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外伝第33話 ~インターハイ余話~

本編第181話から184話、およびサードシーズン第72話に関係するお話です。

外伝第33話 ~インターハイ余話~




 小山が三年生の6月頭、インターハイが開催される時期。

 運動部に所属している生徒は種目ごとの大きな大会を待たずにインターハイで引退になるのがこの学校の習わしなので、これが最後の公式戦参加の機会という三年生がほとんど。夏の甲子園大会を控えた野球部など、例外もいくつかあるのだが。

 小山本人は調理部所属だからあまり関係ないのだが、周囲の人々には運動部に参加している人も多くて、そういった人たちには高校最後の晴れ舞台ということになる。




 その中の一人である松本は、あんまり人数が多くなくて少数精鋭ともちょっと言えない陸上部の中で、経験の深いものとして大会参加を控えてのアドバイスやコンディション維持の補助に専念していた。

 大会の会場に着いて、競技の時間までウォーミングアップ。きちんとやっておかないと力を出し切れないうえに故障の原因にもなることを熟知している松本、何くれとなく気を使って巡回指導している。

「岡本、筋が伸ばせてないぞ?」

「おっと…へへ、さすがにちょっと上がってんのかな。これで最後だもんな。」

 一年生の最初のころにはひと悶着あった岡本とも、今ではもうすっかりおんなじ部の仲間同士。結構ちゃんとした友情が成立している。

 その岡本、補助に専念する松本を見て、最後の一戦くらい一緒に参加できたら良いのになと改めて思う。もちろん部内予選でも松本は最初から選外だった。オリンピックでは性別変更後のトランスジェンダー選手の参加が認められるようになったものの、それがどのスポーツの大会でも同様になるまでには、まだかなりの議論と合意を経なければならないだろうと松本は思っているが、岡本はそんな小難しいことはどうでもいいんだよ、一番熱心にやってる奴が最初から参加できねぇってのはなんか納得いかねぇだろと思っている。

「ちょっと二年生の様子も見てくる。お前もだいぶ経験積んだんだし、大丈夫だからな。今日は自己ベスト更新しようぜ。」

 笑顔でそう岡本の肩を叩いて、二年生の集まりのほうに歩いてゆく松本。その背中を見送る岡本。どこか寂しいものを感じながら。




 バスケットボール部に所属の工藤も、最後の大会参加。もっとも工藤は試合出場メンバーの控えにも入っていないので、応援要員だが。

 工藤本人は『そもそもレギュラーに選ばれるほどしっかりと部活していたわけではない』とあっさりしたもの。それでもこれまで、好きな球技で割合楽しく活動はできたなと思っている。公式戦の勝ち負けにそこまでこだわる気もあんまりないのだけれど、だからとレギュラー陣のやる気に水を差す気はもっとない。

 バスケットボール界隈では特定のチームを応援する人のことを『ブースター』と呼ぶことがある。直訳すれば『高めるもの・後押しするもの』となるだろうか。もちろん工藤もちゃんと部活仲間のレギュラー陣を後押しするつもり。

 ということで試合前の準備を進める出場者達とは別に、観客席で応援の準備。そろそろ応援に来てくれる文化部も着くころだなと、スマホで時間を確認する。

「手芸部さん来たみたいだから、工藤頼めるか。お前おんなじクラスだったろ。」

「うむ、解った。」

 部長にそう言われて、対応に出る。何となく文化部ごとに受け持ちが決まっているのか、毎年手芸部が来ているような気がする。手芸部長の松山と副部長の松川も三年一組。気づけば三年間同じクラスだった。

 そんな訳で体育館の外に出て、この辺にいますと言われたあたりに行ってみる。見回してみて見慣れた制服は…ああ、いた。

「おはようございます。今日はお世話になります。」

 近づいて、そう声をかける。

「あ、工藤君! こちらこそよろしくだよ!」

「応援、足を引っ張らないように頑張るわね。」

 そう松川と松山からの返事。二人とも『普段関係のない部の応援に駆り出された』と面倒臭がる雰囲気はみじんもない。

「男子部だったらテニス部行きたかったなあ…。」

 などと誰かがぼやいているのが工藤の耳に聞こえてきたが、まあ流すことにする。うっかり本音を漏らしたのは芦口。どうせだったら塩尻と一緒のほうが嬉しいということらしい。それはそれで後で塩尻がテニス部仲間にいじくられる原因になる気はするのだが。

