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余興 (2)


海賊を倒して滞在している屋敷へ戻って来たルスランたちを出迎えた領主は、平謝りであった。


「申し訳ございません。私の警戒が甘かったために、王や王妃様のお命を危険に晒してしまいました」

「気にするな。すべての不運が防げるわけでもなし、時にはこういうことも起こる」


ルスランは領主に責任があるとは考えていないようで、メイベルも彼を責めなかった。

ただし、将軍アンドレイは海賊のことがいささか引っかかっているようだ。


「我々のほうでも調べてみたが、あの海賊はエスカーモ海賊団という、本来はもっと北のほうを縄張りにしている連中だと聞きましたが」


将軍の質問に、領主が頷く。


「連中のことは私も知っていますが、縄張りも違えば、本来ならしがない小悪党で、襲うのはもっぱら漁師や小規模な商船。遊覧船とはいえ、兵士も連れている王の船を襲うほどの胆力もないはずなのに……」

「船も新しそうだったし、ロドリ薬は偽物だったが装備も金をかけていそうだった。何やら調査で得た情報と色々異なっている様子……」


海賊について議論をする男たちを、ルスランが制止する。


「恐ろしい目に遭わせてしまったメイベルたちの前で、その手の話は控えてやれ」

「配慮が足らず――重ね重ね、申し訳ありません」


王に言われ、領主は自分の浅はかさを恥じて再び頭を下げた。それから、場の空気を変えるように笑顔で振る舞い、話題を変える。


「エスカーモ海賊団は直前にも別の船を襲っていたらしく、その船からの略奪品も乗せていたようです。陛下が彼らを討伐してくれたおかげで、その船の者たちも助かったと深く感謝しておりました――ぜひお礼申し上げたいと懇願しておりまして、よろしければ、お二人のために宴を開かせて頂きたいのですが」


別の船からの略奪品、という単語を口にした時、領主の感情の色が意味ありげに揺れるのをメイベルは見た。

メイベルのような特別な目はないが、ルスランもその単語が何か裏の意味があることはすぐに見抜いたようで……わざとらしいぐらいの愛想のよい笑顔で、そうか、と頷いている。


「ではすぐに準備を致します。その間に、ルスラン様、メイベル様もお召し替えを」


なんとなくイヤなものを感じ取り、メイベルはちょっと拗ねたい気分で自分に宛がわれた客室に戻り、ゆったりとしたドレスに着替える。

ラリサやオリガも――職務に忠実な彼女たちらしく、表情には出さなかったが――メイベルと同様のものを感じているようで、感情の色は不快を示していた。


寛衣に着替え終えたルスランが迎えに来てくれて、共に宴の間へと向かう。

宴の間は、東国風の装いとなっていた。どうやら、助けた船の人間が東方の異国人で構成された旅の一座らしく、彼らが芸を披露するに合わせて、宴の間も東方風にあつらえたらしい。


ベッドのように大きく豪奢な長椅子が置かれ、両端には酒とご馳走を並べる小さめのテーブル。

中央は広く空白の場所を取ってあって、ルスランとメイベル以外の男たちは、観客席代わりに敷かれた絨毯とクッションの上に直接座るらしい。

東方繋がりで、サディク出身のファルコは様になっていた。将軍アンドレイを始め鎧を脱いだ兵士たちは、座り方がちょっとぎこちない。


長椅子に並んで腰かけるルスランとメイベルのもとには、この屋敷で働く召使いたちがまめに酒とご馳走を持ってきて、新しいものと入れ替えていた。


ルスランとメイベルの前には、異国の楽器で奏でられる音楽に合わせて舞う踊り子たち。中心となって踊る女は、ヴァローナ人だった。

他の踊り子は外国人で、ヴァローナ語が拙い。ルスラン王に声をかけられると、ヴァローナ人の彼女が対応していた。


「実に見事」

「恐れ入ります。私たちを助けてくださった陛下へのご恩返しのためにも、一座全員、精一杯努めさせて頂きますわ。どうぞ、心ゆくまでお楽しみください」


そう言って顔を上げ、ルスラン王を真っすぐ見つめるヴァローナ人の踊り子が見せた感情の色に、メイベルは反応しなかった。感情が見えても表情を出さないよう身に着けた癖は、ヴァローナに嫁いでからもおおいに役立っている気がした。


