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王子の最愛  作者: 逢矢 沙希
第一章 第四王子と血薔薇の令嬢
7/28

7話

「その気の抜けた返事はなんだ!」

 ああ、また怒られた。

 ……と言うよりも、なぜ私は今、この王子に叱られているのだろう。

「それは、申し訳ありません。少し驚いてしまって。……でも、とりあえず今のその発言は、他では口にされない方がよろしいかと。私があなたの敵になるつもりなら、大いに利用させて頂くところです」

 指摘されて、気付いたらしい。

 ハッと彼が口を噤むけれど、少々遅かったようだ。

 途端に警戒する眼差しを私に向けてくる。

 それも、少し遅い。

 こういう直情的なところは、彼がまだ十六歳の少年だということなのだろうか。

 それとも誘拐されて二人きり、という通常とは違う特殊な状況が彼の口を軽くさせたのか、それは判らないけれど、まあ迂闊な発言であることは違いない。

「すぐに利用させて頂くつもりはありませんので、今のところはご安心頂いて結構です」

「……随分信用ならない安心だな」

「あなたがアストロード様の敵にならない限りは大丈夫でしょう。その逆になった場合は保証いたしませんけれど。それに先ほどの発言は、私が誘導したわけではなく、あなたがご自身で自ら進んで口にされたお言葉です、私を責められるのは筋違いでしょう?」

