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王子の最愛  作者: 逢矢 沙希
第三章 第二王子と第三王子
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5話

「そういうわけで、しばらくどうぞよろしくお願いしますね」

「……待て、とりあえず俺は今、挨拶より先に疑問を明らかにしたい。お前、どこから入ってきた?」

 何事も初めが肝心。友好な人間関係は笑顔から、と朗らかな笑顔を作って見せたのに、そんな私の笑顔を前にラシェット様は微笑み返してくれるどころか、あからさまに胡散臭そうな眼差しを向けてくる。

 今、私がいるのはラシェット様の書斎だ。

 どこからと言われましても、答えは一つしかないでしょう。

「ちゃんとドアを潜ってきましたよ? ただ、あまり人目についてはまずいだろうと、足音は忍ばせて頂きましたけど」

「扉の前には、護衛騎士がいたはずだ」

「おりました。きちんとお話をして、通して頂きましたけど、何か?」

「何か、ってお前な……」

 どうしてか、ここでラシェット様が酷く疲れたような溜息を付く。一体何がお気に召さないのか……まあ、全てなのだろう。アストロード様と違って、彼は細かなことが色々と気になる質のようだ。

 ラシェット様の反応も無理はない。

 普通は王子の書斎に気軽に出入りできる訳はないし、会うためには幾人もの取り次ぎが必要だし、鋭い視線を向けてくる騎士達の見張りも付く。

 それを思えば、確かに私は途中のあれこれをすっ飛ばしてラシェット様の書斎に、彼も気付かないうちに滑り込んだのだから、ラシェット様にしてみれば気がついたらいつの間にか私がいた、という状況でしかないだろう。

 私が暗殺者なら、ここで速やかに王子の命を頂くところだ……と、言いたいところだけどさすがにそれは無理みたい。と言うのも、扉の前に立っていた、私を不承不承通した護衛騎士が、後ろからそれはそれは剣呑な眼差しを向けてきている。

 万が一にも私がラシェット様に危害を加えようものなら、即刻首を落とすと言わんばかりだ。人手は充分ではないとは言え、なかなか腕の立つ騎士を護衛にしているみたい。

 あの騎士は、先日の舞踏会の時にも王子の護衛に付いていた騎士のはず。背中に突き刺さる視線が、全く同じだから。

 多分、彼がラシェット様の護衛騎士隊長なのだろうと、そう思った。王子の護衛をするためには、後日彼とも話をしなくては。でも今は、ラシェット様との話の方が先だ。

「今後のことを相談する必要がありますよね?」

 再び微笑みながらそう問い掛けると、王子は露骨に溜息を付いて、デスクの上で項垂れてしまう。

 ラシェット様の溜息が重い。まだ十六の年若さで、随分人生の酸い甘いを噛み締めるような溜息だなと思った。

 もう少し若々しさを持たないと、早く老けますよ?

 ええ、以前、年寄りかと暴言をぶつけられたことなど根に持ってはいませんから。

「……俺は、兄上のお考えが全く判らない。あれだけお前を自分のものだと見せつけるような真似をしておいて、なのにあっさりと手放すような真似をなさる。何度も訊くが、お前は本当にそれでいいのか」

「構いませんよ。私は、お役に立てればそれで良いので」

 まるで信じられない、という目を向けられた。確かに一般的にアストロード様を分析すると、実にちぐはぐで何を考えているか判らない、不可解な人物に見えるだろうと思う。

 そんなアストロード様に従う私自身も含めてだ。

 だけど私はそれで良いと思っているし、そんなアストロード様との関係を改めるつもりはない。私にとって大事なことさえ抑えていれば、誰がどう思おうと、どんな評価を下されようと全く気にならないから。

 大体そんなものを気にするくらいなら、最初から悪女と言われるような真似などしていない。大人しく楚々とした令嬢を振る舞って、さっさとどこか適当な家に嫁ぎ、夫に愛されるよう努力して今頃子供の一人や二人は産んでいる。

 そんな令嬢として当たり前の人生とは違う人生を選んだのは自分だ。ちょっと、理解できないとか判らないとか、おかしな奴だと言われても、私の心は揺らぎもしなかった。

「エリック様とジョフリー様の二人は信頼関係によって手を結んでいるわけではありませんから、上手く工作すれば手を切らせる事も可能でしょう。落ち着くまでの間の事です、ずっと私に付きまとわれるわけではありませんからご安心を」

「……」

「まずは何よりご自分の身の安全を図りましょう。それをアストロード様もお望みです。多少の問題など後でどうとでもできますよ」

 アストロード様はともかく、危ないのはやはりあなたの方ですよ、と続ける私にラシェット様はやっぱり溜息を付き、複雑そうな表情で答えた。

「判っている。今回のことも、大きな利があるのは私の方で、兄上には利よりも負担の方が大きい話だ。それでも引き受けて下さったのは、兄上のご温情のおかげだろう」

「お判りでしたら、アストロード様のお考えは二の次三の次でよろしいでしょう? あの方はラシェット様を傷つける事はなさいません、その点に関しては安心なさって良いと思います」

