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王子の最愛  作者: 逢矢 沙希
第二章 王太子と第四王子
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8話

「何のつもりで、俺を助けたんだ」

「まだ、ラシェット様に脱落されては困るからです」

「兄上の命令か。お前は、兄上の部下だったのか?」

「我が家の人間は全て、王太子殿下に忠実に仕えております」

 続けて質問を重ねるラシェット様は、だけど私の返答には納得できていないようだ。無理もない、彼が知りたい事を知りながら、その論点を少しずらした答えを返しているから。

 知りたい事が判らず、話をはぐらかされているような気がして、彼としては決して面白くはないだろう。

 アストロード様に尋ねても、私に尋ねても、答えは得られない。そのもどかしさは、何となく理解できる。

「お前は、女の身で、どうしてあんな真似を……」

 それでも、やっぱり私は答えることはできないのだ、今はまだ。

 どうにか少しでも疑問を晴らそうと、根気強く問い掛けてくるラシェット様に、身体が触れるほどの距離まで近づいた。

 突然間近まで迫ってきた私の姿に、彼は驚いたように口を噤み……その閉ざされた唇にそっと人差し指を押し当てて、私は微笑む。

「疑問に思われるお気持ちは判りますけれど、全てを一度に暴いてしまうのはつまらないでしょう?」

「……」

「誰にでも多少の秘密はあります。その秘密をどうしても知りたいと仰るのは、私に今ここで裸になれとご命令なさるのと同じ事ですよ」

 さっと、ラシェット様の顔が赤くなった。こういうところも、とても素直だ。

「ば、そんなわけ……!」

「それでも、どうしても気になられるのでしたら、私を見張って下さっても構いません」

「……そんなことをしたら、お前が困るんじゃないのか」

「さあどうでしょう。ラシェット様次第、とだけお答えしておきますね」

 茶化すような私の物言いが、ラシェット様にはまた馬鹿にされているように聞こえたのかもしれない。あるいは、相手にされていないと感じたのだろうか。

 再び彼の繊細な顔に渋面が浮かび……押し殺したような声が、その喉から絞り出される。

「……俺は、お前のそう言うところが嫌いだ。人の話を真面目に受け取らずに、飄々と煙に巻こうとする」

 真面目に受け取っていないわけではない。

 だけど、彼の問いに答えていないことは事実だったから、私は否定せずに目を伏せた。

「そうですか。それは申し訳ありません。……でも、私はラシェット様が嫌いではないですよ」

 素直で、真っ直ぐで、可愛い人。

 あと二、三年も経ったら、一体どんな男性に成長しているのだろうと、その先が少し気になる程に。

 その気持ちのままに、ふわっと小さく口元を綻ばせる。先程までと違って、意図した笑みではなかったけれど……私の顔を見たラシェット様は、先程以上にその顔を赤くして、直後熱いものにでも触れたかのようにぱっと身を引くと顔を背けた。

「……っ、お前、やっぱり俺を馬鹿にしているだろう! 年下だと思って……!!」

 不意に、ラシェット様が言葉を切った。

 その後に詰まったわけではないのは、廊下の向こうから響いてきた人の足音で察する。

 どうやら私達は少しこの場所で長話をしてしまっていたようで、他の帰路につく他の貴族達が向かってきているようだった。

 私とラシェット様が二人一緒に話し込んでいる姿を見られるのは、どちらにとっても都合がよろしくない。

 私達は無言で顔を見合わせると、今より少し先にある曲がり角に身を潜めた。

 そのまま彼らをやり過ごして、その後で時間をずらして帰るつもりだった。

 でも、そんな考えはものの数分で消えてなくなることになる。

 と言うのも、廊下を歩いてくる貴族達は二人いるらしく、その二人の話し声がここにまで聞こえてきたからだ。

 その二人は、自分達の声が響いていることには頓着していないらしい。完全に周囲に人がいないものと思い込んでいるようだ。

 どうやら話題は今夜の、アデーレ様と私の話であるらしく、王太子妃を巡る二人の意見が聞こえてくる。それ自体は別に構わない、きっと誰でも話していることだろう。

 だけど、次第に二人の会話はラシェット様の話題へと移り変わる。

「あの王子様、随分ご立派に振る舞っているつもりだろうけど、所詮は第四王子だろう? 母親の身分も他の王子に劣っているのに、この先どうするつもりだろうな」

「さてね。後ろ盾も弱い王子の使い道なんて限られているだろうよ。どこか別の国に婿養子にやられるか、ある日突然身罷られました、なんて話が聞こえてくるかのどちらかじゃないかと思うけどね」

「案外、自分の未来に悲観して、王太子に刃向かい反逆罪で処刑とか」

「ありうるね、何でも好きにしてくれて良いけど、俺達の方にまで飛び火してくるような騒ぎにはして欲しくないよな」

 ……私も大概、不敬な女だと自覚しているけれど、この二人も負けてない。

 二人の会話がラシェット様の耳に聞こえていなければ良いと思ったけれど、私にこれだけはっきり聞こえてしまったら、その可能性は皆無。

 案の定、まだ少年の王子は先程までの豊かな表情を、すっかり消し去ってしまっている。

 そうしている間にも、二人の会話は続いている。

 その会話が聞こえてくるごとに、この王子の心が擦り切れていくような気がして……なんだか少し、腹の奥がじりじりと燻るような怒りを覚えた。

 判っている、この程度の噂話など日常茶飯事だ。耳にする度に、いちいち気にして傷ついていてはとてもこの先、生き残れない。

 ラシェット様はこうした人々の言葉を当たり前のこととして受け止めながら、その上で受け流していかなくてはならないし、こうした言葉が不本意なのであれば自分の力ではねのけて、不敬な言葉を言わせないようにしなくてはならない。

