2話
その目的はあくまでもこちら側のものであって、相手も同じように倣うかというとそうではないだろうが、どちらにしても二人の王子達はまず、目障りな王太子を排除してからその後の事を協議しよう、もっと平たく言えば手を切るタイミングを計ることにしたのだと思う。
勢力で言えば、四人の王子の中で最も優勢なのはやはりアストロード様だ。だけど第二、第三王子達が手を組んだとなると、引き続きこちらが有利とは言いがたい。
さて、どうするのか。そんな疑問が頭に浮かぶけれど、その疑問に対して答えを出すのは私ではなくアストロード様だ。とりあえず今の私の役目はこの刺客達を撃退し、アストロード様の元へ戻ることである。
残った男達が互いに目配せを交わし合う。何か合図をしようとしているらしい……でも遅い。
ふわりとドレスの裾が大きく舞う、その花びらのような生地の広がりに一瞬視界を遮られた男がまた一人、続いてもう一人地面に頽れていく。
最後の男を仕留めようとした時、ほんの一瞬だけ相手の方が動きが速かった。辛うじて男の攻撃を躱したものの、その刃先が私の右腕を掠める。
でもこの程度の掠り傷で暢気に痛みを感じている暇はない、すぐに男の二撃目にそなえて姿勢を低く身構えた時。
横合いから木々の隙間を縫うように飛んできた一本の短剣が、今まさに再び私へと剣を振り下ろそうとしていた男のこめかみを貫いた。
まるでナイフ投げの的になった林檎、みたいに。
ぐらっと傾いだ男の身体は、誰の手に支えられることもなく地面へと投げ出され、そのままじわじわと赤い血だまりを地面に広げていく。
ちらと短剣が飛んできた方向へ目を向けた。そこにいるのは、普段のメイドのお仕着せ姿ではないけれど、確かに私の侍女、カヤだ。
私と目が合うとカヤは、少しだけ眉間に皺を寄せて首を横に振る。その仕草に苦笑してしまった。
どうやら私は彼女の目から見て、まだまだ未熟らしい。
小さく溜息を付いた時、カヤの姿はもう視界から消えている。残されたのは地に倒れ伏す男達の骸と、私に御者、そして馬車の中のアストロード様だ。
握り締めたレイピアの細い刀身の先から、赤い雫が滴り落ちる。その雫を振り落とすように剣を握った腕を振った時、ピリッとした痛みを感じて眉を顰めた。
視線を落とせば、袖を切り裂かれ、露わになった私の右腕の肌に細く血が滲んでいる。傷そのものは浅いが、長さは手の平を広げた幅くらいにはなりそうだ。
それを見ると、確かに私はまだ未熟だなと感じてしまう。
これがカヤだったなら、傷どころか男達にまともな抵抗すらさせる事なく仕事を終わらせていただろうに。だからお嬢様はまだまだですよ、なんて事を言われてしまうのだ。
だけど、カヤのお説教以上に今私に容赦ない人がいる。
そっと裂かれた袖を隠すように腕を降ろし、レイピアを鞘に戻した時。
「終わったかい、マリー」
剣戟や物音が止んだ事で、場が片付いたと判断したらしいアストロード様の声がかかる。振り返れば、閉ざされていたはずの馬車の扉が開かれ、その隙間から彼が顔を出していた。
「はい、終わりました。ですがいけませんよ、もし最後に残っていたのが私ではなく、暗殺者だったなら、どうなさるおつもりですか」
「その場合は仕方がない。すぐに君の後を追うことになったとしても本望だね」
「それでは私が無駄死にになります」
「嫌だったら倒されないよう、頑張って貰わないと。……そんなことより、マリー?」
まるで自分がここで殺されようと生き残ろうと、どちらでも構わないと言わんばかりなお言葉だ。質が悪いことに、それがただのポーズではなく、本心でそう思っているのだと判るから困る。
とはいえ、そんなアストロード様のお考えをきちんと窘められない私にも、問題がないとは言えない。
それが私の父やその他周囲の人々には不満に感じるようだけど……仕方ないではないか、私はアストロード様が望むことを叶えてやりたいし、その為に尽くしたいと思っているのだから。
