救えなかった命と救われる命
「はい、リリーは今日も世界一可愛いわね」
「勿体ないお言葉です……」
満足そうなドラセナとは反対に、既に疲れ切っている私。普通に着替えさせてくれればいいものの、一枚着せるたびに「可愛い」だの「愛らしい」だの「天使」だのなんだの……。愛を囁くことに余念がない様子。
悪い気はしないが、反応に困ってくるのもまた事実。寄宿舎で暮らすようになれば多少は落ち着くのだろうか。
……いや、会えない分会ったときの反動が凄まじいことになりそうな気がする。どう足掻いてもこの子からは逃げられないのだと予感させる。
ドラセナによって着せられたのは青を基調とした丈の長いドレス。裾を踏んづけてしまわないように注意を払う必要はあるが、これでも中身は十七歳。この格好で走り回ることもないだろうし、すっ転んだりもしないはずだ。
「でも、魔術適性診断でこんなに畏まった衣装を着ていくんですね」
「あなたは第二皇女だもの、公の場では皇族らしい格好で行かなければ民に示しがつかないわ」
「……妖精姫の名を返上出来るよう努めます……」
「可愛い響きだけれど由来が由来だものね、応援するわ」
お転婆で人を困らせる妖精姫。ある種、家系に泥を塗るような名は可及的速やかに返上する必要がある。
十七歳の――というより、勇者としての二年で身に着けた余所行きの顔で皇女らしく振る舞ってみせよう。皇女らしさがどういうものか、教科書はドラセナしかいないけど。
「さあ、レイクス先生の元へお行きなさい。あまりお待たせしては悪いから」
「……? 姉上は一緒にいらっしゃらいのですか?」
「あら、一緒にいたいの?」
嵌められたか、それとも墓穴を掘っただけか。なんて答えるのが正解だこれ。言い訳、言い訳を……。
「……一緒にいたいですけれど、私も姉上離れを覚悟するべきかと思います」
「ふふ、いい子ね。あなたよりもずっとずっと寂しいけれど、これも大人になるということ。行ってらっしゃい」
本当に七歳児なんだろうか。やっぱり人生三回目くらいの貫禄と落ち着きがある。絶対イライザより年上だよこの子の中身。
行って参ります、と元気良く告げて部屋を出る。ユリアンは中庭で待っていると言っていた。私とドラセナの部屋は三階の一角にあるので、階段を降りる必要がある。裾を踏まないように慎重に、一歩ずつ。
あまりにも拙い動きだったか、傍にいた侍女が慌てて駆け寄ってきた。
「リリー様、お手をどうぞ」
「あ、ありがとう……」
侍女に手を握られ、一段、一段と降りていく。そうして一階のエントランスホールまでやって来れた。侍女の手を離し、お礼を言う。
「手を貸してくれてありがとう。」
「いえ、これくらいは。しかし……」
まじまじと私を見詰める侍女。大変申し訳がないことに名前を覚えていない。誰さんなのだろうか。
などと考えていると、侍女はぽつりと呟いた。
「昨日足を滑らせてから人が変わったような……」
「そ、それでは行って参ります! 良い一日を!」
足早に、転ばないように気を付けながら中庭へ向かう。そりゃあいままでのお転婆皇女だったら階段なんか一段飛ばしで駆け降りてたでしょうしね、疑うのもわかる。
中庭へ出ると、色とりどりの花が咲き誇る花壇が目に入る。旅路の中では見たことがないような花ばかりだ。その傍には小さな噴水、ベンチもある。
ユリアンはそこに腰掛けていた。昨日見せた、どこか物憂げな表情で杖の先端を撫でている。
「レイクス先生!」
私の声にハッとして振り向くユリアン。意味深な翳りは映っておらず、優しい笑顔を向けてきた。
うーん……あのユリアンがこんな表情を見せるようになるとは思わなんだ。普通の女の子ならここで初恋を奪われるような顔なんだろう、きっと。
勇者の記憶と経験が強く残り過ぎていて、一般人の感性にまだ戻れていないのを感じる。イライザとして生きていたとしても、普通の女の子として生きるの難しかった可能性があるなぁ。
「お待ちしておりました、リリー様」
「いえ、お待たせしてしまい申し訳ございませんでした。それでは参りましょうか」
「ええ、馬車は既に手配しております。お母様もお待ちですよ」
「ハイ……」
正直、母上は少し苦手だ。庶民育ちの私からしてみれば、少々手厳しく感じてしまう。短い付き合いながらもロイドとハンナは保護者のような存在で、あまりガミガミ言ってくることもなかった。
その分、怒ると反論の余地など生まれないような詰め方をされるのだが。母上はそのときの二人に近いものがあった。正論で殴られるとただただ自責の念に駆られるだけ。我が子を思うがこそ、なんだろうけどね。
宮殿の門には天蓋付きの馬車が停められており、母上が腕を組んで険しい顔をしていた。もうそれだけでため息が出てしまう。ユリアンが微笑ましそうに笑っていた。笑い事じゃないんだよ。
「レイクス先生、本日はよろしくお願いいたします。リリー、先生を困らせてはいけませんよ、いいですね」
「ハイ……」
「ええ、お任せください。それではリリー様、お手をどうぞ」
