出発点
「魔王討伐を果たした勇者一行に盛大な拍手を!」
世界の中心とも呼べる大国、アルタミル。その王ともなれば世界の主に等しい。彼の言葉を皮切りに、割れんばかりの拍手が城内に響き渡った。
勇者として旅立ち、その責務を全うした私、イライザ・ソーンは居た堪れなさから曖昧な笑みを浮かべる。他の仲間もまた、どんな顔をしていればいいのかわからないといった様子だ。
アルタミル城のエントランスホールには多くの人が集まっている。従軍する兵士たち、商人、貴族、亜人。種族も身分も関係なく、誰もが私たちの偉業を喜び、祝っている。
アルタミル王の有り難くも退屈な話が続く中、私は必至に堪えていた。いますぐにでもここを飛び出して一人になりたい。思いの丈を夜空に叫びたい。落ち着かずにそわそわしていると、足に痛みが走った。
足を踏みつけたのは隣に立つ少年。私より幼く、パーティの中では最年少ながら魔術師として攻撃、支援を一手に引き受けていた。小柄ながらも純朴な顔立ちは後の好青年を容易に想像させる。
「しっかりして」
横目で睨む魔術師。いつもなら軽く言い合いになるところだったが、さすがの私も今回ばかりは飲み込んだ。
ここに集まった者は皆、私が高潔な存在であると信じて疑わない。イライザ・ソーンの本質はその真逆であることを、苦楽を共にした三人だけが知っていた。
そうしてアルタミル王の話が終わる。彼は手にしたグラスを掲げ、告げた。
「今宵は全てを忘れ、世界の平和を皆で祝おう! そして勇者イライザ一行に全身全霊の感謝を! 乾杯!」
城が揺れたかと錯覚するほどの声。歓喜に満ち満ちた空気の中、この轟音は魔王軍が率いるドラゴンの咆哮にも匹敵するなどと考えていた。私だけでなく、魔術師や戦士、神官も同様だと思う。
来賓が一斉に押し寄せてくる。最終決戦前の雑兵の群れを彷彿とさせ、自然と身構えてしまう。
「勇者様! 本当にありがとうございました!」
「これで娘も伸び伸びと学業に励むことができます!」
「あっ、あっ……えーっと……いえ、勇者の責務を果たしたまでです。礼を言われることではありませんが、ありがたく頂戴致します」
「はははっ! 世界を救ったお方だというのに実に謙虚で素晴らしい!」
「勇者の名に恥じないお方だ!」
「あっ、はい……違う。勿体ないお言葉です」
「皆様、イライザも長旅で疲弊しております。今少し、彼女を一人にしていただけませんか?」
「そうそう、それに戦いの帰りだからこう見えてかなり殺気立ってんだ。だよな、イライザ?」
見兼ねたか、神官のハンナと戦士のロイドがずいと前に出た。私と来賓の間に割り込むと、二人はこちらを一瞥して小さく顎を突き出した。
「早く行け」と言われているのはすぐにわかった。気が利く仲間と興奮する来賓に軽く礼をして駆け出した。やはり本質を理解してくれる仲間は何者にも代えがたかった。
そうして、一人。城下町を一望出来るテラスへ辿り着く。
夜が訪れ、眼下の街並みは温かな光に照らされている。城内だけでなく、街中、国中、世界中が私たちの功績を称えている。
つい頬が緩む。それはある種の達成感。与えられた責務を全うし、民から感謝の言葉を浴びる。その喜びは勇者だからこそ味わえるもの。
――だが、それ以上に私の表情を綻ばせる感情があった。
大きく上体を反らし肺一杯に息を吸い込む。そうして、満天の星空に向かって叫んだ。
「やぁっっっっっと! 解放されたぁ~!」
アルタミル中に響き渡るような、気持ちのいいほどよく通る声。もう誰に聞かれたっていい、それくらいの解放感。私の気分は天にも昇るほど高まっていた。
私はまだ十七歳。他の子たちが夢に恋に学業に勤しむ中、グロテスクな魔物と戦い、吐き気を催す血を浴びて、何度も死を覚悟して剣を振るい続けた。こんなのは普通の十七歳が送る人生ではない。
