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戦士の休息


暑い夏が続くある日。メイベルは海に面した領地に避暑に来ていた。ルスランはいない。


ルスランは現在、戦に赴いている。本来は王都の留守役を務め、城で彼の帰りを待つべきなのだが……毎日ルスランたちの無事を祈って過ごすメイベルがあまりにも気の毒に見えたのか、宰相ガブリイル・エリシナから、王城から程近いこの領地への視察という名目で気分転換の小旅行を勧められてしまった。気を遣わせてしまって申し訳ない。


一応、王の代理としての王妃の仕事だと言われれば断れるわけもなくて。さすがに遊び浮かれる気にはなれないが、青く広い海は、メイベルの気持ちを少しだけ慰めた。


「きゃーっ、バリー!」


女官長のラリサを連れてのんびりと砂浜を歩いていたメイベルは、女の声に振り返る。

波打ち際で、若い女官が慌てている――彼女たちは年の近い仲良し三人娘。一人が波にさらわれそうになった猫を急いで捕まえて抱きかかえ、他二人がやれやれと首を振っている。


「もう。猫のくせに海に挑もうだなんて果敢過ぎよ。猫って、水が嫌いなものじゃないの?」

「ファルコ様が言ってたちょっとどんくさいところって、こういうところなんじゃ……。この子、危機意識が足りない場面多いわよね」


遠くで見ていたメイベルはくすりと笑い、女官長と若い三人の女官たちに声をかけ、滞在している領主の別邸へと戻ることにした。

ここの領主は宰相ガブリイル・エリシナのはとこだそうで、彼はメイベルが到着するより前に宰相から手紙を受け取り、視察に来た王妃をもてなしてくれていた。


滞在先も、女のメイベルが気兼ねなく過ごせるよう別邸のひとつをメイベル専用としてくれている。

警備のために男はいるが、できるだけ屋内には入ることなく配慮してくれていて。

……だから、この屋敷から複数の男の笑い声が響くのはおかしい。


「お帰りなさいませ、王妃様。陛下がお越しです」


玄関に足を踏み入れた途端聞こえてくる男特有の笑い声に目を瞬かせていたメイベルは、ササっと素早く近付いてきた副女官長オリガの報告に目を丸くしてしまった。


そろそろ戦が終わるという手紙は受け取っていたけれど……ルスランが戻るよりも先に、自分も王都へ戻らなくてはいけないな、と思っていたけれど。

ラリサを振り返れば彼女も大きく表情を変えることはないまま、それでも驚いていた。報告するオリガですら、戸惑うような色を見せている。


オリガに案内され、メイベルは食堂へと向かう。食堂ではすでに酒が振る舞われ、中心となって飲んでいたルスランが、入って来たメイベルを見てさらに陽気に笑った。


「会いたかったぞ、我が妻よ」

「お帰りなさい――ごめんなさい、出迎えもしなくて」


なんでここに、とか、何も聞いてない、とか、色々言いたいこと、問い詰めたいことはあるが、まずはルスランを労った。

ものすごく驚いたし、困惑もしているけれど、無事に帰ってきてくれたことは本当に嬉しい。


上座に腰かけているルスランに駆け寄り、メイベルは彼を抱きしめる。ぐるりと見回せば、ファルコや将軍アンドレイ・カルガノフ……主だった兵士たちも揃い、みな元気そうにしていた……。


「気にしなくていい。堅苦しい出迎えが嫌で、私が誰にも知らせるなと徹底した――さすがにガブリイルには報告しておかないと後が怖いから、手紙を送ってあるが。今頃、あいつの手元に届いている頃だろう」


