外伝07話:砂漠の国の迷路 -elMedmzje qax ElJsehka-
'19.07/03 演出を変更しました。プロットや伏線に変更はありません。
'20.08/29 大幅に文字数を減らしましたが、演出等に影響はありません。
'20.09/10 演出を完全に変え、ザイレムがまともなキャラになりましたが、プロットに変更はありません。
機械仕掛けの焔 ~ご詭弁麗しき探偵王子ホムラの秘密帳簿~
外伝「護衛少女と最終迷路脱出ゲーム」
<外伝>
1772.12.01.
(現金)(装備品等廃棄益)
*摘要:最終迷路脱出ゲーム
外伝07話:砂漠の国の迷路 -elMedmzje qax ElJsehka-
* * *
「これより俺たちは、月神州首長の邸宅を襲撃する。暗殺の標的は四人。わが国の国王、その息子のホムラ王子、月神州の首長、そして隣国クァカット王国の大使だ。それぞれが三、四人の護衛を伴って行動している。その全員を、徹底的に殺せ」
朝一番に数十人が招集され、そんな指示が出された。
指示者を仰ぎ微動だにせず整列する、黒い頭布の彼らは、暗殺者でも、テロリストでもない。王国の平和を守る憲兵の卵――憲兵学校の訓練兵たちである。
「いいかお前ら、護衛一匹たりとも逃すんじゃねえぞ。もしひとりでも生かして帰したら、お前らが生きて帰れないと思え。いいな!」
訓練兵たちを前に物騒な指令を出すこの大柄な男は、憲兵学校に勤める教官だ。
ここは王都カルタゴの北の丘にそびえ立つ、ナームファルカ王立憲兵学校。
王国内の治安を守る憲兵を育成する、王国屈指の専門教育機関である。
その広大な東訓練場の端に、教官が訓練兵を集めたのは、これから行われる実戦形式の最終卒業「試験」に、彼らを敵役として参加させるためであった。
整列する訓練兵たちのすぐ横には、支柱と紐で支えられた絨毯の壁が迷路のように張りめぐらされており、それが広大な東訓練場のほぼ全域を覆っている。即席でつくられた、大掛かりな試験会場だ。
教官の指示で、暗殺者役の目印である黒い頭布を巻いた訓練兵たちが、見張りと見廻りの班にわかれてその「迷路」に入り、受験者である警護課の護衛官たちを、徹底的に駆逐するのだ。
「つっても俺さぁ、警護課の試験とか、クソ興味ねーんだけどな」
試験が開始して、早数十刻が経過した現在。
無気力につぶやいたのは、迷路のなかで見張り任務についている訓練兵のひとりだった。
警護課とは、13の課に分かれている王国憲兵のうちの一組織で、国内外の要人警護を職務とする課である。
彼らの護衛試験のために、わざわざ真夏の暑い時期に野外訓練場に駆り出された他課の訓練兵としては、たまったものではなかった。
同じく見張りについていた仲間が、同僚の不平に小声で同意した。
「それな。ほかの課ならまだともかく、なんで俺らがあの自称エリートどもなんかの試験に、協力してやんなきゃなんねーんだか」
警護課は、王国憲兵13課のエリートと呼ばれている。その理由は主にふたつ。憲兵学校での訓練期間が異様に長く、脱落せずに卒業するのが困難であること、そして平均給与が13課トップであることだ。
「ケッ、高給取りがなんだってんだ。所詮は『臆病者』のクセによぉ」
普段危険な捜査に奔走するほかの課と違い、警護課の主な仕事はといえば、偉い貴人につき従い、お茶会に社交パーティーに、あらゆる雅な会合に出席することくらいだ。
そしていざ護衛対象が襲われたら、ろくに戦いもせずにそそくさと逃げる警護課を、他課の訓練生たちは、蔑視していた。「臆病者」が彼らの仲間内での、警護課の通称だった。
「お前ら! 情けねえ私語は慎め!」
