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IFストーリー:春風の吹く場所

この話は、本編の5章から派生するハッピーエンドです。美樹の手術後が終了し、無事成功に終わったというIFストーリーになっています。いきなりエンディングです。もしもまだ本編を読んでいない場合は、良ければ読んでやってください。バッドエンドを見てからこちらを見ていただければ幸いです。

 玄関で腰を下ろし、一ヶ月ほど前に買った黒いスポーツシューズを履く。

 大分履き慣れたな、なんて考えながら、俺はゆっくりと靴紐を結んだ。

「それじゃあ、行ってきます」

 家の中に向かってそう声をかけ、俺はドアノブを捻る。玄関の扉を開けると、僅かに冷えた空気が頬を撫でた。だが、冷えたようでその風はどこか暖かい。俺は少しばかり頬を緩ませると、左手に鞄を提げて歩き出す。

「今日は、良い天気になりそうだな」

 天気は快晴。雲一つない青空を見上げて、俺はポツリと呟いた。

 夏も過ぎ、秋が訪れ、冬を超えた。

 そして今、今度は春の到来。近所の桜も花を咲かせ、道行く人々の表情もどこか晴れやかだ。

 俺は欠伸を一つ噛み殺し、道行く人々の流れに流されていく。

 今年で俺も三年生になるわけだが、それだけで俺自身が劇的に変わるわけでもない。

 きっと校長辺りは、今日の始業式で『学校の最上級生としての自覚云々〜』などと壇上で熱弁を振るうだろうが、そんなものは知らない。

「なんでああいった話は長くなるんだろうか……」

 どうでも良いことを呟きつつ、横断歩道を渡る。

 周囲を見回してみれば、同じ学校の制服を着ている学生がちらほらといた。中には、午前中の入学式で入学してくる一年生が親らしき人物と一緒に歩いている。その表情は、これから始まる高校生活への期待で初々しくも輝いていた。

 俺も二年前はあんな表情をしていたのか、なんて思い返してみるが、どうにもあんな純な表情をしていた覚えがない。きっと、乾燥した表情をしていただろう。そんな昔の自分を思い出して、軽く苦笑した。


「すみません。ちょっとお尋ねしたいんですが……」


 のんびりと周りを見ていた俺の背後から、不意にそんな声が響く。

 どこか親しげで、優しげな声。

「常盤台高校へは、どう行けばいいのでしょうか?」

 その声に、俺は小さく笑う。

「ああ、この道を右に曲がって、さらに右に曲がって真っ直ぐ進むんだ」

 適当に指差しながら、俺は告げる。それを聞いて、背後の声は拗ねたような声を上げた。

「むー……それじゃあ、来た道を戻っちゃうじゃないですか」

「まあ、冗談だからな」

 そう言って、俺は背後へと振り返る。

「おはよう、美樹」

 挨拶をした俺は、きっと笑顔だっただろう。


 あの夏、美樹の手術は成功した。

 術後の経過もほぼ順調で、合併症などを引き起こすこともなかった。強いて挙げるとすれば、美樹の体力が完全に回復するのに時間がかかったくらいか。

 ICUから一般の病室に移され、そこから日常生活を送れるだけの体力をつけるリハビリ。無理をしないように、それでいて懸命に頑張る美樹の努力が実って、彼女は今ここにいる。


 ―――そう、今年度の新入生として。


 元々一年留年していたが、手術の影響でさらにもう一年留年してしまった。

 留年なので別に入学式に出なくても良いのだが、以前の入学式は体調が悪くて参加できなかったらしく、きちんとした形で入学式をしたいらしい。

「そういえばおばさんはどうしたんだ?」

 周りを見てみるが、いつも朗らかに微笑んでいる女性はいない。

「お母さんは一足先に入学式の会場に行ってます。良い席を取ってくる、と。ビデオカメラを手に持って、とても張り切っていました。」

「……運動会じゃないんだから」

 俺はため息を吐く。入学式の最中に、カメラを撮影しながら美樹に手を振る姿が容易に頭に浮かんだ。席は予めクラスごとで決まっている気がしないでもないが、気にしないことにする。

