それぞれの役割 (4)
王城へと戻ってきて数日後。ルスランはファルコの部屋を訪ねていた。
サディク文化を取り入れたファルコの部屋では、床に敷かれた絨毯に直接座る――寛いだ様子で座るルスランの前にファルコも座れば、彼の飼っている猫が彼の膝にすり寄って来た。
「君にも何か恩賞を与えなくてはならない。ボルトラーンでの一件は、君なしには成立しなかった」
「別にいいって。金や地位をもらっても、俺じゃ使い道がない」
自分にすり寄る猫を撫で、ファルコは興味なさげに答える。
「厩舎と訓練所に自由に出入りできるだけで、十分に自由は保障してもらってるし……欲を言えば、馬も銃の腕も鍛える機会をもらったんだから、それを活かす機会も増やしてもらえれば有り難いかな」
「それについては期待しているといい。これからも、君には活躍してもらう予定だ」
ルスランは笑い、そう、とファルコは淡々とした相槌を打つ。
ファルコが活躍するような場面がどんなものかを考えると、笑い話にできるものではない気もしたが、それについては誰も触れなかった。
そう言えば、とファルコは何かを思い出したように付け足す。自分の膝でゴロゴロと寛ぐ猫を、ルスランに見せるように抱えた。
「あんたからもメイベルの女官たちに注意しておいて。バリーを可愛がってくれるのはいいけど、甘やかしすぎて最近太ったから、しばらくおやつはあげないようにって。現在ダイエット中」
「んん……分かった。言っておこう」
自分も昨日、その猫にねだられるままおやつをあげてしまったことは打ち明けないまま、ルスランが頷く。
ファルコがあまりあげないようにって言ってた、とメイベルにも注意されたのに、こっそり食べさせてしまった……。
「要望があるとしたらそれぐらい。本当に、俺はここでの生活に満足してるんで、恩賞とか考えなくてもいい」
「君は無欲だ」
言いながら、ルスランやメイベルの立場を考慮してのことだろう、ということはルスランにも分かっていた。
ファルコはサディクよりヴァローナに預けられた人質で、やはりこの宮廷では微妙な立場にある。
ヴァローナ諸侯の中には王妃が個人的に寵愛していることを危険視する者もいるし、その寵愛を利用して王にまで取り入っている、なんて邪推にまで発展している者も少なくはない。
ルスラン自身が敵が多いというのに、これ以上、居候のことでまで敵を増やさないよう遠慮している。
……そう考えると、メイベル並にファルコは自分のことも気遣ってくれているのだな、とルスランは心の内でうんうん頷いていた。
「別に遠慮してるわけじゃない。ここはサディク宮廷よりも生きやすい。ジロジロ見られても、その理由に心当たりしかないってのは気楽でいい」
ファルコのその言葉に、メイベルから聞いたことを思い出す。
ファルコの親兄弟に、オッドアイはいない。そんな一族の中から彼だけが異なる特徴を持って生まれて、当然、彼は本当にアルカラーム公の息子なのかと疑惑を抱かれた。
不義を疑われたファルコの母親も実子を見捨て、一人で夢の世界に閉じこもってしまい、サディク宮廷にファルコの居場所はなかった。
ヴァローナに人質として送り込まれたのも、ていのいい厄介払い……とファルコが話すのを、メイベルは聞いたそうだ。
ヴァローナでの生活のほうが楽、というそれは、間違いなくファルコの本心なのだろう。ファルコには、ヴァローナ以外に行くところもない……。
「それと聞くと、是が非でも君に恩賞を与えたくなった。周りが何と言おうと、僕は君を贔屓しまくるぞ」
「何の宣言」
呆れたようにファルコが呟くが、ルスランは無視して話を続ける。
「君にもっとも相応しい恩賞を思いついた――実はここに来る前には思い浮かんではいたんだが。いま、正式に決めた。僕はファルコの忠誠心が欲しい。だから、今夜メイベルの部屋へ行け」
「は?」
もとから馴れ馴れしい態度を取っていたファルコも、ギリギリ取り繕っていた礼儀を完全に忘れ去って目を丸くし、ルスランを無遠慮に見てしまった。ルスランは笑っている。
「……言ってる意味分かってる?俺の認識が間違ってる?」
「いいや。恐らくはいま君が考えている通りで間違いない。僕は本気だ」
「俺の忠誠心が欲しいって言わなかった?いきなり裏切らせてどうするんだよ意味が分からない」
「僕の求めている忠誠心と世間一般が言う忠誠心が異なっているからな。僕はいま、メイベルを第一に考える臣下が欲しい。僕に逆らうことになってでも、メイベルのことは絶対に裏切らないという信頼の置ける臣下が」
ルスランの説明に、ファルコは反論をやめて黙った。
「例えばだ。私とメイベルが崖から落ちそうになった時、アンドレイは真っ先に私を助けに来る。無論、その場合はアンドレイが動くよりも先に私が王妃を助けるよう命じて、彼はその通りに動くだろうが……そうではなく、私が命じるよりも先にメイベルを助けに動く人間が欲しい。アルフレート・プロイスにも言ったように、私は私なりに王妃のことを考えているつもりだ」
ルスランにとっては、今回の恩賞は試し行動でもある――ファルコがメイベルの部屋に行けば、彼がずっと気にしていた王や王妃が自分を依怙贔屓しているというヴァローナ諸侯の疑惑を確信に……そして、事実に変えてしまうことになる。