突然、不平を漏らす訓練兵たちの隣から、怒号が上がった。
「げっ、ザイレムの兄貴」
声を上げたのは、五人いる見張り班のリーダー、ザイレムだった。
若く肉づきのいい身体は、憲兵の制服である黒い短外套を纏ってなお察せられるほどで、その眼光は鋭く、覇気を帯びている。
年齢は18歳と、同期の中では一番年上で、かつ訓練成績が良く優秀な憲兵である。おかげで同期から「兄貴」と呼ばれ、最も皆からの信頼が厚い男だ。
「さっき見廻りのやつらから、すでに殺害対象のうちのふたり、クァカット王国大使と月神州首長を片づけたと連絡が入っただろ。あと少しの辛抱だ」
「今、あと何人残ってんだろ」
あたりに絨毯が重苦しく視界を遮っているおかげで、見張りの彼らには、遠くの状況はほとんどつかめない。標的殺害の連絡が入ってから数刻のうちに何人を殺せたのか、それすらも不明のままだった。
ザイレムは遠くの絨毯を見やりながら答えた。
「おそらくだが――『あのふたり』はまだ、生き残ってるだろうな」
今朝教官に、「特にこいつらだけは、何が何でも絶対に逃がすな」と、念を押された警護課の受験者が、ふたりがいた。
「国王護衛班の班長と、それから王子護衛班のヤツだ」
そう強調した教官の、年のわりに皺の深いいかめしい顔を思い起こせば、見張りの訓練兵たちは、げんなりとため息をもらした。
「この試験、本当に今日中に終わるんすかね? あの臆病者ども、逃げてばっかりで全然こっちに向かって来ないっすよ。これじゃ、待ってるだけで日が暮れちまうんじゃ」
「いや」
とザイレムは否定し、目前の絨毯を睨んだ。
「あいつらにとっては、時間との勝負になる。連中の護衛対象役は、まだ基礎訓練を終えたばかりの後輩だ。長々と試験会場を連れ回せば、それだけ護衛対象の体力を消耗させて不利になるからな。だから連中はその前に、必ず仕掛けてくる」
周りの訓練兵たちは、驚きに顔を見合わせるなり、口々にリーダーを称賛した。
「さすがはザイレムの兄貴! 連中の手の内を読むなんて! あの怖え教官にも認められてるだけありますね!」
「ちぇーっ。兄貴ほどの実力者が、なんでよりによって、かったるい見張り任務なんだよ。どうせなら見廻りになったら、今ごろ連中を、一網打尽にできたのに」
「バカ。試験のシナリオ上、この場所が最重要見張り地点だからだ」
試験で想定されているシナリオはこうだ。
本日国王たちは、月神州首長宅での式典にて、突如として暗殺者に襲われた。護衛官たちの仕事は、屋外の路地を越えた先にある馬車まで、護衛対象を無事連れ出すこと。
試験会場は、実在する邸宅およびその周辺の間取りを絨毯で区切った野外訓練場であり、同じ絨毯の迷路に見えても、実際には「屋内」と「屋外」の区別が存在する。
「この地点は『第四門』。全部で四つしかない、屋内から屋外へと通じる道のひとつだ。つまり護衛の連中は必ず、ここか残りの三箇所の『門』のどこかを通るってワケだ。だから教官は、この場所に五人もつけて、厳重に見張らせてんだよ。ちょうどここは、脱出試験の後半に差し掛かる中間地点だしな。気を抜くなよ」
「でも兄貴、今の時点でほかがどうなってんのか、まったくわからないのはツライっすよ。前に見廻りが来てからもう随分経ちますし、ちょっとだけこの場を離れて、見に行ってみません?」
「やれやれ。『まったくわからない』ってのは、お前らが見張りと称して、ただ突っ立ってるだけだからだろ」
「え……?」
言われた見張り兵たちは、意味がわからぬ様子で、互いに見合って首を傾げた。
ザイレムは同僚たちに解説した。
「まず、耳を澄ましてれば、誰かが近くにいれば、足音でおおよその位置が把握できるだろ」
