第8話 ~あだ名をつけられたのです~
第8話 ~あだ名をつけられたのです~
高校に入って初の週末が明けて、月曜日です。オリエンテーションの総まとめという事で、レクリエーションとして遠足があります。行き先は毎年恒例なのだそうですが、隣県の水族館だそうです。
水族館は私としては好きなのですが、つい眺めていると無心になっていつまでもぼーっと眺めてしまうので、班の皆さんには迷惑をかけてしまうかもしれませんね。気をつけなくてはいけません。
そんな訳で今日はいつものスクールバッグにお菓子を詰めて、自転車で少しうきうきしながら登校です。週末に手作りのお菓子も作りましたから、皆さんに喜んでいただければ嬉しいですね。
今朝は今朝で、『遠足だからって浮かれて事故起こすなよ。』『家に無事に帰るまでが遠足なんだからね。』と兄様と美琴さんに言われました。うーん、私小学生扱いでしょうか。明らかに美琴さんより扱いが低いような気が致します。
クラスに着くと、何だか木島さんが不満を顔中に表しています。何でしょう、今日はせっかくの遠足の日だといいますのに。
「木島さん、どうかされたのですか?」
私は小首をかしげてそうたずねます…この仕草もなよっぽいとよく言われたものですが。
「野郎5人で水族館なんか行って何が楽しいんだよ…!」
ああ…そこですか。木島さんはぶれないですね。何と申しますか一貫していて良い…のでしょうか。悩むところです。
「まあまあ、案外楽しいかもしれないよ。女子がいたらいたで何かと気を使うだろうし。」
そう毛野さんがなだめています。毛野さんは気遣いをする方ですから尚更でしょうね。
「その点は同感だな。同性同士だから気兼ねが無いという部分はある。」
柿沼さんのコメントです。確かに、そういうものかもしれませんね…若干、同性同士という部分に引っかかりは感じますけれども。
「いずれにしろ行く前から不満を言うな。楽しいものも楽しくなくなるだろうが。」
そう工藤さんが、やれやれという顔をしながら言います。まあ、そうですよね。
「水族館の楽しみといえばはしゃいで水槽の中を眺める女子を眺める事に決まっているだろうが。」
…木島さんの頭の80%くらいは女子の事で埋まっているのではないでしょうか。それもどうも方向性としてはあまりよろしくない方向に向かっているような気が致します。
「他の班の女子を眺め出したら首根っこひっつかんで止めさせるからな。」
工藤さんがそう宣言しています。ええと、まあそこは穏便にお願いしますね。
「何でだよ!」
「みっともないし人として駄目だろうが!」
「俺の鑑賞対象は魚じゃなくて女子だ!」
「どうしてそうお前はつくづくどこまでも残念な奴なんだ!」
さっそく朝から木島さんと工藤さんの掛け合いが始まります。なんだかもう、すっかり定番になりつつありますね。…私は困った微笑みを浮かべる事しかできません。二人の間に割って入って仲裁することなどできませんし、私が入ったところで場が収まるとは思えませんし。
「まあまあ、無心に水槽を眺める女子が可愛く見えるというところだけは共感してあげるよ。それを邪な気持ちで眺めるのはいかがなものかとも思うけれどね。」
毛野さんがそうなだめに入ります。良い人ですね、毛野さんは。
「俺の気持ちに邪なところなど…」
「邪なところしかないだろうが!」
木島さんの言葉を食って工藤さんがツッコみます。もはやすべて話をさせるつもりすらないようです。まあでも、話せば話すほど女子からの評価が下がる木島さんですから、話さない方が良いのかもしれませんね。
「駄犬ども、朝からうるさいわよ。飼い主ももっときちんと躾けなさいな。」
早島さんが通り掛けにそう声を掛けてくださいますが…やっぱり駄犬なのですね。そしてなんだか私が管理責任者の扱いの様子です。私に扱える人々ではありませんが…。
「早島さん、駄犬扱いはいくらのなんでも可哀想ですよ。もう少し別の呼び方にしましょうよ。」
私はさすがに可哀想になってきて、そう申し入れます。早島さんはふんと鼻で笑うと、
「それなら野猿にしてあげる。食肉目から霊長目に進化したわよ、感謝なさい。」
と言い残して去って行かれました。感謝するところ…なのでしょうか、これは。
「…相変わらず恐ろしい女性だな…。」
工藤さんが何とも微妙な顔をして言っています。まあ、駄犬だの野猿だの言われては反応に困りますよねえ…。
「俺は犬でも猿でも良いから傍においてほしいぜ?」
