交渉術
結局あのままぐっすりと眠り込んでしまった俺が目を覚ましたのは大分日が高くなり始めた頃だった。隣に寝ていたはずのシスティナもいない…残念。
固い床で寝たため強ばった身体をほぐしながら馬車を降りる。
ゆっくりと眠らせてもらったお陰でかなり快調だった。
「おはようございます。ご主人様。良くお休みでしたね。食事は出来てますのでどうぞこちらへ」
昨日のことを思い出しているのかちょっと頬を赤くしながらもシスティナは侍祭としててきぱきと動いている。今は鍋を掻き混ぜつつ何か手元で裁縫のようなことをしていたらしい。俺の顔をみると可愛らしく微笑んで食事の準備を始める。
俺は勧められるままに座ってシスティナから器を受け取るとくぅと締め付けるような空腹感に耐え切れず昨日と同じようなスープを口に入れる。
あれ?うまい…こんな柔らかい肉,馬車には積んでなかったはずなのに。
「システィナ?これって」
「ふふ,私も驚きました。それは蛍様が」
「あ!そうだ蛍さんは?」
寝起きでぼーとしてして見張りをやってくれてた蛍さんのことを忘れてた。
おかげでゆっくり寝られたんだからちゃんとお礼を言っておかないとね。
「あちらにおられます」
システィナが示す方を見ると蛍さんが刀を手に何かをしていた。
「何してるのあれ?」
「剥ぎ取りですね」
剥ぎ取り?俺は一旦器を地面に置くと蛍さんのいる場所へと向かう。
「お,ソウジロウ起きたか…うむ,よく寝られたようだな。顔色が良くなった」
「うん,見張りありがとう蛍さん。おかげさまでぐっすり眠れたよ」
蛍さんにお礼を言いつつ更に近づくと蛍さんの前に積み上げられていた物にようやく気がつく。
「え?これってもしかして蛍さんがやったの」
蛍さんの前に積み上げられていた物,それは狼のような四足獣の死体の山だった。
「どうやら私たちが寝ている間に草狼の群れに襲われたようです」
この世界の魔物は生息している場所に合わせて短期間で身体を作り変えるらしい。だから狼という魔物がいても早く走ることに特化した草狼,悪路を機敏に動き回れるように特化した森狼などのように生息地ごとに名前が付けられることが多いらしい。
「盗賊たちの死体の臭いに引き寄せられて集まったはいいものの,森の魔物に追い払われその後臭いを辿って私たちに追いついたのでしょう」
「それを蛍さんが1人で殲滅したってことか…この数をさすが蛍さん」
「動きの悪いやつに使われてた時もよくあったからな…自分の思い通りに動いて戦えるというのはいいもんじゃの」
蛍さんが仕留めた草狼は二桁を超える。朝,俺よりも早く起きてそれに気が付いたシスティナが売れる部位などの剥ぎ取りを依頼したということらしい。
毛皮は洋品店等で売れるし,牙は鍛冶屋や道具屋,装飾品店などで買い取ってくれるらしい。
肉もその場で然るべき処置をすれば新鮮な内なら食べられるということでさっきのスープに入っていた肉は草狼のものだったらしい。
「そうだ。ソウジロウよ。どうやらここは酸素濃度が少し高いようだ。
お前の運動能力の向上や疲れにくいというのは重力だけでなくそのせいもありそうだぞ」
なるほど!どうりで空気がうまい訳だ。言わば俺は地球での17年間ずっと高地トレーニングをしてたことになる訳か。
低重力に高濃度酸素…これが俺の動きの秘密だったのか。分かってみればなんてことなかったな…
異世界行ったらチートで無双なんてそんなうまいことはなかった。
「よいかソウジロウ。お前はこれから低重力に慣れきってしまわぬような工夫が必要になる」
「そっか…身体は慣れていく」
宇宙飛行士とかは無重力空間で長いこと生活すると筋力が落ちて動けなくなる。
俺もこの世界の環境に慣れきってしまったらここの人達と本当になんの変りもない一般人になってしまうってことだ。
「そうだ。酸素に関しては今更体質が変わるとも思えんのである程度恩恵を享受し続けるかもしれんが,重力の方はそうは行かぬと思っておいた方がよい。
そこでそこの娘に1つ準備してもらった物がある」
「蛍様,娘ではなくシスティナとお呼びください」
「ふむ…ならばお前も様付けはやめよ。我らの主はソウジロウだけであろ?システィナ」
「確かにそうですね…わかりました蛍さん。言われた物はここに」
システィナが先ほどなにやら作業していたものを差し出してくる。
どうやら余った布を筒状に縫い合わせ中に石や土を入れてあるようだ。
「重しか…」
「うむ,とりあえず刀を振るのなら上半身には付けられぬからな。両足首と腰に重めに作ったものを常に巻いておけ。
それとせっかくこうして人の身を得たのだから,お前が希望するのなら私自ら刀術を一から叩き込んでやろう」
「本当!やる!是非教えてください!」
3年間自己流でただ刀を振ってただけの俺には願ってもない申し出である。もともと刀が大好きで自在に扱いたいという願望は強かった。
俺が即答したことが嬉しかったのか蛍さんが嬉しそうに笑う。
ああ,蛍さんの笑顔もいい!