 にっこりと微笑みを向ければ、私の笑顔の先で余計な口が滑った自覚はあったのか、ぐう、とラシェット様が押し黙った。

 それでも、言い負かされた状態で黙り込むのは悔しかったらしい。

 彼が再び何かを言おうとその口を開き掛けるけれど……それを、自分の口元に人差し指を押し当てて、黙らせたのは私だった。

 静かに、という合図を目にして、ラシェット様もすぐに気付いたようだ。部屋の扉の向こう側から、微かに床を叩く音が響いてくる。

 一人ではない、複数の人の足音だ。

 その足音はすぐに部屋の前まで辿り着いて、ガチャガチャと鍵が外される金属の音が響いた後で、ゆっくりと扉が開かれる。

 その向こうから現れたのは、数名の騎士を後ろに従えた、一人の貴族の男だった。その男の顔に見覚えがある。

 宮廷にも頻繁に出入りしている、リッツモンドと言う名の伯爵だ。

 当然ラシェット様とも面識があるだろう。その証拠に彼の顔を見て、ラシェット様の眉間に再び深い皺が寄る。

「ご機嫌はいかがですか、ラシェット殿下」

 この状況でご機嫌いかが、とは随分な厚顔だ。

 とはいえこれくらいのことは貴族であれば誰でもすんなりとやってのけるくらいの強かさは持っている。

 伯爵の取り澄ました笑顔を前に、王子の華奢な背に緊張が走るのが判った。

 リッツモンドは、爵位は伯爵と言えど騎士達の育成に力を注いでいる貴族であり、武力という意味で言えば他の同格の貴族家が持つ力を超えているだろう。

 伯爵がその手を上げて合図すれば、後ろの騎士達は瞬く間のうちに私達へ襲い掛かり、物言わぬ骸となるだろう。

 けれどこれまでの伯爵の宮廷での印象は、大人しく目立たない地味な人だったはずだ。

「……これは驚いたな、リッツモンド卿。あなたはもっと大人しい方かと思っていたが」

 ラシェット様のこの言葉はもちろん皮肉だ。だけどその声の中には、真実の驚きが含まれている事も判る。

 そのことからも、ラシェット様はこのリッツモンドが自分を誘拐するような大胆な真似をする存在だとは認識していなかったらしい。

 彼が知らないと言うことは、その護衛を任されている騎士達も、彼の母親達も認識していなかったという事だ。

 王子の視線の先で、伯爵は仰々しくも見える仕草でゆっくりと腰を折り、見た目だけは優雅な礼を寄越した。

「突然、このようなお招きをしてしまいまして申し訳ございません。ですが、何度正式な手順でお願い致しましても、色よいお返事を頂けないものですから」

「貴卿の申し出には、その都度正式な返答をしているはずだ」

「はい。ですが、どうぞ今一度、深くお考え下さい、我が娘も殿下を思って毎日涙しております」

 我が娘。その一言で、伯爵の思惑が知れる。

 確かに伯爵には娘がいる。二人いる内のその一人が、ラシェット様と同年で、今年社交界デビューして間もない。

 夜会で見かける娘の姿は精一杯華やかな衣装で着飾っていても、その衣装に着られている印象が強かったことを覚えている。

 良く言えばしとやか、悪く言えば少し地味。どこか自分に自信なさげで、彼女が王子妃にと自分から手を上げて望むタイプには見えなかった。

 けれど伯爵はその娘を王子の妃にして、姻戚としてその力を振るいたいらしい。

 貴族としては至極当たり前の、一般的なものの考え方だ。

 そうすることでラシェット様を祭り上げ、王位継承権争いの中に自らも躍り込むつもりなのだろう。

 そんなリッツモンド伯爵に、ラシェット様は皮肉気な眼差しを向ける。

「あなたが縁を結びたいのは、本来私ではないだろう」

「とんでもございません。私どもは元々、殿下の平等かつお優しいお心に心酔しております」

 その言葉に、ラシェット様は何も答えなかった。

 ただ横顔に浮かんだ僅かな冷笑は、そのまま彼の心を現している。

 ラシェット様の言うとおり、確かに伯爵が縁を結びたかったのは本来、第四王子などではないだろう。

 本音を言えば王太子であるアストロード様、あるいは第二、第三王子のいずれかであったのではないか。

 でも三人の王子にはいずれも強力な支援者が既に存在する。今更伯爵の立場で付け入る隙はない。

 娘を王子妃にすることは到底不可能だろうし、三人の王子いずれかの陣営に下ってもその扱いは二番手三番手以下で、うまみも少ない。

 その点、確かな後ろ盾のない第四王子の元でなら己の存在を最大限に主張できる。

 もちろんそれは諸刃の剣でもある、下手を踏めば伯爵も第四王子ともろともに奈落の底だ。

 でも上手く行えば、例えラシェット様が王位を継ぐことはなくとも、数年後には公爵としての地位を与えられることは間違いないだろうし、三人の王子達が上手いことつぶし合ってくれれば、王位に就く可能性も充分にある。

 より大きな力を望む貴族からすれば第四王子は物足りないが、伯爵のような立場の貴族からすれば充分うまみはあると、そう言うことのようだった。

 最もその手段が誘拐という時点で、先は見えているような気もする。

 こんな強引な手段でラシェット様に頷かせたとしても、彼が伯爵を信用することは決してないだろう。

 一時従ったとしても、将来的にこの伯爵を排除する手段を考えるはずだ。

 その前に伯爵は王子を手懐けるつもりでいるようだけど、私はそう上手く行くとは思えない。

 何もできない少年だと侮って、力で屈服させる手段を選んだ時点で、伯爵は積んでいる。誰かに誘惑されたのか唆されたのか、身の丈に合わない望みを抱いたものだ。

「なるほど、あなたが首謀者であると言うことは、私はあなたのご令嬢との婚約誓約書にサインしなければ、ここから逃しては貰えないらしい」

「いいえ。婚約ではなく、結婚誓約書です」

 慇懃無礼に微笑んだまま、伯爵は頭を下げる。

 普通に考えれば、例えここでサインしたところで、解放された後でこれは脅迫だった、無効だと主張すれば通る。逆に王族に結婚を強要するなど反逆罪と取られても文句は言えない。

 でも自身が誘拐され屈服したなどと、ラシェット様の口から周囲に訴えることはできない。

 一番恐ろしいのは、屈服したと知られることで、第四王子を支持している数少ない貴族達が離れていくことだ。

 そうなれば彼は身を守る盾や鎧を失うも同然で、たちどころにその居場所を失うだろう。

 サインしてもしなくても、彼の意志は無視される。ここでは王子という身分は何の役にも立たない。彼を守る、王子の護衛騎士もいないのだ。

「……少し考える時間をくれないか」

 今、ラシェット様が口に出来る言葉で一番無難な言葉がこれだっただろう。伯爵も王子がそう答えるだろうことは予測していたようで、大仰に頷きながら言った。

「聡明なラシェット殿下が、正しい答えを得られる事を願っております」

 まだ少年相手に脅迫で逆らえない状況を作っておいて、大層な言い分だ。私も清廉潔白な身の上とはとても言えないけれど、このリッツモンド卿も結構なものだと思う。

 二人の会話を黙って眺めていた私へと、伯爵の目が向けられたのはそんなことを考えていた時だった。

 今まで存在を無視されていたから、そのまま終わるかと思っていたけれど、どうやらそれでは済まないみたい。

「ところで殿下。つかぬ事をお尋ねしますが、随分意外な方とご一緒でいらっしゃいますね?」

 伯爵の私を見る目が、露骨に侮蔑するものに変わったのは、私自身の評判ももちろんだけど、この場においては邪魔にしかならない存在だと認識しているせいか。

 その目はどうやって私を始末しようか、その手段を考えているように見える。

 話を聞かれた以上は、もちろんこのまま解放するわけに行かない。

 かといって王子のように脅迫してその口を黙らせるのも、私相手では不安が残る。

 結論としては殺して口封じをする、と言うものに行き着くことは容易く想像できるものの、困るのはやっぱりその遺体の処理だ。

 どれほど悪女と言われようと、私は侯爵令嬢。それに現在唯一の王太子妃候補と言われている娘である。

 下手な殺し方では自分の身も滅ぼすだろう。ラシェット王子の手前、今すぐ殺されると言うことはないと思うけれど……このままでは行き着く先は見えている。

 さてどうするのか。決断を迫られているラシェット様と同様、私もこれからの自分の行動を考えなくてはならない。

「……彼女については私が責任を持つ。無関係な人間に手を出さないで頂きたい」

 そうラシェット様は言って下さるけれど、その言葉は殆ど意味をなさないに違いない。

 それは本人も判っているようで、実にその声が苦々しく聞こえた。

「……まあ良いでしょう。一時間後、もう一度お返事を伺いに参ります。どうぞそれまでに良い返答をご用意下さい」

 次にここに伯爵が現れる時、手にはきっと結婚誓約書を携えてくるだろう。

 婚約誓約書ならともかく、結婚誓約書などにサインしてしまったら、もう簡単に撤回はできない。

 一時間。

 この後の人生を決めるにはあまりにも短く、酷な要求に感じられた。

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