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王子の最愛  作者: 逢矢 沙希
第一章 第四王子と血薔薇の令嬢
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1話

 済まない、とその人は一言、そう詫びた。

 相手の顔もまともに見えないような、真っ暗な馬車の中、ガタガタと不快な振動に揺さぶられながら告げられる言葉は、うっかりすると聞き逃してしまいそうだった。

 それでも私の耳は、確かにその謝罪の言葉を聞き取った。

 あまり感情がこもっているようには聞こえない淡々とした口調だけれど、謝罪など気軽に口に出来るような立場の人ではない。

 それを思えば、ここで彼が詫びの言葉を口にするだけ、この出来事を重く受け止めているのだと言う事が判る。

 確かに彼にとって、今のこの状況は不本意極まりない事だろう。本来ならこんな馬車の中に押し込められ、私と二人で何処とも知れない場所へ連れ攫われるような人ではない。

 ……まあ、もっとも誰だって誘拐されて当然の人もいないだろうけれど。

 一体、どんな思いで彼はこんな詫びを口にしたのだろうと思った。

 正直に言って、私は自分が彼に好かれていないことを知っている。むしろ、どちらかというと苦手……いや、積極的に嫌われていると言っても良いはずだ。

 王城を始め、夜会や園遊会などで顔を合わせるたび、彼は不機嫌そうな納得していないような、何とも複雑な眼差しで私を見る。時にははっきりと睨まれたと判る視線を向けられたことも、一度や二度ではない。

 全ては現在の私の立ち位置と、そして私自身にまつわる噂や評価が原因だ。

 そしてその原因を思えば、私が彼に嫌われてしまうのもごく自然な成り行きだと言えた。


 マリアン・ブリックス。それが私の名だ。


 家の爵位は侯爵家で、私の父はその侯爵家当主である。

 家の歴史そのものはさして古くはなく、元々は男爵家だった家柄だ。

 けれど曾祖父、祖父の時代に起こった国の存続すら危ぶまれるような二度の大きな戦いにおいて、それぞれに功績を立てた結果、男爵家から伯爵家へ、そして伯爵家から侯爵家へと格上げされた過去がある。

 古くから血を繋ぐ由緒正しい上級貴族家からは、侯爵となって数十年が過ぎた今になっても、成り上がり者だと影で馬鹿にされたり敬遠されたりと、またいささか趣味が良いとは言えない通称で呼ばれることもある。

 血塗れ侯爵、というものがそうだ。

 戦で功績を挙げたということは、つまりそれだけの人を殺したということだ。直接手を下したにしろ策を練って罠に嵌めたにしろ、多くの人が死んだことには変わりない。

 実際、先の二つの戦いでは本当に多くの民が敵味方問わずになくなった。

 戦う事を本業とした騎士や傭兵だけでなく、巻き込まれて命を落とした一般人の数も多い。

 もちろんその死者全てが我が曾祖父や祖父のせいではない。でももちろん、二人のせいで命を落とした人も少なくないだろう。

 けれど、そもそも、戦争なのだ。戦い、策を練って相手の戦力を削ぎ、戦意を喪失させねばいつまでも終わらない。

 むしろ早く終わらせる事こそが、被害を最小限に済ませる有効的な手段の一つであることは確かなはずだった。

 実際我が家は多くの人の命が失われることに荷担した立場であれど、罰せられることはなく、逆に報償を得ている。我が家が動いたおかげで命拾いした人々も決して少なくない。

 貴族にしろ、一般人にしろ、だ。

 死にたくない。失いたくない。

 大切なものを守りたい、だから戦った……冷たいようだが、それだけのこと。

 だから私は、成り上がり者と言われようと、血塗れ侯爵と言われようと、血薔薇の令嬢……つまり私のことだけれど、そんな風に言われても全く気にしない。

 大体血塗れ侯爵家の長女だから、血薔薇だなんて随分なセンスで、むしろこんな通称が大層な傑作のように広がる社交界の流行にこそ呆れてしまう。

 それにどんなに成り上がり者と言われようと、現在のブリックス侯爵家は国でも有数な有力貴族家の一つだ。影で悪口を叩くくらいがせいぜいで、堂々と正面から喧嘩を売ってくることのできる家の方が少ない。