木島さん、そこまでプライドを捨ててまで女子に近づきたいのですか…。早島さんの方でお断りだと思いますが。たぶん『駄犬とじゃれ合う趣味は無いわ。』などとおっしゃってぴしゃりとはねつけられて終わると思います。
「なんだか一緒くたにされているねえ…少々心外なところもあるのだけれど。」
と、毛野さんが困った顔をしています。毛野さんは駄犬呼ばわりされるいわれはないと思います、私も。
「僕も同感だ。何故ヒトである我々が犬扱いされるのかが理解できない。」
柿沼さんが眼鏡を直しながらそう言っています。ええと、理由は聞いたのですがとても友人たちには聞かせられません。あまりに可哀想です。でも柿沼さんも巻き込まれた被害者だと思いますよ、私は。
さて、まもなく朝のホームルームですね。
朝のホームルームでこの前の全校集会での騒ぎの解説を車内ですると連絡があって、クラスメイト達が一斉にえーっと不満の声を上げます。
「手短に話すからきちんと聞いてね、聞いてなかったら繰り返し話しますからね。」
と、清水先生は笑顔で仰います。繰り返し話されては大変というものです、きちんと拝聴する事にしましょう。先生はどうやら笑顔で生徒たちを統御する術を心得ていらっしゃるご様子です。
そんな訳で、バスに乗って早々に真面目なお話を聞かされる私達です。かいつまんで説明しますと結局この前の騒ぎで乱入した方に性別違和と思われる方はいなかったそうで、やはり性的指向と性自認を混同してしまった方と、何かに影響されて一時的に性自認の揺らぎを生じた方だったということでした。まあ、そうですよね、私もそう思っていました。
お話が終わった後は、普通に遠足の雰囲気になります。私の班は最近いつも一緒にいる友人達です。既にもうすっかり仲良しになっている…と私は思っています。
「今日はお菓子を作って持って参りましたから、皆さんご賞味くださいね。」
私は笑顔でそう声を掛けます。木島さんがちょっと驚いた顔をして、
「まるで女子だなー、小山が女子なら俺好みなのに。」
「お前の好みのストライクゾーンはほとんど無限大だろうが。」
さらっと工藤さんからのツッコミが入ります。なんかもうすっかり残念な方扱いですね。
「そんな事は無いぞ、きちんと選り好みはしている。」
「選り好みできるほどの人間かお前は!」
「同感だ、君を好いてくれる女子がいたら感謝して大事にするべきだ。」
工藤さんのツッコミに柿沼さんが同意を示しています…二人とも扱いがひどいですね。
「まあまあ、そこまで言っては可哀想だよ。好みくらいあったって良いじゃない。みんなも女の子の好みくらいあるでしょう?」
毛野さんがやれやれという笑顔でそうたしなめています。まあ、それは人それぞれありますよね。…とは申しましても、私はどういった方に恋愛感情を抱くのか、自分でまだ解っていないのですけれども。第二次性徴を遅らせた分、そういった感情の発達も遅れているのでしょうか。それとも単純に私自身がそういうタイプだというだけでしょうか。
「そういう毛野はどうなんだ?」
木島さんが早速聞き返しています。
「おっと、聞いちゃうのかいそれを? 僕は穏やかで優しい娘が良いかな。一緒にのんびり過ごしたいからね。」
毛野さんらしい好みですね。なんだかほのぼのした風景が見られそうで、良いですね。
「俺は俺の性格を受け入れてくれる優しい女子が良いな。俺、割と性格きついからな。」
そう言う工藤さん。言うほどきつい性格という訳ではないように思いますが、木島さんに対するツッコミには容赦がないのは確かですね。
「僕は穏やかで理性的な女性が望ましい。」
これまた柿沼さんらしいですね。なんだか堅苦しい会話になりそうですけれども。
「俺は俺を受け入れてくれる女子なら何でもいい!」
「やっぱり選り好みしてないだろうがそれは!」
木島さんの答えに工藤さんが即刻ツッコんでいます。案外ハードルが低い様子ですね、木島さんは。でもご自分でそのハードルを高くしているような気が致しますが。
「小山はどうなんだ?」
そう木島さんが聞いてきます。うーん、私ですか。そもそも私、女子が恋愛対象になるのかが解りませんが。
「そうですねえ…好きになった人がタイプ、でしょうか。」
と答えておく事にしましょう。当たり障りのないところです。内実、何も答えになっていないのですけれどね。
とりあえず私の作ってきたお菓子は皆さん美味しいと言ってくれました。一安心です。これで私の味音痴疑惑も多少は解消されたでしょうか。でも甘口のカレーといちごミルクは相性抜群なのですよ?
