前編
狂った恋を引き摺った大人たちが、また聖女を召喚したお話
あの日、国が亡くなった。
義父母と夫も、家臣も民も、全てが炎に包まれた。
そんな中、誰もが私を逃した。私の最期まで一緒にいたいという願いを、誰も叶えてはくれなかった。打ちひしがれた私が、ボロボロのドレスを引きずりながら、傷だらけの裸足で故国の最北の湖に辿り着いた。
(嘘だ、嘘…こんなの、あんまりだ。)
直前まで、みんなで晩餐を楽しんでいた。次の日は、建国祭で併せて夫の戴冠式を行う予定だった。
幸せだった。
色々な事が毎日起きた、楽しいことだけじゃない。それでも、幸せだった。
あの化け物と、帝国が攻め入るまでは。
たどり着いた湖で、聖女様に出会ってしまったことで、私の絶望と失望は深まった。また始まるのか、と。
『お姉さんが、私を呼んだの?』
『違う…妾は、ここへ死ににきたのじゃ…』
『あれ!私とおんなじだ。…私も、学校の三階から飛び降りたつもりだったんだぁ。』
『辛いことが、あった、のだなっ』
『そ、うなの。いっぱいいっぱい、辛かったの…』
泣きながら笑い合って、私たちは気がすむまで抱き合って泣いた。
どうしようもないくらい、泣いた。
彼女が聖女だと言うことは、一目で分かった。
この世界に伝わる伝承の通りであったからだ。
その額に、真っ赤な聖玉が埋め込まれ、光り輝く頭の上に聖天皇の化身である黄金の薔薇の冠が輝いていた。
真っ白な衣には、聖なる青色で複雑な聖紋が美しく描かれていた。
分かったことは、一つだけ。
彼女を呼ぶために、我々は焼き尽くされたのだ。
何百万という命を依代に、あの化け物を呼び寄せ、帝国は我々を贄にした。
『お姉さん…私、ナナコ。名前、教えてほしいな。分からないことだらけ。』
ナナコの頼みに、王太子妃の仮面を脱ぎ捨て、深く深く頭を垂れた。
『改めまして…私の名は、ラユレ。ナナコ様は、帝国による聖女召喚の儀により呼ばれたのでしょう。差し出がましいようで恐縮ですが、たった今より私めは聖僕となり、ナナコ様の清らかな未来の為にこの身を捧げましょう。全てを導きます故、私めを信頼していただけますよう…尽力致します。』
『よろしくお願いします。』
そうして、まぁ、色々とあったのだけれど、なんだかんだと聖なるお告げの導く方へ二人で歩んでいると、自然と仲間が増えていった。
今ではなぜか帝国の第二王子の離宮に囲われ、そしてそこを拠点に帝国全土に穢れによる問題を解決しに飛び回っている。
今日の聖なるお仕事は、北部の辺境にある田んぼの真ん中で鍬を振ることだ。頭に被った肩まで覆う白いベールが、作業中は鬱陶しい。しかし、これはどうしても外せない。
着古した法衣を模した貞淑な服も白く、今の自分は農耕に勤しむ修道女くらいには見えているだろうか。
鍬の柄を掴む指先から右肩まで同じ白い手袋が覆っているのを眺めて、天気の良さにため息をついた。
元王太子妃から異世界の聖女様の僕へ。滝壺へ滑り落ちたと思っていたが、気づけばまた滝の上へ登っているような人生だ。
「のどかだなぁ…嘘みたいに」
縁とは不思議なものだな、と考えながらまた鍬を振るう。
この目の前の畑も、元は穢れにより黒ずんだ荒地だった。
それを、ナナコ様の聖力を以て、今では各種野菜が通常の倍速で実る奇跡の畑に変貌した。
農業と観光業が一体化した地に、半年前までは考えられなかった人の流れができている。
『ラユレが、シャナックの実が好きだっていうから、いっぱい生るようにしてみた!』
そう無邪気に聖女の力を無駄遣いした彼女に、思わず噴き出して笑ってしまった。彼女を好きでいる理由が、この裏表の無さだということを思い知らされる出来事だった。
「ラユレ殿、いい加減、そのベールはとられたらどうだ。聖女様から事情は聞いているが、この畑で顔の傷を不躾に見つめる者はおらん。気にせず休まれよ。それか、あちらの木陰なら誰にも見られずに、休めるぞ。」
無心で鍬を振るう私に、呆れたように話しかけてきたのは、この領地を治める辺境伯の嫡男であるアルベルト・ハーパーだ。
荒地だった辺境の各所を奇跡の農地に変えられたせいで、辺境伯の私兵団の半数が、たまの休みにボランティアで農業を手伝うハメになってしまったのだ。
彼も、第二師団の第一番隊隊長であるにも関わらず、その手には除草薬剤を散布する機械を手に働いていた。
槍の名手だと聞いているが、なかなかこれも様になっている。
「お気遣いありがとうございます。しかし、この鬱陶しさにも慣れてしまいました。そういえば、ベールの代わりに、通気性に優れた仮面を作ってくれると聖女様がドワーフの村で何やら動いておられるようです。それまでは、皆様もこの鬱陶しいベールにお付き合いください。」