 それがまた、他の由緒正しい貴族家の皆様には気に入らない要因の一つなのだろうけど、そんなことはどうでも良い。

 せいぜい陰口を叩くくらいのことしかできないのならば、好きにすれば良いとそう思っている。

 けれど私が、この馬車の同乗者である彼に嫌われているのは、こうした我が家の成り立ちが理由ではないだろう。

 そんな、私個人ではどうすることもできない過去を問題視しているのではなく……彼が厳しい目を向けてくる理由は現在の私自身にある、という事もまた私は承知していた。

 彼にとっては私は敵だ。私自身にはそのつもりはないのだけど、彼からすれば私は排除したい人間の代表であるはず。

 にもかかわらず、今、そんな私と一緒に馬車の中に押し込められて、暗く狭い空間の中で互いに息を潜めながら状況に身を委ねているなんて、少なくとも彼からすれば酷い運命の皮肉と言えるだろう。

 まあ、私自身はこの目の前の彼が、それほど嫌いではないのだけれど。

 だって、露骨に敵意を向けてくるなんて、可愛いじゃない。

 腹の中に様々な悪意を隠し、表面上は隙なくにっこり微笑む人よりもよほど良いと思う。

 この人は、素知らぬ顔をしながら背後に忍び寄り、背中を隠し持ったナイフで刺す等と言う真似も、きっとしない。

 まだ十六歳、という若い年頃のせいもあるかも知れないけれど、この混沌とした貴族社会の中においては貴重なくらい、素直な少年だと思っている。

 そのまま周囲の悪意に染まらず、今のまま成長してくれれば良いのだろうけど……でもきっと今のままだと、彼の周囲の人は心配で仕方ないわね。

 現に私は、彼のことを心から心配している人の存在を知っている。その人の心配が今のところ一方通行で、当の本人に伝わっていない……否、堂々と伝えられない環境であることが気の毒なくらいに。

 そんなことを考えながら、私は緩く首を横に振った。

 とはいえそれだけでは相手にろくに見えないと判りきっているから、続けて言葉を紡ぐ。

「いいえ。殿下がお気になさる必要はございませんわ」

 彼はもしかしたら、この場で私から恨み言の一つもぶつけられると身構えていたのかもしれない。

 誘拐犯の目的は明らかに目の前の彼で、私はたまたま同じ場所に居合わせていただけ。

 目撃者をそのままにしておけないという理由で、やむなく共に連れてこられただけだから。

 あの時彼と同じ場所にいなければ、私はこんな目に遭わずに済んだ、それは間違いない。

 けれど私はそのことで彼を責めるつもりはないし、取り乱して泣き叫ぶような真似もしない。

 ただ静かに答える私の返答は、彼にとって意外であるようだった。

「お前は……」

 彼はまた、何かを言おうと口を開き掛けた。でもその言葉は最後まで紡がれることはなく、不自然に途切れてしまう。

 その時、馬車の車輪の音が変わった。舗装された石畳の街道から、土が剥き出しの砂利道になったのだ。つまりこの馬車は王都の郊外に出たということになる。

 それを証明するように、これまでは早足でも抑えていた馬車の速度が、郊外に出た途端に一気に加速した。先ほど彼が言葉を途中で止めてしまったのは、加速した馬車による振動に大きく身体を揺らされて、話し続けることが出来なくなったからだ。

 無理に喋ろうとすれば舌を噛む。

 ガン、ガン、と車輪が回る度、安い仕立ての馬車の底から突き上げられるような振動が襲ってきて、私達はまともに座席に腰を降ろしていることさえ難しい有様だった。

 何度姿勢を正そうとしても、幾度も身体が跳ねて転げ落ちそうになる。

 馬車の内側には手すりになるような場所もなく、これでは身体のあちこちをぶつけて、どこかに到着する頃にはどんな有様になっている事やら。

 再び、ガン、とひときわ強い揺れが襲ってきた。何とか身体を安定させようとしても、座席の上では踏ん張ることもできない。

 それは私だけでなく、目の前の彼も同じはずだった。

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