物々しい警護も断るしかない。

平時よりずっと無防備になった王を襲う、絶好の機会……。


「今度こそやってやるさ。そのために、手間も金もたっぷりかけた」


こんなにも回りくどい真似をしてまで、故ボルトラーン領主の家来たちはルスラン王に復讐しようとしている。亡くなった領主ゲルマノフの愛人の一人――愛人たちの中で一番美しかったイネッサまで利用して。


闇討ちに来たボルトラーン兵たちは宿のあちこちに身を潜め、ヴァローナ王の到着を待つ。

イネッサも一人、部屋でルスラン王を待っていた。


イネッサも、最初に復讐の計画を持ち掛けられた時は、一も二もなく頷いた。

ゲルマノフは気前のいい男でイネッサを寵愛してくれたし、主を失った自分はそのへんの女に逆戻り……その原因となったヴァローナ王を恨んだ。

そしてルスラン王と対峙して。


意外と愛妻家だという噂を聞いていたが、ルスラン王は王妃を差し置いて自分を寝所に呼び、寵愛と褒美を与えてくれた。

壊れた首飾りについて、屋敷の者なら保管していた場所に近付く機会はいくらでもあった――でも、王妃が取り仕切っている召使いたちが、そんなことをするはずがない……と、遠回しに彼女の関与をほのめかせば、ルスラン王はあっさりと誘導された。


――今夜は宿で待て。王妃の目が届かぬよう、配慮ぐらいはすべきであった。


王からその言葉を引き出して、イネッサは内心で勝利に踊った。

王妃の機嫌を損ねないよう、自分は屋敷を出て違う場所で逢瀬を……と自然なかたちで提案する予定だったが、王のほうからその流れに持って行ってくれた。


イネッサはボルトラーン兵の一人シードルに改めて連絡を取り、計画もいよいよ大詰めであることを知らせた。

しかし……。


ゲルマノフはたしかに気前のいい男であった。イネッサのことも可愛がってくれたし、多少の情もある。

だがヴァローナ王のお気に入りとなる機会を振ってまで復讐に走るほどの相手だろうか、という疑問がイネッサの中でかなり大きくなっていた。実際に対峙するまでは、果たして彼の関心を得られるかどうかの不安のほうが大きくて、考える余裕もなかったけれど。


ゲルマノフよりもずっと若く、ずっと身分も高い男の目に留まった。

――多くの愛人たちを蹴落として、ボルトラーン領主の最愛の地位についた女が、今度はヴァローナ王の最愛の地位を狙う野心がわき出てくるのも当然のことで。


このままボルトラーン兵と共にヴァローナ王に復讐しても、イネッサに未来はない。成功しても、得るものはない。

ボルトラーンなど見限ってルスラン王にすり寄ったほうがよほど……。


宿の者が客の到着を知らせ、大きなベッドに腰かけていたイネッサは立ち上がった。

上着を脱ぎ、身体の線もあらわに、胸元の大きくあいた夜着姿で部屋に入って来た男――ヴァローナ王ルスランを出迎える。


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