「しっ、怖そうな先輩に聞こえちゃうよ?」

 そう芦口の袖を引っ張ったのは手芸部二年生の土手内なのだが…これも工藤に聞こえてしまっている。そうか、俺は怖く見えるのかとやや複雑。土手内は工藤のことはよく知らないし、何かと噂の四馬鹿の一人とも気付いていないのだが、気付いたら気付いたで『木島と毛野の抑え役』という役どころをどう評価したやら。

「ここで待たせては申し訳ない、席に案内しましょう。こちらです。」

 手芸部員たちを先導して、体育館の中に入っていく。プロリーグの公式戦に使われたこともあった体育館で、観客席もしっかりしている。

「応援の方法ですが…。」

 とりあえず席に座ってもらって、普段バスケ部でやっている応援の方法を説明する工藤。普段からやり慣れているバスケ部員たちは良いとして、手芸部の一年生などは完全に初めての応援になる。松川と松山は三年目で回数もそれなりに、芦口と土手内と大塒の二年生三人も去年の経験がある…覚えているかはともかくとして。

 とはいえ、そんなに複雑な応援をするわけでもなく、バスケ部独自の応援歌があったりするわけでもない。学校によっては入学直後に応援歌を全曲生徒に文字通りに叩き込む学校もあると工藤は聞いたことがあるが、この学校ではそこまではやらない。一応生徒手帳にそれっぽいものは載ってはいるが、在校生と卒業生ならだれでも歌えますとまではいかない。

「皆さんは存在そのものが応援になりますから、あまり声を枯らして無理まではされませんように。」

 などと言って説明を〆る。工藤としては精いっぱい冗談を言ってみたつもり。まあ女子が応援に来て嬉しくないこの年頃の男子というのも少数派だろうか。女子ならだれでもいいってわけじゃねえぞというちょっと贅沢な反論は出てきそうだが。

「今年はどんな感じ?」

 そう松川に聞かれて、少し考える工藤。どうと言われてもどうと答えればいいものか。

「そうですな、おととしは準決勝進出まで行って、去年は三回戦敗退でしたが、今年はどこまでいけるかというところですね。ぜひ明日も明後日も応援をお願いするようになってほしいところですが。」

 ですが…である。客観的に見ても対外試合の成績を見ても、チーム全体の力が一昨年や去年より上回っているという感触は、工藤にはなかった。かといって普段レギュラー陣に負けないくらいがんばっている訳でもない自分がそれを言うのはおかしいと思うと、言えない。そんな訳で実績と希望を述べるにとどまった。

「そうね、私たちも力になれたらうれしいのだけど。ああ、そうそう。」

 松山が何かを取り出す。白い布が折りたたまれて紙袋に入れてあるようだ。

「それほど大きなものではないけれど、横断幕を作ってきたから、使ってもらえれば。」

「何と、よろしいのですか? それは申し訳ない…。」

 紙袋を押し頂く工藤。少々お待ちをと言いおいて、バスケ部陣のほうへ戻る。

「部長、手芸部さんからこれを頂きまして。」

「ん、布? え、横断幕? わざわざ作ってきてくれたのか? どれどれ…。」

 さっそく、広げてみる。白地の布に端切れで作ったのだろう学校名と応援の言葉をかたどった布が縫い付けられている。どこの部の応援にも使えるようにと考えたのか、部活名は入っていない。

「ん、何枚かあるな?」

 なんだか5枚ほど出てくる。学校名は一緒、応援の文句が違う。

「ずいぶんいっぱい作ってくれたんだな…。これはお礼の一つくらい言わないとな。」

 バスケ部部長、紙袋を手に手芸部員たちの座る席へ歩く。すぐそこだが。

「皆さん、ありがとうございます。早速使わせていただきますね。」

 そう笑顔でお礼を言うバスケ部部長。喜んでいただけて嬉しいですとこたえる松山。実のところ『運針の練習の総仕上げに何か作ろう』というお話になって、それじゃ今度インターハイの応援に行くからとこういう運びになったという裏があったりするのだが、習作だからと価値が落ちる訳でもないだろうか。