そう言ってルスランはテーブルの上に並ぶ皿から果物を一つ千切って取り、頬張る。もう、とメイベルが眉を寄せた。


「言っておいてくれたら、ちゃんと食事も用意しておいたのに。お酒ばかりじゃ、身体に悪い」

「凱旋となったら大勢に囲まれ、屋敷に入るだけでも一苦労になるじゃないか。それが嫌だから秘密裏に来たんだ。いまの私には美味い酒と君の労いだけあればいい」


言うが早いかルスランが立ち上がり、メイベルを抱きかかえた。荷物でも運ぶように肩に担いで、ルスランは食堂を出て行こうとする。

ラリサは苦笑いでゆったりと頭を下げ、オリガはいつものように表情一つ変えることなく礼儀正しく頭を下げて、それぞれ王と王妃を見送った。


ルスランは先ほどこの領地――この邸宅に到着したばかりのはずだが、迷う様子のない足取りで真っすぐにメイベルが宛がわれている客室へ向かっている。ルスランも、ここには何度か来たことがあるのかな、とメイベルは考えた。


メイベルの客室では三人娘の女官たちが濡れた猫の毛を乾かしてブラッシングしていたが、王と王妃が入って来たのを見て慌てて礼をし、ルスランは彼女たちに軽く挨拶すると、そのままベッドのある奥の寝室まで直行した。


ベッドの上にようやくメイベルは降ろされて……ルスランが身を乗り出してくる。


「ルスラン、無事で良かった。他のみんなも怪我がないようで――」


改めて彼らの無事な帰還を喜ぼうとしたメイベルの唇を、ルスランが塞ぐ。大きな手が軽く自分の身体を押しているのを感じ、それに逆らうことなくメイベルはベッドに横たわった。


覆いかぶさりながら何度も口付け、メイベルの寛衣にルスランが手を伸ばす――メイベルも手を伸ばし、ルスランの胸を押した。鍛えられた男の身体は、メイベルごときではびくともしない。


「……あの。私もいままで外に出てて……戻って来たばかりだから、臭うかも」


ヴァローナに来る前なら、自分はこんなことを気にしなかったかもしれない。だがヴァローナに嫁いで、ルスランの趣味でメイベルも入浴の習慣がつくようになったら、風呂に入っていないことがやたらと気になるようになってしまった。


おずおずと打ち明けるメイベルに対し、構わん、とルスランがそっけなく答える。


「どうせ後でまた入る。臭うと言うなら、戦場からそのまま来た僕のほうがよっぽど臭い」

「それは気にしないけど……」


世辞ではなく本心から、メイベルは言った。


なら問題ないな、と続けたルスランは、性急にメイベルの服を脱がせようとする。

戦を終えたばかりの高揚感もあって、ルスランもいささか理性を欠いているようだ。それは……メイベルも嫌ではないから、自分もルスランの服に手を伸ばし、彼を脱がせることにした。




