第29話 ~ほどほど活動の皆さんです~
第29話 ~ほどほど活動の皆さんです~
木島さんが元気を取り戻されて、一六回目の敗北を喫して帰ってきまして、私達は無事に日常を取り戻したのです。随分落ち込んでいるご様子でしたから、かなり心配したのですけれども…何とか土日で立ち直ってくださったご様子です。
とりあえず私の胸でしばらく涙を流して、一六回目の敗北の痛手も回復してきた様子の木島さんです。立ち直り早いですよね…。まあ、そうでなくてはわずか八週間の間に一六回も敗北を喫する事は無いと思いますけれども。それにしてもよく一年生から三年生まであちこちに手を回しているなあと思います。その行動力だけは称賛に値しますね。勝算は全くないみたいですけれども。
「そういえば皆さん運動部ですけれど、朝はいつもクラスにいますよね。朝練というものはないのですか?」
ふと思い出して聞いてみました。私達の学校は結構運動部も力を入れていると聞いていますから、当然あるものだと思っていたのですけれども。
「ああ、ガチ勢にはあるよ。」
と、毛野さんが答えてくれました。ガチ勢には…という事は、毛野さんはエンジョイ勢だという事でしょうか。確か対義語はそれでしたよね。
「部活に青春を捧げたい連中は集まってやっているみたいだな。別に強制ではないから参加はしていないが。」
今度は工藤さん。ふむふむ、そうなのですね。
「僕もそこまで入れ込むつもりはない。」
柿沼さんもですね。まあ、いつも朝早めにクラスに来ていますものね。
「俺は部活よりも恋に青春を捧げるんだ!」
安定の木島さんです。まあ、元気になってくださって何よりですね。
「まもなくインターハイですから、皆さんも忙しくなってきていますでしょう。何かと大変ではありませんか?」
軽く小首をかしげてたずねてみます。こういう仕草がなよっぽいと言われるのですけれど、癖ですからどうしようもないのです。
「まあ、放課後の活動は大変だな、下校時間まで練習になっているし、レギュラー陣の練習のバックアップもせねばいかんしなあ。下働きばかりで少々不満が無い訳ではないが、まあ運動部というのはそういうところだから仕方がない。」
と、工藤さん。そういうものなのですか…。調理部も一応上下関係はありますけれど、そこまで厳しくはないですものね。先輩方皆様お優しい方々ばかりですし。
「まあ、三年生神、二年生人間、一年生奴隷ってほどではないから、中学校時代よりはましな扱いを受けているかな。」
えっと、そう致しますと毛野さんの中学校時代はそうだったという事でしょうか。またそれは随分と前時代的な…。未だにあるのですね…。
「そこは同感だ。この学校は人権意識が強いと見える。」
あら、柿沼さんもですか…。皆さん実は結構中学校時代苦労してこられたのでしょうか。高校一年生にしては皆さん大人びているような気はするのですが。まあ、年齢相応のやんちゃなところを見せる事もあるのですけれど。…木島さんは年齢相応でしょうか、などと思うのは失礼でしょうか。別段幼いと言っている訳ではないのですが、年齢相応に何と申しますか、お元気だなあと思う訳です。…少々、お元気すぎる気は致しますけれども。
「なに考えてるんだ、姫?」
その木島さんが私の顔をのぞき込んできました。皆さん身長180cm程度、私は身長165cmなので、のぞき込むときはちょっと屈み気味になります。
「木島さん、あの…近いです…。」
何か恥ずかしくてそう申し上げる私です。結構間近にのぞき込まれてしまいましたので。
「さっきまで密着してたのに近いも何もないだろ?」
うーん、そう言われるとそのような気もして参りますけれど、でも顔をのぞき込まれるのは恥ずかしいのですよ。絶対私また顔を赤くしていますよね、きっと。
「ほらほら、姫が恥ずかしがっているじゃないか。離れた離れた。」
毛野さんが木島さんの髪の毛を引っ張って強引に離してくれました。
「痛ぇ痛ぇ、禿げたらどうするんだよ!」
「どうせ1か月もあれば生えてくるでしょう、ほら、アレな人ほど伸びるの早いって言うし。」
毛野さんが何をおっしゃっているのか、解るような気はしますが解らないことにしておきましょう。
