和菓子で蒙の啓けるなり
東北に旅行に行ったときのことだ。
まだ学生の時分で金がなく、鈍行を乗り継いでの貧乏旅行だった。宿も、とりあえず寝られればというような安宿で、扉を開けた先、六畳間の畳敷きの部屋には卓袱台が一つ、ぽつんと置かれているだけだった。押入れの中の布団からは仄かにカビの匂いがした。
お世辞にも快適とは言えない宿だったが、文句のあろう筈もない。その旅の目的は、まさにその宿に泊まることだったのだから。
僕を部屋に案内した宿の主人に、合言葉をそっと囁いた。瞬間、目を見開いた主人は、小さく頭を下げると部屋を出ていった。
旅先の食事とは思えないみすぼらしいものを胃に押し込み、さあ後は寝るだけとなったころに主人がそれを持ってきた。恭しく差し出された小皿を、こちらも仰々しく受け取って、慎重に卓袱台に置く。
それを僕が知ったのは、全くの偶然だった。偶々手に取ったさる文豪の小説の中に、ひっそりと隠されるようにして書かれていた。いや、それは真実秘されていたのだろう。小皿の上には和菓子が一つ載っていた。
上から前から後ろから、ためつすがめつ和菓子を眺めて、人差し指と親指で摘んで思いきって口に入れた。表皮はホロリと簡単に解けて、すぐに餡の中の硬いものに歯が当たる。一息にそれを噛み砕いた。
そして僕は天啓を得た。
これ以上詳しいことは話せない。そういう決まりなんだ。だから先人に倣って、僕は本の中に隠すことにした。みごと見つけられるかは君次第だ。
足早に喫茶店を出ていく彼の背中を見送った。
「悪い人ですね、あなたも。あんな純朴な青年を騙して」
「心外だな、マスター。別に騙してなんかいないさ。彼が手がかりを探して僕の本を舐めるように読み込めば、いくら無能の彼でも、僕の才能の一欠片くらいはモノにできるかもしれないだろ?」