水族館は失礼ながら、隣県の隅っこの都市にあるという事でどんなものなのかしら? と思っていたのですが…なかなかどうして、立派なものでした。スマホさんで調べてみたら年間50万人を越える来館者数があるそうです。仙台にも水族館はありますけれど、そちらはもう行った事がある人も多いでしょうからね。その関係もあってこちらにしているのだろうと思います。
展示も綺麗でした。私はいちいち立ち止まってゆっくり眺めてしまいます。
「小山ぁ、早く次行こうぜー?」
木島さんの声が掛かります。
「済みません、もう少し見させてください。」
そんなやり取りを何回か繰り返したでしょうか。木島さんだけではなく工藤さんにも促されましたが、その度毛野さんが『せっかくゆっくり見ているんだから邪魔するものじゃないよ。』ととりなしてくれました。
展示の中でも、アザラシに釘付けになって女子達に混じって水槽に張り付く私。大層かわいらしいのです。
「…俺、展示に夢中になる女子を眺めに来たって言ったよな。」
木島さんの声が後ろで聞こえます。
「言っていたな、それがどうした。」
工藤さんですね。でも今の私はとにかくアザラシです。
「…展示に夢中になる小山の背中を眺めることになるとは思わなかったぜ。」
木島さんがそんな事を言っているようです。私は同じ班の男子ですから眺めていても工藤さんに怒られないのですね。他の班の女子を眺め出したら全力で止めると事前に宣告していましたから、木島さんも渋々私を眺めている様子です。
「…でもなんつーか、悪くない気分だな。後ろから見てると小山、女子っぽいし。」
「だからそれは失礼だと言っているだろうが。」
水族館の中だという事で二人とも声は控えめな様子です。でもばっちり私の耳にも届いていますよ。ええまあ、髪の毛伸ばしていますし、背はそれほど大きくないですし、立ち姿も男子らしくないですしね。そんな事よりアザラシがかわいいのです。
15分ほど堪能しました後、くるっと笑顔で振り向いて、
「済みません、お待たせしました。」
と、皆さんに声を掛ける私。
「お、おう。」
「…大して待っちゃいないぜ。」
なんか工藤さん木島さんのご様子が変ですし、毛野さんもうつむいて黙ってしまいました。柿沼さんは眼鏡をかけ直しています。どうかしたのでしょうか。
「ま、まぁ次行こうぜ、次!」
木島さんが何かを誤魔化すようにそう促して、私達は次の展示へと向かいました。
水族館の展示を見終わって、時間が来たのでバスに戻った私達です。ちょっと遅いお昼の時間という事で、水産市場に向かってご飯を食べることになりました。
「鮮魚が堪能できますね。できれば自分でさばきたいくらいです。」
と、私は笑顔でご機嫌です。やはりお魚は冷凍物よりも産地に近い活きの良いものの方が美味しいのです。水産市場となれば期待も膨らもうというものです。もっとも私はそれほどたくさん食べる方ではありませんが。
「小山は本当に調理好きなのだな。」
工藤さんがそうコメントをくれました。
「ええ、大好きですよ。」
「珍しいよな。俺なんか喰うの専門だぜ。」
と木島さん。まあ、そういう方の方が今時多いのではないでしょうか。
「なあ小山、ここで魚と言ったら何になるのだ?」
工藤さんが聞いてきます。私もちょっと調べただけなのですが、
「旬の時期とはちょっとずれていますが、名産はメヒカリだそうですよ。癖のない柔らかなお味の美味しいお魚です。」
私は簡単にそう解説します。どうも工藤さんは色気より食い気みたいですね。
…という訳で、私はメヒカリの刺身を頼みました。これは産地でなければできない食べ方でしょう。贅沢なご当地グルメというものです。
「常々思ってたんだけどよ。」
と木島さん。何でしょうね。
「小山、飯の喰い方も丁寧だよなぁ。」
「ええまあ、よく言われます。」
家では美琴さんよりも丁寧に食べるとお母様に評されます。
「…よし小山、お前のあだ名は今日から『姫』だ!」
私は椅子から滑り落ちるところでした。
「どうしてそうなるんですか!」
「いやだって、今日一日の様子を見てたってお前さっぱり男子らしくないし、女日照りのこの班の中なら姫ポジションだろ。」
言っている意味が私にはよく解りません。
「姫か。悪くないな。小山君には君付けよりもその方が納得できる。」
えっ、何で納得しているんですか柿沼さん。
「姫、ね。まあでもそんな感じかもな。姫、ね。うん、悪くない響きだな。」
ちょっと、工藤さんまで。いつものツッコミはどこに消えたのですか。
「…似合っていると思うよ、僕も。」
最後の良心だと思っていた毛野さんまで…。
「という訳で小山のあだ名は今日から『姫』だ!」
木島さんがもう一度言ってきます。
「本人の意志とか承諾とかそういう類のものは無いんですか⁉」
「あだ名ってのは勝手につけられるものと決まってるだろ?」
私が反論を試みたら、木島さんにあっさりそう言われてしまいました…。そういえば木島さん達も本人の意思関係なしに駄犬だの野猿だのと呼ばれていましたものね…。
どうやら私は今度から姫で呼ばれることになったようです。
…どうしてこうなったのでしょう。
女日照りの1組2班の中で、女子ポジションに祭り上げられてしまった小山さんです。
まあ素質はあったという事でしょうか…。
他の班を見れば女子がいるというのに早くも女日照りになったのは、木島さんの行状がクラスの女子に伝わって既に噂になっているからでもあります。
そんな訳で今後の通称は『姫』になります。