たとえそれが彼自身の死であろうと、私自身の死であろうと、その他のことであろうと、彼が願う事であれば私にとって大した違いはない。
アストロード様のお考えがご不満ならば、不満に思う人々が努力して、彼の考えを改めて貰えば良いことだと思っている。
そんなことを考えていると、自らも馬車から降り、私の元へ歩み寄ってきたアストロード様の指先が、さり気なく私が隠していた腕の傷に触れてきた。
「これは何かな? 困るよ、命令には従ってもらえないと」
隠し通せるとは思っていなかったけれど、相変わらず目敏い人だ。彼の指先は細い線を描くように血を滲ませる傷を、そっとなぞるように辿ってくる。
傷に触れるのは彼の指先だけではない。私の腕を掬い取って自分の眼前に晒すと……その麗しい唇が、そっと押し当てられた。
「……っ」
直後息を飲んだ。恭しく傷口にキスをされている、等と言う絵面を見せた直後に、アストロード様の歯が私の傷口に容赦なく食い込む。
とたん、ぷつりと傷口を広げられて、浮き上がった血がつうっと腕の丸みを伝って地面に落ちた。
「痛い? まあお仕置きだから、仕方ないね」
他の人が見れば、何と理不尽な仕置きだと呆れるか驚くかするところだろう。彼の命を守るために刺客達を相手に戦って傷を負ったのに、その傷を付けたことを責められて抉られるなんて、ちょっと普通の考え方ではないと私も思う。
だけど、アストロード様は全くどうでも良い、興味のない人間相手には、目を向けることさえしない人だ。
そんな人がどんな理由であれ仕置きを与えたくなるほど関心を寄せてくれている……その事実が私を安堵させる。彼が私を必要としてくれていると実感出来るから。
「申し訳ございません」
「本当だよ。駄目だよ、女の子が身体に傷なんて付けちゃ。君だっていずれ、嫁ぐ身だろう?」
「さあ……そんな時が来るかどうか」
「来るよ。私が保証してあげる」
保証してあげると言いながら、でもアストロード様はご自分が娶るとは言わない。私もそんな言葉は期待していないけど、何とも適当な言葉だなと苦笑してしまった。
「さて、じゃあ行こうか」
アストロード様の唇が腕から離れる。そのまま彼は唇に付いてしまった血を、厭う様子も見せずに舌で舐め取ると、いつもと変わりない穏やかで美しい微笑を刻んで再び馬車へと乗り込んだ。
私はハンカチでぽたりぽたりと赤い雫を滴らせる自分の腕を縛り付けて、彼の後に続く。
打ち捨てられ、倒れたままの男達の死体には、もう二度と目を向けない。
いずれ王太子の護衛騎士達が何事もなかったかのように、死体も戦った痕跡も、全てを片付けてしまうだろう。
……いや、全て片付けると言うのは、ちょっと違うかも。死んだ男達は、それぞれどこか身体の一部を切り取られて、彼らの依頼主の元へ無言の帰還を遂げる事になるだろうから。
煌びやかな美しい箱に収められた、元は人の身体の一部だった何かを受け取ることになるだろう、二人の王子達の姿を思い浮かべて、私はほんの少しだけ同情を禁じ得ない。
決して受け取って愉快な贈り物ではないだろうから。
先程よりもゆっくりと穏やかに動き出した馬車の振動に合わせて、座席に深く腰を落ち着けると、細く吐息が漏れた。
馬鹿みたいな速度で道を走り抜ける馬車は御免被りたいけれど、こんな穏やかな揺れならば嫌いではない。軽く運動をした後なら尚更、揺れに眠気を誘われてしまう。
「少し眠っていていいよ。ずっと私に付き合って疲れているだろう。着いたら起こしてあげるから」
私がうとうととしている様子に気付いたアストロード様が、そんなことを言ってくれる。本来なら王子の目の前で眠ってしまうなど許されることではないけれど、私達の間では過去に何度も繰り返し行われたやりとりだ。
「はい。ありがとうございます」
その言葉に甘えて、静かに目を閉じた。
じわじわと巻き付けられた布地に染みを広げていた血は、いつしか止まっていた。




