6話
結局、その後のラシェット様との相談で決まったのは、すぐにバレるような変に甘ったるい恋人同士のような芝居はしないと言うことだった。
ラシェット様がどんな風に女性を口説くのか興味があった私には少し残念だったけど、あまりからかいすぎてこれ以上ご機嫌を損ねるのも上手くないし。
私とラシェット様がさほど親しい関係でないと、多くの人々に知られている。今更想い合って恋人になったのだと振る舞ったところで、上手く芝居を続けられる自信もなく、疑われるだけだからと。
それならばもっと割り切った関係……つまり、政略的な意味で作られた関係だと思わせた方が良いと。
簡単に説明するとこうだ。
私の奔放な振る舞いに、とうとう周囲の声を無視し続けることが難しくなったアストロード様は私を手放す事に決めた。しかし、これほど自分の手元に私を置いておいて、その後のことも知らぬとばかりに放り出す事は、優しい王太子には出来ない。
私の悪名は広がりすぎているし、殆どの青年貴族達の愛人候補にはなっても、結婚相手の候補にはならないだろうから。
その為、アストロード様は未だ決まった相手のいないラシェット様に私を託すことにした。その見返りが、お互いの共闘だ。
つまり私はラシェット様に奪われたという立ち位置ではなく、彼に押し付けられた存在となるわけだ。
確かにいきなり恋だの愛だの囁き合うよりは現実的だとは思う。
そんな王太子の申し出をラシェット様も受け入れる。ただ、第四王子は成人を認められているとはいえまだ十六の少年であるから、向こう二年は婚約期間とする……とまあ、こんな感じだ。
喜ぶ者もいれば怒る者もいるだろうけど、今更想い合って恋に落ちました、なんていう嘘よりはマシ。
それは判るけれど、この提案をラシェット様から聞かされた時は純粋に驚いてしまった。
アストロード様の条件を受け入れる為に、彼が婚約まで口にするとは思わなかったから。
「ラシェット様がそれでよろしいのであれば、私は構いませんが……でも、本当に良いんですか? 私の世間の評判は、嫌と言うほどご存じでしょう?」
「どんな令嬢であろうと兄上から恋人を下賜されておいて、適当に放っておく訳にもいかないだろう。どうせ偽りの関係だ、二年も続かないし、本当に結婚するわけじゃない」
「それはそうでしょうが」
「それにお前の評判は逆に、お前が兄上の元へ戻る時に役に立つだろう。やはり俺よりも兄上の方が良かったと言い出しても誰もが納得するだろうからな。その時はせいぜい派手に出ていくと良い。それより、お前は自分の父親を納得させてくれ」
「私の父は私が誰と婚約しようと結婚しようと、それが事実であれ偽りであれ全く興味ないでしょうから、お気になさらずとも大丈夫です」
一瞬ラシェット様が何とも言えない表情を向けて寄越した。多分私の言葉から、私と父の間で何か確執でもあるのだろうかと、そう考えたのだ。
だけど、別に確執なんて何もない……確執を持つほど、父は私に興味がない。ずっとそうだった。父が大切なのは家と王家……この場合の王家とはアストロード様と国王陛下の二人だけを指す。それだけだ。
あの人にとっては自分の妻も、血の繋がった子供達も、家や王家を守る為に必要な体裁や道具でしかない。
幼い頃はそんな父の関心を引こうと努力したこともある。
でも父は変わらなかった。私も今更、もう父に対して何か期待する事も、恐れる事もない。
ただ家の人間を動かすのには父の許可が必要なので、最低限の報告はする。ただそれだけだ。多分父は私が死んだとしても、アストロード様のお役に立って死んだのならそれで良し、と悲しむこともない。そういうものだと思っている。
ラシェット様の視線に気付かないフリをして、私は微笑んだ。
「でもなんだか、随分な王家の愛執愁嘆場劇みたいな、奥様方が好きなそうなお話のような展開になりそうですね」
「煩い、文句があるならじゃあ、この案よりもっとマシな提案をしてみろ! お前の方が年上だろう、さぞ色々な経験があるんだろうな」
確かに私の周囲では色々な噂があるし、色々な話も聞くけれど、言う程私自身に経験があるわけではない。でもそれを話してもラシェット様は疑うだけで信じてくれなさそうなので、ここは黙っておこう。
「いえいえ、文句などございません。ラシェット様の婚約者だなんて、身に余る光栄です。偽りとはいえ、お側にいる間は誠心誠意お仕えさせて頂きますので、どうぞ優しくして下さいね」
「……お前が言うと、全てがいかがわしく聞こえるのは気のせいか」
「あら、いかがわしいことをお望みですか? さすがにそれは本当の恋人相手でなくてはお受けできませんので、その場合にはもう少し手順を踏んで頂きませんと。それとも殿下は無理強いがお好み?」
「違う!」
どん、と再びラシェット様が机を拳で叩いた。本当に打てば響くような反応の良さだ。
あまり力任せに殴ると、手を痛めますよ。ラシェット様の方こそ、怪我などしないようにしてもらわないと困る。
そんなことを考えた時だ、それまでずっと沈黙を保っていた騎士隊長が、静かにその口を開いたのは。
「……お話中に、申し訳ございません。今後の方針がお決まりのようですので、このお話を速やかにニーナ様とオルコット卿へご報告なさった方がよろしいかと思いますが、いかがでしょうか」
