草の音の先 前編
執務室の席に座りながら、クジャは巻物を広げていた。巻物の先は、地面に落ちている。書かれているのは、金の流れだった。
出ていった金と、入ってきた金。その使途は何か。実入りは何か。そういったものが、克明に書かれているのだ。
ある場所の一年分の使途を追うだけでも、情報量は膨大だった。しかしクジャがそういったものを見落としたことは、『生前』一度もなかったという。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
クジャは、目を上げていた。
目の前で、黒いうさぎが縦に長い耳を、そば立てていた。
フェルナンテは大体が可愛いが、このうさぎに関して言えば、別だった。フェルナンテは種族ではない。
獣憑きとも呼ばれる言わば病気で、人間と人間の交合の結果産まれてくる。無論フェルナンテとフェルナンテの交合の結果から産まれる可能性も十分ある。
黒いウサギ、タオ=死雀は、獣憑きの症状が重度にまで及んでいて、全身が獣そのもののように毛むくじゃらだった。可愛くない原因は他にもあり、何よりも顔。
人間の醜いものを凝縮したような顔は、いっそのこと清々しい。
「単刀直入に言わせてもらいます、クジャ国王陛下」
声もまた醜悪だった。どれだけ酒と煙草を流し込めばこんな声になるのかと思うものだが、酒も煙草も、実はこのウサギはしないのだった。
善良な市民が近づかないよう、天があえてつけた刻印としか思えない、そんなダミ声。
だが、そういった欠点、全てを凌駕するほど、このウサギは――
「あなた、いつ死にますか?」
キレる。格段に。
生まれ落ちて五十五年。
唯一自分を殺しかけた相手。
それがこのタオだった。
仲間に引き込んだ後も、そのキレは衰えを知らない。
ウサギが、毛むくじゃらの黒い指で、クジャを指した。
「白亜や白頭は誤魔化せても、この私は誤魔化せませんぞ。あの時、ハルモニカ様はあなたの呪を打ち破った。交鳥最強と謳われる、あなたの呪をです、クジャ国王陛下。
ハルモニカ様が、あなたの力を上回るはずがない。しかしあなたは呪を解いていないという。だとすれば、考えられる可能性は一つしかない。
あの一瞬に限り、あなたの力が、目に余るほど衰えたのだ。死聴に相当、頭の血管を引き千切られたはずです。
脳の修繕に力を割くあまり、ハルモニカ様にかけた呪が良くも悪くも解けてしまった。違いますか?」
フッ。
クジャは鼻で笑った。
キィ。
椅子にもたれかかって、タオを見据える。
「さすがに、これだけ時間をかければ気がつくか? タオ」
「最初から気づいておりましたよ。あの場で、あなたの死期について話したくなかっただけです」
「ふふふ。口では何とでも言えるものぞ」
「クジャ国王陛下。今一度話を戻しますが、あなた、自分の死期をいつと読んでおりますか?」
相も変わらず痛いところをつくものだ、このウサギは。
魔王化物と呼ばれているが、自分だって人間だ。
いつ死ぬか。
ということに関しては、あまり考えたくはなかった。
したいこと、見たいもの、まだまだたくさんあるのだ。
それでもいずれ人は死ぬ。
師が死に、部下も死に、母を殺し、敵を殺し、王を殺した。
どうあがいたところで、いずれは自分の番が回ってくる。
生きて、多くのものを屠ってきたのだ。当然のことだ。
「まず……二年」
「甘い見積もりですな。恐らく一年。いや、早ければ、半年から三ヶ月ということも考えられる」
恐らくそうだろう。
目蓋を下ろし、ため息をつく。
「そんな顔をなさるぐらいなら、どうして白頭を、いや、ハルモニカ様を助けたのです。どう考えても東尾に引き渡しておいた方がよかった。これはハルモニカ様のためでも、あなたのためでもあった。このままサザーランドにとどまれば、ハルモニカ様の身に待っているのは確実に死です。
あなたの息子、副王ジャファル様は甘い男ではありません。何より彼の元側近であるハンスが危ない」
名前を出されて思い浮かぶ、黒人の男。
常にへつらった笑いを浮かべているが、自分の肌の色に途轍もないコンプレックスを抱いていることは、魔術の王たる魔王クジャには、ハッキリとわかっていた。