 判っていますとも。

 でも、私までその不敬な噂話を我慢しなくてはならないかというと、それは別の話だ。

 手にしていた扇を、パチリと閉じた。

 そのまま、扇を自分の手から少し先の廊下……二人の貴族達の目に付くところに放り投げた。

 カツンと乾いた音が周囲に響いて、丁度私達が身を隠していた曲がり角近くまで歩いてきていた、二人の貴族の足が止まった。

 彼らが振り返る。

 そして、気付く。

 ラシェット様を曲がり角の影に隠したまま、扇を拾うために数歩前に出た私の姿に。

「えっ……」

「れ、レディ・マリアン……!?」

 にわかに貴族達が慌て出す。でも今更慌てても遅い。

 話は全部聞こえてましたよ、と言わんばかりに私が目を細めて笑って見せれば、二人は露骨なほど挙動不審に身体を震わせて、みるみるその顔を強張らせていった。

 一方、驚いたのはラシェット様も同じだったらしい。

「お前……!」

 折角やり過ごそうとしていたのに、何をするのだと言わんばかりに背後から潜めた声と目を向けられるけれど、私は肩をそびやかして笑うと、ラシェット様に背を向けたまま、更に数を前に歩み出る。

 貴族達のいる場所からは、私の姿だけしか見えないはずだ。

「何か、とても楽しそうなお話が聞こえて来たような気がしますけれど、私の気のせいでしょうか?」

 見るからに貴族達が狼狽えていく。こんな場所で堂々と王子を批判する言葉を口にするなんて、他者に聞かれれば反逆の意志があるのかと受け止められても仕方ない。

 もちろん彼らにそんな勇気などないだろう。

 せいぜい、強者に阿ってその甘いおこぼれに預かろうと考えるのが精一杯で、自分が主体になってどうしよう、という考えはないのだ。

「い、いえ、そんな……私達は何も……」

「そ、そうです、少し世間話をしていただけで」

「あらそうですか。だとしても、ごく私的なお話をされる場合には、周囲に気を配られた方がよろしいですわね。そうでないと、私のような小心者は国が荒れる前に、と王子殿下のお耳に入れてしまいそうになりますもの」

 廊下に灯された乏しい灯りだけでは、彼らの顔色までは判別できない。

 けれどきっと明るい日差しの下であったなら、その顔が真っ青になっている様が確認できただろう。

 これくらい脅しておけば充分かしら?

「今回は、何も聞かなかったことに致します。時には少し、口が軽くなる事もおありでしょう。次からは、どうぞお気をつけ下さいね、マルシード卿、ジニアス卿」

 でも決して忘れないぞ、と念を押すように二人の貴族の名を呼ぶ。

 即座に彼らは首を縦に振る。当たり前だ、そうでなければどんな結果になるのか想像するのも容易い

「ごきげんよう、良い夜を」

 私が高らかに言い放った後で、彼らはそれぞれ露骨なほど狼狽えた姿で頭を下げると、そのまま逃げるように立ち去って行った。

 あまりにも不格好なその姿が、気の毒すぎて笑えてくる。でも彼らに同情なんてしない、だって自業自得だもの。

 その姿が、すっかり見えなくなった頃……深い、それは深い溜息が後ろから聞こえて来た。

「どうして、あんな真似をする」

「申し訳ありません、つい手が滑ってしまって。決してわざとではございませんのよ」

「嘘つけ、もしあの二人が逆上してお前に力で口封じをしようとしてきたらどうするつもりだ」

 まあ、確かにそう言う可能性もあったでしょうけれど、でも。

「構いませんよ、返り討ちにして差し上げますわ。私にそれができる程度の腕があるのは、殿下もご存じでしょう?」

「……妙齢の令嬢が、笑顔で言う事じゃない」

 だけど、ラシェット様も否定できなかったようで、何とも渋い表情をしている。

 そのまま僅かに、彼の目がばつが悪そうに泳いだ。

「……別に、放っておけばいいんだ。あの程度のことなんて言われ慣れている」

「そうでしょうね」

「……俺が、力のない王子であることも事実だ。兄上達に比べて、条件が悪い事も」

「ええ、そうですね」

 そうでしょうね。そうでしょうとも。

 そんなことは判っています。

 判っていますが。

「でも、なんだか無性に腹立たしく感じてしまったんですもの、仕方ありません」

 泳いでいたラシェット様の視線が、再び舞い戻る。

 その彼の瞳を真正面から見返して、私は微笑むと、

「ごきげんよう、ラシェット様。また、お会い出来ます時までどうぞご無事で」

 ドレスの裾を引き、腰を折ると静かにお辞儀をして身を引いた。

 そんな私の正面で、十六歳の王子はどこかぽかんとした顔をしていた。まるで、信じられないものを見て、聞いたかのように。

 私が彼の側を離れると、少し先で人の気配がした。ぴたりと動きを止めたまま、でもこちらから目を離さないその人物は、ラシェット様の護衛騎士だろう。

 今夜は、このまま彼らに任せても問題なさそうだ。

 無言のまま彼らの前を歩き去る私に、一度だけ騎士の視線が向けられる。

 そう、そうやって警戒していなさい。

 あなたたちの守るべき王子様に、危険が及ばないように。

 力ない王子だと周囲に侮られないように。

 ……そして、悪い女に騙されないように。 

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