002 かつての首都
日本、という名のこの地で異変が起きたのは、もう十年以上も前。それまで使っていた文明の利器がほとんど使えなくなり、人々の生活は衰退した。
その原因が、この世界とは別の異世界が、その理だけ転移してきた影響だと看破したのが、あたしの先生。異世界が転移してきたっていうのは、最初は先生の推測だったけど、のちにレイさんの登場で、事実であることが確認された。
さらに先生は、魔法を使えるようになったことに気付き、日本中にそれを広め、魔法の概念をテキストとしてまとめ、それを今では世界中の人々が参考にしている。はず。日本の外のことは良く判んないけど。
そればかりか先生は、米軍の実験に付き合って海竜を倒したり、欧州で地竜と飛竜の群れに囲まれて孤立した人たちを助けたり、飛竜に感謝されたりと、色々な偉業を成し遂げてもいる。
先生のお母さんもすごい人で、異変が起きたことで世の理が変わって混乱する人々をまとめ上げ、コミュニティに新しい秩序を素早く創り出した。さらに周辺のコミュニティと協力して、新しい社会の体制まで作っている。今では周りのコミュニティもひとまとまりとなって、『本条王国』とか『本条魔法王国』とか呼ばれている。
“呼ばれている”っていうのは、本条王国の外の人たちがそう呼び出したからで、今では中の人もそう呼んでいるけど、先生のお母さんはそれを良くは思っていないみたい。みんなで協力して生まれた新しい生活圏に、自分の名前(姓)を使われるのがむず痒いみたいで。
でも、あたしはいいと思うなぁ。この、今の秩序は、先生と先生のお母さんで作ったと言っても過言じゃないんだから。
その後、『本条王国』と呼ばれ始めた頃かな、西日本から『冒険者』を名乗る人たちが訪れた。冒険者というよりは旅行者という感じで、異変後の日本を見て回りつつ、行く先々で仕事を請け負っている人。
それを真似て、本条王国でも冒険者という制度を作った。先生が主体となって冒険者組合を設置し、学校教育を終了していてある程度の実力を持った人に資格を与える、という形で。条件を満たしていない人も、見習い冒険者として登録できるようになっている。
とは言っても、異変が起きたのはあたしが産まれる前のことだから、こういうことは学校の歴史の授業で習った。
そうそう、今の学校教育があるのも、先生のお母さんのおかげ。異世界転移でそれまでの社会が崩壊し、日々の生活に追われる羽目になったけれど、人が豊かに暮らすためには最低限の教育が必要だとして、学校教育を早期に復活させたんだって。そのおかげで、あたしも昔の……異変前の本を読むことができるし、先生の書いた魔法のテキストも読める。
あたしの見習い冒険者の時代から一緒に冒険者として活動しているトワさんも、あたしと似たような感じで、異変の時にはまだ一歳だったので異変前の旧世代のことは覚えていないらしい。エイコさんは四歳だったから、旧世代のことも少しは覚えているんだって。突然食事が不味くなって、泣き喚いたとかなんとか。
異変発生当初は、食事以外にもいろいろ大変だったらしい。“テレビ”や“ラジオ”が使えなくなった、とか、“インターネット”を見られなくなった、とか、“ケータイ”が繋がらない、そもそも電源が入らない、とか、ほかにも色々。
昔の本にそういうものも書いてあるけど、使ったことがないからどんなものだか全然判らない。聞く限り、便利そうではあるんだけどね。
魔法は、今は誰でも使えるけど、異世界転移直後は誰も使えなかったとか。使えなかったと言うより、使い方が判らなかった、のかな。そもそも、魔力を自力で感じられる人が少なかったんだって。
先生が自力で魔力を感じ魔法を使えるようになって、それから他人に魔法を感知させる方法を見つけて、みんなが少しずつ魔法を使えるようになったのはその後のこと。やっぱり、先生は偉大だ。