楽師たちは次の音楽を奏で始め、踊り子も替わった。

ヴァローナ人の踊り子もいまは出番ではないらしく、領主に呼ばれてルスランとメイベルが座る長椅子にそそ……と近付く。


長椅子には座らずにルスランのそばに侍り、彼が手にする盃に酒を注いだ。注がれた酒を一口飲み、ルスランは踊りを見ながらヴァローナ人の踊り子に話しかける。


「君たちを捕らえていたのはエスカーモ海賊団という連中で、本来はこのあたりで活動するはずもない悪党だったそうだ。目を付けられ、不運だったな」

「まことに……。ルスラン様が助け出してくださらなければ、私たちはどうなっていたことか……。身代金も取れぬような流れの旅芸人では、もはや助からぬと絶望しておりましたわ」


するりと、盃を持つルスランの手にさり気なく踊り子が自分の手を重ねるのをメイベルは見た。

一応、メイベルに見られぬよう死角でやっているようではあったが……。


ルスランは何もなかったような素振りで、表情も変えず、視線は踊りに向けている。


「ですが、こうしてルスラン様に助け出され、私たちにとってはかえって幸運だったかもしれませぬ。このようなことでもなければ、お顔を拝見することもできぬ身……こうしてお話させて頂くだけでも、夢のよう……」


ヴァローナ人の踊り子は媚びるような……明らかに熱っぽい視線でルスランを見つめている。隣にその男の妻が座っていることを、もしかして忘れているのではないかな、とメイベルは思った。


「夢のようなひと時を与えてくださったルスラン様のためならば、この身のすべてをかけることこそ本望」

「私は十分楽しんでいる。王妃も同様であろう」


同意するようにこちらに視線を向けられ、メイベルは頷く。

頷くよう促されているというか、圧をかけられているような気がして。感情の色が見えるというメイベルの特殊な能力を、ルスランは逆手に取っていた。


ヴァローナ人の踊り子はメイベルを見ることもなく、立ち上がってルスランのそばを離れた。

また音楽が替わって、次の踊りが始まったのだ。次の曲には彼女も踊り手に加わっている。最初の踊りと違い、誘うような妖艶な振付……露骨に、ルスランに視線を送っている……。


「メイベル。今日は荒事に巻き込まれ、疲れただろう。君は先に部屋に戻って、もう休むといい。ファルコ、護衛を頼む」


メイベルの返事も待たず、この宴で唯一酒を飲まなかった男に向かってルスランが命じた。ファルコはため息を吐いて立ち上がり、メイベルの座っている長椅子に近づく。

メイベルは何も気付いていないふり、夫の言葉に素直に従うふりをして美しい音楽に背を向け、宴の間を出た。


自分に宛がわれた客室まで戻ってきて。ずっと黙っていたけれど、部屋に入る直前にファルコに話しかけた。


「ファルコも部屋に戻っていいよ」

「何言ってんだよ。ルスラン直々にまで言われて、俺があんたのそば離れるわけないじゃん」


苦笑いするファルコに、そうだよね、とメイベルも苦笑して共に部屋に入る。

そもそも、彼らはボルトラーン兵がメイベルを狙っているかもしれないという心配からこの町に来たぐらいなのだ。昼には海賊の襲撃もあったことだし、ルスラン王が信頼する人間を必ずメイベルに付き添わせるに決まっている。


戻って来たメイベルにラリサたちがすぐに寄ってきて、何も言わなかったのに当然のように寝衣に着替えさせ始めた。

――着せる寝衣は、寝返りを打ってもすぐに脱げてしまわないようなもの。


「私もファルコにお礼をしたほうがいいのかな」

「笑えない冗談」


ふと思いついた疑問を口にすれば、ファルコに即座に拒否されてしまった。

この時はファルコの忠誠を縛り付ける役割を担っている者としてつい考えてしまったのだが、ファルコは大事な友人でもあるのにひどい侮辱だ、とメイベルはあとで猛省した。


「礼が目当てでやったことでもないし、礼を言われるほどのことでもない。もしあんたを口説くのなら、もっと正々堂々とした手柄を立てて、ルスランに申し出るよ。なにより」


ファルコが不愉快そうにため息を吐く。


「自分が他の女を寝所に呼ぶからって、その代わりにあんたに他の男を宛がおうとするあいつの思惑に乗りたくない。察するけどさ――否定はしないけど、個人的に嫌悪感を示すことぐらいは許してほしいもんだね」