 そんな訳で、バスケ部の初戦は小ぶりな横断幕を掲げて戦われることになった。




 木島の所属するサッカー部は、応援に調理部が来てくれることになっている。試合の行われるサッカーコートに着いて、まずミーティング。

「今日は三年間の集大成を示す時だな、みんな悔いを残すなよ!」

 そう部長が檄を飛ばす。おう!と答えが返ってくる。

「今年も調理部が応援に来てくれることになったからな。誰か対応に出てほしいんだが…。」

「部長、それなら俺が。」

 真っ先に手を挙げたのは木島。その場にいる全員の目が集まる。

「あー、調理部に彼女いるんだっけか。」

「え、木島先輩彼女いたんすか。」

「それでいてあっちこっち声かけて歩いてんですか。ダメっすよそういうの。」

 部長が何か変なことを言い出した結果、集まっていた目線が険しくなる。なんだかおかしな雲行きだ。

「姫はそんなんじゃねえっすよ?」

 ただの友達というちょっと寂しいところに留まっているのが木島の認識。そもそもたぶん、姫自身はまだそういうことに興味がないというか、興味を持っちゃいけないと思ってるだろうと考えている。

「いやそっちじゃなく。学校内で気取られないように普段はつんけんしてるって聞いたけどな。」

 ん?とちょっと考える木島。いったい誰とそんな話になったのか。不愛想で態度や言葉がとげとげしい…?

「や、そっちはますますそんな話はねえっすよ。本人に言わねぇでくださいよ、俺が殺される。」

 思い当たるのは早島くらいだが、これは本人が知ったら鞄で殴られるくらいで済むだろうか。とても恐ろしい目に遭わされることは木島にも想像できたが、具体的な方法は想像するのが恐ろしくてできない。

「まあいいか。意外と調理部女子恐ろしいって噂だからな、木島なら何されても生きてるだろ。何しろ五百連敗の男だからな。」

 そこまで回数行っていないと思いながら、任せてもらえたからまあいいかと引き下がる木島。小山や早島がいるのも自薦した理由の一つではあるが、実はそれ以上に宇野の件があっての立候補だったりする。別に宇野のことを心配した訳ではなくて、実態が知れ渡って宇野が窮地に陥ったら小山は悲しむだろうし早島もどんな挙に出るかわからないからそういうことは防ごうという、主体はあくまで小山と早島のお話だ。一応宇野も知らない仲ではないから、ついでにそのほうが宇野さんにも都合が良いでしょうと思ってはいるが。


 そんな訳でさっそく、試合前に調理部がお昼を食べているところに顔を出しに言った木島だったが…宇野からなんであんたなのよと文句を言われていや宇野さんがいるからでしょうと言い返したのである。そのあと早島が変な茶目っ気を出して追い込まれて小鶴に恐怖を与えられるという妙な流れになった。なんでまた早島が小鶴を煽ったのかというと、最近なんだかちょっと木島のことを意識してしまうところがあるのでそれが気に入らなくてつい意地悪したくなったらしい。とことん素直じゃない人である。


 応援のほうは調理部はがんばってくれているのだが、気付いたことが一つ。

「お前ら調理部に声負けてんぞ?」

 サッカー部の後輩組、調理部の方ばかり見ていてなんだか応援に力が入っていない。困った奴らである。普段女に縁のねぇ奴らばっかりだから、まあ無理もねぇかと思っていたりはする木島だが。

 そこで猫をかぶった宇野が一言。

「仲間想いなところを見てみたいですね、皆さんの。」

 と、かわいい微笑みとともに。

 そんな訳で変なスイッチが入って、その後の応援は熱を帯びたものになったのであった。


 翌日の二回戦でも調理部が応援に来て、無様な試合は見せられないと張り切るレギュラー陣。

「良いとこ見せろよお前ら!」

 と、それでいいのかという檄を飛ばす部長。変に大上段に構えた訓示をするよりそのほうが単純明快にテンションが上がるという直感的な判断。全員から元気いっぱいの返事が返ってくる。

 までは良いのだが、相手は目下県内で一番強いと目されている強豪の、特待生も留学生もかき集める私立校。木島たちの学校も私立だが、そこまで部活で売っているわけではない。