「ではご主人様。つけさせて頂きますね」
システィナが俺の足元に屈んで両足首にシスティナ謹製のパワーアンクルを装着していく。おぉ結構重いな…
「お腰の方も失礼します」
システィナが俺に抱き付くように腕を回してくる。女の子に抱き付かれるなんてここにくるまで一度もなかったのに昨日から一気に増えたなぁ。
思わず抱きしめたくなるのを鉄の意志で抑えていると、システィナが作業を終えてすっと離れる。
「どうだ?」
歩いてみたり,飛んでみたりするが動けないことはない。確かにこのくらいでようやく地球にいた時の負担感だろう。
「動くと重しが揺れるからちょっと動きにくいけど、重さとしては問題ないかな」
「よし。負荷の掛け方としてはまた何か方法を考えるが…重しが揺れるのはお前の動き方に無駄が多いせいだぞソウジロウ。上下動を極力減らし適切な足運びと体重移動が出来るようになれば、その辺は気にならなくなるはずだ」
そうなのか…難しそうだな。でもせっかくこれ以上ない先生が教えてくれるんだから気合い入れていかないとな。
「とりあえず訓練は街についてひと段落ついてから始める。今はなるべく早く移動することを優先しよう」
「今日は少しゆっくりしてしまいましたが,少し急げば3日目の昼頃にはミカレアに着けると思います」
そっかもう少しで街か…この世界でやっとたくさんの人がいるところに行けるんだ。それまでにシスティナにいろいろマナーとかやっちゃいけないことを聞いておかなきゃな。
「さて,それでは食事を済ませてしまいましょうご主人様。蛍さんもいかがですか?」
「そういえばまだ一口しか食べてなかった。システィナもまだなら一緒に食べよう。蛍さんは物は食べられるのかな?」
「ん?腹は減らぬが食すことは出来そうな気がするな」
「じゃあ皆で一緒に食べよう」
「私はご主人様の後で余ったものを頂きますので」
「うん。そういうの却下ね。
俺はシスティナを奴隷とかメイドとか考えてないから。契約はしたけど仲間っていうか家族みたいにしてくれた方が嬉しい。だからそれは譲れない」
「ですが…侍祭として」
「却下」
「…はい。わかりました」
2度目の却下だからこれでシスティナに拒否権はない。強制したことになってしまうが譲れないんだから仕方ない。でもシスティナの表情はどこか嬉しそうに見えるので多分問題ない。
「よし。剥ぎ取りもあらかた終わった。剥ぎ取っておいたものは馬車に積んでおくぞ」
「あ,牙はかまいませんが毛皮は臭いますし馬車の脇に吊るして乾燥させながら移動します。それと残った魔物の死体は火をかけますのでそのままで」
余裕があれば魔物等の死体は次の魔物を引き寄せないためにも焼却しておくのがマナーらしい。ただ,なかなかそこまで処理をしてられる余裕はないことも多いそうだが。
その後三人でシスティナの作ったスープを平らげて移動を開始した。
蛍さんもどうやら味覚はあるようで食事の楽しみを知って貰えたことは喜ばしいことだろう。
そこからの道中は初日の慌ただしさから考えればごくごく平和に推移したと言える。
馬車はシスティナに任せ,蛍さんは人の身体の動きに慣れるため,俺は筋力を落とさないようにするために加えて歩法の基礎を習うため徒歩で移動した。
自然体のまま重心を低く設定し,足はあまり上げず地を滑るようにとかなんとか蛍さんは言ってたけど、正直難しすぎて分からなかった。
蛍さんの動きを見てみると確かに頭の位置がほとんどぶれない。正中線にしっかりと気が通っている感じだった。
なんとか見様見真似でやってみたが全然出来た気はしない。それでも蛍さんに言わせれば『やはり筋がよい』とのことだった。