確かに私が護衛だと言う部分は伏せるにしても、アストロード様と手を組む条件として私を任された、ということは、ラシェット様の母君にも祖父君にも話しておかないと駄目だろう。
二人がどんな反応をするのかは薄々想像できる。きっと歓迎はされない、だけどラシェット様がそうであったように、ニーナ妃もオルコット伯爵も結局は受け入れるしかないはずだ。
「そうだな……その前に、まだ二人を引き合わせていなかったな。今回の条件の内容を知るのは兄上の他、俺とマリアン、そしてこのクラウスの三人だけだ。母上や祖父にもマリアンが護衛だと話すつもりはない、そのつもりでいてくれ」
視線でラシェット様に促されて、騎士隊長が恭しい仕草でその腰を折った。
「承知しました。ラシェット殿下の護衛騎士隊長を任されております、クラウス・ビガーと申します。どうぞお見知りおきを」
「マリアン・ブリックスです。ラシェット様の護衛に関しては、あなたの力もお借りすることになるでしょう、よろしくお願いしますね」
「……はい、畏まりました」
互いに挨拶を交わし、それでこの場は一度お開きとなった。護衛と言うからには、昼間だけでなく常に駆けつけられる場所に控えていなくてはならないだろうけど、世間では私は一応侯爵令嬢。
このままでは一日中ずっとラシェット様のお側にいることはできない。
何か彼の側にいても不自然ではない理由を考えるか、騎士達の配置を考えなくてはならないかと思っていたけれど、ラシェット様自らが私を婚約者として扱うつもりなら手段もある。そう言う意味で考えれば、この婚約というのもそれほど悪い手ではないような気がした。
あくまでもラシェット様の身を守る、その一点に関して言えば。そして一番大切なのは、やはりその一点に尽きるので、それさえ抑えておけばあとの多少の問題などどうとでもできる。
詳しいことはまた改めて話をするにしても、ラシェット様がニーナ妃やオルコット伯爵へ話を通してからでないと話は進まないだろう。
その話を通すためにこれからラシェット様は母君の元へ向かうと言うので、邪魔にならぬよう一足先に部屋の外へ出た。私も侯爵家へ戻り、父の耳に今回のことは入れておかなくてはならない。
それを考えると憂鬱で溜息が出そうだ。その溜息を噛み殺した時、背後から声を押し殺した別の人物の声が聞こえたきた。
「……ラシェット殿下は、あのように仰いましたが、私はあなたを全面的に信用しているわけではありません」
それが誰の言葉であるかなど、明らかである。
ゆっくりと振り返れば、やはり護衛騎士隊長のクラウスが、王子の前で見せていた時よりももっと、険しく警戒心を露わにした表情で私を睨むように見据えている。
クラウスの眼差しには、自分はこうすると心に決めた強い意志が感じられた。
「殿下は命に代えましても、私がお守り致します。それは他の王子達からのみならず、あなたからもです。もしあなたの存在が害になるようでしたら、殿下が何を仰いましても、あなたを排除しますのでそのおつもりで」
なるほど、さっきからずっとそれを言いたかったのね。
どうやらクラウスは、護衛騎士という立場以上にラシェット様に肩入れしているみたい。王子の為人を考えれば、それも無理はない気はする。
ラシェット様は優しい。たとえ嫌っている女に対してでもその優しさは有効で、だから自分の部下に対しても心を砕く良い主人であるのだろう。
それでなくともラシェット様を見ていると何となく放っておけない気持ちになるのは、私だけではないはず。
あの王子が今まで何とか切り抜けてこられたのも、彼を慕った者達が力の限り彼を守ってきたからなのかもしれない。
人徳って大切よね。私にはまるで相応しくない言葉だからこそ、余計にそれが似合うラシェット様が眩しく見える。
つい、笑ってしまった。主従揃って真面目なことだ。
彼の本心を言えば、私などラシェット様の護衛どころかお側に近付けたくないでしょうね。偽りとはいえ婚約者として名を上げるなど言語道断、殿下にはいずれ相応しい令嬢をと望んでいるはずだもの。
いずれ解消されるとはいえ、私との婚約話は未来のラシェット様のご結婚に少なからず影響を及ぼすに違いない。
でも今、ラシェット様に必要なのは、いつ現れるか判らない可憐な姫君ではない。今を生き残らねば、彼の未来は続かないのだから……何よりも命優先だと苦渋を噛み締めての選択なのだろうと判った。
今ここで私を排除すれば、同時にアストロード様の排除に繋がる。第二、第三王子だけでなく、王太子まで敵に回せば、確実にラシェット様に明日はない。
それが判っているから、私の邪魔をすることはできないのだろうけど、その状況にクラウスが屈辱と焦燥を抱いているのが伝わってくる。そんなに固く考えず、もっと柔軟に考えれば良いのに。
「まあ怖い。仰る通り、排除されないよう気をつけますわね」
私としては何の他意もない言葉のつもりだった。でも私のこの言葉を、クラウスは皮肉と受け取ったらしい。忌々しげな表情を隠せずに、きつく眉を寄せる彼の強張った顔を見なかったことにして、私は背を向けると今度こそ立ち去るのだった。