 ひとまずコート際で応援の指揮を執る木島。それでも全力でぶつかりに行くレギュラー陣に健闘してほしいとは思う。

 前日の宇野の一言はまだ生きていて、調理部のことを意識しながらも応援をがんばるサッカー部後輩組。なんだか変な構図になったものである。

 試合に出ているレギュラー陣はさすがにそんな余裕はなくて、真剣に試合に臨んでいる。

「強豪校相手に互角にやり合っているわね。これなら勝てるかも…。」

 コート際の芝生に広げたレジャーシートに座りながら、そうぽつりとつぶやく早島。

「菜々子解るの?」

 実はさっぱりな宇野が聞く。とりあえずゴールにボールが入れば1点なことは理解してはいるが、知っていることといえばそれくらいで、そういえば手を使ってはいけないんだったかしらという程度。

「兄がサッカー好きだから、多少は。」

 二人いる兄のうち片方が好きで、時折仙台のプロサッカーチームの応援にも行っているのだという。どちらかと言わなくても普段兄をこき下ろしてばかりいる早島だが、そこはそれ、ちゃんと家族としての情愛というものは持っている。

「ずっと頑張っていた皆さんなのでしょうし、いい結果になってくれれば…。」

 とは小山。もっともこれ論理に穴があって、こちらの学校が頑張っているならスポーツに高校生活をかけている生徒も多いあちらの学校はもっと頑張ってきたはずなのである。それでも公平に努力量を見るのではなくて身内を優先してしまうのが人というものだろうか。

 そんな話を聞いていた木島、あいつらまだ控えしか出してなくて本気で来てねぇからなぁと内心で思う。でもそれを言って応援の熱量を冷ますこともないなと思って、口には出さない。こちらを侮って本気を出さないまま負けたならそれはそれで試合の結果であって、向こうの采配ミスである。それならそれでこちらは一向にかまわない。今のうちにちょっとでもリードを稼げたらというところだ。


 そんなこんなでなかなか健闘したサッカー部だったが、後半から対戦相手がレギュラー組を投入してきてからは防戦一方。

「…侮られたものね。」

「え?」

 なんだかとても悔しそうに早島がつぶやくもので、小山が聞き返す。

「ディフェンダーまで全部完全に攻めに出てるわよ。こちらから攻勢をかけられるとは考えていないのでしょうね…。」

 一応知識のある早島から見るとそう見える…のだが、聞いた小山のほうはちんぷんかんぷん。でもディフェンダーと言うからには本来は守りが主任務なのでしょうねという程度の予想はできる。それから、そういえば相手の側のコートががら空きなのは何となく見て解る。

「あっ、抜けた…!」

 と、調理部一年の落合の声。早島に目を向けていた小山が目線をコートに戻すと、こちらの選手がボールを確保して、相手側のコートをひた走っている。

「攻めに出てミスが出たわね。これなら…。」

 そう早島。どうやらこちらのディフェンスがうまくやって、攻めに出た相手のボールを奪ったらしい。しかも守備ががら空き。大会優勝を狙うチームにしてはずいぶんお粗末なことをやったものである。

 ということで、こちらのフォワードとあちらのゴールキーパーと一対一の対決になる。シュートを放つこちら、ボールを防ごうとするあちら。キーパーの指先がボールに触れるが、はじかれたボールは勢いをそがれながらも飛び続け…。

 …ゴールの中に収まった。

 一瞬静まり返ったコート際、こちら側から歓声が湧き、あちら側からブーイングが湧く。点を取ったことに対するブーイングというよりも、点を取られたことに対するブーイング。

「…相手も本気出してくるでしょうね。」

 と呟く早島。応援を指揮している木島も同じ見解。完全になめられていた試合運びだったのが、この一点から流れが変わってしまった。

 結局負けはしたものの、それでもそれなりに相手に対抗できたということで、それはそれで気分も良かったサッカー部の面々だった。




 毛野の所属する男子バレー部は比較的人数が多いためか、特に応援の文化部は来ていない。女子部から応援の人をよこしてもらおう、そして代わりの人員をこちらから送り込もう!というお話もあったのだが、部としてまとまって団体行動するのにそれはないだろうという真っ当なお話が出て潰えた。

 ということで、出場しない部員が普通に応援するだけになっている。

「まあいいんだけど、ちょっと味気ないよな。」

「ま、これが普通だろ。贅沢言うなって。」

 なんてお話は出たのだが、そこまで何でもかんでも女子と言わないのは普段から女子部と交流がある余裕か。

「毛野はあれだろ、ホントは調理部に来てほしかったんだろ。」

 などといじくられている訳だが、

「まあ来てくれれば嬉しいけどね、でもそれはみんな一緒でしょう?」

 そう返されて、それもそうだなと納得して終わっている。いつもならそこからさらに突っ込まれるところなのだが、今回は毛野の返しがごく普通だったのでツッコまれなかったのである。

