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外伝第26話 ~七足す五足す三は十五~

本編第149話の際のお話です。

外伝第26話 ~七足す五足す三は十五~




 小山が二年生の11月の半ばのこと…。

 日曜日に近所の家で七五三をしている様子を見てしまった小山が我が身の事を省みて沈み、家族に慰められた週末も明けて、月曜日。

 三年一組の教室に登校してきた野間は、荷物を片付けるとスマホを手に取る。そろそろ定例会合の時期だから、声を掛けなくてはというところ。だいたい一か月に一回程度性別違和者組で集まってお話をする事にしているのだ。先月は文化部に所属している生徒が多い関係もあって文化祭後にずれ込み、そこから一か月という事でこの時期になった。

 野間が入学したころにはまだ定期的にというところまではなっていなくて、時折主に当時三年生の奥山の声掛けで集まって話すという程度だった。一学年上の斎藤とは部活で一緒だったから、とりたてて別に機会を設けなくてもだいたいいつでも顔を合わせられるという部分も大きかった。

 それがちょっと変わったのは、野間が二年生になって、一年生に松本という後輩ができてから。

 野間がMtF、松本はFtMと立場の違いもあったのだけれど、手芸部と陸上部という違いもあったし、学年も違う。改めて機会を設けないと、なかなか接点を持てないと思う部分が大きかった。それまでも何かあれば当事者同士連絡は取り合っていたのだけれど、一歩進めてという形だ。

 すっかり定例化してきた頃にはもう斎藤は受験生だったし、野間と松本だけで集まるという機会も増えていた。そんな訳で、しばしば顔を合わせて親身に話を聞いてくれる野間の事を松本は慕っていったのだけれど、野間自身はまだこの頃はその事に気付いていない。


 昨年度の後期に小山から話を聞いて以来、野間は松本だけではなくて小山の事も気に掛けている。自分自身も先輩方にだいぶ気に掛けてもらったし、それは現在進行形でもある。やっぱり一人だと心細い部分はあるだろうとも思う。後輩二人に関して『松本君は一人でもやって行ける気がするけれど、姫ちゃんはちょっと危なっかしいですよね』と思ってもいる。そんな訳で、ついいろいろと様子を聞いてしまう。野間が世話焼きなのか、それとも先輩たちから受け継がれた体質なのか。ちょっと迷うところだ。

『今日のお昼休み、定例ミーティングを開きたいと思うのですが、ご都合はいかがですか。』と、性別違和者組のチャットグループに投稿する。在学者だけでグループを作っても良いのだけれど、今のところそう知らない仲の人が所属している訳でもないこともあって、それはしていない。初代の天本・加藤の二人も、野間は知っている。

『はい、大丈夫ですよ。よろしくお願い致します。』

 まずそう小山から返ってくる。続いて芦口からも返信。松本君と塩尻君は部の朝練かな、少し待ちましょうと思いながら、それではいつものところでと返信に返信する。

「おはよう、絵里奈ちゃん。」

 スマホから目を上げるのを待っていたように声がかかる。顔を上げると、天野。

「あ、おはよう、志乃ちゃん。ごめんね、気付かなくて。」

 その答えに微笑む天野。相変わらず絵里奈ちゃんも気を遣うよね、というところ。

「何か用事だったかな?」

「うん、今日は仲間内で集まろうと思って。」

 聞かれて素直に答える。天野とはもう二年半になる友達付き合いをしているし、その間には手芸部の先輩の斎藤との交流もあったし、天野と小山は調理部で直接の先輩後輩でもあったから、特に隠すような事もない。むしろ小山が話さない部内での様子を天野から聞き取っていたこともあったりする。そのためもあって、野間と天野の間では小山は『何かあっても我慢して言わない質』と判断されている。

