東尾疾風禄 ~託していいか。三番隊の御旗をお前に~ 5
料亭『ボタン』
惣さんは、一人で鍋の前に座っていた。
え、一人で鍋? とか言うな。一応あたし『達』もいる。一応は。
惣さんは難しい顔して、鍋を見つめていた。
そんな時。
「いらっしゃいませー」
店の暖簾が上がった。
看板娘であるシェリーを押しのけて、惣さんの前にまで立つ男。
ヒョウ。
腰には惣さんの愛刀、虎牙を下げていた。
引き抜き、切っ先を惣さんの鼻先に突き付けた。
「きゃああああああああああああああああああああああああ」
看板娘シェリーの悲鳴。
周囲のどよめき。
切っ先を突き付けられている惣さんだけが、動じずにそれを見つめている。
「立ち会え、俺と。刀を取る時間ぐらいくれてやる」
「一度ならず二度までも、か」
ヒョウは何も答えない。
「殺す相手のことは徹底して調べろと言ったはずだぞ、野良犬。お前は、決死組のことを知らなすぎる」
惣さんが床を叩く。
ヒョウが動こうとする、瞬間。
首。
腹。
足。
手。
背中。
五か所に刀を突き付けられる。
突き付けていたのは、先まで周囲に見えていなかったであろう、あたし達、決死組三番隊の面々だった。
周囲から姿を隠す、新月布を、扇ぐようにして、脱ぎ去った。
「音も影もない。痛みもなく前触れもない。生死の境を感じさせぬまま、相手を死界に落とす。
これが俺たち決死組のやり方だ、野良犬」
ヒョウが口元だけで、嗤った。
負け惜しみのようにも見えるが、わかっていた、というようにも見える。
こいつはとかく、底を見せない男なのだった。
それは今、この状況においても変わらない。
「やれよ」
「なに?」
惣さんの眦が持ち上がる。
「先に言っておいてやる。俺は速いぜ。俺についてこれる奴は、この世のどこにもいやしねぇんだ。死にたい奴から先に動け。
音もなく痛みもなく、死界に送ってやっからよー」
こいつ……。
あたし達六人を相手に、勝てると思ってやがるのか。
「惣さん!! こんなやつ、惣さんが出るまでもありません!! ここはあたしが!!」
名乗りを上げた。
耳はまだ治っていない。
しかしそれでもまだ動ける。
汚名返上のチャンスだ。
今度こそ、憧れの惣さんの目の前で、お前のことを殺してやんよ――
「な!!」
その時、飛んでくるお盆。
あたしは突き付けていた刀を引いて、盆に向かって飛びついていた。
旋回しながら足をつけ、投げつけてきた先を見つめる。
「ちょっとちょっとシュラ~、まずいよ~」
お盆を投げつけてきた女の子にしがみつきながら、シェリーが言った。
「あっらー。当たると思ったのに、有火さんに邪魔されちゃった」
山の頂上から見るように、目上で覆いを作って、シェリーの妹、シュラが言う。
料亭ボタンの、もう一人の看板娘だけあって、この子もシェリーに負けず劣らずの美人である。
いや、そんなことはどうでもよくて。
「ちょっとシュラ!!」
「有火さんダメじゃないですかー? 邪魔しちゃー。後ちょっとで一発食らわせられたのに」
子供のころから無茶する子だったけど、頭おかしいんじゃないか? この子は。
ヒョウの手には刃物が握られていて、そのひと振りで、あんた死んじゃうんだよ?
わかってんの?!