「…聖女様は、本当に秘密を作れないお人で安心しますな。」
「腹芸が得意とは言えないハーパー隊長に言われたくないのでは?」
「武人と貴族の壁が、厚すぎるのですよ…。作戦や戦力を練るのは好きですが、人を食うのは面白くない。」
「全く…腹黒いと評判の辺境伯から、とんだ純心が生まれたものですね。」
「父の腹黒さの真髄を知らんから、叩ける口だな…。」
身震いする男に、口惜しさに唇を噛んだ。
ベールの下に何を隠しているのか、ナナコにすらまだ伝えていない事実がある。
「知ってますよ、嫌になるほど。」
「何を…」
「私をこの世界に呼んだのは、あなたのお父上だ。知らなかったんですか?」
揶揄うように笑って、動きを止めた彼にそう答えた。
鍬を地につけ、束の間の休憩がてら、彼だけにそっと顔だけ向けて、ベールを上げた。そろそろ潮時だったのだ、隠しておくのも。
「番を見つけて、純潔の赤では無くなってしもうたが…妾の石は、番の瞳の色に染まっておろう?」
「…なんで、ラユレ殿に、それが…え?妾って、は…」
「今代の聖女を導けるのは、妾が辿った道でもあるゆえ。まぁ…この『話し方』は、亡国の妃教育の名残みたいなもんですねぇ……しかしまさか、あれだけ苦労した魔の封印を、こうもあっさり解かれるとは思いもしなかったですよ。保って100年とは思っていましたが、たったの10年で裏切り者が出るとは予想出来なかった。私の力は、夫と契った時に失っていますし……夢見と破魔の力が、今では全く使えないというのが情けない話です。」
本来なら、我々二人は特別聖域区の召喚による聖女もしくは聖人を保護する聖堂内で生活しなければならない。
どうしてそうしなければならないのかも、私だけは分かっている。けれど、もう誰もそれを知ろうとしないのだ。しかし、それで善いとも思う。
話せば皆がナナコ様の虜になる。それが、此度の聖女の特性だ。
二つ名は、和平の聖女。
聖域以外で生活すると、この世界に染まってしまう。清められた食べ物以外を口にすれば、それはますます加速する。
帰れなくなるのだ、染まり切ってしまうと。
ナナコ様には話してあるが、彼女は自分の意思でこの世界で生きることを選択した。
かつての私のように、騙されて染められたわけではないのだ。
「今の話は、ごく一部には公然の秘密という話です。聖女様の幸せが、私の幸せだということに、偽りはありませんよ。」
「父は…召喚の儀を二度も行ったと、いうのか…」
「ナナコ様を呼んだのは、現在の天帝だと聞いています。辺境伯は、我が国を贄とするのを一度は止めたとも。…全てを二度も失うと、憎むことすらしなくなるものですね…。」
「そうなると、ラユレ殿、亡国の王太子妃であるあなたは…!」
それに答えずベールを戻してから、視線を畑に戻す。
既婚である証のショートカットの髪が、ベールの中でサラリと頬を撫でた。
黒髪黒目の異邦人は、少なくともこの場に二人いるのだ。まぁ、二人ともが長閑に畑仕事をこなしている。
絶句している彼に笑っていると、ナナコ様の明るい声が飛んできた。
「ラユレって、何歳だっけ?ちなみに、私は十六歳!」
「若いですね〜。私は、数えで、おそらく、二十九になりますよ。急にどうされました?」
「ミヒル君が、年上好きって言うから、どうかなぁって!」
「そんなふうに思い切りバラさないで!あ!ラユレ様、僕は二十四歳になりました!!年下とか好きですか!?」
「ミヒル君、めっちゃ単純で積極的じゃん!!ラユレの好きなタイプかも!私の事、そこが好きって言ってたから!」
「聖女様、それ微妙に喜べない!!」
二畝先の畑をいじりながら聖女様達が叫んできた内容が、辺りに響いた。バキッと至る所から、何かが壊れた音も響いた。
「私、未亡人でして、夫に操を立てておりますの。」
「まさかの未亡人!!?いやでも、なんかグッときた!!」
ミヒル・ラインワーク聖騎士は、なぜか私に向かって親指を立てて良い笑顔だ。
あの子…色々拗らせてるな。
「聖女様、そろそろ帰りましょう。日差しが強いので、お体に障ります。」
「分かったぁ!ミヒル君のアピールは、継続しても良い?」
「それ以上拗らせても可哀想なので、陛下に夜会でも開いてもらいましょう。婚活してください。」
「ミヒル君が泣いたぁ!」
「失恋には、新しい恋です。」
他人事のように笑い飛ばしながら、さめざめと泣く聖騎士様を私以外のみんなで慰めながら、辺境伯の城まで戻った。




