第68話 ~やはり悟られていたのです~
第68話 ~やはり悟られていたのです~
11月半ばのある日、私はいつも通り朝ご飯の用意です。さすがにフライパンで一気に5個の目玉焼きを作るのは大変なので、2個と3個の2回に分けて作ります。実際のところ作れないという訳では必ずしもないのですけれども、白身がくっついてしまう部分が大きくなってしまって、『おい美琴、俺の分取ったろ!』『兄さんこそ私の分持って行ったでしょ!』なんて朝から言い争いの原因になりかねませんので、避けたいのです。そんな些細な事で言い争いをしなくても…と思うのですけれどもね、食べ物の恨みというのは深いようですから。
ちなみに兄様はソース派、美琴さんは醤油派なので、ここでもいつも不毛な争いが生じます。別段美味しいと思う方をかけて召し上がって頂ければ、私としては構わないのですが…。私自身は何もかけずに白身を食べた後、黄身だけをご飯に乗せてお醤油を垂らしてご飯と一緒に食べるという簡易卵ご飯が好きな食べ方です。変な食べ方だと言われることも多いのですけれどもね。さて目玉焼きは焼き上がりましたから、お皿に配膳しましょう。次はソーセージの焼き方ですね…。まあ、そんなに手間ではありません。しっかりしたテフロン加工のフライパンを用意して頂いていますので、油も少なめで済みます。
「お、朝飯か。毎日よくやるよなぁ、絢子も。」
台所に立つ私の背後から、兄様の声です。
「ええまあ、性に合うようでして。でも私の前にはお母様がずっとお料理してくださっていた訳ですから、もっと大変だったと思いますよ。兄様よく召し上がる割にこだわりが多くて、お母様食事の後に台所で怒っていらしたことも多かったのですよ?」
思い出したうちに言っておきましょう。最近、少しはこういう事も表に出せるようになってきました。良い事なのかどうか、まだよく解りませんけれども…。
「げ、そうだったのか? なんかたまに俺いじめにしか思えないメニューが出てくることがあると思ってたんだが、まさか…。」
「間違いなくお母さんを怒らせた次の日だと思うよ、兄さん。」
美琴さんも起きてきた様子ですね。よし、ソーセージも焼き上がりましたから、ダイニングテーブルの上のお皿に配膳しましょう。
「はい、熱いフライパンが通りますよ。避けてくださいね。」
「おう、大丈夫だぜ。」
「私も離れてるから大丈夫。」
兄様も美琴さんもその辺りは慣れたものです。声を掛けながらも、動線を邪魔するという事はほとんどありません。私が結構ちょこまかと動き回るというのもあるのですけれどもね。お母様は大皿に一つのお料理を乗せて家族みんなでそこから一緒に食べるスタイルを取る事が多かったのですけれども、私は一人一皿おかずのプレートを作る形式をとる事の方が多いので、どうしてもキッチンとダイニングテーブルを行き来する回数が増えるのです。
さて後はキャベツを刻んで盛り付けて、ですね…。
「そういえば絢子、この間相談した件ってどうなったんだ?」
と、兄様です。そういえば報告するのを忘れていました。先月末にはもう清水先生からご検討いただいた内容は教えて頂いていたのですが。
「済みません、忘れていましたね。クラスの皆様にお話をするのは3月の、卒業式が終わって落ち着いたくらいのタイミングが良いのではないかという事でした。うちの学校は二年生に上がる時にも特別事情がない限りクラス替えはないですし、半月程度かけて理解を得て行って、春休みを挟んで切り替えを迎えるのが良いのではないか、という事でしたね。」
検討の結果、そのようになったそうなのです。先に年度途中で切り替えを行った先輩の時には、事件があって先輩から同級生にカミングアウトする形になり、先生方がそれを追認するという形になったのだそうですが、今回は私の性格も鑑みて、先生方と協調してやっていくのが最善である、と判断されたようです。確かに、私だけに一任されてしまったら少々困ってしまうところではありました。もっとも、一任されても大丈夫なくらいにならなければ、今後の生活など覚束ないところではあるのですけれども…。
「ふむ、小山家として何か動く必要はあるのか?」
お父様からそう確認をされます。ええと、何かありますでしょうか。もうプライベートは女子で過ごしていますし、通院も始めて1年近くになりますし、制服も頂き物ですが用意されていますし。