そしてそのコンプレックスが、ハンスに悪魔じみた才覚を与えた、ということも。
「あいつの頭の切れは、飛ばした先の、エルメルリアの隆盛をみれば明らかです。
あいつはどこで何をやらしても必ず成功する。ただし極悪だ。頭を下げ、床を見ながらほくそ笑む。そんなことは、老若男女、誰でも思いつくことで、別段気に掛けるような悪ではない。少なくとも、底は知れている。恐くはない。
しかしあいつは、図ろうとする相手を、頭を下げたまま、頚椎をねじ切り、見上げてこっちを伺うようなところがある。
まるで妖顧の相だ。
奇抜でありながら正攻法でもあり、用意周到であり大胆不敵でもある。何より恐いのは、美学がない、ということです。間違いなく何の感慨もなく、ハルモニカ様の命にも手を出してくるはずだ。
神承呪文の継承者人数は、限られていますからな」
顎をこする。
ハンスは確かに危険な男だった。
しかし才がある。
だから殺さないというより、才があるからこそ、自分には向かってこないだろう、ということはわかっていた。
タオが言った通り、あの男は大胆ではあるが、用意周到でもある。
だから、自分の死を、待てる男だった。
あいつが動くとしたら自分の死後で、それを討つにせよ従えるにせよ、実行するのはジャファルだ。
ジャファルのために、あいつを殺しておこうとは、思わなかった。ハンスをエルメルリアの村長――現在は市長――という役柄に飛ばしたのも、ジャファルが一人でどこまでやれるかを見たいがためだったのだが、ハンスはクジャですら想像もつかない手腕で、エルメルリアを一大観光都市にまで引き上げていた。
褒賞を与えこそすれ、罰する理由など、どこにもないのだった。
ハンスというよじれた才能を使いこなせるかどうかは、ジャファルの器量次第。逆に喰われるようなら、その時はただ、王の器ではなかった。
それだけの話なのだった。
問題は、タオも言ったように、ハルモニカのことだ。
本来、どうでもいいはずでもあった。
ジャファルと同じ扱いを、ハルモニカにも、ほかの息子、娘同様に、するのであれば。
しかし。
ビュウに語った内容のうち、半分は、嘘ではなかった。愛していた。ハルモニカをというより、ハルモニカの父を。ハルモニカが産まれてから気がついた。あいつと同じピンクの髪。
ガキの頃のあいつはこんな感じだったのだろうと思った時、あいつのことが、何やかんやで好きだったんだなと察することができた。
そして――
この娘を、大事にしようと、思ってしまった。
これは、魔眼所持者が決して思ってはならない感情だったのだと、四十しじゅうで知った。その日から、死聴が聞こえない日は、ほぼほぼない。
「また、ハルモニカ様のことを、考えていますな?」
「ふっ」
「あなたの寿命を縮めているのは確実に死聴です。そして、死聴の原因はハルモニカ様以外にない。あれほど魔術師と反りが合わない存在も珍しい。不合理の塊のような娘です。ハルモニカ様さえ消してしまえば、あなたは十年は生きられますよ」
「運命かのう? タオ」
「変えられるものを運命とは言いません」
「変えられたではなく?」
「まだ終わってはいない。あなたは生きている。そうでしょうが」
「ふっ。ハルを生かす方法は二つしかない。あたしの目の届かないところに置くか、ハルに意味をもたせるか。滅ぼせないに足る合理的な理由。ハルが必要だと、合理的にあたしが考えなければならない」
「なるほど」
顎をさすりながら、タオが言う。
「消すという発想がないのがあなたらしい。そして残念でもある」
「ふふふ。今回の計画は完璧だった。ハルの人生にも意味を持ち、東尾は助かり、あたしも助かり、何よりハルが死ぬことがなくなる。
だが、白頭を見た時に思った。これほどの才はないとな」
「あなたも気づいていると思いますが、あれは正攻法で得た力ではないでしょう。あなたの二択に対し、あの男は悩み結果ハルモニカ様をとった。
恐らく、後ろめたいことがあるから、白亜を、本当に愛しているものを選べなかったのですよ」