「それじゃ姫ちゃんとも会うんだね。元気にしてるのかな…。調理部大丈夫なのかな。でもOGになったのに口出しするのもね…。」

 9月末に引退が近づいたころに『先輩としてちゃんと面倒を見てあげられたのかなって思うところがあって』と述懐していた天野だったが、その想いはいまだにあるらしい。いや、引退に際してより強まったというべきか。宇野部長・早島副部長の就任は、ここでも影を落としている。ちなみに『OG』は『Old Girl』のことで、『OB』こと『Old Boy』の対になる言葉だ。これも性別が現れる表現の一つ。

 調理部は構成員が女子ばかりだったこともあって『OB』とは言わないらしい。近年唯一のOBになるかと思われた小山もそうではなくなった。手芸部の方はというと、つい先日引退した野間の同期に野口という男子がいた事もあって、どちらもいることになる。

「そういえば美絵ちゃんも心配していたよね…。何かそんなに気掛かりな事があるの?」

 そう聞き返す野間。もちろん野間は普段の調理部の様子を細かくまでは知らない。なので、今度部長副部長に就任した二人が問題生徒のツートップと思われていたなんて事は知らない。副部長の早島さんは弘美ちゃんと好美ちゃんとも仲が良かったはず、という程度の印象。

「うん、まあ、いろいろね。いまさら言っても始まらないんだけどね…。」

 はぁ、と溜息をつく天野。現三年生で集まって人選を決めた時には『姫ちゃんに取りまとめを、早島さんにその補助を頼めばまとまるだろう』という事で一致していたのだけれど、打診してみたらあっさり辞退されてしまったのだ。慣例的に三年生が後継指名することになっていると言っても、それほど強制力のあるものでもない。そもそも調理部則には『人事は部員の総意に基づく』とされているので、三年生の指名即調理部の意思ということにもならない。でもだからといって、まったくノーマークだったというよりも逆方向にマークぐりぐりだった宇野が部長就任というシナリオは、やっぱり誰も考えていなかったのだ。

「一か月ちょっと経つけど、何も聞いていませんよ?」

 そう話す野間だが、でも姫ちゃんのことですから何かあってもそう簡単にお話には出ませんよね、とも思っている。もう引退した天野も、引退後の調理部内の様子を知っている訳ではない。ただ何となく不安を感じるだけ。

「私も何も聞いてはいないけど、聞こえてくるほどの問題が起こってたらそっちが問題だしね。」

 天野のその言葉に、それは確かにそうかもと考え込んでしまう野間。うちも大丈夫かなと、ちょっと心配になってくる。今日会ったら咲良ちゃんに聞いておこう、たぶんみんななら大丈夫だろうけれど…。

 なんだか二人そろって心配に沈んでいるところに、着信音。ちょっとごめんねと断って、スマホを見る野間。松本からの返信だった。

『お昼なら大丈夫です。よろしくお願いします。』

 との事だった。塩尻からも程なく返事が来て、ミーティングを開ける目処は立った。

「何か聞いたらお話するね。」

 そう天野に微笑みかける野間だった。




 お昼休みになり、一階の隅の空き教室に集まる野間と松本と小山と芦口と塩尻。この時点で学校に在籍する性別違和者は5名。3学年960人中の5人だから、割合としては多いことになるだろうか。それでも絶対少数ではあるが。

 野間が空き教室に着いた時には、もう先に小山が来ていた。他の面々を待ちながら、少し話をする。

「姫ちゃんは後期になってどうですか?」

 そう聞かれて、ちょっと考える小山。特にこれといって大きな変わりはない。

「そうですね、特に大きな問題は…。部の方が寂しくなりましたけれど…。」

 そう答える。相変わらずの模範解答。心配をかけないようにしながら、部の先輩達に気を遣った言葉。これを無意識に習慣的にするのが小山の一面だ。

「志乃ちゃんが、調理部大丈夫かと心配していましたよ?」

 野間もそこは心得たもので、一回聞いただけで本当のところが出てくるとは思っていない。ちょっとつついてみる。隠し事が上手とはまったくいえない小山のこと、つつけばやはりボロは出る。その出たボロからいろいろ読み取るというちょっと面倒なことが必要な時もある。小山本人はどうして解られてしまったのでしょうと思っていることも多いのだけれど、何のことは無い。本人に隙が多いだけのことだ。