 少なくともアストロード様に取って、ラシェット様が大事な弟というポジションである間は。

 言葉に出さず、心の中で続けた私を、しみじみとラシェット様が見つめてくる。一体何を出すのかと思えば、彼が言ったのは先程と同じような言葉だった。

「お前たち、つくづく判らない主従関係だな」

 本当に判らない、と考えている彼の内心がそのまま伝わってくるようだ。逆にこちらの方が、どうしてそんなに判らないと言うのか不思議に感じるくらいに。

「そうですか? 私はアストロード様の望みを全力で叶えるだけです、とても判りやすいと思いますけど」

「そう思うのはお前だけだ。俺にはさっぱり判らない」

 判らない判らないと繰り返し口にするラシェット様は、本当に判らないのか、それとも判ろうとしていないのか。

 これを良いきっかけに、ラシェット様は少し自分の世界と視野を広げると良いと思う。将来、アストロード様のお側で彼の片腕としてお役に立つつもりでいるのなら。

 でももちろんそんなことを今私が言えば、若い王子は臍を曲げてしまうだろうし、私もそこまでのことを彼に言うつもりはない。

 代わりに口にしたのは、別のことだった。

「では、本題に入りましょうか。ラシェット様はアストロード様から、どのように私を奪って下さるのですか?」

 途端、見事なくらい勢いよくラシェット様が身を引いた。

「おかしな言い方をするな! それのどこが本題だ!」

 その顔は真っ赤に染まっている。

 相変わらず良い反応をするラシェット様に、ついつい私の嗜虐心がくすぐられてしまうから、いけない。

「あら、大事なことですよ? 適当なやり方だと他の者達が不審に思いますし、中には私の本来の役目を見抜いてくる者もいるかもしれません」

「それは……」

「私が護衛であることは内密に。それがアストロード様のご意志ですから。承知の上で受け入れられたのですから、守る努力はして頂けませんと」

「……」

「ですから、どうぞご遠慮なく、私が王太子殿下からあなたへ心が変わっても不思議ではないほど、情熱的に口説いて下さいね」

「だから、お前はそういう言い方は止せと何度言えば……!」

 たまりかねたように、ドンとラシェット様が机を叩いた、その時だった。

 真っ赤な顔をしていた彼の表情が、急に変わった。何かと思ったその時。

「……お前、その腕をどうした」

「えっ?」

 言われるがまま自分の腕を見下ろす。そこで、あっと気付いた。

 私の右腕には真新しい包帯が巻かれていて、本来の肌を隠している。ドレスの袖口に隠れて見えないはずだったのに、腕を持ち上げた拍子に袖口が下がり、ほんの僅か包帯の端が覗いてしまっていた。

 でも本当に少しだ。気付かない人の方が遥かに多いくらいなのに、こういうところこの王子は目敏いらしい。

「ああ……少し手傷を。でも掠り傷ですから、役目に支障はありません」

「そういうことを言っているんじゃない。……手傷とは、兄上が襲撃された時のものか」

 尋ねると言うよりは、確認するといった雰囲気の強い言葉だった。

 答えずに、ただ薄く微笑みを浮かべ続ける私の顔をしばらく見つめ……それから、何度目かの重い溜息を付く。

「……一応、女だろう。女が身体に傷を付けるな」

 傷を付けるな、とはアストロード様からも言われた言葉だ。でもそこに込められた意味は、二人の王子それぞれに少しずつ違う……そんな気がする。

 でも私はあえて、その違いに気付かないフリをした。

「ありがとうございます。でもどうぞ、お気遣いなく」

 折角気遣う言葉を掛けてくれたのに、それに対する私の返答は少しそっけなかったかもしれない。その証拠にラシェット様はほんの僅か顎を引いて、それから少しばつが悪そうに視線を逸らす。

 彼が何を考えているのか、とても判りやすかった。きっと余計なことを言っただろうかと、そんなことを気にしているのだ。

 別に、ラシェット様が悪いわけではない。彼は人として当たり前の気遣いを見せてくれただけだ。

 ただ、彼の純粋な優しさを私が上手に受け取れないだけ。我ながら屈折していると思うけれど、ラシェット様の優しさよりも、アストロード様が時折見せる酷薄さの方が気が楽だと思ってしまうのは、自分でもどうしようもない。

 これもまた、彼に知られれば屈折した関係だとか、判らない関係だと言われてしまうのだろう。私自身、そんな自覚はある。

 このやりとりをじっと見つめているのは王子の護衛騎士隊長だ。入室してからずっと背中に突き刺さる彼の視線は、それだけで人を殺すことができるのなら間違いなく私の胸を貫いているだろうと思える程の強さだった。

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