「俺はそこまでエロくないぞ?」
「その割に女の事しか考えていないではないか…。」
木島さんの反論に工藤さんがツッコみます。ええと、まあ、それはそうですよね。
「女イコールエロと直結して思考するお前たちの方がよほどエロいだろう?」
何だか珍しく木島さんが正論を言っていますよ⁉ 雨でも降るのではないでしょうか⁉
「決して我々がそう考えているとは言っていない、お前の頭の中ではそうなっているのではないかと危惧していただけだ、勘違いをするな。」
工藤さんが憤然とした顔で抗議を入れています。まあ、お付き合いするにしても色々な形がありますものね。いくら思春期だからと申しまして、それ目的だけのお付き合いを求めるというのは不純に過ぎるというものです。私などは到底受け入れられませんね。もっとも、私自身はお付き合い自体が難しいでしょうけれど。
「そうだよ木島君、僕らは君の事を心配して言っているだけだよ。君についてどういう評判が立っているのか知らない訳ではないだろう?」
やれやれ、という表情をされる毛野さんです。
「どんな評判を立てられているんだ俺?」
おや、ご存知ないご様子ですね、木島さんは。でもお伝えするのははばかられます。
「『学校一の無節操男』『下半身だけで生きている男』『最低最悪の駄目人間』『こいつだけは有り得ない』『学校の恥』『駄目男の見本』『同じ空気も吸いたくない奴』『存在自体が不快』『盛りのついた犬』『女なら誰でも良い』『息をするように口説く不埒な奴』『女子の敵』といったところかしら、私の聞いたところだとね。」
早島さん、いつからお話を聞いていらしたのですか。そしてどうしてそんなに知っていらっしゃるのですか。ろくな評判を立てられていないですね。僅か8週間でそこまで言われるって、木島さんも凄いと思いますが…。
「なんか俺、すごい誤解をされていないか?」
「当然の帰結だと思うが?」
木島さんの疑問に、柿沼さんが即座に切り返しています。そこまで言っては可哀想ですよ。
「まあ、仕方ないだろう。とりあえず望み通り校内全体にお前の事は知れ渡ったんだぞ、喜べば良いだろう。」
「この知れ渡り方は全く嬉しくないんだが…。」
工藤さんの言葉にそう感想を漏らす木島さんです。良い評判が一つもないですものね。不本意も良いところでしょうけれど…うーん、さすがに私でも擁護ができないです。
「そう思うなら受精卵からやり直してきなさいな。ああ、遺伝子自体が駄目なのかしらね。環境要因の問題ではないのかもしれないわね。」
どちらかというと受精卵の段階からやり直したいのは私ですね、早島さん。XX染色体で生まれたかったです。ああでも、そうなったら私という人間は存在しない訳で、もうこれは無意味な仮定でしょうか。別の遺伝子を持った別の人間になってしまいますものね。とはいえ魂というものは肉体に依存するものなのか、それとも肉体というものは魂を入れる器に過ぎないのか、未だに解明はされていないのですけれどもね。1907年のダンカン・マクドゥーガル医師による実験結果によると魂の重さは21グラムという事でしたが。
「なんか俺、もう存在自体を否定されていないか?」
「少なくとも学校内の女子達からはそういう扱いを受けている様子だな。早島さんはまだましな扱いをしてくれている方なのではないか? 一応口もきいてもらえれば半径1mまでは近寄ってくれているぞ?」
工藤さんがそう指摘しています。言われてみるとそうかもしれませんね。他の女子達は露骨に避けていますからね。
「同じ人間だと思うからいけないのよ。躾のなっていない駄犬だと思えば良いのだわ。ろくでもないことをしそうだったら容赦なく鞭をくれてやれば良いだけなのだから。」
…左様でしたか。そういえば早島さんからは皆さん駄犬扱いなのでしたね。同等の存在ではないから良いという事らしいです。うーん、何だかひどい理屈ですね。
「そういえば今日は紅葉はついていなかったね。振られ方も上手になって来たのかい?」
何を聞いているのですか毛野さん。そもそも振られ方に上手とか下手とかあるのですか?
