外伝08話:似非乙女の似非少年(前編) -Sver HaktZehtek-
'20.06/28 文章若干修正。
'20.09/10 演出を全面的に変更しました。具体的な情報に変更はありません。
外伝08話:似非乙女の似非少年(前編) -Sver HaktZehtek-
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スフィルはザイレムの背中に馬乗りになって、彼を拘束する紐を操っていたが、ようやくしっかりと縛れたらしく、「これでよし」とひとりごちると、ザイレムを地面の上に座らせた。
ザイレムの視界にうつったスフィルは、まるでサプライズで相手の頭に自作の花冠を載せた野原の少女のように、幼気で穏やかな笑みを浮べていた。
「さて、これでお互い面と向かって話しやすくなりましたね。ボクたち、暗殺者さんたちの情報が聞きたいんです。教えてくれませんか」
「悪いが、『死体』となった俺は、話すことは禁止されている」
ザイレムは、スフィルの笑顔を直視できずに告げた。
「話せない」と話すなど、いかにもな言行不一致だが、今のザイレムの頭には、そんなことに思考を巡らす余裕がないほどの羞恥が渦巻いていた。
あろうことか、任務中に敵役の美少女に手を出しかけて油断したなど、仲間に知られれば大恥だ。
「おや、断れる余裕は、あなたにはないはずです。――教えてくれなきゃボク、先ほどあなたがボクを女と勘違いして襲おうとしたこと、試験後にあなたのお仲間に言っちゃうかもしれませんよ?」
ザイレムは思わず、目を剥いてスフィルを凝視した。今最も恐れる彼の弱点を、スフィルがいともたやすく口にしたのが、彼を何よりも恐懼させた。
「『戦を制すのは情報だ』ってね、昔の兵法の言葉にあるんですよ。勝つために、ボクたちはどうしても敵の情報がほしい。でもあなた方は、さすがにタダでは教えてくれませんよね。だからボク、わざわざこんな、上から死角になる袋小路にまで、あなたを誘導したんですよ」
すぐ隣の憲兵学校本館の三階バルコニーから、試験官や来賓がこの絨毯だらけの試験会場を見下ろしていて、受験者の動きを採点することになっている。
この場所はちょうど、完全に彼ら傍観者から死角となった、絨毯のすぐ裏側である。ちょっと試験官に見られたくないことをするには、うってつけの場所だ。
「それでわざわざ奇襲失敗したように見せかけて、あなたが罠にかかってくれるのを待ってたんですよ。ボクを女と間違えて襲おうとしたなんて、知られれば超絶恥ずかしい――ボクたちに情報を教えてくれるのに充分な弱点をつくらせるためにね」
「まさかここまで、すべて俺から作戦を聞き出すための……?」
罠だったのだ。
ザイレムは戦慄した。
この幼い護衛官、どこまで策士なのだ。
奇襲を仕掛けること自体、並の護衛官ではできようもないのに、あえて負けた上に、ザイレムが理性を飛ばすところまで、この幼気な護衛官の手のひらの上だったというのか。
確かな戦闘経験と奇襲の技術、いともたやすく敵を嵌める頭脳、そして、あえて襲わせ限界距離まで敵を引きつける、凄まじい理性と覚悟。
戦闘経験だけならともかく、殊覚悟においては、到底この幼い護衛官に敵わないと、ザイレムは悟った。
もし立場が逆なら、これがザイレムの卒業試験だったなら、いくら重要な任務とはいえ、そんな危険な役回りは死んでもお断りだ。
そこまで考えを巡らしたとき、一点だけ、重大な気がかりが、ザイレムの口をついて出た。
「『間違えて』ってことはお前、本当に男だったのか……?」
「『兵は詭道なり』。――見かけで騙されちゃダメですよ、ザイレムさん」
あくまで穏やかな笑みを崩さぬ調子の声が、ザイレムの頭に妖艶な響きをもって聞こえた。
「さぁ、敵役の情報を教えてくれる気になりましたか。協力してくれたら、あの件はあなたのお仲間に言わないでおきますよ」
