夢を見る夢を見る夢を見る夢を見るゆ…・・・
何も見えない。否、違う。闇を見ている。これは――夢?
空のうらの住民は夢を見ない。それは人間のすることだ。
彼は眼を閉じていた。人は眼を閉じて寝ているとき、暗い、とは判らない。意識がないのだから。と、するならば彼はやはり夢を見ているのだろうか。暗い夢を。寝ていない、ということはない、確実に。何故なら彼の健康状態は頗る快調で、睡眠不足は感じていない。ただ、夢から覚めた後の――他に表現のしようがあるだろうか――偏頭痛と混乱状態はいただけなかった。彼は健康診断に出かけるが異常はない。途方に暮れた彼は心理学者であり医師でもある男のもとを尋ねた。
「ほう、それでは、君は夢を見ていると?」
「ええ、多分……」
「ふむ…………」
「あの……」
「うん?」
「否定しないんですね」
「君は患者で、わしは医者じゃ。患者の言うことを否定していたら医者なんぞ勤まるまいて」老人は乾いた笑い声を洩らした。「失礼……そうじゃな……うむ、君は夢を見ておるのじゃろう、ただし、自分の中に夢を見ておるのじゃ。シュモーロという男を御存知かな? 偉大な男じゃった、この都を造った者じゃ。ここに」彼は立ち上がり本棚へ歩み寄った。分厚い本を取り出し、親指でページを探り当てる。「彼も夢を見ていたとある……実は、わしも見たことがある、若い頃にな。否、今も見ておるが……われわれのような者を空っぽ人、と呼ぶ」
「じゃあ……」
「ああ、病気ではない」
イディは――彼ほっと安堵の溜息を吐いた。
「これは夢か、現実か。君に判断できるかな? 大抵の人はこう説明する。夢の中で起こることはゲンジツ。起きてみるとそれはそうじゃなくなる。」
イディには何のことだか解らない。
「つまりゲンジツは夢と幻想であり、逆もまた然り。そして現実に於けるユメやゲンソウはやはりゲンジツじゃ。ここは夢と幻想の中のゲンジツ、そのゲンジツは現実だ」
それでも合点がいかないイディを察し、老人は言う。
「では問うが……もしこれが夢ならどうするね? 君の人生が、君の歩んできた道が、すべて夢なら? 夢を見ている間、人はそれが夢だと思わない。ならば我々は実は人間で、これはすべて夢なのかもしれない。わたしという登場人物に過ぎないのだよ、あるいは君という登場人物かもしれん。我々は誰かの夢の端役かもしれん。今この瞬間にも主人公はえらいことに巻き込まれているかもしれん。夢の中では語られることのない我々はこうして話をしているだけで、夢になんの関わりもない。
君の人生という物語の主役は君自身だ。わしの場合も右に同じ。君から見たわしは名もないその他大勢の部類に入るかもしれないがわしはわしの物語の主役じゃ。
空の裏のうらの住人がなぜ夢を見ないか知っているかね」
「ぼくらは夢に生きているからです」
「それじゃよ、君。問題はそこだ。この場合、夢という言葉が指すのはおとぎ話だとか希望だとか幻想ではなく、夢そのものだ。人間のみるあれ。そしてその夢を見ているのはもちろん人間だ。理解できるかね? これは誰かの夢なのだよ。と同時に、これはゲンジツ。
即ち、夢を見る、ということが指すのは、ある種の目覚め。君はこの夢から覚めたのじゃよ、イディオット。君は気付いてしまった――夢に。続きを聴きたいかね? 今なら全てを夢で終わらせられるが」
夢だ、これは夢だ。夢に違いない。
ああ、そうとも。これは夢だ。
ユリウス・スウィンストン。この空のうらのどこかに彼、あるいは彼女はいて、空のうらの夢を見ている。それは悪夢か、はたまた明晰夢かは知りえない。
