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九条朔夜Ⅱ 2

 私の家庭は比較的裕福だった。


 父親が小さな会社を経営していて大金持ちとまではいかないが、欲しい物は言えば買ってくれた。


 とはいえ、物をねだった記憶はほとんどない。


 代わりに私は武道を習ってみたいと申し出た。


 空手、柔道、弓道、合気道、そして剣道。


 日々努力する父の様に私も何かに打ち込みたかったのかもしれない。


 今でこそ表彰される様にもなったが始めたばかりの頃はひどいものだった。


 稽古中に足をもつれさせて転ぶ、すぐに息切れして端の方で見学する。


 向いてないなんて事は何度考えたのか解らない。


 だが、だからこそ燃えた。


 そんな簡単に手に入るもの等に大きな価値は無いだろう。


 幼いながらにそんな生意気な事を思った。


 思えば辛い事を好む、困難に挑むのは楽しいと初めてそう思ったのはこの頃だ。


 手が荒れ、口調も女らしくないものになった。


 後悔はしていない。


 代わりに中学に上がる頃には私に敵うものはいなくなっていた。


 全ての武道においてだ。


 この頃になればむしろ困難な事を自分から探していて、武道以外の事にまで手を伸ばしていた。


 学級委員長、体育祭や文化祭の実行委員、生徒会長等の学校行事。


 料理、お菓子作り等の今まで手を触れてこなかったもの。


 短かった髪を伸ばし始めてみたのもこの辺りからだったと思う。


 高校生になってからも変わらず、生徒会に入り、複数の武道を修めた。


 生徒会長になり、いくつもの大会で賞を取った時、この生き方は間違っていないと、この先もこうやって生きていこうと思った。


 そしてある日の帰り道。


 夕日が差し掛かる学校からの下り坂の途中で、父から電話が掛かってきた。


『朔夜……落ち着いて聞いてくれ……会社が倒産した……』


「は? ……あ、いやそうか……と、父さんは大丈夫なのか……?」


 電話の先から父さんの声が聞こえてくる。


 これからの事なんかを話していたのだと思うが、よく覚えていない。


 聞こえてはいたが頭で理解ができなかった。


 考えが定まらない中で反射的にぼんやりと返事する。


 大丈夫だ。


 今までだって困難に立ち向かってきた。


 身体をすり減らせる事や、未知にも挑んできた。


 くじけそうになった事なんて数えきれない。


 大丈夫さ。


 何とかなる。大丈夫。


 大丈夫………………………………本当に?


 ふと未来を想像すれば今までとは全くもって違う暗さが広がっていた。


 それはそうだ。


 今までは自分に対しての困難だった。


 でもこれは、私以外の大切な人へ降りかかる不幸なのだから。


 がくがくと足が震える。


 何も解っていなかった。


 所詮、身の丈に合った問題に一喜一憂しているだけの小娘だった。


 涙さえ零れそうになる。


 ――そんな時だ。


「なぁ、あんたさっきから大丈夫か?」


 いつの間にか近くに立っていた男子生徒からそう声を掛けられた。


「は? ……あ、いや」


「あー……勝手にちょっと電話の会話聞いちゃったんだけどさ」


 そう言うと男子生徒はごそごそと鞄を漁ると何かの物を取り出した。


「これ使いなよ」


 ぽいっと投げられた物を受け取るとそれは通帳だった。


 中を見てみると10億以上の残高が記されている。


「んじゃ」


「は? いや、ちょ、ちょっと待ってくれ?!」


 鈍っていた思考を奮い立たせ体に力を入れて声を出す。


「え? まだ何か?」


「な、何かじゃないだろう。何だこれは?」


「いや……これから色々と入用になってくるだろ。俺もういらないからそれ」


 要らないからって渡すのか?


 全くの他人に? 10億を?