「ええっと、そうですね。今のところは大きな問題は…。」

 その答えに、小さな問題はあったのかなと訝しがる野間。問題なく新体制が始動するのが望ましいとはいえ、なかなかそうもいかないという部分も当然出ては来るだろう。そういうどこにでもあるような類の問題なのか、どうか。

「何か私達特有の問題?」

「あ、いえ、それは全然ないです。皆さんとてもよくしてくださいますよ。」

 ちょっと分野を限定してみた野間だが、今度は小山から明確な答えが返ってきた。これはたぶん本当かなと判断する。小山自身もそういう意味では問題がないどころかよく受け入れてもらっていると思っている。小山の波風立てるのを嫌う性格も、それに一役買っているのかもしれない。

 小山の答えを受けて、そうすると志乃ちゃんは何を心配していたのかなと思った野間だったけれど、さすがにそこまでは聞いていない。小山の方はたぶん沙樹子さんのことでしょうねと推測はしたのだけれど、先輩方にご心配をおかけするのは申し訳ないと思って、後期早々に権力奪取劇があった話は出せずにいる。一応前調理部長の密命をもらってきた早島は経緯を小早川に報告はしているが、それが三年生の間で共有はされていない。報告を受けた小早川も、もう引退後だしと遠慮したらしい。

「手芸部にも遊びには来てくださっているのですか?」

 前期にはよく来てくれていたな、と思い出しながら、野間。もともと先輩達の影響もあって交流の濃い部同士でもある。加えて小山は中学校時代には手芸部員だったという経歴も手伝って、特に交流が濃い。野間や野口の存在も大きかっただろうか。

「ええ、先週もお邪魔させていただきました。後期はゆっくり時間を取って活動できるからと、皆さん何をしようかと楽しみにされていましたね。」

 そう微笑む小山。野間も同じ思いを抱いた事はある。手芸部では前期は前半が新入生の修練、後半が文化祭に向けての制作と演劇部の依頼への対応とすることが決まっている面もあって、後期がのんびり活動できる時期というのは間違いない。

「お疲れさまです、絵里奈先輩、姫。ちょっと遅くなったかな。」

 そこに松本が到着。いったん話を止めて、あいさつを返す野間と小山。ひとまず三人で先に席に座る。

「絵里奈先輩は受験勉強、疲れていませんか。」

 気遣う松本。もともとだいぶ成績の良い方だと知ってはいるけれど、だからと受験勉強も楽にできると決まったものでもないとは思う。

「そうですね、まだそこまででは…。手芸部も引退してしまって、ちょっと寂しいですね。入学以来、ずっとお世話になっていましたから。」

 そう野間に答えられて、自分は踏み込めない領域の話にちょっと寂しくなる松本。これは姫の領分かなと思ったのだけど、その小山は松本さんと絵里奈先輩でお話しているのに口をはさむべきではありませんねと黙って聞いている。松本もちょっとうまいコメントを見つけられなくて、少しの間沈黙が流れる。

「お疲れさまです!」

「すみません、遅くなりました!」

 今度は塩尻と芦口が到着。さっそく席に座る。

「みんなそろいましたね、それじゃミーティングを始めましょうか。」

 そう微笑む野間だった。


 そのミーティングの席上、七五三という話題が出る。自分の時はどうだったかなと思い浮かべて、何とも微妙な気分になる一同。さすがにその頃から心の性別に従って生活できていた者は誰もいなかったのだ。野間も男児の着物を着せられて、こんな格好嫌だと泣いた記憶がある。

 そんな気分になったところに、女子生活三年ということであらためてお参りしてきたら良いという小山からの発案が出る。そういえば私もはっきり生活を切り替えたのは仙台に来てからだから、三年目かと思う野間。七と五と三を足すと十五だからちょうど良いかもと思う芦口と塩尻。二人は誕生日がまだで、今のところ15歳なのだ。

 そんな訳でまず野間が賛意を示して、それに松本が触発され、塩尻と芦口が続くという格好になった。小山もみんなで行けるのは嬉しいと素直に喜んで、今度の日曜日にお参りということになったのだった。