「三月にお話をする時点ではないでしょうか…。四月から切り替えになりましたら、ブラウスは買い足して頂かないといけませんけれども…。」
さすがに今までのように、頂き物のブラウス二枚だけでやりくりする訳にはいかなくなりますからね。
「なんだか友人から融通してもらった制服で済ませるというのもちょっと可哀想な気はするのだけど、絢子はそれで良いの?」
お母様からそうたずねられます。うーん、でももう着馴れて愛着もありますし。
「私は構わないです、特に傷んでいるところもありませんし、状態の良いものを譲って頂きましたから。作り直しとなると出費も大変でしょうし…。」
そう答えます。実際それほど困っているわけではありませんから、良いのです。
「そのくらいは何とでもなるけれど…まあ良いのかしら…。」
少々、複雑なお顔をしていらっしゃるお母様です。お心遣いは嬉しいのですけれども、治療などの関係でいろいろと出費もかさみましたし、今後も何かと費用が掛かることは解っていますから、あまり負担はかけたくはないのが正直なところです。譲って頂いた品で大丈夫なのでしたら、それで少しでも節約できた方が良いと思うのです。
「うーむ、何か確かに可哀想な気はするがな…折角女子扱いになるというのに、晴れの衣装の一つも用意してやれんとなると、親として寂しいものはあるが…。」
お父様もそうあごに手を当てておっしゃいます。
「お気持ちはとても嬉しいですしありがたいです。ですけれど、ただでさえ私は兄様や美琴さんよりもお金がかかるのですから…良いのですよ、そのくらいの親孝行はさせてください。」
そう微笑む私です。
「お前が幸せに生きるのが一番の親孝行だ。」
そうお父様がおっしゃいます。あ、視界が歪んで…。
「ありがとうございます、お父様。」
そっと涙を拭う私でした。
そんな訳で朝食の時のお話が長くなり、普段よりも少々遅い時間に登校になりました。とは申しましても、遅刻をするほどではありませんから、いつも通りのんびり運転の自転車です。
秋も深まってきまして、少し寒いですね…。十一月は霜月と申しますから、初霜ももう間もなくでしょうか。私は寒がりなので、今日からコートを着る事にしました。寒さで体をやられてしまってはかないませんからね。そういえばこれもしばらく触れていませんでしたが、髪の毛も伸びて来たので後ろで括っています。お陰でちょっと、私は目立っている様子ですね。他に男子でここまで伸ばしている人はいませんから…。でも女子になるころまでには、もう少々伸びてほしいと思うのです。
駐輪場に自転車を止めて、一息つきます。ああ、あまりのんびりしている時間はありませんね。教室に向かわなくては。
昇降口の下駄箱で、珍しい方から声を掛けられました。
「おはよう、姫。」
「あら、おはようございます、松本さん。」
そのまま数秒の沈黙。松本さんはなんだか私の様子を観察しているみたいですが…。
「ああ、済まない、何でもないんだ。もうコートの時期か、寒いもんな。」
そう話を続けてくれました。
「そうですね、私は特に寒がりなものですから…。少々早いかなとも思ったのですけれど、素直に冬支度をすることに致しましたよ。」
そう微笑む私です。松本さんはまた少々考えこまれているご様子。
「ま、教室行くか。ここにいたって寒いだけだしな。」
「そうですね、もう暖房入っているとありがたいのですけれど。」
そんな会話を交わして、私と松本さんはすぐ間近の教室へと向かいました。
「おはよう姫、今朝は遅かったね?」
皆さんを代表して、毛野さんがそうたずねてくれます。
「ちょっと朝ご飯に手間取りまして。家を出るのが遅れてしまったのですよ。」
素直にそう申し上げます。準備や片付けよりも、食べるのに手間取ったのですが、お話しながらでしたから。
「寒くなると姫の動きは鈍くなるのかと思ったぜ。」
「あの、木島さん、私一応恒温動物ですから。変温動物ではありませんから。」
変温動物でしたら外気温に応じて動きが鈍くなるということはあるのですけれども、哺乳類は恒温動物ですから恒常性維持機能がきちんと働く範囲においては体温が保たれて活動性も保たれるはずです。