「それと……」

 言葉を続けて、美樹は僅かに頬を染めて目を逸らす。

「『修司君にエスコートしてもらいなさい』って、お母さんが……」

 僅かに小さくなった声と、赤くなった頬を見て俺も少し顔が赤くなるのを自覚した。

「まったく、あの人は」

 愚痴を吐くように言ってみる。ことあるごとに俺と美樹をからかってくるのは、きっと楽しいからだろう。

 ……いやまぁ、美樹のお母さんと親しいのは将来的な意味で良いことなんだろうけども。

 俺がそんなことを考えていると、美樹は不安に曇った表情を向けてくる。

「あの、迷惑……でしたか?」

 揺れる瞳と、少しばかり震える声色。俺は苦笑を浮かべた。

「そんなわけないだろ。ほら、ちゃんとエスコートしてやるさ」

 ちょっとだけ照れながらそう言うと、美樹は花咲くような笑みを浮かべる。

「はい!」

 元気の良い返事に、周りの数人がこちらを見るが気にしない。美樹は満面の笑顔を浮かべて俺の横に並ぶ。

 背中まで伸ばした黒い髪が春風に揺れ、鞄に結ばれた『病気平癒』と書かれたお守りも小さく揺れた。

 以前彼女自身が怠け者と称した心臓は、今ではとても頑張ってくれているらしい。お守りのご利益かはわからないが、近々参拝に行ってみようかと思う。

「あ、そういえば」

 ぽん、と両手を合わせ、美樹が覗き込むように見てくる。

「ん? どうしたんだ?」

 俺が疑問の声をかけると、美樹ははにかむように微笑む。

「わたしの制服姿、どうですか? おかしくないですか?」

 上は白を基調とした制服に、下は紺色と緑色のチェックが特徴のスカート。

 今までの二年間で見慣れた制服だが、美樹が着るとまた違った印象を受けた。

 いつもはどちらかというと綺麗だな、という印象なのだが、制服を着た美樹は可愛い印象を受ける。

「うん。可愛いな」

 ぽろっと、直球で本音が漏れた。

 思わず口を閉じるが既に遅い。美樹はさっきよりも顔を桜色に染めて下を向いていた。それを見た俺は、気恥ずかしくて横を向く。

「そ、その、ありがとうございます……修司先輩」

 そして、美樹の突然の先輩発言に、俺は危うく噴き出すところだった。

 何を、と尋ねようとしたが、数ヶ月前の病室での会話が頭を掠める。

『そうなったら、俺の後輩になるんだけどな』

『そ、それは言わないでくださいよ』

『あ、だったら先輩って呼んだほうが良いですか?』

『……いや、今のままでいい』

 何気ない会話だった。

 そして、それは叶わない願いだとも思った。

 しかし、それが今では俺の横に美樹が並び、そして笑っている。

「……先輩、か。覚えてたんだな」

「はい。もし、もう一度学校に通うことができたら、そう呼んで困らせてあげたいって思ってました」

 そう言って楽しそうに笑う美樹。その笑顔を見て、俺は嗚呼と息を吐いた。

「困った……」

「え? どうしたんですか?」

 いや、これは困ったな。


「なんというか……幸せで困ってる」


 心が満たされる充足感。

 隣に美樹が歩いているという幸せを、今更ながら実感する。

 運が悪ければ、今ここに美樹はいなかっただろう。こんな晴れやかな気持ちで通学路を歩くこともなく、以前にもまして無気力な生活を送っていたかもしれない。

 そんな俺の表情を見た美樹も、幸せそうに笑った。

「わたしは、幸せで困ったりしませんよ? だから、もっと幸せにしてほしいなー、なんて思っちゃいます」

 美樹がはにかむ。俺は足を止めて、美樹と向かい合った。

「俺は、今のままでも十分幸せだ。でも、そうだな。美樹がそう言うのなら……」

 二人の間を春風が吹き抜ける。俺はその風に押されるように口を開いた。

「これから、もっと幸せにしてやるさ」

 風に乗って、言葉が流れる。

 美樹は僅かにうつむき、ややあって顔を上げた。


 ―――その顔に、満面の笑みを浮かべて。


「はい……お願いします」

 満面の笑みに、俺も笑顔を返す。

「さて、それじゃあまずは入学式だな」

 右手を差し出すと、美樹は笑顔のまま手を繋ぐ。

 その暖かさに、俺は内心でもう一度だけ嗚呼、と呟いた。


 幸せにする時間はいくらでもある。

 幸せになる時間はいくらでもある。

 それが、ひどく嬉しい。

 

 そんな俺の様子を見て取った美樹が、僅かに手を引っ張った。

「ほら、早く行かないと遅刻しちゃいます。わたし、入学式を遅刻なんて嫌ですからね?」

 手を引く美樹に、俺は負けじと歩調を速める。

 あの海風の吹く場所で美樹と出会えたことに、俺は感謝したい。


「修司さん」

 先を行く美樹が僅かに振り返る。

「わたし、今とっても幸せです!」

 そんな美樹に、俺も声を上げた。

「俺もだよ!」

 そうして二人で笑い合う。

 響いた笑い声は、雲一つない青空へと吸い込まれていった。


 どうもお久しぶりです。池崎数也です。

 本編はバッドエンドで終わった『海風の吹く場所』ですが、つい勢いでハッピーエンドバージョンも書いてしまいました。

 感想でリクエストをいただいたというのもありますが、やっぱり美樹には幸せになってほしいという思いがありましたので。

 IFストーリーみたいなものですが、少しでも美樹が幸せになったように見えれば幸いです。

 何か微妙に甘ったるい気がしますが、気にしないようにしたいと思います。

 では、こんな拙作を読んでくださった方に無上の感謝を。


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