「自分、そこまで耳良くないんすよ」
堂々と軍人として必要な感覚の欠如を申告する同僚に、呆れの視線を送りながらも、ザイレムはすっと目の前の絨毯の壁に触れた。
「それともうひとつ。この絨毯の壁のほとんどが、紐と支柱でつながっている。つまり絨毯に触れれば、誰かがどこかで壁に触れたとき、それを察知することができるって寸法だ。それで絨毯の位置から逆算して、相手の居場所を特定することも可能だ」
「なるほど! ――って、マジですか?」
「そのくらいの感覚なら、鍛えたらすぐ慣れる。犯罪組織とやり合うなら、この程度の把握能力は必須スキルだ」
「おお! ザイレムの兄貴、かっこいいっス!」
「わかったら黙って見張れ。誰も来ないなら、来るまで感覚を研ぎ澄ましてろ」
再び静かに屹立し始めた年下の訓練兵たちを横目に、ザイレムは小さく息をついた。とりあえずこれで、あと十数刻は静かになるだろう。
ザイレムが再び前を向こうとした、その時だった。
不意に、彼の正面の絨毯にの紐に、ピンと小さな緊張が走った。その微妙な紐の動きを、ザイレムは見逃さなかった。
(かかったか)
ザイレムは、すっと正面の赤い絨毯に触れ、凛々しい目を細めた。
訓練で拡張された感覚が告げている。今、この絨毯のすぐ向こう側に、誰かが訪れている。
その「誰か」は足音を消しているようなので、相手は隠れなければならない護衛官に間違いない。
(お前ら、来たぞ)
そう手で合図すれば、ほかの四人の見張りは、一瞬驚いた顔をしたが、やがて真剣な面持ちでうなずいた。
ザイレムは再び、軍隊式のハンドジェスチャーで仲間に告げた。
(連中がこちらの察知に気づいていないうちに、俺が仕留める)
ザイレムは、十字型の小杖を腰の帯から取り出し、刺青の入った手でしっかりと握った。
慎重な足取りで、色褪せた赤色の絨毯に背中をつけて歩く。逃げる足音がないことからして、気づかれてはいないようだ。
極限まで近づいたザイレムは、瞬時に絨毯の裏側へと躍り出た。
「誰もいない……?」
先ほど紐が動いたのは一瞬のことだったが、ただの勘違いではなかったはずだ。
(どこだ? 敵はどこに……?)
血走る目で見渡せば、一瞬、視界の左端に、鋭く光るものを捉えた。よく注意を向ければ、遠くのつきあたりの白い絨毯が、小さく波打っていることに気づいた。
そこか、と再び目を細める。
どうやらなかなかに勘のいい護衛がいるらしい。咄嗟に危機に気づいて逃げたようだ。
ザイレムは慎重に小杖を構えたまま、今しがた動いた絨毯へと近づいた。
するとその下の地面で、何かが日の光に反射して光ったのが見えた。
「ナイフ――いや、時計の針か?」
訝みながらも、その得体の知れない金属棒を拾い上げる。
うすい金属製の黒い針だった。片方の先端は鋭く、もう片方は輪になっている。
どう見てもただの置時計の部品であり、こんな砂上の迷路にぽつんと置かれるには、あまりにも不自然な代物だ。
時計の針を拾い上げようとした、その時だった。
ゾクリと。背後に殺気を感じた。
「――っ?!」
即座にふり返ろうとしたが、遅かった。
次の瞬間にはうしろから、誰かに羽交い絞めにされていた。
(バカな、奇襲か?!)
反射的に小杖でうしろを突くが、その動きは相手に予想されていたらしい。武器は相手にするりともぎ取られた。
(しまっ――)
慌てたのが仇となった。
気づけば相手の小杖の十字部分が首に引っかけられ、頸動脈に押し当てられていた。
ヤバい。このままでは、貧血で意識を奪われる。
なんとか振りほどこうと必死でもがくが、この時ばかりは自慢の力がほとんど入らなかった。
(クソ、分が悪ぃ……っ!)