そんな感じで1日歩くと身体中が悲鳴をあげるのが困った物だが,夜になると寝る前にシスティナが各所を揉んでくれるので収支としてはプラスだろう。
相変わらず見張りは蛍さんと桜ちゃんに任せきりなのは心苦しくはあったが、お陰で体力的に無理をしなくて済んだのはありがたかった。
結局その後は魔物や盗賊などに襲われることもなく順調に旅程を消化し,三日目の夕方にはミカレアの街へと到達した。
システィナの当初の予定では昼前には着けるということだったのに到着が遅れてしまったのは、俺の歩法の訓練がちょっと足を引っ張ったせいだ。
「やっと着いた…これが街か」
初めて見たこの世界での街は想像以上に立派なものだった。
中心部は高さ5メートル程の壁に囲まれて見えないが,その周りに雑然と家屋が建ち並びそれらの周りに簡易な柵が設けられている。全体像は把握出来ないがどうやら円形都市っぽい。
「厳密に言うとミカレアの街と言うのはあの壁の内側部分だけです。
その周りにある家屋は街の近くにいた方が安全だと思った人達が勝手に住み始めて出来たものなんです。
領主も最初は追い払うようにしていたようですが,ある程度人が増えると利益の方が大きくなったため黙認する方向に変わりました。
領主側は最低限の治安を守ることを条件としてそこで暮らす人達に税を科しています。
治安と言っても外の魔物に対してという意味合いが強く、自警団の巡回等もほとんどしないようですが、柵は領主側が建前上設置しているようですね。
ちなみに壁の内側を中町,外側を外町と呼んでいます」
システィナの説明を聞きながら中町への道を進む。
どうやら防壁の四方にある門の前には家屋を建てない決まりがあるらしく道は一本道である。
「とりあえず俺達はこれからどこに向かうの?」
「そうですね…私たちは今お金を全く持っていませんから、本来なら外町で荷物などを売却してそれで街へ入るための入街税を払うというのがいいのですが、外町では中町ほど高くは買い取ってくれませんので…
これからのことも考えると少しでも高く買い取ってもらえる中町へ入った方が良いと思います。
そのために本来はあまり目立ちたくないので使いたくなかったのですが、侍祭としての権限を使って中町へ入ろうと思います」
システィナを連れ出した貴族は持ってきた財産のほぼ全てを神殿に寄付してしまっていたためかなり貧していた。
領地に帰るまでの資材の補充で全ての現金は使い切ってしまい、道中の必要なものはいくつか身に着けていた装飾品等を少しずつ売っていたらしい。
だから元々何も持っていない俺と貴族御一行に同行していたシスティナは無一文だった。
「よし!次」
軽鎧を着込んで槍を持った、いかにも門番って感じのおっさんが偉そうに手招きをしている。
システィナはラーマの轡をとって馬車を引きながら門番の所へと向かう。
俺はと言えば馬車の御者席に座っているだけである。それに蛍さんも今は刀に戻り、俺の腰に収まっている。
「中町に入るには1人につき200マールだ。2人なら400マールになる」
マールというのがこの世界の通過単位らしい。貨幣は単純に銅貨,銀貨,金貨だけを使っているようで銅貨1枚が1マール。銅貨100枚で銀貨1枚,銀貨100枚で金貨1枚に換算される。それとは別に大きい銅貨と銀貨がありこちらは各貨幣の10枚分として扱われるようだ。
日本と比較してみるために、色々とこの世界の物の値段をシスティナに聞いてみたところ大雑把ではあるが
1円―――――――――なし
10円―――――――銅貨 1枚――――1マール
100円―――――大銅貨1枚――――10マール