そうと分かっていてもメイベルを望むのかどうか。ファルコも、ルスランに試されていることは察しているはず。
「ただし、これは命令ではなく恩賞だ。恩賞は辞退することだって可能だぞ。君の選択を僕は肯定する――夜まで時間はあるのだから、ゆっくり考えるといい。メイベルにはすでに話してあるし、ラリサたちも了解済みだ。君が訪ねてきたら通せと言いつけてある」
メイベルは、ルスランよりずっと良識的で誠実なファルコが、そんな恩賞受け取るかな、と首を傾げていたが。
……ファルコへの信頼の高さに嫉妬すべきか、自分の評価の低さに項垂れるべきか、ルスランも苦笑してしまった。
ファルコは口を閉ざしたまま、何も言わない。考え込み、自分を撫でろと催促している猫にも気づかない。
そんなファルコの飼い猫を撫で、ルスランは立ち上がった。
男を出迎えるための寝衣に着替え、メイベルは自分の寝室で待っていた。
窓の近くに座り、ぼんやりと夜空に浮かぶ三日月を眺め……何時までっていう取り決めをしておくようルスランに言えばよかったと、ちょっと後悔していた。
果たしてファルコが自分を訪ねてくるかどうかも分からないのだ。いったいいつまで待てばいいのか――ファルコが恩賞を拒否すれば、メイベルはただ徹夜をして終わる羽目になる。
だったら、何時までにファルコが来なければ寝てしまってもいいのか、決めておいてほしかった。
見通しが甘かった、なんてロマンチックさの欠片もないことを考えていたメイベルは、女官長の声に振り返った。
人が来たと、女官長は静かな口調で告げる。
女官長が頭を下げると同時にファルコが寝室に入ってきて、女官長はすぐに別室へと移動した。
灯りのほとんど消えた薄暗い部屋ではファルコの表情はよく見えなかったけれど。寝室の出入り口すぐそばで立ち尽くすファルコに、メイベルは立ち上がって近付く。
そっと、彼の手を取った。ファルコからは、緊張と戸惑いの色が見える……。
「ファルコはそんなにルスランのことが好きなんだ……」
「は?」
メイベルが言うと、ファルコが間の抜けた声を上げた。ゆらゆらと不安そうに揺れていた色も消え去っていた。
「だって。ルスランに言われたらあっさり私を抱きに来くる。ルスランが言わなければ、絶対そんなことしようとしなかったくせに」
感情の色が見えるメイベルを前に、メイベルへの好意を隠すことなど不可能だ。
だからメイベルはずっと、ファルコが自分に向ける好意に気付いていた。ハルモニアにいた頃は、アルフレート・プロイスからの好意もとうに分かっていた。
ただ彼らに共通していたのは、メイベルのことが好きでも、メイベルとどうこうなるつもりは一切なかったこと。
メイベルへの恋情などより、彼らは国への忠義……王への忠誠心を優先させ、個人的な想いは押し殺してしまうことを選択していた。
メイベルの立場を気遣ってくれたのもあるだろう。そうと分かっているから――そうと分かっていても、自分への恋心というのは彼らにとって何かの次でしかないのだなと思って、メイベルも気付かないふりを努めた。
なのに、ルスランに言われてファルコは来た。きっと、メイベルが求めたって応えないだろうに。
「私のことが好きっていうのは本当だろうけど、それ以上に、ルスランが本気で自分を求めてくれたからそれに応えたかったっていう気持ちのほうが絶対に大きい」
「……そりゃ、そういうのがまったくないって言えば嘘になるけど」
ファルコが歯切れ悪く答える。
メイベルはジト目になってファルコを見上げる――少年だと思っていたけれど、こうやって真っすぐ向かい合うと、ファルコのほうが少し背が高い。ヴァローナに来たばかりの頃より、その差が開いているようにも思う。きっと、彼はこれからどんどん背が伸びて、ずっと男らしくなっていくことだろう……。
「私を抱きにきたようで、ルスランに抱かれにきたようなもの」
「気色悪い言い方するなよ……もしかして、遠回しに俺のこと拒否してる?」
ファルコの手をぎゅっと握り、メイベルは彼を見据えて言った。
「……私だって、ルスランへの気持ちは負けないから」
「待って――俺、本当にそっちの意味で恋敵認定されてる?」
負けないから、とメイベルが再度呟けば、解せぬ、とファルコも小さな声で言い、うなだれる。
しばらくがっくりと肩を落としていたが、やがて顔を上げてこちらを見たファルコと目が合い、繋いでいた手を引き寄せられる。
近付いて来る顔にメイベルも目を閉ざし、ファルコからの口付けを受けとめた。
「たしかにルスランに言われなきゃ来なかったけど、あんまり俺の恋心否定しないでよ」
唇が離れると、空いているほうの手でメイベルの頬を撫でてファルコが呟く。
間近から自分を見つめる瞳は、左右で色が異なる――とうに見慣れたはずなのに、なぜかいま、メイベルの目にはそれが印象深く映って。
まだ繋いだままの手を今度はメイベルが引っ張り、ファルコを自分のベッドへと連れて行く。
二人でベッドに腰かけると、自分の寝衣に手を伸ばすファルコの首に腕を回して、メイベルのほうから彼に口付けた。