 毛野も普段一緒にやっている部活仲間ということで、がんばって応援していた。多少、声援の内容が彼らしく多少妙なものではあったが…。




 柿沼は自分も個人戦の選手として出場予定。打ち込みの鋭さだけなら部内でも有数ということで、それなりに強いほうなのだ。

 もっとも本人は冷静なもので『それだけで勝ち進めるほど甘いものではあるまいよ』と思っている。それでも自分の売りを生かす戦法を取れるあたりはデータ重視の柿沼らしいだろうか。

 結構よく後輩たちの面倒を見ていたということもあって、応援の声も割と大きい。部内でなんだかかわいがられている塩尻がよく慕っているというのも、一つ大きなところなのかもしれないが。

 初戦、二回戦と勝った柿沼だったが、三回戦では敗退。これで柿沼の高校での部活は終わりになった。




 そんな悲喜こもごものインターハイが無事終わった夜、応援から帰宅した宇野はスマホを取り出す。

「…テニス部で打ち上げに行っていたりするかしらね?」

 井上に連絡をと思ったのだが、そう思って、もうちょっと夜になってからにしようと考える。

 先に夕ご飯を作って、いつものように机に並べておく。今日は帰ってくるのかなと両親の顔を思い出す。いつも無表情で、笑顔など数えるほどしか見た記憶のない二人の顔を。

「そろそろ良いかな…。」

 夕ご飯を食べ終わって一休みして、20時過ぎ。真面目な人だから夜遅くまで出歩いたりはしないだろうと思う。

『こんばんは、インターハイお疲れさまでした。三日間どうだったかな?』

 とチャットを送ってみる。すぐには返事は来ない。食後の紅茶を飲みながら、少し待つ。

『こんばんは。みんな頑張っていたかな。僕も良いところまでは勝ち進めましたよ。』

 そう返事が来て、顔をほころばせる宇野。正直に言えばサッカー部の応援をしているよりもテニス部に応援に行きたかったのだが、そういうわけにもいかなかったのである。どこでもいいから応援に行けということにはなっていなくて、学校側から行先の指定があるのだ。

『そうなんだ。それなら私も嬉しいかな。』

 そう絵文字付きで送り返す。彼氏が嬉しければ私も嬉しいという論理。

『これで部活も終わりですね。これからは受験勉強に集中しないとね。もう先に始めていた沙樹子さんに追いつけるように頑張りますよ。』

 と返されて、終わったのだからどこか行こうと言いたかった宇野、詰まる。そもそもそう言われるほど受験勉強を頑張って始めていたわけでもない。ちょっと内心で慌てる。

『健太君なら大丈夫だよ。インターハイのお疲れ様くらいしたいと思うんだけど、どうかな?』

 そう送ってみる。そんなにおかしな提案ではないはず…。

『お気持ちだけで嬉しいですよ。』

 そう返ってきたのだが、これは婉曲な断りだろうかと、ちょっと落ち込む。

『それじゃお菓子くらい作って持っていくね。』

 と返したのだが、なんだかかみ合わない返しだったかしらとちょっと迷うところだった。




 そんな訳でインターハイの代休、宇野はお菓子をいくつか作っていた。浮かない気分で。

「レシピはこれで…。」

 とりあえず手を動かしていれば気分もまぎれる。せっせと作る。それでも焼く間だったり種を寝かせる間だったり、空き時間は結構できる。

「…うーん…。」

 時間ができたら彼女とゆっくり、というお話にならないのかなと、改めて考えてみる。少なくとも自分は時間ができたのだし好きな彼氏と少しはゆっくり、という発想が先に出てくるのだけれど…どうも相手の思考が読めない。

 どういうことだろう、もしかして私軽く扱われてる?などとと思ってしまう。

 いやいや、あの健太君でそれはない。そういうことはしない人だと信頼している。でもそうだとすると一体どういうことか?

