第07話:調査
結局、依頼人の飼っていた黒猫を見つけられないまま次の日になった。
夜遅くまで捜索していたので寝不足ではあるが、田井中はあらかじめ、他の局員に『表』の仕事の関係で早くは出勤できない旨を伝えておいたので、遅刻への文句などを言われない中で、IGA肘川支部へと午前十時に出勤した。
ちなみに椎名については、どういうワケだか(未来人なためだろうが)ホテルで暮らしているらしい。探偵業務の終了後に椎名をこっそり尾行していた田井中は、その事を知りさらに彼への疑惑を深めていた。
宿泊客のプライバシーが守られるホテルに乗り込むのは、犯罪行為の絶対の確証がない限り難しい。もしも違っていた場合、当たり前だが突入した側が不利になるからだ。椎名が敵であった場合、それを見越してホテルを選んだのか、と田井中は考えた。しかし答えはホテルの中だ。
というか本当に椎名が敵であれば、IGAの局員が尾行する可能性も考えているかもしれない。もしそうなら敵である証拠はすぐに処分できるようにしてあるかもしれない。どっちにしろ、今突入すれば必ず不利になる。
なので田井中は、椎名の尾行はホテルの前で諦めた。
次に尾行するとしたら、椎名がボロを出した時だろう。
とにかくそんな経緯で遅くに出勤した田井中は、昨夜の飼い猫捜索で気になった事を報告すべく、弐課課長たる堕理雄を捜し……幸運にもすぐに見つかった。
堕理雄は全体会議で使った部屋にて、磁石でホワイトボードに貼りつけた、肘川市全体の地図および、同じく磁石で貼りつけられた、他県の動物の目撃情報が書かれたメモ用紙とにらめっこをしていた。事件の共通点などを探しているのだろう。
下手をすれば肘川市内の生態系が乱れかねない事件かもしれないのだ。ミステリドラマに登場する刑事並みに本気にもなろう。
「普津沢、他県の動物の件だが」
田井中はそんな年下上司に普通に声をかけた。普通であれば上司との間に軋轢が生まれかねないやり取りではある。だがIGAにおける同僚の呼び方は、年齢差も多少影響するが、基本的にフリーダムであるため問題はなかった。
というか中には『ダルダルマイスター』なる珍妙な二つ名を持つ者もいるため、それよりはマシだろうと思っている者も少なからずいる。
「ッ? 何か情報が?」
「昨夜の『表』の仕事で、ちょっと気になる事があってな」
田井中は堕理雄に、昨夜の飼い猫捜索の際に気づいた溜まり場の猫の減少の事を報告した。他県の動物の出現と関係があるかどうかは分からないが、とにかく気になった事は全て報告するのがIGAの基本である。中には意外な点と点が繋がり、事件の全体像が見える事もあるのだから。
「溜まり場の猫の、減少……確かに怪しいですね」
「もしもその原因が、別の場所への移動だとするならば……今回の県外の動物の出現と関係があるかと思ったんだが」
「可能性はありますね。というか田井中さんの報告で……他県の動物ばかり追っていて、身近な動物についての調査を怠っていた事に気づきましたよ」
堕理雄は、情報を扱う課長たる自分のうっかりに苦笑した。
今扱っているのが、肘川市民の大多数の命が奪われかねない大事件であれば、拳を壁か机に叩きつけていたかもしれないが、まだ事件の全体像は見えていないので彼は悔しさによる自傷行為はしなかった。だが悔しい気持ちに変わりはない。
「田井中さん、他の局員にも後で指示をしますが、肘川市内の、行方不明になった在来種と固有種およびペットについて、可能な限りでいいので調べてください。俺も全てのツテを使って調べてみます」
堕理雄の目が鋭くなる。まさに、仕事人の目と言ったところだろうか。
彼がIGAに入局してから、これまでの中で潜り抜けてきた修羅場が、どれだけ壮絶であったかを想像させうる……本気の目だ。
「分かった」
堕理雄の眼差しから、彼の覚悟を感じ取った田井中は、上司の覚悟に応えようと同じく覚悟を決めて頷いた。
「あ、そうだ。その時にこの黒猫を見たら言ってくれ。家出した飼い猫なんだ」
するとその次の瞬間。
今思い出したとばかりに、田井中が依頼人の猫の写真付きで『表』の仕事の話を持ち込むという、予想外の事をしたため……堕理雄はズッコケそうになった。
※
田井中はその後、十時過ぎに出勤した椎名と共に、市内を調査すべく肘川支部を出た。幸運にも程々に緊張が解けた堕理雄に見送られながら。いや、もしかするとそれを見越して田井中は『表』の仕事の話をしたのか。
――永遠の謎である。
「まずは依頼人の自宅周辺でペットを飼っている方々への聞き込みだ。依頼人の黒猫のついでの感覚でいい。さりげなく野良の動物の事も訊くんだぞ」
「了解っス、師匠!」
依頼人の家の近くに来るなり、田井中は椎名に指示を出した。
ここからは二手に分かれての調査だ。本当は正体不明の青年・椎名をできる限り監視したい田井中であったが、ペットを飼っている家が多いために今はお預けだ。
そして調査開始から一時間。
二人は休憩も兼ねて一度合流した。
「椎名、そっちはどうだ?」
「はいっ! 黒猫の情報はなかったっスけど、五件ものお宅のペットが行方不明になってる事は分かったっス! 在来種とかについては分からないっスけど!」
「なるほど」
田井中の表情が険しくなった。
「こっちも大体同じだ。だが在来種……というか事件以前から出没していた外来種であるアライグマが、近所の自然公園からいつの間にやらいなくなっているという証言があった」
「え、アライグマって外来種だったんスか!?」
「ヲイ」
まさかの弟子の無知に田井中は呆れた。
そして今すぐ何が外来種であるかを教えたい衝動に駆られたが、それは事件解決後でいいと、深い溜め息と共にすぐに思い直した。
「とにかくこの事を普津沢に報告する。解決の糸口が見つかるといいが」
※
「……そうですか、アライグマが。分かりました。情報ありがとうございます」
参課特製の、特殊通信端末『コッソリート』を介して田井中からの報告を受けた堕理雄は、その情報を基に、ホワイトボードにさらなる情報を書き込んだメモ用紙を貼りつけた。もはや肘川市の地図の六割以上がメモ用紙に埋もれている。
「もしもこの事件が人為的に起こされたモノで、それで生態系を破壊するのが目的なら……なぜ外来種までいなくなる?」
まだまだ謎多き他県の鳥獣の出没事件に対し、現時点では疑問符を浮かべるしかない堕理雄だった。