ルスランは、今夜は自分の部屋に戻れとメイベルに言った。

……それはつまり、今夜はルスランの部屋には来るなと言ったようなもの。


王の妻となって……ルスランの人となりも知って、覚悟はしているのだけれど。それでも揺らいだりはしないけれど。

でもやっぱり……とても苦しい。


「メイベルが俺に一緒にいてほしいって言うなら、一緒にいてもいいぜ。もちろん、何もしないって約束する」

「ありがとう、ファルコ。私なら大丈夫」


ファルコの心遣いに深く感謝しながらも、メイベルもファルコの申し出をきっぱり断った。

ファルコの献身を、いまは利用したくない。


メイベルは一人、寝室に入った。

そして暗闇の中、ベッドに横になり、何も考えないようにして時が過ぎるのをじっと待つ。眠ってしまえば多少は楽になれるのに、今夜の睡魔はメイベルのもとをなかなか訪ねてくれなかった。




朝が来て、メイベルは努めていつもと変わらぬように振る舞い、ラリサやオリガたちも、いつも変わらない態度で朝の支度を手伝う。

自分の部屋で食べたいというメイベルの要望にも、何も詮索することなく、感情の色を表に出すこともなく、準備を進める。


ただし、若い女官たちは何やら憤っているようであった。

夜の間に、宴で何が起きたのか彼女たちも知ったらしい。若い彼女たちは、王としての当然の振る舞いと分かっていても腹立たしいのだ。

王妃付き女官として他の女に寵愛が移ることは歓迎できないというのもあるし、純粋にメイベルに肩入れしてくれているのだろう。


気持ちは分かるけどもっと抑えなさい、と。オリガがメイベルに気付かれぬよう、若い女官たちにこっそり注意しているのが見えた。


彼女たちが自分のために怒ってくれることは、とても嬉しい。でも自分がルスランへの反発心を抱く原因になってしまうのも良くないこと。

もっと自分も、王妃としてしっかりしなくては。女官たちを動揺させているようではダメだ。


誰かさんに会うかもしれない不安や億劫さはあったが、いつものようにのんびりと散歩に行くことにした。

ファルコも、護衛として日が替わっても残ってくれている。彼と、ラリサと……女官三人娘の一人を連れて、メイベルは部屋を出た。


部屋を出て数分と経たずに、女性特有の甲高いお喋り声が聞こえてくる。廊下に面した中庭で、昨日の踊り子たちがきゃあきゃあとはしゃいでいた――踊りのための派手な化粧や衣装は脱いでいるので、昨日よりは素朴な少女たちに見えた。こうして見比べると、ヴァローナ人の踊り子だけは色気も美貌も別格だ。


「素敵でしょう、この首飾り。ルスラン様が、ご褒美にくださったのよ……私のご奉仕にお喜びくださった証なんだから……」


メイベルもファルコもラリサも表情を取り繕う術に長けているが、若い女官だけはまだまだ未熟で、彼女の言葉に思いっきり顔をしかめている。

感情表現豊かで、素直な彼女たちを、メイベル個人としてはとても可愛らしいと思うのだが……自分の女官をやるには、やっぱり危ういと思う。


オリガが女主として女官たちを厳しくしつけてほしいという不満を抱いているのは知っていたが、こういう時は、彼女の不満は正しいと痛感せざるを得ない。

――あの女は、メイベルがいることに気付いてわざと話している。

だって、踊り子たちはヴァローナ語が拙い異国人ばかりなのだ。あの子たちに自慢して聞かせるのに、ヴァローナ語を使うのは不自然である。あの踊り子が自分の功績を聞かせたい相手は、メイベルだ。


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