「あんたねぇ!! これは冗談じゃ――!!」
言いたいことは山ほどあったけれど、そのうちの一つも言えなかった。
シュラがスタスタと、歩み寄ってきたからだ。
あたしの横を突っ切ろうとしたので、あたしはシュラのエプロンをつかんで止めた。
「あんたいい加減にしなさいよ」
と、あたしはエプロンに向かって言っていた。
あたしがつかんだ瞬間、シュラがエプロンを解いたのだ。
ほんと無駄に器量があるんだから、こいつは。
「下がれドブス。ぶっ殺すぞ」
ヒョウが目を向けずに言った。
剣を突き付けている四人が動かないのは、惣さんに突き付ける以上のこと、つまり、ヒョウを傷つけるなと、命じられているからである。
軍人にとって、上官の命令は絶対。
例えそれが原因で、民間人が命を落とすことになったとしても。
シュラが、ヒョウに顔を近づける。
ヒョウがいよいよ、目を向け――
下がった。
腰に拳を当てたシュラが、接吻でもせんばかりの勢いで、顔を近づけ、ヒョウがまた下がる。
下がる。下がる。下がる。
ヒョウがいよいよ、建物の外にまで追い出された。
片手には惣さんの愛刀、虎牙が光っている。
それでもシュラは、一切物怖じをしていない。
本当、十五歳って怖い。
「どこがブスよ」
声に険を含んで、シュラが言う。
ヒョウは何も返さなかった。
唇を噛んで困っている。
「あんたが惣さんたちに何をされたのか知らないけどね、やるんなら別の場所でやんなさいよ!! ここは食事を楽しむ場所!! ちょっと考えたらわかるでしょ!? いい大人なんだから!!」
怖い怖い怖い。
あの刃物がいつどう動くか、不安で仕方がない。
ヒョウがその気になったら、あんた一瞬で死界送りよ。
「チッ」
ヒョウの舌打ち。
納刀音が後に続く。
ヒョウが背を向ける。
「わかったよ」
間。
「悪かった。――邪魔して」
一拍置いたのは、言い難かったからだろうか。
ヒョウとて男。
可愛い女の子には弱いということか。
バカにしたわけでも、卑屈で言ったわけでもない。
シュラは可愛いって、女のあたしだって、思ってるぐらいなんだからさ。
ヒョウが動かない。
振り返る。
どうやらヒョウが動かなかったのは、シュラが、ヒョウの手をつかんで止めていたからのようだ。
シュラは、顔を見せないように、俯いていた。
「店での乱暴を放置するようじゃ、拾ってくれたご主人様への御恩にもとる」
「だから悪かったって」
「顔をけなされて黙っているようじゃ、産んでくれたお母さんとお父さんの名を汚す」
「しつけぇぞ、てめぇ。俺に何をさせてぇ」
「店に入った客を逃がして帰すようじゃ、看板娘の名が廃る」
「なに言っ……」
シュラが顔を上げた。
そして言う。
「だから――飯食ってかね?」
あたしは、シュラの背を見ていたから、その時シュラがどんな顔をしていたのかは、わからない。
ただ、その顔を向けられたヒョウを見れば、察しはつく。
あたしは――
あたし達、軍人は――
「誰が――」
「おい野良犬」
ヒョウの言葉を止めたのは、惣さんだった。
座敷部屋から顔を出す。
「人間は、飯食わないと生きていけん。魔眼所持者と神仙は例外だが、お前はそうではないだろう。俺も一応治安を司る決死組の組長だからな。放置しとくわけにもいかん。
今日のところはおごってやる。とっとと戻ってこい」
こんな、他愛ない日常の一幕を守るために、戦っている。
なんて、刃物を向けられた人間が聞けば、青筋浮かせて怒鳴るだろう。
ふざけるなと。
人の幸福を奪おうとしておいて、悪党にすらならぬつもりかと。
道理である。
……だから。
「えええええええええええええええええええええええ!!!」
店内一同の気持ちが、大音声となって重なった。
「あ、ああああああの惣さんが、ご飯をおごる!?」
「ありえねぇ!! 春節も二月いかずして終わりか!?」
「雨、いや雹だ!! 雹が降ってくるぞー!!」
悪党と、思ってくれていい。
言葉も通じぬ狼だと、思ってくれていい。
開き直っているわけではない。
報いが必ず来ることぐらい、わかっているんだ。
間違いなく、ロクな死に方はしないだろう。
しかしあたしは、それでいいと、思っていたんだ。
「気安く俺様の名前を呼ぶんじゃねぇ!!」
ヒョウが吠える。
惣さんが、眉をピクリと持ち上げていた。
ヒョウは『しまった』という顔で、頭をかいて、目を背けた。
「チッ。……酒だ」
あたしが死んでも、仲間が生き残るならそれでいい。
全滅したとしても、みんなと肩を並べて死ねるなら、それでいい。
東尾の狼がいかほどのものなのか。
東尾の狼を敵に回すとはどういうことなのか。
知らしめ、相手の心胆寒からしめる戦いをして、土に還る。
それが東尾の狼の、生き様であり死に様。
「一杯飲んだら帰るからな」
あたしの望みは、非常に小さななものだと思っていた。
自分の命はもちろん、仲間の命さえも覚悟していたんだ。
これ以上ないぐらい、小さな望みだって。
「……どっかに」
ずっとそう思って生きてきた。
こんな結末があったなんて、あたしは考えもしていなかった。
あの白頭と、相対するまでは。




