第一話「卒業」
「姉ちゃん!」
「莉里!」
またこの夢か。
もう何回も見たこの光景を和人は『夢』だと自覚出来るぐらいには何度も見ていた。
この後の展開も容易に予想出来る。
「ごめんね」
そう一言だけ言い残し、和人の姉の莉里は足元から眩い光を出したかと思うと一瞬で消えた。
「なんて事を……」
和人は姉の所業を嘆く自分の父、秀明を見上げる。
怒りとも悲しみとも取れる鬼の形相は、まだ10歳にしかなっていない和人が怖いと感じるには十分だった。
「部屋に戻っていなさい」
いつも自分にとって厳格だった父だが、この時はいつもに増して父からの厳しさを感じた和人。
言葉を発する事なく、ただ頷くだけでそのまま早足で自分の部屋に向かう。
後ろから泣き叫ぶ父の声だけがこだまする。
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和人が見る夢はいつも父親の叫び声で終わる。
「はあ、最悪」
和人が、この何度見ても見慣れない悪夢を見て起きた日は、大抵何もうまく行かない日でもある。
その為この日一日は憂鬱になりながら過ごす事になる。
「卒業式だってのに……」
ため息は絶えない。
制服に着替え、寝癖を直そうと洗面台へ向かう途中、父親とすれ違う。
「起きたのか」
「ああ……」
気まずい空気が流れる。
和人が夢に見るあの日以来、親子でありながら二人の関係はとてもギクシャクしていた。
数秒の沈黙の後、それを破ったのは秀明の方だった。
「学校、今日で卒業だな」
「うん」
「ひとまずおめでとうと言っておこう」
「ご丁寧にどうも」
再び沈黙が訪れる。
そして数秒後、また秀明がそれを破る。
「大変なのはこれからだぞ」
「わかってるよ」
「そうか……じゃあ行ってくる」
あの日から二人の会話はいつもこんな感じになってしまった。
二人以外がいればそんな事は無いのだが、二人きりになると会話が続かない、一言二言交わすだけでとてもギクシャクしている。
「いってらっしゃい……」
父親が家の玄関から出ていくのを見てからの言葉は余りに遅く、当然秀明の耳には届いてはいない。
和人もそれをわかってやっている。
どうしても本人に直接言えず、聞こえない範囲で言う事によって『俺はちゃんと言ったぞ』と自分に言い聞かせている。
それが何の意味も無いと理解していても、やめられないのだ。
「今何時だ?」
父親を見送った後、和人は洗面台で寝癖を直しながら、「今日起きてから時間を確認してないな」と、ふと気になったのでスマートフォンを水で濡れない様に取り出す。
スマホが指す時刻は7時56分を示していた。
「やっべ! 遅刻する!」
寝癖も中途半端に直しながら慌てて身支度を済ませる。
「急げ、急げ! 卒業式で遅刻なんて冗談で済まされねえぞ!」
大きな独り言を出しながら、急ぎながら、確実に用意する。
一通りの用意が出来た後、休むことなく玄関に向かい、靴を履き、扉を開ける。
「行ってきます!」
誰もいない家の中に向かって今日一番の大きな声で言う。
当然返事も無く、和人も気にすることなく学校へ向かいだす。
だれも居なくなった和人が住む家には仏壇が一つ。
それには笑顔で写る女性が一人。
その笑顔は全てを包み込むような聖母の様な顔で、とても暖かさを感じる笑顔だった。