「今日は声を掛けた瞬間に『あなたの事は知っているわ、間に合っています。』って笑顔で言われた。」
何が間に合っているのだかよく解らないですね。セールス電話の断り方みたいになっていますよ、なんだかもう。
「笑顔で断ってもらえた分良かったじゃない。言葉も柔らかいし、優しい人だったんだね、今日の人は。」
との毛野さんの評価です。ええと、これはそういう事になるのでしょうか…。笑顔で拒絶ってそれはそれで結構傷つくような気はするのですけれどね。
「口をきいてもらえただけましというものだわね。行動で拒絶を表明されなくて良かったじゃない。」
確かにまあ、いきなり思いっきり引っ叩かれるよりは良いでしょうか。そういう意味では早島さんのおっしゃることも解らないではありません。それを考えますと宇野さんはなかなか容赦のない方だったのですね。行動派であることは何となく理解していますけれども。
「女子勢もやんわり断るから悪いのではないかな。もっと手ひどくこいつが立ち直れないくらいの言葉を掛けてやれば、多少は行状も改まるのではないか?」
そういう考え方もあるかもしれませんね、工藤さん。でも木島さんの事ですからめげずに行くと思いますよ。『きっと俺を受け入れてくれる人もいる!』と言って…。
「俺、基本的に優しい女子しか好きにならないぞ?」
「一応好みというものは存在したのだな。」
私も少々驚きですね、柿沼さん。木島さんにそんな基準があったとは。もっとも、数日の観察期間だけで優しいかどうか判別できるのかというと怪しいですが。
「その割にこの間早島さんに付き合ってくれって言っていたよね?」
毛野さん、それは言ってはまずいですって。あ、ほら、早島さんが…。
「大人しい駄犬、それはどういう意味かしら? 私は基本的に優しいわよ?」
ええと、たぶん『女子には』という限定条件が付くと思うのですけれども、確かに実は優しい方だと思っています。いつか限定解除される時も来るのでしょうか。
「早島さんで優しいなら世の中の女子の9割は優しいことになるな。」
火に油を注がないでください、工藤さん。
「優しさというのも色々な種類があるのよ、ツッコミ役の駄犬。甘やかすだけが優しさではないわ。自分に都合の良いものだけを優しさと捉えるのは間違いというものよ。」
おや、これはごもっともなお話ですね。結局本人のためにならなければ甘やかしであって優しさではないという考え方もありますから。あれ、でもそうしますと皆さんを駄犬扱いして色々と言うのも早島さん流の優しさなのでしょうか、もしかして。色々申しましても目を掛けている事は間違いないですものね。他の男子とお話しているところは見たことがないですし。実は案外良い待遇を受けているのではないでしょうか。
「俺の事ばかり話題にするけどよう、お前らだって人並みに彼女の一人くらいほしいだろ?」
木島さんがそう聞いています。まあ、年頃の男子ですものね、皆さん。
「それは否定しないが、お前ほどがっつく気はないぞ。」
「まあ、ご縁があればね。なかなか難しそうだけれど。」
「時機を待つというのも選択肢の一つだろう。」
そう工藤さん、毛野さん、柿沼さんが言っています。皆さん人並みには考えていたのですね。まあ当然と言えば当然でしょうか。…皆さんに彼女さんですか。何か少々気持ちがもやっと致しますね。これは一体何でしょうか。
「無節操な駄犬よりは見込みがあるのではなくて?」
あら、早島さんがまた木島さんを叩き落していますよ…。なんだかもう木島さん叩きが定番になっていますね、早島さん。
「おう、俺よりは…って何を言わせるんだよ早島さん、俺そんなに見込み無いのかよ。」
「さっきの女子勢からの評判を聞いてまだ見込みがあると思える前向きさだけは評価してあげるわ。ただ同時に、楽天的すぎる脳味噌をどうにかした方が良いという忠告もつけてあげるけれど。」
まあそうなりますよね。しかし女子組の皆さんも大変な評価をつけたものですねえ…。私も多少は聞いていましたけれども、さすがにそこまでとは思っていませんでした。
「要するに頭が空っぽだという事だな。」
そう要約する工藤さんです。ええと、もうちょっとオブラートに包みましょうよ。
「そうね、宇宙空間並みに希薄なのではないかしら。」
「一応一立方センチメートル当たりに水素原子数個くらいはあることになるな、それだと。」
早島さんの言葉に工藤さんが返します。まあ、どこの宇宙空間を観測したかにもよると思いますが…。
「俺の頭蓋骨の中には数千個の水素原子しかないのかよ?」
脳の体積を1350立方センチメートルだと仮定するとそうなりますね、木島さん。
「うむ、アボガドロ定数にすら届かないな。」
柿沼さんがそう言って眼鏡をかけ直しています。アボガドロ定数は確か6.02214076×10の23乗個ですから、確かにまったく届いていませんね。
「どんな精密な秤をもってしても計測不能だね。」