1000円――――銀貨 1枚――――100マール
1万円―――――――大銀貨1枚――――1000マール
10万円―――――金貨 1枚――――1万マール
100万円――――金貨10枚――――10万マール
1000万円――金貨100枚―――100万マール
こんな感じらしい。
つまり今は1人2000円くらいを要求されていることになるだろうか。そして俺達は1文無しである。
「お勤めご苦労様です。私は侍祭のシスティナと申します。この度は塔探索の為,主と共にミカレアにしばらく滞在させて頂きます」
塔探索?なんだか重要そうな言葉が出てきたぞ。塔って言えば街道の看板に書いてあったのもなんとかの塔だったな確か。
「ほう,侍祭様でしたか。塔探索の為とはお疲れ様です。それでは一応窓を確認させてください」
「分かりました。≪顕出≫」
『システィナ
職 : 侍祭(富士宮 総司狼)』
システィナが名前と職以外がブロックされた窓を門番に示す。いつの間にかシスティナの窓に俺の名前が追加されていた。どうやら契約すると契約相手の名前も窓に併記されるらしい。
「確かに,ではそちらもよろしいですか?」
「はい,ソウジロウ様。窓をお願いいたします」
システィナからは変な疑いは招かないように喋らないようにして,どっしりと座っていてくださいと言われている。
≪顕出≫
と言ってもこれだけは口に出さないとどうしようもない。
『富士宮 総司狼』
そして,出された窓はシスティナの指示により俺の窓は名前以外が全てブロックされている。
専属侍祭がいるような人物に関してはその時点で身元は保証されているようなもので,要は契約者本人であることが確認取れればそれでいいらしい。
その他の情報はむしろ秘匿するのが当然とのこと。害をなそうとする者達にとっては、相手の職が分かるだけでもある程度対策を立てることが出来てしまうというのが理由だそうだ。
「確認いたしました。来訪を歓迎いたします。規定により塔門の方にはこちらから連絡が行くことになりますがよろしいですね」
「あ…いえ,それで構いません。ただし,準備等で明日は費やす予定ですのでそちらへ伺うのは明後日以降になります。その旨お含みおきください」
「明後日以降ですね。承知いたしました」
門番の合図で門が開き,システィナが馬車を誘導して通りぬける。そのまましばらく歩いて背後の門が遠ざかったところでシスティナが振り返った。
「お疲れ様でした。とりあえずは無事に街に入れましたね。蛍さんももう出てきても大丈夫ですよ」
「なんだか良く分からないけど、問題なく入れたんだからシスティナのおかげだな。ありがとう」
システィナにお礼を言いつつ腰の蛍丸を鞘ごと後ろの荷台に置く。人化するところを誰かに見られるといろいろ問題になりそうなのでその対策である。
「ふう,一度人の身体になることを覚えてしまうと自由に動けない刀の状態はなんとも気詰まりなものじゃな」
肩をこきこきと鳴らして苦笑しながら御者席に蛍さんが出てくる。
「さて,街に入ったはいいけど次はどこへ行く?」
出てきた蛍さんが初めての異世界の街を見回しながらシスティナへと問いかける。
町は円形の壁に囲まれているせいか中央から放射状に大きめの道が敷かれているようだ。システィナからの事前の情報によれば街の中央に領主の館があり,その周辺に主要施設が集中しているとのこと。
店を構えるような大きな店は中央付近にあり,露店を開くような行商人は中町の外側部分にある。
つまり今俺たちが通っている所がまさにその区画になり,道の両脇ではいろいろな物を売る出店が軒を連ねている。