うしろにいる護衛官は、どうやら明らかに体格が小さいらしい。首を後ろに引かれたザイレムに対して、重心は護衛官のほうにある。普段ならもがけば力押しで外せただろうが、今は逆にその体格差によって苦しめられた。
手探りでうしろをつかもうとするが、その手は幾度となく空を切る。
頭に血が巡らず朦朧とする意識のなかで、ザイレムの頭には、ひとつの仮説が浮かんでいた。
(こいつは、まさか――)
ありえないほどの俊敏性に、このうしろの下方に引っ張られるほどの小柄な体格。そして奇襲という、護衛官とは思えぬ勇猛果敢な行為。
ひとりだけ、思い当たる節がある。
「おま、え……」
言いかけたところで、空を切っていたザイレムの手が、ようやくしっかりと質感のある布――相手の服をつかんだ。
その瞬間、遠くなりかけたザイレムの意識は、一気に現実に引き戻った。
つかんだ手を力いっぱいに寄せ、もう一方の手でうしろの護衛官の腕を握り、腕にありったけの力をこめる。
奇襲者を背負いこむように勢いよく前にかがめば、小柄な護衛官は、青年の背の上で一回転して、一気に地面に叩きつけられた。
ようやく視界に、首を絞められた相手の姿が映りこむ。
当たりどころが悪かったらしく、彼はケホケホとむせ返っている。砂塵が喉に貼りついたような、乾いた咳だった。この高いトーンは、どう聞いても未だ成長期前の少年のそれだ。
(危なかった――)
明らかに分が悪いこの状態だったが、なんとか奇襲を退けられたらしい。
荒い息で空気をいっぱいに吸いこみながら、ザイレムは地面に転がる護衛官を見下ろした。
小柄な赤髪の、美しい少年だった。
(やはり、王国憲兵警護課の、スフィル・アクトツィアティク一等兵……!)
聞くところによると、その年、未だ14歳。警護課の卒業生どころか、ほかの課をひっくるめたとしても、最年少の少年らしい。
その情報にたがわず、痛みにゆがませる顔は丸みを帯びた輪郭を残しており、赤い睫毛に縁取られた目は、いかにも子どもらしい大きさをしている。頭布からはみ出た巻き毛は、この国の人間にはめずらしく、焔のように赤い。明らかに異国の血が入った美少年だ。
「これは、驚いたな」
そう声をかければ、スフィルは初めて青年を見上げ、幼い緑の目を丸くした。
「ホムラ王子役の護衛班班長の、『赤髪のチビ』が、直々に奇襲を仕掛けてくるとは」
「なん、で……」
「驚いたか? お前、こっちでも有名なんだぞ。幼いながらに優秀らしいよな」
言いながら、今朝の教官の警告を思い出す。名指しで敵の護衛官の情報を読み上げた強面の教官曰く、スフィルは未だ若輩ながら、国王護衛班の班長につづいて二番目の要警戒人物らしい。
見たところ、ただの人畜無害な子どもにしか思えないが、先ほどのような奇襲を受けては納得する。
高い俊敏性と小柄な体格を活かした奇襲攻撃。人を策に嵌める、年齢を思わせない頭脳。そして、ひとりでこの体格差のある強者に向かっていく勇気。
教官の言うとおり、侮ることのできない少年なのは間違いない。
スフィルは未だ痛みに伏していたが、ザイレムは慎重に警戒しながらスフィルに近づいた。
スフィルが幼い顔をゆがめながら、ザイレムを見上げた。
近くからよく見れば、その美しさは一層きわだって見えた。明るい色で目立たないものの、睫毛は長い。未だ若くはあるが、明らかに異民族の血の混じったその特徴的な顔立ちは、思わず惹きつけられる魅力を孕んでいる。
控えめに言って、きれいな少年だった。
ザイレムは一瞬、自分が任務中に少年に見惚れた事実に恐懼した。
それから慌てて自分の中で否定し、「そういえば」と、この少年護衛官に関する噂を思い出した。
この少年が有名な理由は、最年少で主席候補という異例の高成績を叩きだしたからということのほかに、もうひとつある。
彼は「まるで少女のような美少年」として有名なのだ。女子はおろか、一部の男子にも、影でもてはやされているらしい。そんな容姿に加えて、彼は人前では服を脱ぎたがらないらしいので、憲兵学校でひそかにささやかれている噂がある。
