年明けと共に (1)
気が付けば年も明け、メイベルもヴァローナでの暮らしにすっかり慣れたものだ、としみじみ感じていた頃。
ハルモニアからもメイベルとルスランの結婚を祝いに、人が訪ねてきた。
ハルモニアの副宰相アルフレート・プロイス。もちろん、メイベルは彼のことを知っている。
謁見の間で彼を出迎えたルスラン王は、王の権威を示すかのような豪奢なヴァローナ衣装を身にまとい、その衣装の大きさにも負けぬ存在感の大きさでアルフレート・プロイスと向き合った。
「コルネリウス王の喪が明けるまで祝う気になれなかったハルモニア側の気持ちは分かる。国政もさぞ混乱していたことだろう。それを収めることが最優先なのは当然だ。しかし、この期に及んでも祝いに訪れる人物が貴公一人だけだとは思わなかった。こうも露骨に侮られると、私としても愛想笑いを浮かべることもできん」
ルスランにしては珍しく、嫌味ったらしい言い方だ。隣に並んで座っているメイベルは、ルスランの厳しい態度にハラハラしていた。きっと、表情の起伏が乏しい自分は、そんな内心はまったく顔に出ていないだろうけれど。
ルスランに頭を垂れたまま、ハルモニアの副宰相が答える。
「……どうかお許しください。諸侯たちも自分の愚かさに恥じ入り、メイベル様に合わせる顔がないのです。ルスラン王より親書が届いた際、メイベル様は王の求婚を受け入れることをすぐに決断しました――それを、宰相を始め大臣たち、諸侯たちが強く反対したのです。それでコルネリウス王もヴァローナと開戦した」
ハルモニアの副宰相の説明に、謁見の間に居合わせるヴァローナの大臣や諸侯たちがざわついているのを、メイベルはこっそり見ていた。
メイベルも、本当はアルフレートの説明に口を挟みたい気分だ。ルスランやアルフレートの色を見て、いまは安易な発言をしてはダメだ、と沈黙を守っている。
祝いに来て、わざわざハルモニアとヴァローナが戦争に至った話を持ち出すのも不謹慎で不適切である。でもそれは、自分をかばっているのだろうな、とメイベルは思った。
これから先、ヴァローナで生きていかなくてはならないメイベルの印象を少しでも良くしておくため――彼女は最初から、ヴァローナ寄りであったと。
対面時間は短く、儀礼的な祝いと挨拶の言葉だけ述べるとハルモニアの副宰相は謁見の間を退出していく。
ルスランが許してくれるような色をしていたので、メイベルは謁見のための衣装から着替えることもせずにアルフレートを追いかけた。
謁見の間を出て、廊下で。メイベルが呼び止めると、アルフレートは意外でもなさそうな反応で立ち止まって振り返り、メイベルに頭を下げる。
「お久しぶりです、メイベル様。健やかに過ごしていらっしゃるようで、安心いたしました」
「ルスランたちは王妃として尊重してくれてるから。私のことは心配しないで」
笑顔を向けるアルフレートは……痩せたというか、少しやつれたように感じる。最後に会ってから、半年も経っていないのに。彼も、心身共に疲れているのだろう……色々あった……。
「その者は……?」
メイベルの後ろにいる男に視線をやり、アルフレートが言った。女官ならともかく、ヴァローナ人ですらない男を連れているので、どうしても気になるらしい。
「彼はファルコ。サディクの皇子で、いまはルスランに仕えているの。ファルコ、こっちはアルフレート。ハルモニアの副宰相で――彼のお父様が、ハルモニアの宰相を務めているの」
「お喋りしてる連中の話を聞いてたから、何となく知ってる」
ファルコが言った。
前まではメイベルがファルコを探して追いかけていたのだが、最近はファルコのほうからメイベルの供をしにくることが多い。女官長もそれが当然のようにファルコに任せているので、ルスランがそう命じたのかなと思っていた。
