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鷺ノ宮鏡花Ⅱ 3

 誘拐の騒動から一週間が過ぎた。


 あの後すぐに家の者に保護され、その日は家で体と心を休めた。


 当然と言えば当然なのだが、かなり消耗していたようで翌日になってもまだ体は重いままだった。


「鏡花ちゃん大丈夫? 落ち着くまで学校は休んでていいからね? 3年くらい休む?」


「休みません」


 心配する父が何度も何度もそう聞いてくる。


 最初は気遣いが嬉しかったのだが、後々逆に心労になりそうだったので面会謝絶にした。


 でも今思えば、そういう日常があったからこそ私は心を沈める事も無く元の生活に戻っていけたのだと思う。


 父には言いませんが。


 警察への連絡等は家の方がしてくれていた。


 通報後すぐに現場に向かったけれど、既にもぬけの殻だったらしい。


 すぐに捜査体制と指名手配の準備が行われた、が――


 本格的に捜査が始まろうとしたその日に組長と実行犯の方々が警察署に出頭した。


 容疑を全面的に認めているらしいが、自首を決めた理由にもしかしてあの方が関わっているのではないだろうか。


 あの方……私はあの時、名前すら聞く事が出来なかった。


※ ※  ※


「お嬢様、お迎えに上がりました」


 放課後、いつものように迎えの車に乗り込む。


 誘拐事件から更に一月が経過した。


 今ではほとんど以前の日常に戻っている。


 ただ……。


「お嬢様、本日は刺繍の予定になっています。事前に安全は確認していますのでご安心ください」


「……はい」


 いつもの様にただぼんやりと何となく決めた事を消化する、興味も熱意も無い日々。


 ただ今は、もしかしたら違うかもしれない。


 何度も何度も思い出す、あの方の姿や声。


「…………………………あ、あの」


「はい、どうされました?」


 気付けば出ていた声に、私自身驚く。


「あの……えっと……私を助けてくれた男性の……」


 使用人の方が不思議そうに視線を送ってくる。


 私は何が言いたいの? 何がしたいの?


 心がざわざわとして形にならない。


 私にも解らないまま、ただ言葉は口をついて飛び出していた。


「あの方の……名前が、知りたいです」


 言葉になって、それが自分の偽りのない感情だと解った。


 そう私はあの方の名前が知りたい。声を聞きたい。


 私の事を、知ってほしい。


 私はあの方を好きになってしまったんだ。


「お任せください」


 使用人は嬉しそうに笑って言った。


「簡単な事です」


※ ※  ※


調査開始一日目


「お嬢様、あの方のお名前は佐藤攻一様である事が解りました」


「佐藤、攻一様……攻一、さん」



調査開始三日目


「通っている学校、住所、家族構成を調べ上げました」


「学校は近いですね」



調査開始五日目


「家の中に監視カメラ、盗聴器を付けました。こちら忍び込んだ際の戦利品である攻一様の私物でございます」


「あなた、何て事を……」


「申し訳ありません! やり過ぎてしまいましたか」


「本当に素晴らしいです。使用人の皆様にボーナスを出させていただきます」


「やったー!」



調査開始十日目


 時間は昼の三時。


 空は雲一つ無く、気持ちの良い風が吹く。


 私は今日、攻一さんの家を訪れていた。


 助けていただいた時以来の再会に心臓が早鐘を打つ。


 今まで生きてきた中で、ここまで緊張する事も、期待に胸を膨らませた事も無い。


「お嬢様、準備はよろしいですか?」


 ふぅと一つ、息を吐く。


「はい、行きましょう」


 重いような、軽いような、足取り。


 向かう先でどんな事が待っているのか今はまだ解らない。


 間違いなく言える事は攻一さんに会いたい、そう自分が願っている事。


 ただ、楽しい未来になるようなそんな気だけはしている。


 私は、そんな思いと共にインターホンを押した。


 ――ガチャ


「はい、どちら様?」


※ ※  ※


 そして再会してから数カ月。


 一つ屋根の下で住むというところまでこぎつk――知り合った皆と仲良く暮らしている。


 世間には事実婚という言葉があるらしい。


 なんて素晴らしい言葉だろう。


 つまり私と攻一さんは既に結婚しているという事ですね。


 今度からあなたと呼びましょうか、もしくは旦那様?


 フフと笑いながら私はスープの最後の一口をゆっくりと口に入れる。


 見計らったように使用人の一人が朝食の片付けを始めた。


「あら栞さん、シャンプー変えました?」


 片付けをしてくれている使用人の栞さんに声を掛ける。


「あ、お嬢様解りました? どうです?」


「すごく良いと思います。強すぎない爽やかな香りが栞さんにとても合っています」


「ありがとうございますー。お嬢様にそう言われると自信になります!」


 栞さんは言いながら腕時計で時間を確認する。


「ぼちぼち時間ですね」


「はい」


 ゆっくりと立ち上がり、部屋の出口へ向かう。


 その途中で一つ言い忘れていた事を思い出し足を止めた。


「朝食、明日から今までと違う物を食べてみます」


「えっ! 本当ですか! 何かご希望は?」


「そうですね……色々な朝食を食べてみたいですので……日替わりで内容はシェフの方に任せてもいいですか?」


 栞さんはにっこりと笑った。


「かしこまりました。明日から楽しみにお待ちください」


「ええ、ありがとうございます」


※ ※  ※


「お、鏡花おはよう」


「攻一さんおはようございます」


「あー眠い」


「ふふ、何時に寝たのですか?」


「日付は変わってたなー」


「それでは眠くて仕様がありませんね」


「鏡花は早くに寝そうだよな」


「そんな事ありませんよ」


「そうなのか?」


「ええ、毎日やる事が多くて」


「そ、そうか」


「本当に、毎日が楽しいです」


「別に……程々でもいいと思うぞ? な?」


「解りました。ちなみに昨日攻一さんが就寝された時間は午前1時13分ですね」


「そういうとこだって! こっわ!」


「ふふふ」


 この楽しさはあなたがくれたのです。


 少しずつ世界に色が付いていくように。


 あなたから始まり、見逃していた様々な事に興味と驚きが尽きない日々になりました。


 ……この日々がいつまで続くか解りませんが。


 私はきっとあなたの事を一生忘れません。


小ネタ

鏡花は最初の方から解っていたし、覚悟しています。

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