――スフィル・アクトツィアティクは、本当は女子なのではないか、と。
そんな都市伝説に興味はなかったザイレムだが、この美しすぎる少年を目の前にして、急にそのうわさを思い出してしまった。
「まさか」
ザイレムは血走った視線を、すかさず下方へと向けた。
腕のラインは華奢で、ほかの屈強な若者に比べれば、このままひねり上げれば即ポキリと折れてしまいそうなほど細い。
「お前は――女子、なのか……?」
スフィルが無言のうちに、大きく目を見開いた。その深緑の瞳にはたしかに、絶望と恐怖の色が宿っていた。
半信半疑だったザイレムは、その反応で確信した。どうやら、図星だったようだ。
スフィルは、この置かれている状況に恐懼した顔をした。それから小さな唇を震わせながら、かすれた声を出した。
「お願い……お願いします。卒業まで、見逃してください。なんでもしますから……!」
スフィルは砂の上に倒れた拍子に足を挫いたらしく、足を抱えて苦悶の表情をしたまま、上目づかいでザイレムを見つめている。
その潤んだ深緑の瞳が、任務に忠実なザイレムの理性に、ピキリと亀裂を入れた。
ザイレムは瞬時に周囲を確認した。
ちょうどこの場所は、絨毯の迷路の奥のつきあたりになっていて、人通りもない上に、絨毯のとなりでしゃがんでしまえば、近隣の建物の上階からも死角になった。
誰も見ていない空間で、この男装少女と二人きり。
ザイレムの心臓の鼓動が、弾けるほどに高鳴った。
「で……ではスフィル一等兵、まずはお前が本当に女子なのか、確認させてもらうからな」
ザイレムはやっとのことでそれだけ言い放つと、おもむろにその場にしゃがんた。
正直なところをいえば、倒れた美少女を目前にして、ザイレムの理性は粉々に消し飛んでいた。
スフィルの白いシャツの襟元をつかみ、その奥へと手を滑らせれば、スフィルはいよいよ観念したのか、潤ませた目を逸らしながら羞恥に堪えていた。
――否。堪えていた、はずだった。
直後、スフィルの身体が視界から消え、ザイレムが頭から地面に叩きつけられるまでは。
気づけば頬に砂が押し当てられている状態に、ザイレムは唖然とした。
何が起こったのか、てんで理解ができない。
必死に思い起こそうとすれば、ザイレムが倒される直前、なぜか彼は胴を地面に引っ張られたかのように勢いよく倒れ込み、その瞬間、スフィルはザイレムの首に片足を掛けて、ザイレムの身体を基軸にくるりと彼の背後に回り込んだのだと思い出す。――やはり、今思い返してみても、その全貌はわからぬままだ。
手足を動かそうとするも、いつの間にかザイレムは、胴に巻きつけられた紐に拘束されていた。
「ミスディレクション、っていいましてね」
スフィルのものと思われる幼い声が、倒れるザイレムの背中から聞こえてきた。
「戯札ゲームで使われる、ごく簡単な視線誘導テクニックですよ。ボクにばかり目がいって、張られた紐の存在に、全然気づかなかったでしょう」
ザイレムの視界に、ひらりと一枚の飾手拭が舞い落ちた。彼が自身の腰帯に掛けていたものだった。
この試験では、飾手拭を取られることは、試験脱落――すなわち「死」を意味する。拘束されたザイレムは、試験としても、これ以上その場から動けないことを悟った。
「さぁ、ザイレムさん。ちょっとだけ、ボクとおしゃべりしましょう。今回の試験のそちらの情報について、いろいろと聞きたいことがあるんです」
なぜ。なにが。どうやって。
あらゆる混乱の渦中にあるザイレムだったが、最初に彼の口から出たのは、あらゆる疑問のなかで最も単純な質問だった。
「なぜ、俺の名前を……?」
「さぁ?」
はぐらかしながら、スフィルはあどけない少女のように、ふふふと笑った。
「最初から最後まで、すべてがこちらの計画通り。あなたは利用された駒だったってことですよ」
その笑みは無邪気であり、同時に思わず震えるほどの狂気を孕んでいた。