「夏場に日射病で倒れる姫だからな、冬場に今度は寒さで低体温症になってもおかしくないだろう。」
どういう論理ですか工藤さん…。そんなに私の恒常性維持機能は疑われているのですか…。
「軽度ならば温かい甘い飲み物を飲んで温めるのが良いと聞いたことがあるな。姫の通学路に自動販売機はきちんと設置されているかね。」
「えっと、柿沼さん、さすがに私に合わせて業者さんは設置してはくれないと思うのですけれど。」
いくらのなんでもそんな都合の良いお話は無いと思います。
「では言い直そう、温かい飲み物を買える所は調べてあるかね。少しでも異常を感じたら対処するべきだ。」
とりあえずとても心配されているのはよく解りました。さすがにこれまでそこまでの事態に至ったことは無いのですけれど、小中学校時代よりも通学距離は長くなっていますからね…。冷えに対する対処も考えなくてはいけないでしょうね。…男子制服はまだスラックスですから良いですけれど、来年の冬に女子制服で初めて迎える冬は大丈夫でしょうか。ちょっと心配ですね。まあ、今から心配しても始まりませんが…。
「今日帰りながらチェックしてみます。もうこの時期ですから、温かい飲み物も扱っているでしょうしね。」
もっとも、自動販売機はホットの飲み物の方が劣化が早いので、売り上げが見込めるところにしかホットの飲み物は導入されない傾向にあるのだそうですが。私の通学路沿いはその点はどんなものでしょうね…。
お昼休み、いつものように皆さんでお昼ご飯です。
「いちごミルクもホットがありますよ。」
と、自動販売機を見てつい喜ぶ私です。この間までなかったような気がするのですけれどもね、これはちょっと嬉しいです。
「この学校はいちごミルクでご飯を食べる生徒が多いのか…?」
「さすがにそれは無いと思うんだぜ…?」
なんだか背後で工藤さんと木島さんがお話していますが、まあ気にせず購入しましょう。ホットにすると甘みが強くなってなお美味しく感じますよね。
「まあ、女子も多いし、おやつ代わりに買う生徒も多いんじゃない? さすがにご飯と一緒には無いと思うけれど…。」
そう毛野さんがコメントしています。ああ、それはあるかもしれませんね。ちょっと甘いものが飲みたいな、という時にはとても美味しいものですから。
「ですからカレーと合わせると美味しいのですよ?」
小首をかしげてそう主張する私です。
「…姫の言う事は概ね信用する事にはしているんだが、それだけはどうにも肯定し辛い。」
「…試してみたけど俺には解らなかったぜ…。」
と、工藤さんと木島さん。
「木島君試したの⁉ 相変わらず勇気があると言うか無謀だと言うか…。」
どうしてそこで呆れ顔なのですか毛野さん…。
「いやぁ、部活に行く前に腹が減った時があってよ、せっかくだから姫の真似をしてみようかと思ったんだが…二度はねぇな。」
と、木島さん。ええ、そんな事を言わないでくださいよ。
「こんなに美味しいのに…。」
少々残念な私です。調理部でも誰にも解って頂けなかったのですよね、この組み合わせのハーモニーは。皆様微妙な顔をされて、『まあ、姫ちゃんが美味しいと思うなら良いのじゃない?』というような反応を返してくださるばかりでした。
「昼食としていちごミルクをメニューに組み込むならば、パン食の方が合うのではないかと思うのだが。」
と、柿沼さん。ああ、それは鉄板ですね。菓子パンといちごミルクとはなかなか魅惑の組み合わせです…私はできるだけ避けていますけれど、太ってしまいますから。
「そういえば購買で菓子パンも扱っているものな。そちらに合わせるのならばアリか。」
今度は工藤さん。こちらはご理解いただけたご様子です。
「時折僕もそうしている。学校ではほかに甘味の楽しみが無いのでね。」
眼鏡を直しながら柿沼さんがそう言っています。甘味お好きですものね。
お昼のカレーといちごミルクで暖まって、教室に戻ってきました私達です。
「姫、ちょっと良いか?」
と、松本さんです。あら、どうされたのでしょう。
「最近ずっと疑問に思っていたんだが、姫はもしかして…ん、何だ? 毛野。」
途中で毛野さんに肩を叩かれる松本さんです。
「松本君、放課後時間は取れるかい。ここで話す話ではないのではないかな?」
「あっ…それもそうだな、済まん、軽率だった。」