深く腰を折ったユリアンは、私に手を差し伸べる。
いや、そりゃあ確かに私の身長じゃ車両には届かないですけどね。そのお姫様をエスコートするような仕草はなんなんだ、私の知ってるユリアンを返して。
当時のユリアンは十四歳。現在は二十歳。つまり、私が死んでから六年間の間に彼はここまで立派な人間になったということか。いつまでも素直になれない少年のままじゃないんだね。
渋々彼の手を取り、馬車に乗る。扉が閉まり、ゆっくりと走り出した。揺れは小さく、乗り心地は快適。上質な馬車は勇者時代にも乗りたかった。
「ところでリリー様、使用人の方々のお話で少し気になることがございまして」
「気になること? とは?」
「昨日、ご挨拶させていただく前に木から落ちたと……」
「アッ、ええ、そうですね……少々やんちゃが過ぎまして……お恥ずかしい」
あれはリリー・メル・ナッシェルの頃の話だ、私自身の意志で木に登ったわけではない。とはいえ、それがわかるのも私だけ。言い訳する必要はない。
「いえ、気になったのはそこではなく。そのとき魔術を行使したとのではと噂になっていたので」
「アッ!」
そうだ、やらかした。
咄嗟に“エアヴェール”を行使して落下の衝撃を抑えたが、考えてみれば魔術適性診断を受ける前なのだ。ブロンズスペルとはいえ、基礎も知らないはずの私が魔術を行使すれば疑問に思うのも納得である。
なんて言い訳をすればいい? ユリアンに嘘が通じるのだろうか。疑いの眼差しがこんなにも痛いものだなんて知らなかった。
「エーッ、ト……」
「ああいえ、言えないならばいいんです。状況が状況でしたし、咄嗟に魔術を行使することもある……と、思いますし」
「お心遣いに感謝します……」
それからなんとなく気まずい空気が流れる。なにか、なにかこの地獄のような空気を打破する話題は……。
「と、ところでレイクス先生はどうして魔術の研究を? 世界が平和になったのですから、研究を進める理由はないのでは?」
「ああ……それは、魔術の可能性を求めたかったからです」
「可能性? 魔術は戦闘における攻撃が主な用途のはずですが、魔王が討たれた世でどんな可能性を求めていたのですか?」
「……私にもっと力があれば、もっと早くマクスウェルに至っていれば、救えた命があったのです。魔術師でも人を守れることを、救えることを証明したかった。それだけですよ」
――そう語るユリアンの顔には懐かしさを覚えた。
口調も声音も、当然二十歳のユリアン・レイクス。だが表情はもっと幼く、胸の内を過不足なく表していた。
十四歳のユリアン・レイクス。かつて勇者の旅に同行し、魔王討伐に貢献した魔術師。そして、勇者の死を誰より早く、間近で見届けた者。
彼の言う救えた命というのはイライザのことだろうか。旅路の中で何度も死には直面してきた。その度に、彼は胸を痛めていたのだろうか。自分を責めてきたのだろうか。
リリーに言えることなんてない。下手なことは言うべきではないと思う。わかっている。でも――
「あなたの優しさで救われる命があります」
私だからこそ言えることが、言わなければならないことがある。飲み込むことなんて出来なかった。
ユリアンが顔を上げる。その眼には微かに怒りが映っているようにも見えた。なにを知っている、とでも言いたげな光。
知ってるよ。私は知ってる。素直になれないきみが誰より優しくて、純粋で、一生懸命だったこと。
「救えなかった命がある。だから魔術の研究を進めて、守るための魔術を求め続けてきた。でも、いくら魔術の研究が進んだって、亡くした命は帰ってきません」
さすがに子供相手に言い返すことは出来ないだろう。ッユリアンはもう大人だ。私の言葉を聞いたって、ぐっと言葉を飲み込んで流すだろう。
でも、流させやしない。胸に、心に真っ直ぐに。叩きつけてやる。リリーでは届かないかもしれないけど。
「いまはまだ遠いかもしれません。ですが、研究を続けたその先にあるのは、あなたの魔術が繋いだ命で溢れる優しい世界です。あなたの優しさは、これからもっと沢山の命を救います。私はそう信じています」
「どうして……」
「あなたがユリアン・レイクスだからですよ」
私の言葉じゃ素直に受け止められないだろう。あなたになにがわかる、と言ってしまえばそれで終わりだ。
だけど、ユリアンはそんなことしない。良いことも悪いことも、胸で受け止めて、糧に出来る。私はそれを知っている。
やがてユリアンは笑った。十四歳の影は薄れ、消えていく。もう二十歳の顔に戻っていた。
「恐縮です。そのお言葉を裏切らないよう、誠心誠意努めます」
「知ったような口を利いてしまい、大変失礼いたしました。ですがあなたは笑顔がよく似合うので、一秒でも多く笑っていてほしいです」
「あはは……そのような言い回し、どこで覚えてきたのでしょうか」
「妖精姫ですから」
言い訳になっているのかはわからないけど、ユリアンは笑って流してくれるだろう。
なんとなく和らいだ空気の中、馬車は一歩ずつ会場へと歩を進める。どうかおかしな結果が出ませんように。