この屋敷に戻って来たのは夕方頃。再会したルスランに有無を言わさず寝室へ連れ込まれ、そのまま彼を労って――労い続けて、メイベルも疲れ果てて眠って。

眠る頃には、カーテンが半分だけ閉じていた窓からは、白くなり始めた夜空が見えていたような気がする。


そして眠って、目覚めた時。

カーテンはしっかりと閉じられていて、ベッドの上でメイベルがもぞもぞと起き上がる気配を察知し、部屋にラリサが入って来た。


有能な女官長は、静かにカーテンを開ける。

……眩しい。すっかり、日が高くなってしまっている。


「おはようございます。もうお昼ではございますが、朝食に致しますか?」

「うん……ううん、それより、お風呂入りたい……」

「はい。湯の用意はさせておりますので、すぐにでも入れますよ」


ベッドから降りようとさらにもぞもぞするメイベルの身体を、長い腕が捕らえる。背後から、目を覚ましていたルスランに抱きしめられた。


「僕も入る」

「入ってもいいけど、本当に一緒に入るだけだからね」


少し振り返って夫を見ながら念押しするメイベルに対し、ルスランが言った。


「君次第だな」


真顔で言うの、止めてほしい。見えた色から、メイベルはだいたい察してしまった。


ラリサは愛想の良い笑顔をまったく動じさせることなくメイベルとルスランにガウンを羽織らせ、二人のための入浴の準備を整えていた。




結局、遅すぎる朝食を終えてみれば外はすっかり夕闇となっており、メイベルは一人、中庭に出た。

大きく伸びをして、深呼吸をする。夏の夕方らしい少し蒸し暑い空気と、潮の匂いがメイベルを包んだ。


離れたところで女官のオリガも待機しているのだが、王族的には一人で中庭で寛ぐメイベルを見つけ、通りすがりのファルコが声をかけてきた。


「おはよう――時間が合ってないとか言うなよ。空気を読んで、あえてこの挨拶にしたんだから」

「おはよう。ファルコも怪我してない?みんなが本当に大丈夫か聞きたかったのに、ルスランったらちゃんと話をさせてくれなくて」


自分もつい夢中になってしまったことは棚に上げ、メイベルが言った。大丈夫だよ、とファルコが肩をすくめてみせる。


「連日の完勝に、ルスランは大満足さ。このまま調子に乗って国を落とすとこまで行くんじゃないかと、アンドレイ将軍のほうがヒヤヒヤしてた。最後のほうは、自分たちが勝つかどうかより、どうやって説得して王を思いとどまらせるかばかり悩んでたぞ」


そう、と呟き、メイベルはファルコをじっと見つめる。

ファルコはメイベルの視線に対していつもの笑みを浮かべ、小首を傾げてみせながら見つめ返したが……やっぱり、メイベルの目は誤魔化せない。


「何を隠してるの?」


ファルコがまとう色が、一瞬だがはっきり揺らぐのが見えた。

昨夜のルスランからも、メイベルは目ざとく見つけておいた――彼が、何かを隠していることを。メイベルの目の能力を知っているだけに、彼はファルコ以上に誤魔化しがうまくて……自分もうっかりそれに流されて、問い詰める機会を逃してしまったけれど。


「ファルコ」


そっとファルコに近づき、彼の手を取る。間近からじっと見つめられて、ファルコの色がぐらぐら揺れていく。


もう一押しだ。左右の色が異なるファルコの瞳から目を逸らすことなく、メイベルは彼を見つめていた。


「そこまでだ」


中庭に声が響き、ファルコがパッとメイベルから離れた。


中庭に面する廊下に、ルスランが立っている。

自分たちに近づいてメイベルとファルコの間に割って入って……ファルコをかばうように立ちふさがり、ルスランはからかうようにメイベルの顔を覗き込む。


「まったく……なんて罪作りな真似をするんだか。ファルコの恋心を弄んで、ひどい女だ」

「私の身体を弄ぶルスランよりはマシ」

「弄んでない。本気で可愛がっただけだ」


ルスランが相手では、さすがにファルコほど容易に白状させることはできない。こうなったら寝室に戻った時に、短剣を振り回してみようかな、とメイベルが思った時。

観念したように、ルスランが大きくため息を吐いた。


「――戦を切り上げ、王都にも寄らず、秘密裏に急いでここに来たのは、ボルトラーン兵の一部がこの近くで目撃されたという情報を聞いたからだ。亡き領主とその弟の敵討ちのために、健気な忠臣たちが動いたらしい。当然、狙いは君だと我々は考えた」


ルスランが言い、メイベルは黙って彼を見つめる。ファルコも、ルスランの背後で同じ色をまといながら黙っている。


「君を人質に取って私の首を取る……もしくは、きっかけを作った君自身も仇と見なしているのか。真意はまだ分からんが、ろくでもないことなのは間違いない。もっとも」


ルスランが続けた。


「ボルトラーン兵はたしかに屈強だが、それをまとめる人間はもういない。領主だったゲルマノフの采配がなければ、大した計画も立てれないだろう。さっさと片付けて、本物の休暇にしたいものだ」


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