後編
しばらくして、帝都の住まいに帰ってきた私たちは、早速開かれた夜会で料理を楽しんでいた。
この国の良い所は一つだけ。
パーティーの醍醐味が、ドレスアップやダンスなのではなく、贅を凝らした食事にある所だ。食や酒が進めば、人付き合いも密になっていくことから、このパーティーの真髄は情報交換でもある。
ナナコ様は、その能力が天才的だった。
点と点を線で繋いで、その先を誰よりも早く見つけてしまう。
話さなくても、きっと私の正体など彼女はもうとっくに気づいている。気づいた上で何も聞かずに、私に向けて屈託なく笑う。
無邪気に、私を周りから守ってくれている。
(誰も、私に近付けない。近付けば…聖女様の逆鱗に、触れるから。)
この世界は、十年前に私の全てを奪った。
さらに二年前に、こちらで八年かけて築き上げた人生を、またしても奪われた。
二度も奪われたら、何も感じることが出来なくなった。
『魅了の聖女』なんて二つ名なんて、恥以外の何物でもなかった。
純潔を守らなければ失う聖力なのに、この魅了という特性が私の立場を揺るがしてきた。捨てたくて仕方なかったその力は、魔を滅し、その根源を封印した瞬間に必要が無くなるものだ。
私の純潔にも、意味は無くなる。
忌々しいのは、聖女である間は加護なのか呪いなのか自死ができない事だった。
だからあの日、誰もが憎くて信用できない中で、一番信用できない男を選んだのは必然だった。
なんの思い入れもない男を、魔王を封印したその場で押し倒した。周りを言いくるめて、その男だけを連れてきていたから、私を止められる者などいなかった。
『只人になったら、私は死ぬわ。聖女のまま死ぬなんて、うんざりよ。少しの間、体を借りるわよ?』
一番、私に興味がなさそうな男を選んだ筈だった。
この世界が大嫌いで、だからこそ聖女のまま死にたくなかった。この世で一番嫌いな存在で死にたくなかった。
凡人の…あの頃の私に、戻りたかった。
『一番信用できない男に、体を許すんか?好き勝手された上に、死ぬ前にどこかに使い回すかもしれへんよ?』
『魅了されたフリして愛を囁く性悪なあんただけど、女には優しいことは分かってた。だから、見逃してくれるでしょう?』
『分かってへんなぁ。魅了の力が無くても、あんたの周りからアイツらは離れへんで。死んでもや。』
『じゃあ…どうしろって言うのよ。』
『せやなぁ……拐って大事に隠しといてあげるわ。』
あのバカはそう笑って、拐う前にあの場で抱きやがった。
『ほんま、めちゃ興奮した!』とか結婚式の前日に笑ってたから、腹が立って一発殴ったのも良い思い出。
あぁ、懐かしい…生きてないかな…。
『実は、逃げれたんや!びっくりした?』
とか言いながら、ひょっこり夜会に顔を出してこないかな。
死んだことすら、信用出来ない男なのだ。
そんなことを、何百回も願っていたが、結局一度も叶うことはなかった。
言葉にすることが出来ない気持ちを、小さな声で口ずさむ。
幼い頃から聖歌隊に入っていたので、その類いの歌が得意だった。
歌を歌いながら、ポツリと二階のテラス席から、会場を見回すと、一階のメインホールの中央で楽しそうに食事を楽しむナナコ様達が見えた。
ナナコ様には堂々と誰かの手を取って、みんなに祝福されながら幸せになってほしい。
この茶番が終わるその時に、彼女には笑っていてほしいから。
「久しいな。」
その憎たらしい声に、仕方なく振り返った。
「……誰も、この場所には近付かぬよう、聖女様が直々に厳命されていたはずだが?」
振り返れば、十年前には見慣れていた顔、現辺境伯がいた。
よくもまぁ、私に会おうと思えたものだ。
辺境伯の城でいた時さえ、私は理由をつけて徹底的に避けていたというのに。
「セイヤハラ国王太子妃になってから、ずいぶん経つな。まぁ、あの日あの男に貴女を掻っ攫われてから、と言う方が気持ち的には正しいが。」
「その男と国を奪った奴等は、今代の聖女に何をさせたい?」
「我々の尻拭い、だな。貴女をここに引きずり出せた時点で、我々の目的は八割達成している。あとは…あの男の死体を見るだけだ。」
あまりの話に呆れて、悔しさに唇を噛んだ。
私のせいで…あの人は、国が死んでしまった。分かってはいたが、仄暗い怒りが湧き上がる。
元妃としての顔が、どうしても出てきてしまう。
「くだらぬ…今更、『妾』に価値などないというのに。」
「捕まえられないのなら、誰のものにもならないで欲しかったよ。」
「馬鹿馬鹿しい……でも、まぁ…あのバカに絆された妾が嗤うのも、また愚かなことよ。」
そうため息をつけば、大嫌いな顔が目の前で苦く笑う。
「なぁ…俺と結婚しないか?」
「は?」
辺境伯の唐突なプロポーズに、間抜けな声が出た。
その隙をつかれて、なぜか思い切り抱きしめられていた。
衝撃で、素に戻る。
私の魅了は、完璧に消え失せているのに、何を血迷っているんだ。
それに、お互いいい歳こいて惚れた腫れたなんて、今更そんな…。
「スミレ…あぁ、本物だっ!未だに好きなんだ…諦める事ができないっ」
「ちょっ、真名を呼ぶな痴れ者!はなせ!!」
この男の一見クールそうに見えて、実は一番単細胞な所が、本当に苦手だったことを思い出した。
帝国の男たちが私にした仕打ちを考えても、そんなことが平気で口にできる神経が分からない。
「本当に只人になったんだなぁ…!聖女に触れられる日が来るとは思わなかった!最高だ、結婚しよう!!一度は諦めたが、もう無理だ!お互い二回目だし、大丈夫!」
「死んでもごめんじゃ!?や、ちょっ…な、ナナコ!!助けて!!」
私の叫び声に、階下がざわつき出した。
しかし、男の手が緩むことは無く、なんならしがみつくようにきつく締まった。
「ねぇ、私のお姉ちゃんに何してるの?」
駆けつけたナナコに庇われながら、直感的にまずいことになったと悟る。
このままでは彼女が怒りのあまり会場の建物を吹っ飛ばしかねない。それくらい、私のことを慕ってくれているのだ。現に二人だけの時は、ナナコと敬称なしで呼び、彼女は姉と慕ってくれている。
「聖女様、もう大丈夫ですから…怒りをお鎮めください。」
「だって、この世界がラユレに酷いことをしたんでしょう?…壊して、新しく作り直した方が早いかもしれないよ?」
「…酷い事ばかりでもなかったから、困っているんです…」
「そっか…じゃあ、やめとくね。もう帰ろっか!」
「はい。」
私が亡国を思い出しているのを察してか、ナナコ様が困ったように笑った。
その後、昔の顔ぶれが離宮に押しかけてくるようになったのだが、ブチ切れたナナコ様により私たちは一時的に聖域に匿われることになった。
「モテるっていうより、あれもう執着だよね。」
「ナナコも気をつけるのじゃぞ…」
「お姉ちゃん…旦那さん一筋なのにね。」
「…ほんにのぉ、困る」
ひっそりと聖域で過ごしていた私に、何食わぬ顔であの男が会いに来たのはそれから半年後のことだった。
「ごめんなぁ時間かかってしもうて…また、拐って大事に隠すから許してや?」
終