「しかしその力の正体と、得た方法はわかるまい」
「まあ……候補ぐらいは上げられますが、絶対とは言えませんね。あの男の整纏は異常ですから。手のかけるところのない、大理石の前で立っている。そう思わせるような整纏でした。恐らくリズも同じ印象を抱いたでしょう。
間違いなく、あいつの思考言語はこの世界のものではない」
「ちなみに、あたしも同じ印象を抱いた。まあその分、顔にはよく出る男で、中々に笑わせてくれたが」
「独自の言語を仕込まれた、どこかの逃亡兵。そんなところでしょうか? 可能性としてはまず北翼」
「北翼のバカ共に、あれだけの兵を育てられるとは思えん」
「そこなんですよ。しかし北翼以外考えられない。ほかは言っても文明国ですからな。今どきあのような兵を作るかと言われると」
「逆に文明国でないとあれだけの兵は作れまい。独自の言語、と言っても簡単ではないしな。それができるとしたらまず西胸。
大穴で、異世界から来た兵隊、という可能性も考えられる」
「正直可能性は多分にありますな。いや、後者のことですが。私も擬獣を生成して視ておくべきでしたな。腕力でも魔力でもなく、技術と経験だけで決死組の一刀をへし折ったと言いますが、伝聞だけではどうにも」
クジャが笑った。
荒唐無稽だと押し切らないところが、タオらしい。
「まあ何にしても、あいつを色々な意味で解剖することは、世の発展に繋がる。何より才を見ていると心が躍る。
そしてハルならあの才を繋ぎ止められると読んだ。これならハルに意味を持たせられる。また、あの男なら、ハルを任せられると思った」
「なるほど」
「ハイアスの森で一目見て、終局まで読み切った。そう思っていた。実際途上までは、見てきたものをなぞるかのように、予想通りだった。しかし――やはり付き合いの短さかのう、タオ。白頭も、白亜のも、あの場にいるほとんどの感情を、あたしは読み切っていた。しかし、ハルの、娘の、不合理な考えだけ、読むことが叶わなかったのだ」
今一度嗤った。
微笑みに、何を込めたのか、自分でもわからなかった。
「まあ過ぎたことを話しても仕方がないよな。老い先短いとはいえ、未来を見据えねばな。話が終わりなら、もう出ていっても構わんぞ。お前にはお前の仕事があろう。税が滞っているところを調べよ」
「税に不正があると、その度にあなたは虐殺を繰り返してきた。見せしめと、死聴をなだめる、という二つの理由のために。
だからこそ、今この国に不正と呼ばれるところはほぼほぼないのが現状でしょう。
皆が皆、薄々気が付いている。そして心待ちにしています。あなたという、独裁者の死を」
「ふっ」
「みな、民主主義にしたがっているのですよ。票取りゲームは金を持っている人間が最終的には勝ちますからな。
何より愚民が喜んで奴隷になってくれる。民主主義とは、よい言葉を考えたものです。北頭のこういったセンスには頭が下がります」
「……まあ、大勢がそれを選ぶなら、それもよかろう」
「死なれるあなたはそれでよくても、置いていかれる方はね。愚民の後悔は孫がするからよいのですが、私のような知恵走る人間は、真っ先に消されるというのが、こういう時のセオリーなのですよ」
「お前ならばやっていけるさ。お前ほどの切れ者なら、爪を隠すことなど容易であろう」
自嘲するように嗤った。
王として実に身勝手な話になるが、自分のいない世界のことなど、考えても、ただ虚しいだけなのだった。
読んでいた巻物を左手に押し出す。
転がった巻物は、床に落ち、伸ばした紙全てを巻き取って、止まった。
「後、これは半ば意味のない問いで、魔術師としてあまり口に出したくないのですが……」
クジャが目を向けた。
「なんだ?」
「カーヤについてです」
「カーヤ?」
実質唯一の『直弟子』になってしまった女の名を呼んだ。
タオが口を開く。
「ハンスもそうなのですが、あれはまあ、あなたが生きている限りは有能です。あなたの敵であるからこそ、ハルモニカ様を守る盾になる。
問題なのはカーヤです。可哀想な話ですが、あれはそろそろ、消しておいた方がいいかもしれない」