そう笑う毛野さんです。計算値としては出せますけれど、今度は単位の方が追いつかなさそうですね。そんなに小さな質量を表す単位というのは存在しないのではないでしょうか、実用上必要ないですからね。
今朝は随分いろいろお話しましたが、予鈴が鳴りましたのでここで終了です。とりあえず木島さんがいつもの調子を取り戻してくださって何よりですね。
放課後、部活の時間になります。
「お疲れさまです。」
あいさつをして調理室へ入る私です。早速宇野さんに物理的に捕まりました。
「姫ちゃん、あいさつなんかしている暇があったらさっさと本来の姿に戻っていらっしゃいな。1ミリ秒でも早く。」
と、準備室に引きずって行かれました。あの、あいさつくらいさせてください…。そんなに私が男子の格好でいるのが許せないのですか、宇野さんは…。
という訳で制服を着替えて調理室に再登場する私です。着替えも慣れて、手早くできるようになってきました。制服ですからそんなに複雑なつくりをしているわけではありませんからね。ひとまず定位置に座ります。
「今日は活動の前に連絡事項があります。みんな来週の土日月とインターハイなのは知っているわよね? 調理部は応援に駆り出されることになるから、そのつもりでいる事。」
浮田部長さんがそうお話をしてくださいました。中学校の時も応援には行きましたものね、やっぱりそこは一緒みたいですね。
「初日は開会式に参加して、そのあと移動になるからね~。一応3日間ともお弁当持参でお願いね。勝ち進めなかったら午後の応援が無くなる事もあるのだけれどね~。」
と、微笑む赤松副部長さんです。せっかくですから勝ち進むことを願いたいですね。皆さんがんばっていらっしゃるのでしょうし。もっともそれはどこの学校でも一緒といえばそうなのですけれど、やっぱり自分の学校をひいきにしてしまうのは仕方のないところですよね。
「部活動ですから姫ちゃんは女子制服ですよね?」
えっ、ちょっと、無茶をおっしゃらないでください宇野さん⁉
「…さすがにそれはまずいんじゃないかしら、他の部の人達とも一緒になるのだし。」
一応真面目に答えてくださる部長さんです。たずねなくても解っていた回答だと思うのですが…。…どうして心底残念そうな顔をなさっているのですか、宇野さん…。
「姫ちゃんはもう女子で良い気はするけどねー。」
そう笑う八浜さんです。
「そうよねぇ、いつまでも男子扱いの方が可哀想だわぁ。早く切り替えられると良いのにねぇ。」
彦崎さんもそう言ってくれます。うーん、でもまだ自信がないですよ、私には。
「あまり無理を言わないの、みんな。姫にも心の準備とか生活の準備とか治療の進み具合とかいろいろ事情があるのだから。」
早島さんがたしなめてくださいました。やっぱり本質的にはお優しい方ですよね、早島さんは。きつい態度や過激な言動や行動を取ることもありますけれど。
調理部の皆さんは内面重視で見てくださいますから、私の事を女子として扱ってくださいますけれど、果たして外見だけで判断されたらどうなりますでしょうか。まだ少々厳しいのが現実ではないでしょうか…。それともこれは私の自信の無さでしょうか。聞いてみたい気は致しますけれど、否定的な答えが返って来るのではと思うと怖くて口には出せません。私の臆病さですね…。
「まあ姫ちゃんの件はそんな訳で男子として来てもらうとして、他に何か質問はない?」
「当日はどこに何時集合ですか?」
もっともな質問を八浜さんがしています。そういえばそこをうかがっていないですね。
「ええと、ちょっと待ってね…。8時30分までに宮城野原の陸上競技場に来て頂戴。競技場内の場所は当日割り当て場所が掲示されているはずだから、それを見て来てね。まあ、100人くらいは見慣れた制服が集まるはずだから、見渡せば何となく解るとは思うけど。」
メモを見ながらそうおっしゃる部長さんです。普段よりはちょっとのんびりでしょうか。
「ちなみにちゃんと出席日数に入るからね~、サボったらだめよ~。」
副部長さんがそう注意を入れています。あ、一応そういう扱いなのですね…。もちろんサボるつもりは無かったですけれど。
「それじゃ今日の活動を始めましょうか。」
連絡も終わり、早速今日のレシピに入る私達です。
それにしてもまもなく6月ですか…。
色々危ぶまれた高校生活ですけれど、何とか2か月は終わりましたね。無事に、とはちょっと申しがたい部分もありますけれども…。
部内で受け入れて頂いているだけ、良いというものでしょうか。
男子組の皆さんは運動部所属ですが、活動は適度に参加でがっつりとはやっていない様子。
結構自由度の高い部活動を行っているみたいですね。
レギュラー陣は厳しい練習を積んでいるのでしょうけれども…。
木島さんは前回から比べて、元気を取り戻した様子です。
それにしてもわずか2か月でこれだけの評判を立てられるとは、何をやったんでしょうか、一体。