「い、言いたければ言えばいい! 俺はこれ以上、仲間を裏切る気はない!」
スフィルの覚悟の重さに対して、任務中に相手の色気に現を抜かした自分の、いかに浅はかで愚かしいことか。
14歳の少年との、憲兵としての意識の差が浮き彫りに出た形になって、はからずもそれが、ザイレムの職務への忠誠心に火をつけた。
スフィルは意外とばかりに目を丸くし、それから今度は、困ったような、あるいは安堵して気が抜けたような、そんな機微に富んだ微笑みを見せた。
「その覚悟、同じ学び舎の憲兵として尊敬します。訓練でプライドを捨てられる人は、なかなかいないですから。――だからこそ、残念です。本当はそんな人に、痛い思いをさせたくなかったんですが」
スフィルは言いながら、腰のポーチから、先ほど絨毯の下で見かけた黒い時計の針を取り出した。
「ボクは見ての通り、半分外国人の血が入っています。北大陸の喰人狩猟民族『北方戦士』のね。昔から本物の北方戦士のじいちゃんに戦士教育を受けてるボクは、軟弱なイスカ育ちのお坊ちゃんの感覚が、ちょっとわかりません。痛さの加減とかも、できないかもしれないんですけど――」
世にも珍しい赤髪の少年が、その手のなかに、世にも不気味な先の鋭利な黒い時計の針を弄んでいる。彼の手のひらで器用にくるくると踊るそれは、具体的な使用用途が思いつかない分、通常にはない恐怖をザイレムに与えた。
どうする気かはわからないが、何をする気かはわかる。この場で拷問する気なのだ。
ザイレムの身体は、その場で凍ったように硬直した。
北方蛮族。
伝説でしか聞いたことのない、海を挟んだ北のその連中は、人の血肉を貪り喰うために、髪色が血のように赤く染まっているという。
普段なら、そんなのおとぎ話だと笑うところだが、本物の赤髪を前にすれば、えも言われぬ説得力がはたらいた。
いくら少女のような美少年でも、彼は人の生き血を啜って生きてきた民族の末裔だ。蛮族を怒らせると、何をされるかわかったものじゃない。
ザイレムは湧き上がる恐怖を制しながら、つとめて冷静に、スフィルに制止をかけた。
「悪いがスフィル一等兵、諦めるのはそちらのほうだ。作戦はそちらの負けだぞ」
スフィルがすっと目を細めた。
「どういう意味ですか」
「俺たちは五人一組で、ある場所を見張ってたんだ。そこに俺がお前におびき出されて、かれこれ数分刻たつ。その間、残された四人は、俺が帰ってこないことを確実に不思議がる。今ごろほかの見廻りチームにそのことを話して、このあたり全体で俺の捜索をしているだろう。つまり、尋問のためにこんな袋小路にまで誘導したお前は、そのせいで今、まさに袋の鼠となっている。俺の仲間に見つかるのも、時間の問題だぞ」
そう。彼はわざわざ自分から、ザイレムの仲間の捜索から逃れられない、行き止まりに来てしまったのだ。
見張りもいなければ見廻りの周回ルートからも外れるこの場所は、あえて襲わせるにも、その後拷問するにもうってつけの場所だろう。だがだからこそ、暗殺者役が目を皿にして捜索を始めれば、もはや逃げようがないのだ。
「そもそも、こう考えたことはありませんか。『なぜ護衛班で一番非力なボクが、ひとりでわざわざ一番強そうなあなたを呼び出したんだろう』と」
少年護衛官の大きな瞳は、危機を宣告されても揺るがず、淡々としていた。
「すべてはあなたのもってる、その笛のせいですよ」
「この笛だと?」
ザイレムは、五人の見張りのなかで唯一、腰帯に金属製の軍笛をさげている。敵の襲撃に遭った際、周囲の見回りの応援を呼ぶためだ。
一度でも笛を吹いて応援を呼べば、たちまち十数人もの仲間が、こちらに駆けつける。その圧倒的な敵数を前にすれば、護衛対象を含めたった五人しかいない護衛班には勝ち目がないだろう。
