第08話:背後
田井中達は、ほぼ半日を費やして外来種在来種固有種、およびペットとして飼われている動物の動向を調べ上げた。
すると肘川市内のペット所有者の内の二割近くの方のペットが行方不明である事が判明し、在来種固有種、および事件以前から出没していた外来種に関しては、現時点では十七件の行方不明の証言が集まった。
やはり現在、肘川市には何かが起こっている。
この結果を知りさえすれば、誰もがその結論に辿り着ける異常事態だ。もはや、シンクロニシティだとかで説明できる段階を通り過ぎている。
ちなみに行方不明となったペットの飼い主の七割近くが、探偵に依頼してペットを捜索していた。中には肘川市内の探偵だけでなく、市外の探偵にも依頼した者もいた。どうやら市の内外の探偵は、行方不明のペット捜索でてんやわんやらしい。
そして残りの三割近くについては、いつか戻ってくるだろうという楽観的な思考を持つ飼い主だった。
「結局、黒猫も見つからなかったっスねぇ」
赤から紫へと変わり始める空の下。
肘川支部へ徒歩で帰還中の椎名は、深い溜め息をついた。その顔は酷くやつれている。相当歩き回ったのかもしれない。
「そう暗くなるな」
疲れた様子の弟子へ、同じく肘川支部へと歩く田井中は言った。
彼も溜め息をついたが、その眼光は鋭いままだ。同じだけ歩いたというのにまだ余裕がありそうだ。さすがは探偵と言ったところか。
「もしかするとこの事件の中で見つかるかもしれねぇ。気を抜くには早すぎ――」
そして彼らが、肘川支部が存在する区へと足を踏み入れようとした時だった。
田井中は途中で会話をやめ、一度立ち止まった。椎名は「ヤニでも切れました? それともトイレっスか?」と、とんちんかんな事を言ってきた。田井中はすかさず「馬鹿野郎」と軽い手刀を見舞った。
「煙草はとっくの昔にやめた」
そして次に田井中は、弟子へとそんなツッコミを入れながら……参課特製の通信端末『コッソリート』を操作し上司に連絡した。
『はい、どうしましたか田井中さん?』
すると堕理雄は、ワンコールで出てくれた。
「普津沢、今朝梅ちゃんが言っていたあの配合……とても危険だと思うんだが」
だがしかし、そんな上司へと田井中は奇妙な事を言った。
「は?」
突然のワケの分からない台詞を聞き、椎名の顔がそのまま固まった。
しかし一方で堕理雄の方は、何の話かが一発で分かったようで『分かりました。後で確認します』と言ってそのまま通信を切った。
「えっ? は? 師匠、今朝に梅ちゃん先輩に何かあったんスか?」
「ああ。ちょっとばかし危険な事をしていてな。忠告はしたんだがどうなったか気になって――」
あまりにも意味不明なため、椎名は詳しく事情を訊いてきた。
田井中はそんな彼と苦笑しつつ共に歩き……途中で歩く方向をこっそり変えた。
しかし椎名は、田井中との話に夢中でそれに気づかない。二人は徐々に徐々に、IGA肘川支部がある場所から遠ざかっていく。
※
そしてそれから、十分程度歩いた時だった。
コッソリートが振るえたのを確認し、田井中はゆっくり取り出す。そして画面に『普津沢』と表示されているのを確認すると、通話ボタンを押した。
「おう、どうだった?」
『田井中さん、近くにいた俺の部下を一人派遣しました。あと十秒で着きますのでそれと同時に動いてください』
「ああ。了解した」
簡単に返事をしつつ、田井中は頭の中でカウントダウンを開始した。
三秒経つと同時に、彼はコッソリートを左手へと持ち替えて、右手を、上着の内ポケットに伸ばした。またもやワケが分からん事をする師匠に、椎名は疑いの目を向ける。
一方で田井中は、誰にも向けていないその眼光を、さらに鋭くしていた。
一瞬遅れてそれに気づいた椎名は、ヒッと悲鳴を上げつつも、本気で師匠が何を考えているのか疑問に思った。
「椎名、何も考えず……合図したらすぐ走れ」
だが次の瞬間。
その師匠から指示を出された事で、椎名は反射的に気を引き締めた。声色から、彼が何かをするとさすがに気づいたのだ。
「は、はい」
「走れ」
「え、い、今っスか!?」
返事をした直後に本番となり、椎名はさすがに心の準備をさせてほしいと思ったが、その何かに巻き込まれては堪らないと慌てて走り――。
――バスッという、日常世界では聞いた事がない音が響いた。
「ッ!? ……逃がした、か?」
田井中にとっては予想外の事態だろうか。彼が珍しく困惑する。
だがすぐに気を引き締め直し、ゆっくりと慎重に、振り返った。
そんな彼の台詞から、もう逃げなくても大丈夫かもしれないと判断した椎名も、ほぼ同時に振り返り……ギョッとした。
田井中の上着の背面に、風穴が空いていたのを見たからだ。
「え、ま、さか……ッ!?」
さすがの椎名も、この状況、そして師匠の得意技からして何が起きたのかをすぐに把握した。
たまに漫画やアクション映画の中で披露される、上着越しの背後撃ち……それを師匠はやってのけたのだと。
「…………何も、いねぇ? そんな馬鹿な。確かに気配があったハズだ」
だが一方で、田井中は背後を振り返っても状況を把握できなかった。
その視線の先には、標的となりうる何者かは存在せず、ただただ梅特製のゴム弾が転がっているだけだった。
※
「い、今のって……いったい……?」
しかし困惑する田井中とは反対に、堕理雄の指示で現場にやってきた弐課の局員は全てを目撃し……驚愕していた。
「ま、まさか……アレが、動いたのか!?」
あの撃ち方の正式名称、知っている方がいれば教えてください(ぇ