「お祝いがすっかり遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。メイベル様がどう過ごしていらっしゃるか、私や父たちも気にかけてはいたものの……結局、自分たちのことで頭がいっぱいで、ハルモニアのために身一つでヴァローナに嫁いでくださったメイベル様をお支えすることもできませんでした」
「みんな自分ができることを精一杯やってるだけだよ。私は……婚姻で役立つぐらいしかできないもの」
兄王が亡くなって。政治の勉強をしてこなかったメイベルには、ルスランと結婚する以外にできることがなかった。
いまは名目上の共同統治者だが、実権はルスランが握って、彼の意向を受けてハルモニアを実際に取り仕切っているのはハルモニア宰相たち。
でも、メイベルからすれば肩書きを与えられているだけでも十分過ぎる待遇だった。
「そんな色……じゃなかった、そんな顔しないで。みんな心配してくれてたけど、さっきも言ったようにルスランは未熟な王妃の私にも、王妃としての権利はちゃんと守ってくれてるから。ヴァイセンブルグに嫁がなくて済んだことだけは不幸中の幸いだと思ってるぐらいよ」
メイベルが言えば、アルフレートが露骨に目を泳がせる。二人のやり取りを黙って見ていたファルコが、関心を持ったような色を見せた。
「私、もとはヴァイセンブルグ皇子レオナルト様と婚約していたの。こっちも政治的なものだったんだけど……。ハルモニアがヴァローナ王との婚姻に応じられなかったのは、この婚姻も理由の一つだった」
「――なのに、ヴァイセンブルグはあんたらを見捨てたってことか」
メイベルの説明を聞き、ファルコが考えながら言った。アルフレートが頷く。
「婚姻を断られたヴァローナからの宣戦布告を受け、コルネリウス陛下はヴァイセンブルグに援助を求めた。ヴァイセンブグルが共闘してくれれば勝てたとまでは言わないが、こちらがヴァイセンブルグに義理立てしたにも関わらず肝心の時に見捨てられて、ハルモニア人はヴァローナよりもヴァイセンブルグを恨んでる」
「敵の敵対行為より、味方の裏切りのほうが許せないのは当然だな」
ファルコは納得したように相槌を打つ。そういうことだ、とアルフレートがさらに同意した。
「……すみません。メイベル様にお会いして、お元気そうな姿を見て、気が緩んでしまいました。場も考えずに、つい長話を」
「引き留めたのは私。気にしないで。アルフレート、もうハルモニアに帰る……?」
「一ヶ月ほど滞在します。父からハルモニア、ヴァローナ間の調整役も任され、ルスラン王やヴァローナ宰相と相談しなくてはならない案件もいくつかございますので。ついでに、ベルナライト鉱石の納品にも立ち会います」
「俺の天敵」
ボソッとファルコが呟く。
「ロドリ薬の原材料の一つだ。ロドリ薬撒かれると、銃が撃てなくなる」
「ルスランが先月要求してきた追加分のことね。良い予感はしないな……」
メイベルも小さくため息をついて呟く。
ベルナライト鉱石の鉱脈が見つかってしまったために、ルスランはハルモニアに侵略してきたのだ。
ハルモニア、ヴァローナ双方の国境をまたぐ鉱山で、三年ほど前にそれは見つかった。
間の悪いことに、ハルモニアはそれを鉱山として認識しておらず、ヴァローナも掘り進め、調査をしていくうちにうっかり発見してしまったもの。
鉱山そのものはヴァローナの領土なのだが、採掘できる場所だけがハルモニアの領土であった。
そうとなればルスラン王がそこの場所まで領土拡大を目論むのも当然のこと。
最初はハルモニアの王妹メイベルと結婚して、持参金代わりに割譲してもらうという比較的穏便な手段を取ろうとしていた。
コルネリウス王も、戦争の火種にしかならない採掘場には頭を悩ませていたのだが……メイベルは、すでにヴァイセンブルグ皇子と婚約している。
一方的に解消してルスラン王と結婚させるのは、帝国への反逆行為にも等しい――そして、天秤はヴァイセンブルグ側に傾いてしまった。
――それが、すべての始まりだった。
「ルスラン、春になったら戦争に行っちゃう?」
