街から逃亡するお仕事
まだ日が昇らない時間のうちから、レスティアは動き出すようだ。
事前にアラーム役として起こす仕事を頼まれたので、数分前から待機し時間丁度にレスティアを起こす。
報酬は旅に必要な用品の買い出しで前払い済だ。
「おい……時間だ。起きろ」
「んーん……ミリアぁ……もう少し寝させてぇ?」
「………………」
これでは任務遂行できない。
俺は無言で水を汲みに行き、そのままレスティアの顔にぶっかける。
「冷たっ! ちょっ! 何よ!」
「起きたか。おはよう」
「ぺっ、これ……水? 乱暴すぎよ! もっと優しく起こしてくれても……」
「ミリア……もう少し寝かせて」
「!?」
「俺はミリアではないからな。依頼どおりに起こしただけだ」
「……そ、そう……助かったわ」
それだけ言うとレスティアはずぶ濡れのまま、こちらを伺いながらモジモジとしている。
「? トイレなら早く行けよ」
「ち、違うわ! 着替えるのよ! あっちいってよもう!」
同じ部屋にいる以上仕方ないとは思うが、女性の身支度には時間がかかるものだ。
暇な時間は眼精疲労を軽減するため視覚を遮断し、聞こえてくる衣擦れの音を密かに楽しんだ。
「あんた……よくそんなに持てるわね」
「往復回数を増やすくらいなら、無理をしてでも一回で済ます。時間効率を考えた結果だ」
いくら荷物が多いからって、何往復もして運ぶのは愚策でしかない。
人には二本の腕が、更に十本の指があるんだ。なら、工夫次第ではいくらでも荷物を運べるはず。
俺は今、背中にリュックと、各指に革袋、それに腕二本で剣や弓といった武器を抱えている。
気分は仕事終わりに買いだめをする主婦だ。
「あ、あの……アタシもやっぱり」
「安心しろ。俺は仕事をきちんとやる。運搬は俺の仕事、そして街からの脱出と王都までの案内がお前の仕事だ」
役割分担さえハッキリとしておけば、後々揉めることは少ない。
もし俺の荷物持ちを手伝ったおかげで逃亡に影響が出たとしても、誰も責任は取れないからだ。
責任の所在をハッキリとするためにも、役割分担は重要な作業と言えよう。
「着いたわ……あの場所よ」
「門番がいるな」
事件があった翌日だ。いつもならこの時間にまだ居ないかもしれないが、警戒しているということはきちんと伝達がなされていることだろう。
この街の組織関係も捨てたものじゃなさそうだ。
「どうする? 隠れては厳しいだろ」
「そうね……大体は外を警戒しているから大丈夫でしょうけど……アレを使うわ。しゃがんで」
そういって、俺のリュックを何やらゴソゴソとしだす。
やがてお目当てのものが見つかったのか、そのまま一人で門へと歩き出した。
「何かやるなら事前に説明しろ」
「うーん……そうね。目眩ましといったところかしら?」
レスティアは手のひらサイズのボールを掲げる。
煙玉のようなものだろうか。まだ薄暗いこの時間での有効性は高そうだ。
「合図したら一気に駆け抜けるわよ…………今!」
「おい、急に合図するなよ。カウントダウンを――チッ!」
レスティアが煙玉のようなものを投げたことによって、既に作戦は開始されている。
文句はともかく、今は仕事を成功させるために動かなければいけない。
「な、何だ!」
「ゴホッ、ゴホッ、前が見えねぇ!」
「今よ!」
「!? 今女の声が……」
「……………」
俺は無言で、事前の打ち合わせ通りに左から大回りに動いて門を抜ける。
折角の目眩ましなのに声を出すなんて、何たる愚策か。
本当にこいつを雇っていいか急に不安になってきた。
門を抜けた後は、今だ視界の塞がっている門から壁沿いに移動する。
こちらも打ち合わせ済みだ。
そのまま森へ入ると煙が晴れた際に見つかる可能性があるため、まずは横に移動してから森へ入る。
一見遠回りな作業でも、近道をするためには時に必要なことだ。
二人で目的の場所へ着き、まずは落ち着く。
「……ふぅ、なんとか抜けたわね」
「ああ、そうだな。反省点が三つある」
「ん? 何よソレ。無事だったからいいじゃないの」