日用品や武器や防具,食料品などが雑多に売られている。いろいろ気にはなるが今の俺たちは無一文なため何一つ購入することは出来ない。
でも,そこを見て回る人達も結構な数がいて眺めているだけでもなかなか面白い。
中には明らかに俺から見たら人類ではない容姿の人もいてそういう人たちは総称して亜人と呼ばれている。なので亜人の人が自分を紹介する時などは○○族のAです。というように名前の前に種族を名乗るのが通例らしい。
「はい。まずは自警団本部へ行って盗賊達の討伐報酬を貰いましょう。手元にお金がないと宿にも泊まれません。
次に草狼の毛皮と牙を売りましょう。それから,ソウジロウ様が許してくださるのならお願いしたいことがあります」
そう言ったシスティナの表情はよほど言いにくいことなのか悲愴感に満ちている。だから俺は言ってやった。
「いいよ」
「え!まだ何も言ってませんが?」
「いいよって言った。そんな顔してシスティナが頼むことを駄目なんて言わないよ。
契約解除したいってならするし,もともと無一文なんだから売却代金全部寄こせって言われたら全部あげちゃうし,誰か悪い奴殺してくれって言われたら殺してあげるさ」
それが仲間ってもんだろう。蛍さんも微笑んで俺の頭を撫でてくれる。
「…ソウジロウ様。あ,ありがとうございます」
システィナがちょっと涙ぐむのを見て俺は御者席を降りると頭を撫でてあげる。
「で何をしてあげたいの?」
「…おわかりになるのですか?」
ぱっと顔を上げたシスティナが驚いた表情を見せる。
「なんとなくね。この馬車の持ち主さん達になんかしてあげたいんだろうなぁくらいは」
「日が暮れてしまうので歩きながら話します」
そう言ってシスティナは自警団本部へ向かって歩き出した。
システィナが考えていたことは例の貴族御一行様の不幸の経緯と遺品を送る際にある程度まとまったお金を送ってあげたいということだった。
今回この貴族は侍祭を招聘しようとするため神殿に無理をしてかなりの額の寄進をしていた。
もともと裕福な貴族でもなかったようだから,このまま貴族の死亡が知れ渡れば家が傾く可能性が高い。
その時にある程度まとまったお金があれば立て直すことも出来るかもしれない。そのためにもともと貴族御一行様の持ち物だった馬車,積荷を売却しそれらを全て送金させて欲しい。そう頼むつもりだったようだ。
システィナの説明によれば今回の事案のように所有者が全て死亡してしまってるような場合は特に返す義務はないとのこと。そもそもが盗賊に奪われてしまうものだったのだからそれは当然のことで,むしろ正当な報酬として捉えられるのが常識らしい。
そうであるならばシスティナの提案は俺が命懸けで戦って得た報酬を取り上げることになる。しかも馬車などは結構高価でこの町から離れる時にはまた使えるような物だ。
俺たちにとってもまだまだ利用価値のある物である。
「そっか…でも気にしなくて良いよ。盗賊退治の報酬ならシスティナが仲間になってくれただけで充分過ぎるしね。
俺たちの当座の資金は盗賊の賞金だけでなんとかなるっていうシスティナの見立てもあるんでしょ」
「…ソウジロウ様。私はソウジロウ様と契約できたことを誇りに思います」
「システィナよ。我らが主は悪人以外にはかなりのお人好しだと思うぞ。遠慮することはない好きなようにやればよい。後で胸の一つも触らせれば大概のことは有耶無耶にできるだろうしな」
呵々と笑う蛍さんの言葉を否定できない。あれを自由にできるなら確かに馬車は惜しくないかも。
「で,では…今晩なさいますか?」
ぐは!その上目遣いはやばい。今晩と言わず今ここで!
ゴン!
