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王子の最愛  作者: 逢矢 沙希
第一章 第四王子と血薔薇の令嬢
10/28

10話

 目前に抜き身の剣が突きつけられた。

 真っ直ぐに彼が腕を突き出せば、その剣の先は私の喉を裂く。

 そんな姿勢で、王子は私を睨み続けると言う。

「……お前、何者だ」

 彼の声はひどく低い。多分今まで聞いたどの声よりも。

 その声を聞き、月明かりを受けて青白く輝きを放つ剣を見つめながら、私は微笑んだ。

 自分でも白々しく見える笑顔だと、そう自覚しながら。

「私は、マリアン・ブリックス。ブリックス侯爵家の長女です。殿下もご存じでは?」

 当然ながら、ラシェット様は私のこの答えはお気に召さない。

「そんなことを聞いているのではない。お前こそ判っているだろう。一体どういうつもりで、兄上のお側にいる」

「殿下こそお判りでしょう。今、そんなことを問い質している場合でしょうか?」

 私を警戒するラシェット様の考えは判るし、当然だと思う。

 でも今のこの状況を考えれば、暢気に私の素性を問い質している余裕はない。

 何かの弾みでこの騒動が知られて、屋敷の中から伯爵や残りの騎士達が出てきてしまったら、さすがに再び逃れるのは厳しい。

 ラシェット様も私も、自分の身と意志を守る為には、ここで無事に逃げおおせなくてはならない。

「この場で言えることは、私はあなたが今ご心配なさっているような、王太子殿下を害するつもりでそのお側にいる人間ではない、ということです。私のことも、アストロード様は承知なさっています」

「……それを、どうやって信じろと言うんだ」

「さあ。それは殿下のお心次第でしょう。ですがこの件に関して私は偽りを口にしていないと誓えます。後のことは、無事に王宮へお戻りになった後、直接あなたからご本人にお尋ねになられてはいかがですか?」

 尤も問われたからと言って、アストロード様が素直に口を割るとは思えなかったけど。

 でもそれは私ではなく、アストロード様とラシェット様のご兄弟の間の問題だ。

 一歩、前に出る。剣の切っ先が私の喉を切り裂く可能性に慄いたのか、ラシェット様の身体がほんの僅か後ろへ下がった。

 ……駄目ね、そこで私を威圧するつもりなら、身体を引いてはいけない。

 例え女の身体に傷をつけようと、その息の根を止めることになろうと、自分の姿勢は貫かなければならないのに……本当に優しい王子様だ。

 片手を上げて、突きつけられた剣の刃の側面にそっと手を添える。

 そのままゆっくりと横に流していけば、剣は抵抗を見せることもなく私の目前から外されていった。

 私が刃から手を離しても、再び目前に戻る事はない。

 ただ、ひどく何か思い詰めているようなラシェット様の瞳だけが、私を貫くように見つめていた。

「少し時間をロスしてしまいました、うかうかしていると追っ手が来てしまいます」

 倒れ込む男たちの身体を踏まぬよう迂回、あるいは跨いで、私は繋がれた馬の元へ歩み寄る。

 その背から鞍は下ろされていたから、まずは鞍を乗せて手綱をつけなくてはならない。

 どちらもすぐ近くに置かれていたので、これ幸いとそれらを手早く馬に装着させてから、もう一頭の馬の方を振り返れば、既にラシェット様の手によって準備を整えられた姿となっていた。

 この王子の良いところは、口や行動では何だかんだと言いながら、必要なことは人任せにせずきっちりと動いてくれることだ。

 優先順位が何かを理解してくれるだけでも、とても助かる。

 その分物言いたげな眼差しが、相変わらず私に突き刺さっているのだけど、申し訳ないが今は無視させて貰おう。

 身を隠していた場所に置きっ放しにしていたランタンを一度取りに戻って、再び馬の元へ戻り、誰の手を借りることなく、あっさりと自力で馬に跨がった私の姿に、ラシェット様はもう驚きの眼差しを向けることはなかった。

 彼がいちいち私の言動に驚いていたのは、例え悪女と言われようと私を侯爵家の令嬢として見ていたからであって、どうやらそれだけではないらしいと理解すると、驚きの対象からは外れてしまったらしい。

 その分警戒心と、正体の知れない気味の悪さは感じているみたいだけど。

 確かに普通の令嬢は、眠り薬を持ち歩いていたり、鍵をピン一本で開け閉めしてみたり、鍛えられた騎士二人を苦もなく叩き伏せたり、等と言う真似は出来ないはずだから、彼のその理解は正しい。

 ラシェット様が使い物にならなければ、三人目の男も私は苦もなく倒して見せただろうと、彼も多分薄々察しているはずだ。

 そんな普通の侯爵令嬢は……まあ、私が知る限り他にはいないわね。

 きっと私の行動は、ラシェット様の心の中で、令嬢は守るべき存在、という定義に傷をつけてしまったことだろう。

 残念ながら私がそれを考慮してあげることもできない。

 今の私に出来る事は、彼を連れて早くここを離れ、そして王子を安全な場所へ逃がすことだ。

 それが、アストロード様の望みだから。

「さあ、参りましょう。ついて来て下さい」

 手綱を引くと馬首を巡らせて、その腹を蹴る。

 良く訓練された馬はすぐに乗り手の指示に従い、最初は軽く、次第に力強くその足を動かし始める。

 一度だけちらと後ろを見てみれば、つかず離れずの距離に同じく馬を走らせているラシェット様の姿があった。

 こんな状況でなければ、今夜の夜空は快晴。月も真円に近く、美しい曲線を描き、多くの星々が藍色の中輝いて見える、絶好の夜駆け日和だっただろう。

 こんな時間に男女が並んで馬を走らせることがあるか、と言われれば通常は答えは否だけど、ちょっと雰囲気が変われば充分ロマンチックだとそう思う。

 月と満点の星空の下で穏やかに美しく微笑む王子様、なんてちょっとした物語の中に出てきそうじゃない。そう言う意味では、ラシェット様は充分理想の王子様だ……その容姿は。