最初、魔法の使用は九歳から、と言うことにしていたんだそうだけど、そのうち、そうも言っていられなくなった。異変後に産まれた子、異変時に物心のついていなかった子が、成長するにつれて、教えもしないのに魔法を使うようになったんだとか。
理由は判らないけど、物心つく前から周りの大人たちが魔法を使っているのを見て、自然に魔力を感知するようになるんじゃないか、と言うのが有力な説。
そうなると可哀想なのが、異変時点で三歳から五歳くらいだった子供たち。異変から二、三年経つと、もっと小さい子たちが魔法を使い始めるのに、自分たちは使えないんだから。
それもあって、先生は魔法知覚の制限を解除した。あたしが三歳の時かな。そんなことがあったのは知らないけど、歴史の授業ではその頃ってことになってる。
エイコさんが魔法を使えるようにしてもらったのは、その頃のこと。使えるようになったことを喜ぶとともに、小さい子たちに負けないよう頑張ったんだとか。
トワさんは、三歳くらいから当たり前のように使っていたんだって。ご両親は『この子は天才か!?』と喜んだそうだけど、同年代のほかの子たちも普通に魔法を使っていてがっかりしたとかなんとか。ご両親のことは、トワさんの作り話っぽい気もするけど。
あたしはと言うと、その頃は魔法をまったく使えなかった。それどころか、みんなが当たり前のように使っている魔道具、魔力灯とか魔力懐炉とか魔力電池とか、それも使えなかった。魔法を使えなくても、魔力を持っていれば魔道具を使うことはできるのに。
つまり、あたしには魔力がまったくない。
そう思っていた。
でも違った。
あたしが五歳になる前だったかな? お父さんとお母さんに聞いたんだよね。『あたしはどうして魔法を使えないの? どうして魔力がないの?』って。魔法を使えるだけで研究者でもなんでもない両親に聞いたところで、困らせるだけだよね、とは子供心にも思ったんだけど、聞かずにはいられなかった。だって、周りの同年代の子たち、みんな魔法を使っているんだもん。
あたしの問いに、お父さんとお母さんは、確かに困りはしたけど、悩むことはなく、あたしを先生に会わせてくれた。
そしてそれから、あたしは魔法を使えるようになった。
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「もうすぐ到着ですかね」
「はい、そこ、国会議事堂の横を通り過ぎて、皇居の南の通りをまっすぐです」
エイコさんと伊来さんの会話で、物思いから戻って来たあたしは、右側を見た。あれが、国会議事堂ね。あんな建物、今は造れないよね。ここまでに見たビルなんかはもっとだけど。本条王国内のマンション跡もそうだけど、さらに規模の大きなこういう建物を見ると、確かに旧世代は凄かったんだなぁ、と思う。暮らしやすそうとはあまり思えないけど。
かつては物凄い数の人で犇いていたという東京だけど、今は、皇居というかつての天皇の御座所──今も住んでいるそうだけど──とその周辺、赤坂離宮とか新宿御苑とか、そこら辺に集中して少数の人が住んでいるらしい。東京って元々土の地面が少なくて、“アスファルト”というものが消えて下の土も出てきたけれど、野菜の栽培には向かず、自給自足できる場所と人数が限られているとか。
聞いた時は「ふーん」って思ったくらいだけど、確かに畑に向いていそうな場所はほとんどない。これじゃ人も出て行くよね。
今は、その皇居とかの敷地を畑にして、その周辺の建物を手入れしたり建て替えたりして暮らしているらしいよ。伊来さんの話だと。
「そこを右に。代々木公園に入ってください」
「はい」
伊来さんの指示で、エイコさんがハンドルを切る。伊来さんが“代々木公園”と言った場所だろう。エイコさんはそこに自動車を止めた。前には広範囲に渡ってテントが張られているみたい。テントと言うより、天幕って感じかな?