「これ!ソウジロウ。理性を保て,ここは往来じゃぞ」
「は!お,俺は何を…」
両手をわきわきとさせた姿勢でシスティナに迫ろうとしていた俺の頭頂部への強烈な衝撃で我に返った。どうやら蛍さんが峰打ちで一撃を加えたらしい。
それを見たシスティナが笑う。ようやく緊張が解けたらしい。侍祭が主の不利益になるようなことをするというのは提案するだけでもかなりの心理的抵抗があるものらしい。
今後もシスティナと一緒ならその辺はその都度ケアしてそんなこと気にしなくていいと辛抱強く教えて理解してもらえるようにしたい。
「ソウジロウ様。自警団本部に着きました」
領主の館のすぐ近くにそれはあった。まあ領主にしてみれば身を守る戦力は近くにいて欲しいだろうからおかしいことはない。
見張りが立つ本部の建物とは別に懸賞金等の換金窓口が別にあるらしく俺たちは馬車をそちらへ回す。
「ソウジロウ様、一応盗賊達の武器を鑑定しておいた方がいいのではないでしょうか?」
「んと…物によっては懸賞金よりも高く売れたりするような物があるかもしれないってこと?」
頷くシスティナ。確かに盗賊の装備を流用するという考え方はなかったな。一応『武具鑑定』で見てみるか。
『ロングソード
ランク: H+ 錬成値0
技能 : なし
所有者: ドブザ(死亡)』
『ロングソード
ランク: H 錬成値0
技能 : なし
所有者: ケンダ(死亡)』
『ロングソード
ランク: H 錬成値0
技能 : なし
所有者: サーゲ(死亡)』
『ダガー
ランク: I 錬成値0
技能 : なし
所有者: ルーク(死亡)』
『木弓
ランク: G- 錬成値0
技能 : なし
所有者: ルーク(死亡)』
うん,もういいや。たいしたことない盗賊だったし装備も見た感じ特別なものはないみたいだ。防具とかそもそも自分に何が合うのかとかよくわからないし、今のところは必要性も感じないからその時になって考えよう。
「全部じゃないけど見た感じ使えそうなものは無さそうだからいいよ。後は任せる」
「分かりました。懸賞金は交渉のしようがないですが,その他の買い物はお任せください」
システィナの可愛い笑顔が頼もしすぎる。
換金所の入り口を入ると、小さなカウンターの向こうに自警団の受付担当と思わられるおっさん団員が1人暇そうに座っていた。
「おっと客か。ここは懸賞金の換金所だ、自警団に用なら表の入り口に向かってくれ」
「大森林脇の街道で盗賊に襲われ、返り討ちにしましたので換金をお願いします」
俺たちが本当に換金に来たと分かるとようやくやる気をだしたのか、だらけた姿勢を正した。
「おお!最近,噂になってたやつだな」
「そうなのですか?」
「規模は10人前後らしいんだが事前の情報収集がマメらしくてな…襲う相手をよく調べてるせいかなかなか尻尾が掴めなくてな」
姑息だがその成果は確かにあったんだろう。俺がいくまで盗賊たちには1人の犠牲もでていなかったからな。
「ぼちぼちうちの街からも討伐隊を組もうかと検討していたところだったんだ。手間が省けたかもしれんな。じゃあ武器を出してくれ」
「はい,ソウジロウ様すいませんがお願いします」
「了解,武器だけでいいの?」
「はい」
システィナに言われた通り盗賊達が持っていた武器をカウンターに乗せた。
「よし,じゃあ向こうで鑑定させてもらう」
そう言っておっさんは全ての武器を持って裏へと消えていった。本部の中に武器から必要な情報がわかるスキルを持っているのだろう。自警団ってくらいだから専属の鍛冶師のようなものを抱えていてもおかしくはないし。
「自警団っていうとなんか後ろ盾とかあんまりなさそうだけど、財政とかどうなってんのかな」
「自警団と言っても実質は領主の私兵ですから、維持費は領主が出しています。
盗賊などの懸賞金については基本的に街同士で連携して積立をしているようです。それとは別に個人などが特定の個人や盗賊団に賞金を懸けることもあります。
被害報告があった盗賊や個別にかけられた賞金首の情報は近隣の街に情報が共有されるので、どこの街でも懸賞金を受け取ることが出来るのです」
「なるほどね…」
そんなことを話していると奥から受付のおっさんが戻ってくる。
「確かに盗賊団の武器のようだ。懸賞金はこちらになる。
頭目とされていた男と副頭目とされていた男の死亡も確認されたし,報告にあった盗賊の規模と討伐数から考えて今回は『壊滅』したと認定されたので壊滅報酬も一緒になっている」