 ……現実は、私は微笑まれるどころか睨まれているのだけど、細かいことを気にするのは止そう。

 そのまま、無言で互いに馬を走らせてどれほどが過ぎたか。

 多分三十分程度は過ぎたのではないか……今のところ追っ手が来る事もなく、平穏無事に進むことが出来ている。

 きっと屋敷の方ではようやく私達が逃げ出したことに気付いた伯爵が、その顔を青ざめさせている頃だ。

 そんなことを考えていた時、ふと私達の目前に道を塞ぐように一人の男が立つ姿が見えた。すぐに手綱を引き、馬の足を止めさせれば、その男は真っ直ぐに私の元へ歩み寄ってくる。

「おい……!」

 ラシェット様が警戒するような声を上げたのも無理はない。

 こんな夜更けに、たった一人で、私達がやってくると承知しているかのように道を塞ぐ男など明らかに怪しい。

 でも私はこの男を知っている。

 当たり前だ、この男は私の家の人間なのだから。

 彼から手短に報告を受けた私は、そのままラシェット様を振り返ると、自分が手にしていたランタンを彼に向けて差し出した。

 反射的に彼が受け取ったのを確かめてから手を離し、空いた手でこの先の道を指し示す。

「ここを真っ直ぐに向かうと間もなく、二股に道が分かれます。あなたはその道を右へ進んで下さい」

 家の者の話では、殿下の行方を追って彼の護衛騎士がこちらに向かっているという。完全に振り切られたと思っていたけど、どうやら時間は掛かっても彼らは王子の行方を突き止めたようだ。

 護衛としてはあまり役に立たない、なんてこっそり心の中で考えていてごめんなさい。

 ただ、やっぱり時間は掛けすぎだ、その辺りの事は今後改めて改善して頂きたいところだ。

「……俺は、と言うからにはお前は違う道へ行くのか」

「ええ。私は私の迎えが来ているようなので、そちらと合流します。ご心配なく、殿下の護衛騎士はすぐそこまで来ているそうですから、いくらもしないうちに出会えますよ」

 道の途中ではラシェット様を害する存在もないそうだから、心配はいらない。

「それでは、失礼します。今夜はありがとうございました」

「このままあっさり見逃すと思っているのか」

 それはまあ、そうでしょう。ラシェット様の立場からすれば、あっさり見過ごせないでしょうね。

 でも結果的には見逃すしかない。

「私を捕らえるのですか? どう言った理由で?」

 その理由がないことは、王子も良く判っているはずだ。

 少なくとも今夜、私は誰かを傷つけたわけでも騙したわけでもない。騎士達を伸してしまったけれど、それは正当防衛と言えるし、王子を守る為に必要なことだったと主張もできる。

 いくらラシェット様の目に怪しい存在と映ろうと、それだけの理由で捕らえることはできないし、例え捕らえる気になったとしても私は彼の手には捕まらない。

 答えずに悔しげにその顔を顰める王子に、私は改めて向き直る。

「別に私は逃げも隠れもしません。私を捕まえたければ、直接殿下の両腕で抱きすくめて下さいな。情熱的に口説いて下さったら、お言葉に従うかもしれませんよ?」

 そして噂の通り男を誑かす悪女っぽく、艶やかに微笑んで見せた。

 純情で素直な王子は、それだけで戸惑ったように、さっと視線を彷徨わせてしまう……その反応が可愛いと思うのは、多分私だけじゃないはず。

 どうか悪い女に捕まらないで下さいね。

 心の中で呟いて、言葉を続けた。

「また王宮やどこかの夜会でお会いすることもあるでしょう。どうぞそれまでご無事で、お健やかにお過ごし下さいませ」

 それでは、と話を切り上げて私は彼に背を向けると、後は振り返ることなくその場から駆け去った。

「待て……!」

 待てと言われて待つほど、私は素直じゃない。

「待て、マリアン! マリアン・ブリックス!!」

 だけど背後から響く私の名を呼ぶ彼の声に、馬上で一瞬だけ後ろを振り返ってしまった。

 視線の先では、私の方をじっと見つめている王子の姿がある。

 記憶にある限り、ラシェット様はいつも私のことは「お前」と言うだけで、名を呼ばれたのは多分これが初めてだった。

 入れ替わるように少し離れた場所から、数騎の騎馬の足が地面を抉る音が聞こえてくる。数や方向からして、王子の護衛騎士達であるのは間違いない。

 これでもう、ラシェット様の無事を心配する必要はないだろう。

 私も早く屋敷へ戻って、ゆっくりとお風呂に浸かり、ぐっすりと眠りたい。

 ああ、でもあまり寝過ごすことはできないわね。

 明日の昼過ぎには王宮へ向かって、アストロード様にお会いしなくては。

 この国の美しき王太子は、その顔に相応しく清廉な、でも少しだけ意地悪っぽい微笑で私を出迎えて、こう言うだろう。


 ありがとう、マリー。

 君ならきっと私の願いを叶えてくれると、そう信じていたよ。


 と。

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