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王子の最愛  作者: 逢矢 沙希
第一章 第四王子と血薔薇の令嬢
8/28

8話

「別に部屋をご用意しました。どうぞ、レディ・マリアンはこちらの方へ」

 伯爵が合図すると、その後ろの騎士達が心得たように前へ出てくる。

 言葉こそ丁寧だけど、ここで従ってラシェット様と離れたら、多分二度と合流することはない。

 咄嗟にラシェット様が腕を上げ、遮る仕草を見せる。

 きっとまた私を庇おうとしてくれているのだ。本当にお人好しな王子様だけど、今はそれに便乗させて貰おう。

 私の近い将来がどうなるのかはともかく、今、この人と引き離されては後々困る。

「……嫌です、殿下のお側を離れたくありません……」

 だから、そう言ってぎゅっと王子が上げた片腕にしがみついた。

 意図的に弱々しく縋る声を出し、彼の腕を両腕で胸に抱え込んで、肩に頬を寄せる。

 自分のこの行動が、他者の目にどう見えるのか、充分承知した上での事である。

 きっと伯爵や騎士達の目には、私と王子がただならぬ関係に見えただろう。

 それでなくてもこのような夜更けに行動を共にしていたのだから、その関係が疑われてもいたはずだ。

 唯一、ラシェット殿下本人以外は。

「お願い致します、どうかここにいる間だけでも、お側にいさせて下さい」

 なおも私は甘えた声で、縋るように言葉を続ける。

 伯爵達はやっぱりか、と言わんばかりな眼差しに変わったけれど、ラシェット様の私を見る目は、一言で言うなら「点」だった。

 無理もない。

 つい先程まで、生意気な発言や態度を繰り返していた私の言動からすると、とんでもない違和感に襲われるだろうなと、我ながら思う。

 その違和感は、彼が半ば放心し、呆然としてしまうほど強力なものだったらしい。

 一体どうしちゃったんだよ、と問われてもおかしくないくらいに。

 でも今は、私の話に合わせてくれなくては困る。

 彼の腕にしがみついている腕の片方を、その背に回し、伯爵達に見えない角度で彼の上着の裾を引いた。

「お願いします、ラシェット様……」

 それで駄目なら背中を抓ろうか、それともいっそショック療法でキスでもする?