「ダメだ。あれは危険すぎる。今回は何とかなったかもしれないが、もし次に同じ事態が起きたらどうだ。今回同様、偶然にも上手くいく保証はない。さらにヒヤリハットの観点から見るに――」
「ああもう! わかったから早く教えなさいよ!」
ここからが重要な項目だったが、なにより結論が先だろう。
「まず、合図がない。もし俺が取り残されたらどうなる? 俺だけ捕まって今回の計画は全てオジャンだ。そうすると損害が――」
「こ、今度から注意するわ! で、二つ目は!」
「……次に、声を出すな。逃亡中なら無言で駆け抜けろ。そんなに俺が信用できなかったか? なら今回の話は――」
「そ、そんなわけないじゃない! そうね……アタシが迂闊だったわ……で?」
「ん?」
「最後の三つ目は何なのよ!」
「この場所だな。入り口から近すぎる。それに、森へ逃げるならここが一番最適なのは、お前だけではなく他の人間も気づくことだろう」
「……つまり?」
次の言葉は、俺が発するよりも早くこちらへ投げかけられた。
「お前さんが言いたいのは、ここで待ち伏せされている可能性も考慮し、別の場所を指定するべきだ、だろ?」
そこにいたのは、昨日見た護衛の騎士の一人……出来るなら関わりたくない人種だった。
「こりゃ参ったな……」
「だな」
「ちょ……何なのよあんた達!」
「お嬢ちゃん、悪いことは言わないからさっさと逃げな。森までは見逃してやる」
「出来れば荷物も運ばせて欲しい。こいつと一緒に運びたいが、運び終わって戻るまで待ってもらえるだろうか?」
その言葉に騎士様は少し悩んでいたようだが、やがて結論が出たようで俺に条件を提示してきた。
「わかった。その嬢ちゃんを森まで送っていけ。ただし、そのまま森へ逃げた場合は嬢ちゃんもろもろ皆殺しだ。お前さんが戻ってきた場合は、お前さんの首だけで勘弁してやる」
「わかった」
条件としては破格だろう。あちらにメリットは何もない。
お言葉に甘えて、レスティアと抱えたままの荷物を森まで運ぶことにする。
「ちょっと……あんた、大丈夫なの?」
「何がだ?」
「あれ、この街でも最強の騎士の一人、ゴズウィンよ。いくらヴェノムキマイラを倒したといっても、あんたが勝てるような相手じゃ……」
「大丈夫だ、できる」
例え納期的に完全に無理でも、下請けはできますとしか言えない。
出来ないなら首を切られてもおかしくないからだ。俺が居なくなっても替わりはいる。そんなことを何度言われただろうか。
今回は街からの脱出という依頼に、最強と言われる騎士様が立ちはだかっただけ。
首を斬られるのは変わらないようだが、人間を相手にしている分、まだ楽なほうだろう。
つまり、どうにもならないわけではない。
未だ心配そうに見てくるレスティアに、抱えていた荷物を次々と降らせる。
「ぐぇっ! ちょ……もっと丁寧に扱いなさいよ!」
「潰れたカエルみたいな声を出しやがって。根性のないやつだ」
しかし、これで動きが軽くなった。
武器もいくつか用意していたが、やはり俺にはこの短剣が合っている。
それと、レスティアが買ってくれた荷物の中に十手のようなものがあったので、それも一本装備した。
「じゃあ、行ってくる。森の何処かにリーフというハイエルフが隠れているはずだ。見つからなかったら俺の名前……シャチに頼まれたといえばいつか会えるだろう」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! あんたは……」
「そこにいると狙われる。行け……達者でな」
それだけ言い、背中を向けて騎士様の元へと戻る。
静かに待つ騎士様の場所へ戻った時にふと振り返って見たが、レスティアの姿は既に確認できなかった。
「おーおー、お熱いことで」
「あんたの仕事はなんだ」
「ん? 俺は貴族の護衛と、ハイエルフを捕まえろとしか言われてないな。ここに居たのは、勘だ」
「成る程」
その道の達人ともなると、勘だけで全てが上手くいく場合もある。
機械制御に任せたり、数年のデータから販売予測や消費傾向を予測しても、達人の勘のほうが冴えている場合もある。