そう気が付いたように言う松本さん。毛野さん、よく今のタイミングで止めましたね…。凄いですよ…。
「いえ、どうかお気になさらずに…。後程、ゆっくりお話しできればありがたいです。」
私からもそうお話しておきましょう。気付かれているのならば隠しておく必要もありませんでしょうから、同胞に。
「…解った、放課後また来るな。」
ふう、察しの早い方で助かりました。実は成績も良いですし、頭の回転の速い方なのですよね、松本さんは。陸上部でも男子に混じってかなりがんばっているご様子ですし、素直に凄いなと思ってしまいます。それだけに、現状では大会などには出られないというのがとても残念に感じてしまうのですけれどもね…。
「今のって…。」
「…うむ。」
早島さんがこちらに来られて、工藤さんと目配せをしてそう言葉を交わしています。
「…同席するわよ。」
「…そうだな、そうしてもらえるとありがたい。」
重くうなずく工藤さん。…やっぱり皆さんは、私の守護者なのですよね…。申し訳が無いです…。
放課後になり、清掃が終わって教室に戻ってくる私達です。今日は少し緊張気味に、みんな黙々と清掃をこなしていました。松本さんとのお話を控えているから、でしょうね…。早島さんももう教室に戻って来られていて、私達の姿を見つけて来てくださいました。
「…来るべきものが来たわね。」
「そうだな、まだ彼で良かったのではないか。」
「そう思う、他の人達よりはずっと話が通じるはずだよ。」
そう早島さんと工藤さんと毛野さんがお話をしています。柿沼さんは相変わらず眼鏡を直していますが、眼鏡の奥の目が閉じています。木島さんもいつになく真面目なお顔です。もちろん私自身も、心拍数が上がりっぱなしです。
「済まん、待たせたかな。」
ややあって、松本さんがやってきました。
「…少し離れた空き教室を使おうか。」
そう毛野さんが提案します。皆さんうなずいて、
「そうだな、それくらいの気は使うべき話だった。」
と、松本さんは改めて言ってくれました。
場を変えて、校舎の隅っこにある空き教室に移った私達です。そっと扉を閉めて、少し話声も抑えめにしてお話を始めます。
「済まないな、姫。自分がオープンにしている当事者だと、どうも感覚が鈍ってしまう。」
一言目にそう改めて謝罪をしてくれる松本さん。この方ならお話しても大丈夫でしょう。
「いえ、良いのです。もう、お分かりですよね?」
私はそう松本さんに微笑みかけます。
「完全に解ったと言えるかどうかは解らないが、姫は俺と同じ、いや、同じじゃないか、逆の立場の人間なのだろう?」
そうですね、松本さんはFtM、私はMtFですから、逆の立場、と言えるかもしれません。
「はい、そうです。まだ、おおやけにはしていませんが…。」
素直に認める私です。ここまで来て下手に誤魔化すより、きちんとお話をして理解をして頂く方が良いでしょう。
「…前期からそれとなく様子は見ていたんだが、もう治療はしているのだろう? 最近、かなり様子が変わってきているように感じてな。俺が当事者だから、過敏だったのかもしれないが。」
「はい、去年からホルモン治療は始めました。効果も現れてきて、だんだん変化しているなと思っているところです。…髪の毛も、下ろせばそれなりの長さになりましたし。」
何となく、お互い何をどこまで聞いて良いのか、話をして良いのかと探り合いながらの会話です。同胞同士とは言えども、いや同胞同士だからこそ、微妙な問題が絡むことを知っていて話が難しいのかもしれません。
「学校側には、もう伝えてあるんだろう?」
「ええ、入学前から伝えてあります。ただ、私自身がまだ治療の効果が表れていなかったのと、生活を切り替える自信が無かったもので、一年生のうちは男子生徒でとお願いをしたのです。…来年度から、女子生徒扱いにして頂く予定でおりましたが。清水先生とも相談をしていて、三月に頃合いを見てクラスの皆様にはお知らせする予定でした。」
松本さんの問いに、素直に事実と、今後の予定をお話します。このくらいはもう皆さんも早島さんもご存知のお話です。問題はないでしょう。
「どうしてまた女子生徒扱いにしてもらわなかったのかと疑問だったんだが…そういう事か。納得したよ。…でもかえって苦労をかこってないか、それ。」
うーん、そう言われてしまいますと、それは否めない部分はあるのですよね。