 読めない。読めないことがますます不安を煽る。もしかして『仲のいい恋人同士』と思っているのは自分だけで健太君はそう思っていない?はっきり断るのができないだけでだんだん距離を取ろうとか思われている?そんな不安が出てくる。

 思い当たる節は…うん、私結構いろいろやらかしてるわよね。知られたら致命的かもしれないことも含めて。ううう、私のバカ。なんで我慢できないのよ…。でもだって…。

 そんなことを考えているうちに、オーブンが焼き上がりの時間を告げる。自分の存在の根幹にかかわるところまで沈み込みそうになっていたところを、それで引き戻される。

 ちょっと慌ててオーブンから焼き菓子を取り出して、食べてみる。うん、味は問題ないしできも良い感じ。渡せば喜んでもらえるだろうか…。

 袋に詰めて用意をして、健太君にそう言われたのだし少しはがんばらないとと勉強を始めた宇野だった。




 代休が明けて、学校が始まる。

 朝に小山と会った宇野、空元気を出していた気持ちがちょっと緩む。つい小山に謎かけ気味の本音を話してしまう。「何かあったのですか?」と聞かれて「何もないから悩んでいるのよ…。」と、判じ物のような問答をしてしまった。

 でも考えてみたら鈍いに超弩級が付く小山のこと、こういう話をする相手としては向いていない。それでも話くらいは聞くと言ってもらえて、ちょっと嬉しくはあった。もともとこういうことを言えば向いていないなりにちゃんと受け止めようとしてくれる人だと知ってはいるけれど、普段自分でもどうしようもないと思う行動をしていてもそうなあたり、良い人だなと思う。ちょっと人が良すぎて危なっかしい気もするが…。




 登校して、井上にお菓子を渡す宇野。

「いつもありがとうね、沙樹子さん。勉強のお供にしますよ。」

 そう笑顔で言われて、うう、お菓子渡してもそれだけ…?と悲しくなってしまう。いや別に見返りに何かよこせというわけではないけれど、頭撫でてくれたり手くらい握ってくれても良いのよとは思う。もっとも井上は人前でそういうことをするタイプの男子ではないのだが。

 井上のほうでは『自分も沙樹子さんも大事な時期だから邪魔してはいけない』という思いが強くて、しかも『自分がここで頑張れば沙樹子さんのためにもなる』と思っているものだから、それですれ違いが起きているのだが…困ったものである。


 そんな訳でなかなか何も言えないでいる宇野、放課後になってもしおれたまま。結局部の同級生たちに事情を話したところ連絡くらいしてみたほうがと勧められて、連絡を入れてみる。

『少し時間もできたのだし、ゆっくり会いませんか?』

 と、いろいろ想いを込めて。

 ところが返ってきたのは、

『今は大事な時期だから、受験が終わるまで待ってほしいです。』

 とのこと。今まで部活で忙しいからと待たされていたのが、またさらに半年以上延びたのである。さすがにこれは宇野もショックだった。そもそも付き合ってまだ一年にもならない仲が半年以上待てというのである。でも一方で『大事な時期に配慮もできない仲は長続きするわけがない』という話もある訳で、宇野としては理屈と感情の板挟みで困り果ててしまう。

 結局『付き合ってくれないのは嫌われてしまったのでは』という不安がまた頭をもたげてきて、泣いてしまった宇野だった。




 結局宇野はまた周囲を巻き込んで妥協点を見出すことになるのだが、どうにもお騒がせ体質なのはなかなか抜け出せないらしい。

 本人も深いところではそういう自分をよしとしているわけではないのだが…。


何かと話題の沙樹子さん。

サードでは普通の友達キャラから問題ありの友達キャラになったのですが、フォースでは最初から問題児として登場でした。

でもその陰で『問題児になったのは原因がある』設定はフォース開始当初からありました。

筆者の過ごしてきた世界では割とあることだったのですが…一般的にはどうなのでしょうね、こういうの。

そうそう家族仲のいい円満なご家庭ばかりではないだろうと思っているのですが…。


そういうわけで、沙樹子さんも姫とは全く別の角度で「普通」を求めている人という見方もできます。

菜々子さんもちょっとした過去持ちですし、なんだかそういうキャラ増えたなと改めて思った回でした。

単に主人公が事情持ちなので類が友を呼んだだけなのか、どうか…。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 沙樹子さんと井上君はなんだか進展はなかったような…… エンディングはどうなったんでしたっけ? まあ、沙樹子さんも苦労が絶えないですね!
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