 と思っていたけど、幸いにしてラシェット様は上着を引かれる感覚に気付いて、ハッと私の顔を見下ろしてくれた。

 そのラシェット様に、視線で訴える。

 恋しい人を見るにしては随分とギラギラした眼差しだっただろうけど、正面から見ているのは彼だけだ。その彼に、私の意図が伝わればそれで良い。

 そして、私の意図はちゃんと届いたようだった。

 たっぷりと沈黙してしまった間が少々不自然ではあったものの、どうにか状況を把握し我に返ったラシェット様が、何ともぎこちない仕草で私の身体を両腕に抱え込む。

 何気ない仕草に見えるよう、精一杯努力しているようだけど、抱かれている私からすれば彼の身体がガチガチに固まっているのはすぐに判った。

 どうやらこの王子、この手の事にはあまり慣れていないらしい。

 それでもどうにか雰囲気を作ろうとするのは立派だ。

「……この通り、野暮な真似はご遠慮頂きたい。私も彼女も、ごく僅かな時間しか共にいられない身の上だ。……今は共にいさせてくれないか」

 棒読みに聞こえない、ギリギリの台詞だ。

 欲を言うならもう少し情感的に言って欲しいけど、いきなりでこれ以上を求めるのはちょっと気の毒なので、大目に見てあげよう。

 王子の腕の中で、その肩に顔を埋めながら背に両腕を回す。

 ……ちょっと、逃げようとしましたね、今。

 身体がびくっと、後ろに下がろうとしたのが判りましたよ。でも今はもう少し頑張ってくれないと困ります。

 そうやって見た目にはひしと抱き合う私達の姿に、伯爵は何を思っただろう。

 最初は顔を強張らせ、次第に生温い何とも言えない表情に変わって、最後には溜息交じりに首を横に振った。

「殿下。老婆心ながら、その令嬢をお相手になさるのは、お止めになった方が良い。兄君のこともありますが、彼女の噂をご存じないわけではないでしょう」

 誘拐だの脅迫だのと、到底正当とは言えない言動を繰り返しているリッツモンド伯爵だけど、この点に関してだけ言うならば、正しい忠告だと言える。

「あなた様の、手に負えるような令嬢とは思えません。あまりにも質が悪すぎる」

 そんなことはラシェット様もよくご存じだ。つい先程、散々叱られた後である。

 心配しなくとも、彼が私に惑うことは多分ないだろうし、私もそうであってくれなくては困る。

「……あなたはもう、私の義父になったつもりか?」

 真正面から苦言を呈してくるリッツモンド伯爵の言葉に、ほんの少しラシェット様の声に落ち着きが戻ってくる。そのまま、彼の私の肩を抱く手に、更に力が入るのが判った。

 必然的に抱き合う密度が増した私達の姿に、伯爵の眉間の皺が更に深くなり。

 けれど今は何を言っても無駄だと察したのか、それ以上は何も言わずに他の男たちを従わせて部屋を出て行った。

 再びパタリと扉が閉まり、錠が掛かる音がする。

 ラシェット様の私の背に回した腕が、ぱっと離れたのは、その錠の音が完全に途絶えてからだった。

「あんなふうに誤解をさせて、どうするつもりだ」

 とても不本意そうに言うラシェット様だけど、誤解を与えるようにわざと振る舞ったのだから、当たり前だ。

 それに最後の方ではあなたも結構良いお芝居だったじゃないですか。尤もそれは、リッツモンド伯爵に対する苛立ちや怒りによる言動だったとは思うけど。

 確かに伯爵が忠告したとおり、アストロード様の寵愛を受けていると噂の私と、その弟の第四王子があんな芝居を打てば、どんな誤解を生むかは判りきっている。

 きっと兄王子の目を盗んで逢瀬を繰り返す恋人同士に見えただろうし、あるいは純朴な第四王子を誑かす魔性の女にも見えたかもしれない。

 どちらにしても不名誉な誤解であることには違いない。でも私にはどうでも良いことだ。

「良いではないですか、別にどんな誤解をされても。アストロード様さえ誤解なさらなければ、私はそれで構いません」

「お前は……それほど兄上が大切なら、どうして自分の評判を落とすような真似を」

 ラシェット様の疑問は、堂々巡りだ。今彼が何を言ったところで、私は答えるつもりはないし、彼が答えを得る事は出来ない。

「そのような問いは無意味ですわ」

「無意味とはなんだ、俺は……!」

「ラシェット殿下」

 反射的に何事かを叫ぼうとした彼の口に、私は自分の手を押し当てて塞ぐと、静かに囁く。その距離は未だお互いに抱き締め合った時のままだ。

 身長もほぼ同じの私達は、後一歩どちらかが前へ踏み出せばその唇が触れ合ってしまうような至近距離である。

「大きな声は出さないでください。よろしいですね?」

 言い含めるように告げる私に、ラシェット様は半ば押されるような形で小さく頷く。それを確認してから、そっと彼の口を塞いでいた手を離した。

 そのまま、彼に囁くように言葉を続ける。

「このままここにいては、お互いの為になりません。逃げることを考えましょう」

「逃げると言っても、どうやって……」

 私に返す彼の声も小さい……お互いに、間近で身を寄せ合っていないと聞こえないくらいに。

「そうですね、理想は殿下の護衛騎士が行方を追って助けにくる、という展開が一番ですけれど……これだけ待っても来ない、という事は完全に私達の行方を見失っているようです」

 別に皮肉を言ったつもりはなく、事実を口にしただけ。

 でもラシェット様の耳には、自分の護衛騎士がふがいないと聞こえたようで、さっとその表情を強張らせる。

 それでも反論する言葉を口にしなかったのは、現実的に自分の護衛騎士達が見事にしてやられた事実を認めているからだ。

 本当に、いっそあっけないくらい簡単に伯爵の騎士に撒かれてしまった。

 他にも様々な事情が重なった上で、今夜のラシェット様の護衛が薄くなってしまったのだろうけれど、その結果守るべき人をまんまと攫われては意味がない。

 王子の護衛騎士がこれまで必死に彼を守ってきたのは判る。でも今まではどうにかなっていたとしても、これから先は厳しいだろう。

 ラシェット様がこの先も王子として立場を守り、生き抜くためには、これまで以上の守護と力が必要だ。果たして彼はそれを手に入れる事は出来るのだろうか。

 それを思えば、リッツモンド伯爵の申し出も決して悪いものではない。ただ、味方にするにはあの伯爵は少し信用がならないだろうけれど。

 とまあ、そんなことを考えていても仕方がない。今優先すべきは、やはりここから無事に逃げ出す事だ。

 睨むように見つめてくるラシェット様の視線の前で、私は自分のドレスのスカートの内側に手を突っ込むと、中から薄い布包みを引っ張り出した。

 その際にまくり上げた時に、数段重なったパニエのレースが見えてしまったようで、慌てたようにラシェット様が顔を背ける。

 別にパニエくらい見えたところで、どうということはないのだけれど。

 王子の紳士的とも初とも言える反応を横目に、引っ張り出した布包みを開けば、中から出てきたのは、ある特有の効果がある薬草を乾燥させ、細かく刻んで固めた練り香だ。

「お前、それは」

「あんなことを言いましたが、正直なところ庇って頂けて助かりました。ありがとうございます」

 まあ多少チェックを受けたところで、すぐには判らないような細工はしていたけれど。絶対という保証はなかったので、有り難かったのは事実。

 何度目かの微笑みを向けた後で、その練り香を手に、床に置かれたランタンのホヤを外す。

「あちらの壁際まで下がって、ハンカチで鼻と口を良いと言うまでしっかり押さえていて下さい」

 私自身片手に取り出したハンカチで、自分の鼻と口をしっかり押さえ、もう片方の手で剥き出しになったランタンの炎に、練り香を近付ける。

 その練り香に火がつくと、即座に振って消し、代わりにゆらりと立ち上る煙を自分からできるだけ遠ざけて、扉の下に僅かに空いている隙間から外に流れるように置いた。

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