魔術適性診断
「もうすぐリリー様の番ですね。……リリー様?」
「ハイ……緊張しております」
イライザの頃にはない記憶だから仕方がない。
リリーの記憶では、魔術適性診断はナッシェルが発祥の政策だ。イライザとして生きていた頃、アルタミルでは実施されていなかった。恐らくここ数年、それこそユリアンがマクスウェルとして認められる少し前くらいからだろう。
会場は首都の中でも大きなホールを貸し切って行われる。沢山の椅子が並び、私と同年代の子供が爛々と目を輝かせながら自分の番が来るのを待ち侘びていた。
視線は壇上に固定されたまま。そこには巨大な水晶と、魔術適性診断の責任者――確か魔術開発局局長である男性の姿。魔術開発局はマクスウェルの選定にも関わっているはずなので、ユリアンとは面識があるのかもしれない。
次々に呼ばれていく同年代。診断結果はその場で発表されるようなのだが、これだけの衆目の前で妙な結果を出してみろ。第二皇女の威厳が損なわれてしまう。
いや、妖精姫なんてあだ名をつけられている時点で威厳もなにもあったものではないのだが。
「では次――リリー・メル・ナッシェル様」
「ハ、ハイッ!」
声が裏返ってしまった。くすくすと笑い声が聞こえてくるが、そのほとんどは保護者と思しき方々。ああ、第二皇女って国民にとってはこんな感じの扱いなんだ……。
「リリー様、がんばれー!」
名前も知らない男の子がエールを贈ってくれる。ありがとう、少年。でもこれ、なにを頑張ればいいんだろうね。
ユリアンの顔を見れば、静かに頷くだけ。行ってらっしゃい、と言っている気がした。
そう、壇上までは一人。関節が錆びついているのではないかと錯覚するようなぎこちなさで歩く。先程の少年に続いてか、四方八方から応援が飛んでくる。
ありがとう、優しい国民を持てて第二皇女は幸せです。でも一刻も早く帰りたい。この緊張から解放されたい。
壇上に上がると、局長が水晶を指し示す。触れろ、ということだ。いままでのを見ていたから、診断方法はわかる。
さて、ここからだ。私が触れたらどんな評価が下されるのだろう。勇者の力で評価されるのか、それともリリーとして評価されるのか。触れるのが怖い。
願わくば、リリーとして評価されてほしい。イライザの力は、自分で言うのもなんだがかなり鍛えた。プラチナスペルだって多少は使えていた。
その記憶が優先されたらどうなる? 六歳児にも関わらず人生を世界に捧げることにだってなり兼ねない。かつてのイライザのように。今世くらい慎ましやかな人生を送らせてくれ。
深いため息。覚悟を決め、水晶に触れる。
「……? あれ?」
水晶が反応しない。いままでの子たちは水晶が属性別の色に輝いていたのだが、私が触れても色は変わらない。私の身体や力を解析していると仮定したとしても、なんの挙動も示さない。
これには局長も困惑しているようで、水晶の不具合を疑っていた。だが、違う。そんな単純な話ではない。
私が危惧していた問題。リリーとしてか、イライザとしてか。その答えは目の前の水晶にある。
この水晶が見ているのはリリー・メル・ナッシェルでも、イライザ・ソーンでもない。ならば私は誰なのか? それが水晶にもわかっていないのだ。
この水晶が動かない理由、なにも映らない理由。それは――リリーでありイライザである何者かを見ているからだ。
なにか特別な事情がない限り、一つの肉体には一人しか存在しえない。水晶だってその前提で診断を行っているはずだ。
だが私はどうだ? リリーとしての記憶もあり、イライザとしての記憶も持っている。二人分の人生を一つの肉体に宿しているのだ。そりゃあ水晶だって混乱するだろう。
会場がざわつく。彼らに出来るのは推測だけだし、それだってほぼ二択。水晶の不具合か、リリーは魔術の適性がないか。
後者の色が強くなるとかなりまずい。魔術の総本山であるナッシェルの第二皇女が魔術を使えないなんて、石を投げられても仕方がない。
この状況を打開する策、なにかないか、なにか……。
「水晶の不具合ですね」
私の背後から聞こえてきた声はユリアンのもの。振り返れば、穏やかな――いや違う。あの顔には見覚えがある。十四歳の頃となにも変わっていない。あれはそう――悪知恵を働かせているときの顔だ。