 帰宅後、さて和服をどうにかしなくてはと考える野間。お小遣いで何とかとまず考えて、お財布の中を見る。入っているのはお札が3枚と硬貨が8枚。

「…お札が運よく高額紙幣だったりは…。」

 …しないと解りながらもそっと取り出してみる。もちろんお財布に入れた時と紙幣が入れ替わっている訳もなくて、千円札3枚。硬貨の方は百円が2枚に十円が4枚五円が1枚に一円が2枚。三千二百四十七円で何が買えるのか。一応スマホでフリマアプリで検索してみる。時期的なものもあってか、特に良さそうなものも出ていない。和装でお参りと言ったはいいけれど、ここで暗礁に乗り上げてしまう。何とか手を尽くして用意しようと思って昼には自分も行きたいと言ってしまったのだけれど、先立つものが無いという辛い現実を突き付けられた格好だ。どうしたものか…。

「仕方ないかな、お小遣い前借しよう…。」

 思慮深い方とはいえ野間もティーンエイジャー、自由にできるお金はそんなにない。咄嗟にできる金策といえばそれくらいだ。


 そんな訳で夕食の席でお小遣い前借の件を切り出したのだが、何に使うんだともちろん聞かれた。

「実はね…。」

 なんだか口に出すのもちょっと恥ずかしい気もしながら、事情を話す野間。顔を見合わせる両親。

「それはまあ、お宮参りといえば和服か…。」

 そう唸る野間の父。娘の和服姿を見てみたい気はする。野間から性別違和の訴えを聞いて以来、思考を切り替えるまでさすがに時間は要したのだが、息子から娘へと扱いを変えていた野間の父だった。高校入学時にはかなり心配して、理事長と論争を繰り広げてもいる。

「ちょっと実家に聞いてみるか。もしかしたら何か良いものが残っているかもしれない。」

 野間の父には姉がいる。その姉の着物がもしかしたら残っているかも、という事らしい。夕食が終わったら電話してみる、と言ってもらえて、なんだかほっとする野間。

「ありがとう、お父さん、お母さん。」

 素直にそう微笑む。小山家同様、野間家も親子の仲は良いらしい。


 夕食後に電話を済ませた野間の父が、居間でお茶を飲みながら待っている。なんだか落ち着かない様子でいるのを見て、どう声を掛けたものかとちょっと迷う野間。

 おとなしく机に座って参考書を見ていると、電話の着信。野間の父が応対に出る。

「はい、野間です。ああ、姉さん。わざわざ済まないね。うん、そうなんだ。何か手ごろなものが…ああ、そうか、そういえばそうだな。うん、うん、済まないが頼めるかな。うん、ありがとう。」

 そんな会話が聞こえてくる。電話を終えて安心した様子の父を見て、ちょっと小首をかしげる野間。姉さん、という事は、電話の相手は伯母さんかと見当はついたのだが。

「姉さんとこの娘さんの着物を譲ってくれるそうだ。もう使う機会も無いだろうから、と。ほら、この前結婚式があっただろう。」

 そう言われて、6月に参列した従姉の結婚式を思い出す。綺麗で良いなぁ、あんなドレス作ってみたいな、と従姉の着ているウェディングドレスを見て思って、『作ってみたいな』か、そうだよね、私自身が着る身にはなかなかね、と、一人で屈折した気持ちを抱えたのを思い出す。諦めた訳ではないけれど、そう楽観的にもなれない。

「細かいことはよく解らなかったんだが、未婚と既婚では和服、違うんだそうだ。で、もう結婚したから使わないから譲ってくれると。明日送ってくれるそうだから、週末には間に合うだろう。卒業式の前に聞くつもりだったと言っていたから、ちょっと早くなると笑っていたな。」

