第3話
「助かった……ありがと」
地面に押し倒されていた少女が、体を起こしながら言った。その際に肘が頭に巻いていた布を踏んだために結びがほどけて隠されていた髪がさらさらとこぼれ落ちる。
「……っと」
立ち上がり、布を拾ってぱたぱたと砂を払い落とす少女の背で銀色の絹糸のような髪が動くのに合わせて艶めいている。
珍しい髪の色だ。
「今のはあなたの知り合い?」
手早く布を巻き直しながら、少女は言った。
年の頃はウーと変わらないくらいだろうか。
紫水晶のような色味の瞳がウーを捉えて、悪気なく尋ねてくる。あんな目にあったばかりなのに、怯えている様子がないのが、少し意外だった。
「知り合い?」
誰のことを言っているのか理解できずに、ウーは少女の言葉をただ繰り返した。
王宮と学芸館以外でのウーの知り合いといえば、バザールでまじないを売っている名付け親くらいのものだ。
「だってあなたを見て何か言っていたわよ」
巻き直した布を整えながら、少女がほんの少し小首を傾げる。ますます、何の事だかわからない。
「ええと……誰のことかな?」
「さっきの狼」
事も無げに言って少女は、ふわりと背に広げた布で髪をおおい隠した。
「何か言ってた?」
━━狼が?
鸚鵡のように少女の言葉を繰り返すウーに、少女は困ったように微笑んで見せた。
「私、そういうのわかっちゃうの」
「……狼が何を言ってるのかわかるってこと?」
「何を言ってるのかは、わからなかった。……いつもはわかるんだけど。いつも、っていうか、大抵の動物ならってことね」
「君は『通じる者』なのか…!」
ウーの声は知らず上擦っていた。それは古い言い伝えに出てくる動物と言葉を交わせる存在の事である。
「まぁ……おばあちゃんとかにはそう呼ばれることもあるかな」
すっかり身だしなみを整え終えた少女は、スカートの裾をはたきながら言った。
「……ドロール、ってあなた意味わかる?」
「……古代語の?」
「知らない。彼がそう言ったの。ドロール・サウォル・ディド・ダーズ……とかなんとか」
それが古代語だとするならば、その意味は『統治する者』である。あるいは単に『王』とも訳す。
風精の王?
気付けばあれだけたくさん集まっていた風精が一羽もいなくなっている。
狼が皆引き連れて行ったせいだ。
では、サウォルとはどういう意味だろう…?
突然少女があ!と叫んで直立不動になった。
「私行かなきゃ!おつかいの途中なの」
言うがはやいか、もう駆け出している。
「あなたこの近くのこ? また会えるわよね!? とにかくありがとっ!!」
一度振り返ると大きく手を振って寄越し、少女もまた路地の角に消えていった。
「……忙しいこだな」