「あの天幕は?」
エイコさんが聞いた。
「あれは、各地から集まったトレジャーハンター用の天幕です」
「ふうん、結構いるんだね」
トワさんが物珍しそうに見ている。
「皆さんは取り敢えず、向こうの建物へ。上司がお会いになります」
伊来さんは、謂わば使い走り(って言ったら悪いかな)で、本当の依頼主は別にいる。これからその人に会いに行くことになる。
〈ミキ、車の魔力を抜いておいて〉
エイコさんから念話が来た。
〈? 了解〉
理由は解らなかったけど、あたしは素直に従った。エイコさんが、あたしたちの冒険者パーティーのリーダーだからね。反対する理由がなければ指示に従うよ。
あたしは、自動車の魔力機関に染み込ませた魔力を魔素(魔力)に変えた。これで、魔力をもう一度染み込ませない限り、自動車は動かない。
そうだ。ついでに魔鉱石を埋めとこ。荷物の中の魔鉱石に魔力を染み込ませて、地面の下に瞬間移動で埋めておく。これで、本条王国と東京を、瞬間移動二回で移動できる。
それじゃ、依頼主とやらに会いに行きましょうか。
あたしたちは、それぞれ自分の荷物を持って自動車から降りた。野犬の死体の解体は、依頼主に会った後かな。それまで、冷やしたままにしておこう。
あたしたちは、伊来さんの案内で、代々木公園の隣の敷地に建っている建物に入った。伊来さんの話では、ここが現在の“首都防衛軍”の本部なのだとか。
歴史の授業で聞いたところによると、昔、“自衛隊”という日本の防衛組織があって、異世界転移の後、何年か経ってから解体され、それぞれの部隊が独自の活動を取るようになったんだって。本条王国の防衛隊も、異変直後から密接な協力関係にあった陸上自衛隊の部隊だったとか。
ところで、“東京”防衛軍でなく、“首都”防衛軍と名乗るのはなんでだろう? かつての日本の首都を守っている、という誇りとか、そんなものかな。
伊来さんは、建物に入って最初に出会った女性を呼び止め、二言三言言葉を交わしてから、あたしたち三人を奥へと案内した。
通されたのは、そこの広さの部屋。古い机が長方形に並べられ、木製の椅子がその周りにある。
「すぐに依頼主が来ますので、座っていてください」
伊来さんは立ったままだけれど、あたしたちは遠慮なく、荷物を下ろして椅子に座った。
しばらく待っていると、二人の男性が部屋に入って来た。あたしたちを見た途端、足を止めて息を呑む。けれどすぐに真顔になって、あたしたちと向き合う位置の椅子に座った。
「私が首都防衛軍を預かっている東城だ」
男性の一人が言った。
==登場人物==
■ミキ
十二歳。魔法使い。冒険者。この春に冒険者になったばかり。エイコ・トワと共にパーティーとして活動。冒険者になる前から、冒険者見習いとしてある程度の経験は積んでいる。
同年代の子供たちが自然と魔法を使えるようになる中、ミキは魔法ばかりか魔道具すら使うことができなかった。その理由は……?
「異世界転移~」にも登場している。
■エイコ
十七歳。魔銃使い。冒険者。冒険者としてある程度の経験がある。ミキ・トワと共にパーティーとして活動。三人組のリーダー格。
子供の頃は魔法を使えず(魔道具は使えた)、より小さい子が魔法を使えるのに自分は九歳まで待たなければならないことに、気落ちしていた。が、その後魔法の覚醒の方針が変わり、八歳の時に魔法を使えるようになった。
■トワ
十四歳。剣士。冒険者。冒険者としてある程度の経験がある。ミキ・エイコと共にパーティとして活動。
三人組の中では最も早く、三歳の時から魔法を使えた。今はもっぱら剣を使っているが。
■東城
東京の防衛を担う首都防衛軍の軍司令官。
■レイ
名前のみ登場。……だから誰だよ。
「異世界転移~」の続編(まだ書いてない)のキーパーソン(……パーソン?)。
「異世界転移~」に、名前(フルネーム)のみ登場している。