 そう話されて、そうすると袴姿かな、振袖ではなくて二尺袖かな、と想像する。それも良いかもしれない。

「ありがとうね、お父さん。」

 微笑んで、礼を言う野間だった。




 松本も、和服貸してくれと父親に申し出て、またなんで突然と不思議がられていた。

「みんなでお参りって話になってね、考えてみたら俺も男子になってからきちんと行ってないなと。」

 素直にそう事情を話す。まあ、今時『こういうことがありましたから氏神様にご報告』という考えに至るご家庭は多くは無いだろうし、ことあるごとに『村の鎮守の神様に』という時代でもない。そもそもどちらかというと、氏神様にご報告するにははばかられる類のこと、という認識もない訳でもない。歴史時代から現代医学的見地から見ればおそらく性別違和者だろうと思われる人は存在してはいたのだが、おおやけに認められるようになったのはと問われれば、人類の歴史から見ればごく僅かな直近の事でしかない。

「まあ、貸すくらい構わないが。…着丈合うかな…。」

 そこが心配になる松本の父。松本は男子としてはちょっと小柄な部類に入る。身長165cmは小山と一緒の背丈だ。もっとも纏っている空気のためか、並んでいると松本のほうが大きく、小山の方が小さく見えるのだが。

「そういえば仙台は袴地の生産地でもあったな。最高級品という話だ。」

 押入れを探しながら、そう松本に話しかける松本の父。金華山生糸を用いた仙臺平として、藩政時代から有名なものだ。

「そうなのか? それは知らなかったな…。」

 現在では一社のみが製造を受け継いでおり、その工房は宮城県武道館の隣にある。もっとも、工房見学は受け付けていないので、外観を眺められるだけだが。武道系の部活にいて武道館に縁のある部員だと、見たことくらいはあるかもしれない。松本は陸上部で武道館にはあまり縁が無かったから、さすがにピンとはこなかったのだが。

「うん、今度仙台に赴任しますと言ったら、師範がそう教えてくれたな。武道袴でも使うことがあるんだそうだ。」

 そう説明されて、そういえば親父、剣道の有段者だったなと思い出す松本。今でも休日に稽古に行くこともあるところを見かける。結構強いと聞いた記憶はあるが、直接稽古や試合の様子は見たことは無かった。

「お、あったあった。ちょいと着てみるか。」

 ということで、松本は父親の手を借りながら、慣れない着物を着てみたのだった。

 完全に男同士として扱う訳にもなかなかいかず、父は父でちょっと気苦労をしていたし、松本本人もそれとなく気は遣ったのだが…。




 塩尻も同様に、部活を終えて帰宅後に家族に話をしていた。

「和服? 母さんたちは持ってないよ。おじいさんに聞いてみなさい。」

 一応母親に聞いてみたのだけれど、あっさりそう言われる。もっとも、予想済みの展開ではあったが。

「おじいさん、ちょっと聞きたいんだけど…。」

 居間でテレビを見ている祖父に、そう声を掛ける。ちなみに塩尻の通称名はこの祖父の命名である。『祐』の字はしめす編に右、本来は神事を意味する漢字だ。転じて神助を表す。天祐の祐と書けば解りやすいだろうか。大変なことも多いだろうが、神仏の祐けがあるようにという意味を込めたらしい。

「ん、どうした。」

 そうたずねられて、事情を話す。

「お宮参りと来たか。どこに行くんだ?」

「大崎八幡って言ってたかな。」

 ふむ、とうなずく祖父。

「まあ、無難なとこだな。貸すのは構わんが、着方解るか?」

「えっと、教えてもらえると…。」

 そこは素直な塩尻。考えてみると和服着た機会など、数えるほどしかない。

「男の着物はそこまで難しくない。ばあさんの若い頃は大変そうだったがな。」

 そう笑われたのだった。




 もちろん芦口も、自分で和服が都合できる訳ではない。家族に話して協力を仰ぐのは一緒。

「和服?」

 両親と姉に一斉に顔を見合されてしまう。

「ちょっとちょっと、その反応は何? 私が和服着ちゃダメ?」

 何か不服に感じて、そう抗議する芦口。

「や、駄目ってことはないけど。あんた和服なんか着れるの?」

「ちょっとお姉ちゃんひどい。確かに自分で着付けはできないかもだけど…。」

 だけど…そこはお姉ちゃんも一緒でしょ、は飲み込んだ。頼む側が文句をつけても始まらない。

「まあ良いけど、壊さないでね。それから着付け代は出さないからね。」

「うん、ありがとう、お姉ちゃん。」

 こんなやりとりで姉の振袖を借りられることになったのだけれど、着付けを頼むことになってしまってそれなりの費用が掛かり、女子が見栄を張るのも楽じゃないと痛感する羽目になってしまった芦口だった。