夜。いつものようにルスランの寝室で、メイベルは夫に尋ねる。
ルスランが相手では駆け引きとか腹の探り合いなんてできない。言いたいこと、聞きたいことはいつも馬鹿正直なぐらい真っすぐにぶつけていた。
ベッドに腰かけるルスランは返事をせず、意味ありげに笑ってメイベルを抱き寄せるばかり。
でも、ルスランのまとう色が、言葉の代わりにメイベルの質問に答えていた。
ベルナライト鉱石の追加要求、つまりはロドリ薬の生産を増やすのは、たいていが戦争のためだ。暦の上では冬真っ只中だが……戦を考えているのなら、もう準備に取り掛からなくてはならない季節……。
「ヴァイセンブルグの皇子は、君より年下の、美しい少年だそうだ」
「話を誤魔化す……。ファルコから聞いたの?」
ルスランの誤魔化しにちょっと拗ねてみせつつ、昼間にアルフレートたちとした話題を突然ルスランが持ち出してきたことについて、メイベルは指摘した。ルスランが頷き、メイベルはため息を吐く。
「小さい頃にヴァイセンブルグ宮廷を訪ねて、顔合わせはした。その後も折に触れ肖像画を送り合ってたから、顔は知ってる。でも結婚したくなかったから、ルスランが気にすることなんて何もないよ」
「ほう」
あっさりと言い切るメイベルに、ルスランは相槌を打ちながらも少し意外そうにしていた。
「レオナルト様のこともあんまり好きじゃないんだけど……それより、アマーリエ様との仲が最悪だったの。修復不可能なぐらい」
「ヴァイセンブルグ皇后アマーリエか?」
「うん。アマーリエ様が亡き皇太后……アマーリエ様にとっての姑であるゾフィー様と超不仲で。私とレオナルト様の婚約はゾフィー様が決めたものだったから、アマーリエ様は最初からこの婚姻に大反対で、私のことも毛嫌いしてた」
話す内に、メイベルも眉間に皺が寄っていく。
幼い頃に一度きりの対面であったが、いまもメイベルの心に強く刻まれるほど、彼女からの悪感情は強烈だった。あれほどの憎悪を自分に直接向けてきた相手は、後にも先にも彼女だけ……。
「その上……私、喋ってしまった」
「何を?」
「レオナルト様には、当時、妹がいたの。生後三ヶ月で亡くなってしまった……」
ああ、とルスランが納得したように呟く。
メイベルが、彼女の死を見て皇后アマーリエたちに話してしまったのだと、すぐに察してくれたらしい。それが最悪の決定打を招いたことまで分かったようだ。
「その頃の私は、もう人の生死を安易に口にしてはいけないと分かってはいたんだけど……。幼い赤ん坊なら、周りの大人が気付けば助けられるかもしれないと思って、つい。能力そのものは明かさず、その子の危険だけ伝えた――言うまでもないけど、アマーリエ様は大激怒だった……」
我が子が死ぬだなんて、冗談でも許せない発言だ。皇后アマーリエはメイベルの邪悪さに激怒し……それから程なくして現実となり、ますますメイベルを憎んだ。メイベルの邪悪な言葉が、恐ろしい未来を呼び寄せたと決めつけて。
ヴァイセンブルグ宮廷の人々は、いくらなんでも皇后の被害妄想が過ぎるとメイベルをかばってくれたが、以来、メイベルのほうでも皇后アマーリエに強い苦手感情と嫌悪感を抱いている。
……ヴァイセンブルグに嫁ぎたくなくて、少しでも結婚を先延ばしにしようと兄に泣きついた。
メイベルの能力のことを知っていた兄コルネリウスは、拗れきった妹と未来の姑との関係に配慮し、そのワガママを聞き入れてくれた。
それでも、いつかは国のためにヴァイセンブルグに嫁ぐしかないと覚悟はしていたが……。
「残念ながら、夭逝はよくあることだ。僕にも三歳まで生きられなかった兄弟が複数いる。死は彼女の運命だったのだろう。君が気に病む必要はない」
「私もそう思うことにしてる。でも、アマーリエ様は私の顔を見れば嫌でもその頃のことを思い出すだろうし、私もその時にぶつけられた罵倒と憎悪を思い出すことになる――だからレオナルト様との婚約がなくなったことだけは、心の底からホッとしてるの」