「レイクス=マクスウェル、どういうことだね」
「リリー様は既に魔術を行使した経験があります。私が見た限り、風属性の適性がある様子でした。水晶が機能しなくなった以上、この後の診断にも支障を来たします。そこで提案なのですが、診断の続きは明日に持ち越し、リリー様の魔術適性については私が診断、報告するということで如何でしょうか?」
随分口が巧くなったなぁ、と感じてしまう。
私が見た限り? さっき馬車の中で「これは噂で聞いたのですが」みたいな言い方してたでしょうが。堂々とした有無を言わせない喋り方には感服する。
局長は黙る。ユリアンの口車に乗せられている。たった二十歳に踊らされる……とは思えないが、それだけマクスウェルという称号が偉大で、無視出来ないものなのだろう。
二人の行く末を見守っていると、局長が深いため息を吐いた。止む無し、とでも言うように。
「魔術適性診断は我が国でも重要な政策の一つ。不具合が生じてしまった以上、続けるのは問題か」
「ええ。誤った情報を国に報告するわけにはいきませんので」
「しかし、リリー様の件は? 貴君が報告すると言ったが、なぜ水晶での診断で行わない? それこそ問題では?」
「私は皇后様より直々に、リリー様の家庭教師を任されております。国からの依頼をおざなりにこなすわけには参りませんし、虚偽の報告など出来る立場とお思いですか? それに、マクスウェルの名に泥を塗るような真似は決して致しません」
実際、ユリアンの立場はかなり危ういものだ。下手なミスが彼の解雇、及び地位の剥奪に繋がり兼ねない。
なにせ国からのご指名だ、マクスウェルの名を信じてこその頼み。それを無下にするような無礼者ではない。
局長は再び沈黙。彼もまた国の政策で指揮を執る立場だ、軽率な判断は出来ないはず。それに加えてマクスウェルからの進言。なにを優先するべきか、彼の中でも凄まじい葛藤が生まれているだろう。
「……わかった。魔術適性診断は後日に回す」
「あなたは聡明な方だと信じていました。では、早急に点検を行いましょう」
「ああ。皆様、この度は申し訳ございません! 水晶に不具合が発生したため、正確な診断が困難と判断いたしました! この後のお子様はまた後日診断を執り行います! 詳細は追って報せます!」
会場に赴いた保護者の方からは批難もあったが、局長の言い分は尤もなのだ。国へ提出する情報である以上、不正確なものであってはならない。点検の後、正確な情報を出す方が大切だ。
冷静になれば保護者だってわかるはずだ。愛する我が子の情報が間違っていたときの方が怒り狂って然るべきなのだから。
来場者が帰った後、残ったのは壇上の私たちと係員だけ。ユリアンは「そうだ」と声を上げる。そこに微かなわざとらしさを感じたのは、私だからこそだと思う。
「念のため、もう一度触れていただきましょうか。よろしいですか、リリー様?」
「え? は、はい……」
言われるがまま水晶に触れる。やはりなんの反応もない。ユリアンは小さく意味深な息を吐く。
「なにがいけないのでしょうか、水晶の不具合ならばそれでいいのですが……」
そんな台詞を吐きながら、私の手を隠すように自身の手を重ねるユリアン。すると――彼の手からなにかが流れてくるのを感じた。
驚いて振り向くと、ユリアンは首を傾げて微笑む。絶対水晶に工作した。そういう顔をしている。
それにしても、マクスウェルがこんなことをしてバレたりしないのだろうか。泥を塗るような真似はしない、などと言っておきながら水晶になにか仕込むのはさすがにただでは済まされなさそうだが……。
当の本人は訳知り顔で「うんうん」などと頷いている。この子、六年で随分小賢しくなったな。
「やはり水晶の不具合と見ていいでしょうね。点検作業は皆様にお任せしてよろしいでしょうか?」
「わかった。ではレイクス=マクスウェルはリリー様を宮殿へ」
「かしこまりました。さあ行きましょうか、リリー様」
「……はい」
差し伸べられた手と、優しい笑顔。
かつてのユリアンのものでないのはわかる。ただ、それは表面的な部分だけじゃない。私が記憶を取り戻すまでの六年間で、彼の中のなにかが変わっている。
それがいい変化なのか、良くない変化なのか。私にはまだ見えなかった。