 それぞれに普段使わない和服を都合するのに苦労した面々ではあったが、こうしてみんな和服で当日、集まることができた。

 北四番丁の駅での待ち合わせ。真っ先に着いたのは松本だった。絵里奈先輩の和装と期待にはやる心を押さえながら、押さえきれずに早く着いてしまったのである。

 そんな内心を隠しながら待っていると、程なく野間が到着する。

「絵里奈先輩、おはようございます。」

 務めて平静を装って、そうあいさつをする。

「おはようございます、松本君。わあ、格好良いですね。」

 そう微笑まれて、よっし褒めてもらえたぞと内心で小躍りする。

「ありがとうございます。絵里奈先輩も素敵ですよ。」

 こんな場所で人目をはばからずに小躍りし始めるほど迂闊な松本ではない。それは内心だけにして、微笑んでこたえるにとどめる。小柄な野間の袴姿は凛々しさと可愛らしさの調和がとれているように見えて、松本から見るととても好ましく見える。まだ想いの欠片も伝えていない今現在、それ以上のことを言うのは何かはばかられる。

 でも何となくお互い相手の姿に見惚れてしまって、続く言葉が出てこない。松本君もいつの間にかすっかり…なんて思って、ちょっと恥ずかしくなってしまう野間。そんな様子を見て、何だろう、今日はいつもより一層素敵に見えるぞ、なんて思ってしまう松本。

「いや、今日は天気も良くて助かりましたね。」

 その松本がとりあえず出した話題がこれ。悪天候の中和服でお宮参りというのはちょっとやりたくないのは事実だろうから、言っている事は間違っていない。いかにも場繋ぎの無難な話題という感は拭えないが。

「そうですね、いい日和りになってくれました。嬉しいですね。」

 ちょっと戸惑っていた野間も、そう微笑み返す。でもそこからが続かない。そうしているうちに次の電車が着いて、小山とその兄の拓斗が到着する。あいさつしあっているとたぶん同じ電車だったのだろう、芦口と塩尻の二人も到着する。

 最年長者ということでみんなの父兄役を務める雰囲気の拓斗が、全員の足元を気にしながら先導して行く。何かと妹の美琴からこき下ろされる拓斗だが、美琴がこき下ろしながら心配するほど、そこまでひどく気が遣えない訳でもない。和装では草履や下駄が慣れなくて歩き辛いだろう、というくらいの配慮はきちんとしている。


 北四番丁駅から乗り継いだバスの中も、和装5人と式服姿の拓斗という一団は目立っていた。何かと人目を気にしてしまう者も中にはいて、注がれる目線に居心地が悪そうだ。

「…大丈夫だよ、和服が珍しいだけだって。芦口さんはちゃんと女子に見えるからね。」

 そんな様子に気が付いて、そっと塩尻が耳打ちする。ちょっと驚きながら、でもどこか安心する芦口。

「…うん、ありがとう、塩尻君。」

 そう頬を赤らめた芦口の姿を見て、なんだかちょっとどきっとしてしまう塩尻。うわ、こうして見ると芦口さんかわいいな。普段学校で見せる姿とはまた違う感じがする…。そんな想いが出てくる。


 それぞれの想いを抱きながら、門前に到着。石段をゆっくり気を付けながら登って、お参りする。

 お参りの様子は、拓斗が父親から借りてきたカメラで写していた。結構みんな様になっている。さすがに千歳飴の袋を提げた構図は何か少々違和感がない訳ではなかったが…それについてはコメントは避けた拓斗だった。もとから自分が仕切り直したらどうだと言い出したこと、そこに変だなと言い出しても始まらない。それに意外にみんな嬉しそうにはしゃいでいるし、そんな様子に水を差すことも無いだろう。そう思って、微笑ましく見守るに留めた。