「ありがたいが……これは貰えない」


「何で?」


「な、何でって……」


 答えに窮した私を見て男子生徒はハァと一つため息をつく。


「あのさ、誰かが助けてくれるんだったら素直に助けてもらいなよ」


 その言葉に、私は何も返せなかった。


「お前も今まで助けてもらったんだろ? 両親に」


 ハッとする。


 この期に及んで私は私以外に考えが回っていなかった。


「返して上げなよ。今までの分をさ」


 そう言って男子生徒は背を向け去っていく。


 私はその背中に向かって声を上げた。


「き、君には? 君には何を返せばいい?」


「俺?」


 まるで考えていなかったのか意外そうにこちらを振り向く。


「あー……まぁ俺が何か困ってたら助けてくれよ」


 冗談のように笑いながら言う。


 そして今度こそ男子生徒は去って行った。


※ ※  ※


「それから、攻一からもらったお金のおかげで父の会社は持ち直し、後日攻一と再会したんだ」


 まぁ攻一は全く覚えていなかったけどな。


 最後にそう付けたし、ハハハ、と自嘲気味に笑う。


「攻一さんらしいです」


 鏡花も笑い返して言う。


 私はまた外の風景を眺めながら思った。


 今まで色々な事があった。たった数カ月とは思えないほどに……。


「……なぁ鏡花」


「はい」


「あいつは……攻一は優しい」


「……はい」


 変わらず、外を眺めながら続ける。


「鏡花も気付いてるよな? 遭難した時も異世界に行った時も、攻一はずっと私達を守る事を第一に行動していた」


「はい」


「あいつは認めないだろうけどな」


 というよりは、実際のところ攻一自身意識してやっている訳ではないのだろう。


「……私が、誘拐された時の事なのですが」


 ずっと聞き手に回っていた鏡花がゆっくりと話し始める。


「私が事務所から逃げる時に攻一さんが、組長と思われる人にこう言っていたんです。なぁ親父さん、シゲさんにはさ恋人がいるんだよ、だから組を抜けさせてやってくれないかって」


「そうか……」


「攻一さんは息子さんを僕に下さいなんて言ってましたけど、事務所に乗り込む前から分かっていたんです。息子さんにはもう相手がいるって」


「……そこでもあいつは誰かの為に動いてたって事だな」


 きっと私達が知らない今までも、あいつはそうしてきたのだろう。


「今の私達も、多分同じなんです」


 ポツリと鏡花は呟くように言った。


 鏡花が何を言いたいのか、私には聞く前から分かっていた。


「攻一さんは同性愛者なのに何でずっと私達の側にいて相手をしてくれるのか……執事に男性の方が居るからとか、そう言われるかも知れませんがきっと違うんです」


「見捨てられないんだろうな私達を」


 鏡花の後に続けて私はそう言った。


 あいつは、好意を寄せる私達を放っておく事が出来なくて何かの区切りがあるまで側に居ようとしてくれているのだろう。


「でも私は、攻一さんにもう大丈夫ですよって言う事ができません……攻一さんの優しさに甘えてしまっています」


「私だって同じだ……」


 きっと攻一は何も言わなければずっと私達の相手をして、構って、付き合ってくれるのだろう。


 幸せだ――私達だけは。


「……体育祭の時に、最後に騎馬戦で攻一と勝負して、私は楽しかったかって聞いたんだ」


「……はい」


「そこで攻一が楽しかったと言ってくれた時、私はすごく嬉しかった。……あいつはいつも誰かを幸せにして自分の事を考えないような奴だから・・・だからせめて私達と居る時、楽しいと思って欲しかった」


「そうですね……そう思ってくれたなら私達は幸せです」


「ああ……だけど……」


 そう前置きをして、心を少し落ち着けてから私は言った。


「区切りを……終わりを決めておかないといけない。……鏡花も、今日はその話をしようと思って私を待っていてくれたのではないか?」


「………………はい」


 鏡花は静かに頷いた。


 本当は私から言うべき事だった。


 私は、攻一と出会った時から何も変わっていないな……。


「ここから先はリリーにも話を聞かないと進められないな……」


「そうですね」


 ふぅ、と一つ息を吐く。


 そこで浮かんだのは攻一と初めて会った時の別れ際の言葉だった。


(あー……まぁ俺が何か困ってたら助けてくれよ)


 私達に……私に攻一の助けになるような何かが出来るだろうか?


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