「わかりました。ありがとうございます」
おっさんから懸賞金の入った袋を受け取ると、システィナは丁寧に頭を下げてから換金所を後にした。
自警団の換金所を出てから馬車を次の場所へと案内する途中、システィナから預かった布袋のなかを確認すると金貨が30枚と大銀貨が7枚,銀貨5枚入っていた。
30万7500マール…日本円だと大体10倍だから、なんと約300万円を一気に稼いだことになる。
かなりの稼ぎだと言えるだろう。今夜は良い宿屋に泊れそうだ。
ちなみに武器は返ってこなかった。懸賞金には一応武器自体の値段も含まれているということらしい。
「次はここです」
主要施設は街の中心部に集まっているので、中心部に来てしまえば次の店までは比較的すぐに着くのはありがたい。
「ここは洋裁店ですね。草狼の毛皮は固くて決して良い毛質とは言えません。そうなると普段着の上から着るような物に加工しても買い手はいないでしょう。
ですが鎧の上から羽織る防寒具としては需要があります」
「多少着心地が悪くても鎧の上からなら気にならないし,その固さが逆に防御力を多少上げてくれるってことか」
「はい。と言っても使用する人が限定的なため、一頭分で大銀貨1枚が売りの相場だと思います」
システィナはそう言うと店の中へと入って行き、カウンターの店員に声をかけて2,3会話をすると戻ってきた。
「見て貰えるそうです。ソウジロウ様毛皮を持って中の応接室までお願いいたします。
本来は私が持つべきなのですが,交渉を私がする関係上あまり下に見られたくないものですから…」
システィナが申し訳なさそうにしているが、俺としては全く気にしてない。日本男児としてはデートの時に荷物を持つのは当たり前みたいなところもあるしね。
「いいからいいから。なんでも言って。
…よし,これで全部かな。どこに持って行けばいい?」
「ありがとうございます。ではこちらに」
「12枚あれば加工品が1着,小さ目の物なら2着は仕立てられるはずです。しかもこの毛皮は全て同じ群れのものです。品質が似通っていて加工もしやすいはずです。大銀貨20枚」
「確かに仰る通りですが,いくらなんでも2万マールは出せません。いくら加工しやすいとは言ってもこちらは職人への報酬等もあります。売却代金から素材費を引いたものが利益になる訳ではありません。
ただ,今の時期にこれだけ纏まってお持ちいただけることはなかなかないですから大銀貨14枚なら出しましょう」
「ちょっとお待ちください。この毛皮をよく見てください。
この繊細な切り口なら端を切り落とす必要がありません。ほぼ全ての部分を加工できるはずです。大銀貨18枚」
「…大銀貨15枚では」
「大銀貨17枚」
一瞬の睨み合いの後,店員が満足気な息を漏らす。
「手強いお嬢さんだ。わかりました。大銀貨17枚,それでお引き取りいたしましょう」
「ありがとうございます」
流石は交渉術持ち。相場だと大銀貨12枚、1万2千マールだったはずなのに5000マールも高く売ったよ。
「蛍さんの技が見事だったおかげで品質が良かったので、強く交渉出来ました」
システィナは満足気に微笑んでいる。隣で見ていた俺は呆気にとられていただけだった。
「次は牙を売りに行きましょう」
そんな感じで手持ちの資産を売り捌いていくシスティナにくっついて移動していくと、気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。
「これで全部ですね」
結局懸賞金が30万7千5百マール。毛皮が1万7000マール。牙が2万1300マール。まあ200本以上あったから単価は安くても良い稼ぎになったな。
これで合わせて34万5千8百マール。日本円にして350万近い現金を手に入れたことになる。
ちなみに馬車本体,ラーマ1頭,積荷は35万マールになった。
この時のシスティナの交渉こそがスキルとしての交渉術だったらしい。
見ていただけの第三者として見たままを言うと,値上げ交渉をとことんして29万マールまで行った所で膠着したのに、なぜか最後に相手が35万マールを提示してきたのである。馬車で25万,ラーマが5万,積荷が5万だったらしい。
さすがに不自然だったのでシスティナに聞いてみたところ、交渉術を使用したということを教えてもらった。
聞いてみるとどうもこの交渉術というスキルは大分トリッキーなものらしい。