「軍笛をもつあなたに敵の応援を呼ばせないためには、護衛班で一番ナメられそうな外見のボクが、囮として誘い出すしかなかったんです。現に、奇襲失敗したボクを見て、『応援を呼ぶ』って選択肢は、頭から抜けてたでしょう。班のなかで、応援を呼ばれなさそうな貧弱な見た目をしてるのは、ボクだけなんですよ」
「俺の笛……囮……ひとりで誘い出す……まさか」
ザイレムは、ようやくすべての合点がいって、スフィルを見上げた。
「お前らの目的は俺じゃなくて――あいつらか」
「そう、標的は最初から、あなた以外の四人なんですよ。だからボクが、笛をもっていて一番強そうなあなたをおびき出した」
ザイレムは目を見開いたまま、唇を震わせていた。
「あなたがたが見張っていたのは、『門』と呼ばれる試験の要。だからすぐに応援を呼べるよう、その軍笛をさげて、ボクらが来るのを待っていた。ボクたちが生きて門を通るには、決して仲間の応援を呼ばれてはならない。だから軍笛をもつ人間をひとり誘いこんで、ほかの護衛たちで、あとの気のたるんだ四人の見張りを瞬時に片付ける必要があった。ボクが情報を聞き出したかったのは、もののついでです。――これが、こちらの作戦の全貌ですよ」
完成された作戦を披露され、ザイレムの仲間も含めて、全員が踊らされていたのだと気づく。
無意識のうちにゴクリと唾を飲み込めば、スフィルは黒い時計の針を、ザイレムの喉元にそっと突きつけた。
「これでもう、チェックメイトなんですよ。あなたのお仲間は全員、あなたに比べたら意識も戦闘技術も低そうなので、すでにボクの仲間が瞬時に片付けてくれたことでしょう。今ごろすでに、全滅している頃ですよ」
このスフィルという少年護衛官は、恐ろしく頭が切れる。彼がそうと言えば確実にそうであると、説得力がはたらく。
だがザイレムは、スフィルの最後の言葉に関しては、信じる気にならなかった。
「いや、どうだろうな」
「全滅」は虚勢だと、ザイレムの理性が告げていた。
「お前たちの作戦では、俺の仲間を全員『瞬時に片付ける』ことになってるそうだが、それならこの状況はおかしくないか? もし本当に『瞬時に片付けた』のなら、とうの昔にお前の仲間たちがここに来て合流していると思うが。違うか?」
スフィルは遠くの絨毯に目をやると、さながら出校した子供が帰ってくることを疑わぬ家族のように、平然と言った。
「ええ、皆もうそろそろ、帰ってくる頃だと思いますよ」
「そんなに信じてるのか、お前の仲間を」
「ええ、もちろん。ボクの仲間が瞬殺できないとは思ってないですから。今年の――ボクらの世代の警護課は、『狂気の世代』って呼ばれてるんですよ」
「狂気だと……?」
「数年前、警護課に『バケモノ』と呼ばれた護衛官がいました。全科目で規格外の成績を叩き出して卒業した天才です。彼のいた世代は、警護課の『黄金の世代』と呼ばれています。今、ボクらの世代が『狂気』なんて呼ばれているのは、ある一点において、その『バケモノ』級に匹敵する訓練生が、何人もいるからです。魑魅魍魎が跋扈する、まさに『狂気の世代』――それが今年卒業するボクらです。ボクの仲間は全員、一点においては化物クラス。彼らはこんなところで負けるような、ヤワな護衛官じゃない」
そう断言したスフィルの目には、仲間への絶対的な信頼が、色濃く刻まれていた。
「わかった、俺の負けだ」
作戦指揮も、仲間への信頼も、この少年には敵いそうもないと、ザイレムは悟ったのだ。
ザイレムはスフィルの話を聞いて、「ウチの班、全滅したかも」と思ってしまった。仲間への信頼という面においても、勝敗は決したも同然だった。
「で? 何の情報がほしい。俺たち『派遣公安課』について、知ってることは何でも教えてやる」
だがここに来て初めて、スフィルはぎょっと目を見開いた。
「えっ……まさかあなたたち、『公安』なんですか?」
それは、ここまですべて計算通りに事を運んでいたスフィルが初めて見せた、心から想定外だとばかりの、不意を突かれた表情だった。