そう。
私が欲しかったのは名声ではない。普通の暮らし、言ってしまえば自由だ。
縁もゆかりもない偉い人は言いました。勇者となって魔王を討ち果たすのだ! 冗談は主張の激しい下っ腹だけにしてほしいと何度も思った。
文句も言えず、流されるまま世界の命運を握らされた。どこにでもいる普通の少女が。
仲間には数えきれないほど弱音を吐いたし恨みつらみだって耳にたこが出来るほど聞いてもらった。彼らには本当に頭が上がらない。
そうして苦難を切り伏せること丸二年。ついぞ魔王を倒し、晴れて勇者の責務から解放されたわけである。これくらい叫んだって罰は当たらないだろう。
そんな折、忙しない足音が聞こえてきた。音のする方を見れば、魔術師の少年が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「イライザ! あんなに大きい声出したらお客さんに聞こえちゃうだろ!?」
「大丈夫だよ、ユリアン。みんな世界平和の熱に浮かされてるんだから聞こえてないってば」
「まったく……きみってなんていうか、本当にがさつというか……」
魔術師ユリアンはがっくりと肩を落とす。世界を救った勇者にはそれらしい振る舞いを求めているようだ。
だが生憎、いまの私は勇者じゃない。ようやく普通の女の子に戻れたのだ。彼の小言に向き合う道理はもうない。
「ハンナとロイドにお小言言われるのは仕方ないけど、ユリアンに説教されるのは癪だなぁ」
「二人が甘いから僕が代わりに説教してるんだよ。今日まで勇者の体裁を保てたのは僕のおかげに他ならない。むしろ感謝してほしいくらいだね」
つっけんどんな態度で嫌味を垂れるのは旅を始めたときから変わらない。ユリアンに限った話ではないが、彼らのこの態度が勇者としてでなく、一人の少女としてのイライザ・ソーンを残し続けてくれていた。
「当然感謝してるよ。今日までついてきてくれてありがとう、ユリアン」
「……は? いや、別に……勇者の仲間として同行したんだから当たり前だよ」
素直に伝えるとこれだ。口喧嘩しているときの方がよっぽど自然体でいられている気がする。
テラスの縁に背中から寄りかかり、小馬鹿にしたように笑う。
「可愛くないなぁ」
「別に可愛いと思われたいわけじゃない」
「はいはい。素直じゃないんだから」
「僕が可愛いと思われたいと決め、つけるような言い方はやめて……っ! イライザッ!」
「え?」
焦りと動揺が映ったユリアンの顔。私の腕に伸びる、彼の手。妙だと思ったときにはもう遅かった。
左半身の感覚が消えた。気付いたと同時、均衡を失い倒れてしまう。右腕で左肩を押さえようとしたが、動かない。
涙ぐむユリアンが見える。それと同時に、耳障りな笑い声も。思考が鈍り、体から熱が失われていくのを感じた。
左半身が抉り取られた。確認は出来ないが、そうなのだろうと理解した。途端に駆け足で迫り来るのは、死。
何度も、何度も視えた終わり。その都度撥ね退けて生き延びた。ただ一つの夢を求め続けて。
ようやく出発点。その矢先に、死。
なんて報われない人生だっただろう。ハンナとロイドにはありがとうも言えなかった。死んでも死にきれない。薄れゆく意識の中、頼ったこともない神様に願う。
――もし、来世なんてものがあるのなら。
ハンナとロイドにもありがとうを言わせてほしい。
ユリアンとはもっと仲良くなりたい。
二人とだって、買い物したり、笑いながらご飯を食べたりしたい。
勇者としてではなく、一人の人間として。彼らと生きていたい。
「……ご、めん、ね」
自分のものとは思えないほど掠れた声。死が私の意識を抱き寄せる。
暗くなっていく世界の中で最期に感じたのは、包み込むような温かい光だった。