 道行く普通の七五三のお参りの家族が奇妙な顔をしているのにも気は付いていたけれど、拓斗がその視線に目線を返すと、大体みんな気まずそうに目線をそらす。そりゃ変かもしれねぇけど、普通の家族にこの気持ちが解るのかよ、と心の中で独り言つ。さりげなさすぎて誰も気づかなかった事だが、せっかくの雰囲気を壊さないように、拓斗はひっそり気を配っていた。無遠慮な視線が集中すれば嫌な気持ちになるだろう、それは防いでやりたい、と。




 無事にお参りを終えて、バスでアーケード街まで出て、和食系のファミレスに落ち着く一行。和食屋さんに行くほどの予算はないけれど普通のファミレスよりは雰囲気が出る、というところらしい。みんな一緒に賑わい御膳を頼んで、ちょっとした宴席気分を出してみる。

 その席上で、今日はいい機会になりましたと微笑む芦口。

「七五三全部足して十五歳でお祝いって事で、良いですよね。」

 そう笑う。

「僕もまだ十五だから、それならセーフかな。」

 つられて笑う塩尻。

「おいおい、それを言ったら俺はもう過ぎてるぞ。男子生活五年目って事で、まあ良いか…。」

 一学年上の松本はもちろん歳も一つ上になる。

「私が一番立場が無いですね…。」

 くすくすと笑いながら混ぜっ返す野間。今日のメンバーの中では、付き添いの拓斗を除いて最年長なのだ。

「えっと、まあ、細かいことは良いですよね!」

 そう誤魔化しにかかった芦口。良い考えと言ってみたんだけど、あんまりいい考えでもなかったなとちょっと慌てる。もっとも、松本も野間も、本気で気を悪くしたわけではもちろんないのだが。

 細かい事を言えば七五三は数え年ですから、咲良さんは数えだともう十六歳になっているのではとひとり小山は悩んだのだが、結局それは言い出せなかったのだった。




 それぞれの想いに彩られながら、どこか異色なお宮参りはこうして行われ、そして後に繋がる印象を残した。

 松本は野間への想いを新たにしたし、野間も松本にいつの間にかすっかりたくましくなって、弟のように思っていたのが嘘みたいと思っていた。

 塩尻も芦口の晴れ姿に見惚れて、改めて意識した。その芦口も、ちょっとしたことながら塩尻の気遣いが印象に残っていた。

 小山のわがままといえばわがままかもしれないことから始まった話ではあったのだが、それぞれに余波を残した出来事でもあったのである。


本編第149話はもちろん本編ですので、姫視点から動きませんでした。

そんな訳で、姫本人と小山家の動きしか出てきません。

もちろん他のお宮参り参加メンバーにも、それぞれそれなりの動きはありました。

絵里奈先輩と天野先輩が友人同士は結構本編でも出てきていたお話でしたが、実際のところはほとんど触れられていませんでした。同じクラスでよく話す仲の良い友人同士、というところでしょうか。


絵里奈さんのご両親は、セカンドシーズン第27話以来の登場です。

松本君のご両親も、同じくセカンドシーズン第53話以来。

咲良さんと祐君のご家族は初めて描かれましたね。祐君の名前エピソードは設定当時からあったのですが、本編には入れ込めず。今回初披露になりました。


普段の制服姿とはちょっと違う和装の姿を見て、なんだか惚れ直している人々が…。

そういうことにはめっきり疎い姫の視点ではまったく描写されなかった部分でしたが、そういう効果もあった機会だったようです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 姫は確か、振袖を買ってもらってましたけど…… 皆さんはちょっと苦労されたみたいですね! まあ、高校生になって宮参りは普通は考え難いですけど、皆さんにとっては良い思い出になったのかと思…
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