イディオットにはどうにも解せなかった。彼はそれなりの年数を生きている。ということは、ユリウス・スウィンストンの夢はそれより長いかほぼ同じ間時間、夢を見ていることになる。
医師は言った。夢に時間の概念なんかないのじゃよ――御尤も。それから、こうも言った。わしに名をくれるとありがたいのじゃが。どうやらわしは脇役から主要人物になったらしい――イディは名を与えた。オズワルド・ロビンソン。
年老いた医師改めオズワルド・ロビンソンはイディが知り得ないことを知っていた。訊けば何かしらの答えをくれる。が、何でも知っていたという訳ではない。この夢の主の名も、自分が置かれている状況も把握していたがユリウス・スウィンストンが今どこで何をしているかまでは知らない。そのくせ訊けば何かしらの答えをくれる。イディはオズワルドをどうも掴めなかった。その情報はどこからくるのか。オズワルドはくっくっと笑い言った。
夢じゃよ、若いの。良いかな、夢とは一つの物語じゃ。そしてわしはそういう役なのじゃ。そういうことになっている。
イディは問う、「それで、この物語はこの先どうなるんです」イディは知りたかった。
「ユリウス・スウィンストンは夢に雁字搦めにされていてなかなか抜け出せない。彼女は苦しんでいる……そう、悪夢を見ている。そこでわしらが助けに行くのじゃよ。
そう、わしらはユリウスを救わねばならない。何故なら彼は苦しんでいる。もし成功したら、彼が夢から覚めたら、そう、空のうらは消えてなくなるじゃろう」
「ぼくの人生は、全部嘘なんでしょうか? ユリウスの夢の登場人物? 台本どおりに生きてきただけ? ならばぼくはなんなのでしょう」
「そうじゃな、君は嘘だ」オズワルドは言った、言葉を選ぶように。そして続ける。「否、違う。そうではない。嘘と想像は明らかに違う。おとぎ話と嘘は違うことと同様にな。
イディオット、混乱から抜け出したいのなら考えるのは辞めるんじゃな。すべては幻だ。君の言い方を借りれば、嘘。今わしが喋っているのも幻。ユリウスというガキの想像力が産んだ虚像に過ぎんのじゃから。夢とは無秩序なものじゃ。そこに意味はない。夢の気紛れなんかに付き合ってられるか。それをどうにかしようともがいている連中はなんと滑稽なことじゃろう……全部無意味じゃ。そんなことに意味はない。そんなことは無意味じゃよ、君。意味の無いことは無い、なんて言う輩は何も解っとりゃせん。実際は意味の無いことだらけじゃ。夢はそんな小さなことまで構ってやれん。だから一人一人の人生が一人歩きを始める。羽目を外して目茶目茶な世界を楽しめばいい。
夢のいいところはな、なにか都合の悪いこと、おかしなこと、ものの道理にかなっていないこと、手に負えないこと、矛盾していることをたった一言で片付けられるところじゃ。
――だってこれは夢だから」
かくして、老人と青年は誰にも言わず、誰にも見つからず、ひっそりと都を出た。ユリウス・スウィンストンを探し出し、彼の夢を終わらせる為に。二人の行方は、誰も知らない。だあれも、知らないのだ。
ならば語り手であるわたしがどうして知っているかって? 何故ならわたしがユリウス・スウィンストンだから。
わたしは彼らに助けられたのかも知れない。今は長い悪夢から覚め、現実を生きている。でも今、わたしはもっと酷い悪夢の只中にいる。わたしは夢の国から追い出された。彼らはわたしを助けてなんかいない。
お節介をやく奴はどこにでもいるのだなあと、わたしは現実と夢に辟易する。逃げ場はないということか。なんて残酷なんだろう、悪夢のようだ。だれか助けてくれないかな。
書いている間、ちょっと自分でも混乱してきました。。。
少しでも楽しんでもらえたら、評価・コメントをいただけたらと思います。