量産的な方法、そしてデータのみでは到底たどり着けない領域、そんな領域に経験でたどり着く者が達人だ。
今目の前にいる人物は……どうやらその達人の仲間だったらしい。
「お前さんは嬢ちゃんの足止めか? なんでもハイエルフの知り合いとか聞いたが」
「俺の仕事はハイエルフを街まで送り届けること。アフターケアとして、安全を確保するまで仕事は完了しない」
「ははっ、真面目なこった。お前さんがもし、ハイエルフを街に入れて仕事完了としていたら…………ここで死ぬこともなかっただろうにな」
「アフターケアは、大事だろ?」
「違いねぇな」
殺し合いに合図はない。
俺たちは自然と接近し、短剣と長剣を交わらせ戦う。
しかし、リーチ以前に俺が勝てるわけもなく、すぐに腕が斬りつけられ、怯んだところにもう一閃受け身体を袈裟斬りされる。
「ぐっ……」
「初めから勝負にならねぇんだよ。さっさと死にな」
そうして、騎士様は両刃の剣にも関わらず、俺の首を狙ってか隙だらけの上段構えを見せる。
これはチャンスだ。
そのまま騎士様に思いっきり抱きつき、そのまま押し倒す。
「ちょ! お前! 離れろ!」
「………………」
柔道の寝技である、抑え込み技でガッチリとホールドする。
その際に首も多少斬られたが、分離するまでには至らなかったようだ。
さすが騎士様というべきか、押し倒しても剣は手放さなかったので、俺の背中は絶賛ザクザク中だ。
しかし、この肉体はすぐに回復する。
剣が刺さったまま回復したらどうしようかと思っていたが、そこはきちんと異物を押し出して再生するらしい。
あの女神様もアフターケアはバッチリのようだ。
「くっ、何だコイツ! ビクともしねぇ!」
「………………」
「何か言えよ! おい、離れろ! いでっ、グフッ……」
俺を背中から思いっきり刺しているせいで、それが何度か下まで貫通したらしい。いくら鎧を着た騎士様でも、刺突の衝撃は受けるようだ。
しかし、俺は痛みも衝撃も無視し、技で固定したまま離さない。
「チッ、こうなったら肩を……」
「ぐっ…………」
「次は逆の……て、落としたはずの右肩が再生しているだと!?」
「………………」
「おい、なんか言えよ」
「………………」
「わかった。わかった。降参だ、離してくれ」
「信用できない」
「武器も捨てた。力も抜いた。あとは……そうだな、街の連中にも森は追わないように言っておく」
「そちらのメリットは?」
「この場から解放される、だな」
「よし」
言質を取ったことで、ようやく騎士様を解放する。
俺も男と長い時間抱き合っている趣味はない。
「……ふぅ、こんな化物みたいな奴だなんて、聞いてねぇぞ」
「俺のことは報告するのか?」
「まあ仕事だしな……しかし、この腕だけ証拠に持ち帰ればお咎めはナシだろうよ。お前さんのことは腕だけ残して逃げられたと伝えておく」
「わかった。見逃してくれて助かる」
あのままなら殺されることはなかっただろうが、今持久戦に持ち込むとしてもこちらにデメリットしかない。
もしあの場に援軍が駆けつけたら、こちらの勝機は無いからだ。
「そういや、俺はゴズウィンて言うんだ。王都に行くなら……また会うかもな」
「俺はシャチとでも呼んでくれ。出来ればもう会いたくないがな」
「違いねぇな」
そうして、ゴズウィンが背中を向けたのを確認してから俺も森へ向かう。
今回の反省点は二つだ。
まず、俺には殺傷力がない。襲われたら身を守る術がない。すぐに回復するとはいっても、さすがに首を斬られたらどうなるか不明だ。
この対策は持ち越しとして、もう一つ。
ゴズウィンが良いやつで助かったが、もし援軍が来たら俺は捕まっていた。
可能性を考えなかったわけではない。今までの俺なら捕まってもとくに問題はなかったはず。
しかし、今は仕事中だ。
遂行中の依頼と、雇用した人物がいる。
もしここで俺が捕まったらどうなるだろうか。仕事は途中で破棄されるだろう。
そんなことは、俺が殺される以上に恐ろしいことだ。
そうならなくてよかったと心底安堵しつつ、俺もレスティアを追うため森へと入った。