交渉する内容によって現れる効果が違うみたいなのだが,値段交渉の場合を例に取ってみる。
100円で売られているものを値引きしようとしたとする。
A「50円で売って」
B「95円なら」
A「じゃ60円で」
B「う~ん90円」
と言う様に交渉がされていくのが普通の流れになる。交渉術のスキルはこの時の売り手側Bの内心へと働きかける。
値引き交渉時のBはなるべく高く売りたいと思っているから相手が10円の値引きで良しとしてくれればそれにこしたことはない。
でも内心では『75円くらいまでなら値引きしてもいいか』という値引きの限界額を想定している。交渉術はその75円を即座に引きずり出す技能らしい。
つまり事前の交渉段階で相手に『ここまでなら』という気持ちを持たせ,さらに出来るだけ自分に有利な金額を思い浮かばせれば交渉術でその額に至るまでの途中経過を省ける。そうすれば欲張りすぎて取引が流れてしまうことも,最安値より高い値段で買わされることもなくなる。
そういう能力だから額が決まってしまっている懸賞金は交渉の余地がないため交渉術はきかない。
ただこのスキルは黙って使えば相手はスキルを使われたことに気づかない。それではいくら内心の承諾があるとは言ってもあまり健全な取引とは言い難い。
システィナもそれは承知しているみたいでいつもは普通に交渉だけするようだ。今回も毛皮や牙の売買にはスキルは使っていないとのこと。
ただ馬車の件に関しては少しでも多くのお金を送ってあげたかったため使用したということらしい。
「ソウジロウ様,それでは宿へ向かいましょう。旅疲れもあるでしょうし,かなり余裕も出来ましたので少し良いところへ泊まるのもいいかと思いますがどう致しますか」
宿か…久しぶりに布団で寝れるんだろうか…だったらそこそこ良い宿屋で寝たい。
出来れば風呂付きがいい!
「あればでいいんだけど,お風呂が付いてるとこがあればそこがいいかな」
俺の希望を聞いたシスティナが首をかしげる。
「おふろ?ですか…それはどのようなものでしょうか」
「え,お風呂知らないの?…えっとシスティナは汗をかいたり,埃をかぶったりしたらどうやって身体を洗うのかな」
どうやらシスティナの中にはお風呂という言葉は登録されていないらしい。
「そうですね…街などにいる時は何日かに一回沐浴場で水を浴びます。それ以外の日は身体を拭きます。旅の間はそれすらも出来ないことも多いですが…」
確かに俺の知る限り街に着くまでの間、システィナは一度も身体を拭いていない。
「じゃあ大きな入れ物にお湯を貯めてそこに人が入るようなことはないのかな」
「…それはおいしいのですか?」
「いやいや食べないから!別に出汁取ってる訳じゃないんだから!」
どうやらこの世界の人は湯船に入るという習慣はないらしい。せいぜいが水浴びレベルで通常は濡れタオルなどで身体を拭くだけなのだろう。
「じゃあ,寒い日とかも水浴び?」
「そうですね…この辺ではそこまで寒い日はありませんし気にしたことはないですね」
ってことはこの辺には四季とかそういうものはないのか…地球でいう温暖気候的なのが1年中続くってこと?そもそも1年という概念があるのかどうかも怪しいか…
いやでも年齢が窓に出る以上年は取っている訳で…
「システィナ1年て何日?」
「1年?それは日数で計れるものということですか?」
やっぱりか…
「窓に表示される年齢っていつ増えてるか分かる?」
「いえ。そう言えば気がつくと増えていますね…なるほど,それが増えるまでの日数が1年という単位なんですね」
いやぁシスティナの理解度は早いなぁ…感心はするけど年の単位の概念がないのかこの世界は。それ自体は別に暮らしていく上で問題はないんだけどね…
気候が安定してるってことは暦に従って種をまく時期とかは考えなくてもいいんだろうし。
と,話が逸れた。
「とりあえずその辺の話はおいといて…じゃあ水が浴びられる施設があるか、もしくは近くに併設してある宿って感じで頼もうかな」
「あ,そうですね。わかりました。ではこちらです」
あ,ちなみにシスティナは貴族の馬車で移動中に一旦この街を経由しているため、街の施設についてはひととおり調べたとのこと。
その時はまだ契約侍祭ではなかったが,主人となる者が必要とするだろう情報を事前にもしくは素早く収集しておくことも侍祭としては当たり前のことらしい。
侍祭マジ優秀。