「普段の体育の時など、困ることはあります。ただ、今一緒にいる皆さんがもう私の事を知ってくださっていて、何かとカバーしてくださるので、何とかなっているというのが現実でしょうか。」
着替えの時などもうかなり膨らんだ胸を隠さないといけないのですが、そっと皆さんが他の方々の視線を遮るようにしてくださっているので、何とか隠せているというのが現状なのです。毎回それとなくみんなで話し込んでいるように見せかけているので、何とか誤魔化せているというのが実情ですが…。私の方が皆さんよりも身長も体格もだいぶ小さいですから、皆さんが私を囲むようにしてお話している風を装えば、自然と私の姿は隠れるという訳なのです。
「ああ、それでみんな一緒に来たのか…。心配されてるんだな、姫は。」
何か得心の行った表情の松本さんです。
「お話しても良いのかしら、姫。」
「ええ、構いません。ここまで来て隠すことはありませんでしょう。」
早島さんにたずねられて、そう答えを返します私です。
「実は、前期の割と早いうちから調理部内では既に姫が性別違和者である事は知られているし、部活動中は女子生徒扱いなのよ。まだこれは部内だけの秘密だけれどね。そういう形で学校生活に少しずつ慣れて行こう、というお話でね。」
と、早島さんがおっしゃいます。若干、宇野さんの提案はそれだけを目的としていたものではないのではないかという気は致しますけれども、まあそこは置いておきましょう。
「そうなのか。調理部内でだけね…みんな口が堅いんだな。漏れ聞こえてくるような事は無かったな。」
確かに、そこはかなり人に恵まれたと思います。あの調子の宇野さんでさえ、秘密は秘密としてきちんと外では扱ってくださっている様子ですし…。
「俺達の方は、たまたま通院帰りの姫とばったり会う機会があってな。今にして思えば気付かないふりをしてスルーしてあげた方が優しさだったのかもしれんとは思うのだが、声を掛けて事情を聴いてしまったのだ。もう半年近く前になるだろうか。」
と、工藤さんです。もうそんなになりますか…早いものですね。
「あー…隠れて通院しているとそのリスクはあるよな。さすがに男装で通院って訳にもいかないんだろう?」
そう松本さん。私はうなずいて、
「ええ、私の通っているのは産婦人科さんですし…。内分泌外来専門の病院であれば、そこまで気にしなくても良いのかもしれませんが、既にプライベートは女子に切り替えていますから…。」
と、説明を申し上げます。
「ふむう、大体のところは解った。そうすると俺もまだ黙っているべきだな。まだしばらくは辛い日が続くな…。」
そう気遣ってくれる松本さん。
「そうですね…。ですが女子扱いになったからと楽ばかり、という訳ではありませんでしょう。それはそれで苦労をする事も覚悟しておきませんと。」
そう微笑む私です。
「それはそうだな、俺も男性扱いになった当初はそれはそれで苦労したからな…。何か協力が必要な時には言ってくれ、できる範囲で協力しよう。」
「ありがとうございます、松本さん。」
微笑んで頭を下げる私です。
「なに、せっかく同じクラスの仲間だ、できる事くらいするさ。」
そう松本さんは笑ってくれたのでした。
いつかは看破されるだろうとは思っていました。自分から言い出すのと、どちらが早くなるかは解りませんでしたが…。それでも、きちんとお話をして解って頂けて、それだけでも幸いでした。これで、クラス内に六人目の理解者を得たことになります。
ありがたい事です、本当に…。
こればかりは当事者でないと感覚として理解するのは難しいのですが、やはり何となく同じ立場の人間だな、と直感的に感じ取るということはあるのです。
些細な仕草、言動、行動、そんなところから疑いを抱いて、やがて確信に至る。
そんな事がままあります。
それにしても咄嗟に引き留めた毛野さんは凄いナイスプレーをしたと思います。
実際自分がオープンにしている当事者だと、隠している当時の感覚を忘れてしまって…という部分はあるのです。
つい相手も自分同様にできるものだと思い込んでしまったりもしますし。
今回は普段毒舌ばかり吐く早島さんも、ふざけてばかりいる四馬鹿も、緊張感を持って真剣に対応しています。
それだけ姫の事が心配なのでしょうね…。