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空の皇兵  作者: 神風
3/4

参話 少年少女3

深い眠りから、鈍く目が覚める。

ゆっくりと薄目を開くが、すぐにたまらず目を閉じた。

粗末な木枠の窓ガラスを突き抜ける朝の日差しは、東雲霊雲しののめれいうんの眼球を容赦なく攻撃する。

寝ぼけ眼にはいささか眩しすぎた。


こらえて目を開き、四畳しかない小さな部屋の壁に掛けられた時計を見る。

11時。

よく寝たな。

そうだ。昨日、と言うか今日は、神宮に付き合って掃除をしていたのだ。


全校舎の全室清掃。

途方もない大掃除。

それは、勝手に翼竜を飛ばしたあげく総員点呼時刻まで戻ってこなかった東雲と神宮に対する処罰の一つだった。

その大掃除は昨日の夜9時から始まって今日の朝4時に終了した。

それからは東雲は急いで自室に戻り、神宮は教官室前の廊下で教官が起床するのを待った。

懲罰清掃の完了を報告するためだ。

東雲は自室謹慎を命じられていたため、それには付き合えなかった。


「総員教ぉー練射撃用ぉー意!!撃てぇ!!」

軽い銃声が立て続けに響く。

校舎の裏側にある演習場で、生徒達の射撃訓練が行われているのだ。

東雲は寝ぼけ眼をこすり、小さく粗末なベッドから上半身を起こす。長い黒髪に寝癖がついていた。


「次弾装ぉー填!!」


教官達の号令が遠くから聞こえてくる。

もう、教導団の一日が始まっていることを実感した。

いつもなら自分も外で走り回るか講義室で受講している時間だ。


「そう言えば、こんな時間まで眠っていたのは、もう何年ぶりなんだろうかね…」


それは、東雲にとって非常に懐かしい体験である。

彼女が昼ごろまで怠け心の赴くままに床に伏せていられたのは、幼年の頃だけであった。

もう5、6歳になると、休日であろうがなんであろうが常に起床時刻早朝6時を厳守させられていたのである。


それはつまり、彼女の実家が代々皇族に仕えてきた伝統ある職業軍人の家系だからであった。

東雲の厳格で、かつ教育精神に溢れた父親である東雲零弦しののめれいげんは、一人娘の彼女を軍門東雲家に恥じぬ人間に育てようと熱心であった。

小さいころから柔術、剣術、馬術、戦史学、歴史学、読み書きを教え込み、文字通りの英才教育を叩き込んだ。

それは異常なほどの詰め込み教育で、並の人間なら頭が壊れてしまいそうな質量のものであったが、彼女はなんとか耐え忍んだ。

幸運ながら彼女は、東雲一族随一の秀才であった。

しかし、それであっても、そこまで異常なほどの教育方針が取られたのは、東雲零弦が彼女、霊雲以外の子供を持てなかったことによる。


女児に、家督相続権は無い。

つまり今現在東雲家には跡取りがいないのだ。


本来ならば男児が生まれてくるべきであった。

すくなくとも東雲零弦を含め東雲家の関係者はみな男児を望んでいた。

しかし、生まれてきたのは東雲霊雲だった。

女児であった。

必要とされぬ子供であった。


東雲家の関係者や親族は、落胆し、霊雲を蔑視し、早く次の子供を、跡取りとなれる男児を望んだ。

しかし、零弦の妻、東雲菊しののめきくは、子供に恵まれぬ体であった。

医者からは、二人目は生めないだろうと言われた。

親族は側室を設けろと言った。

つまり、愛人を作ってそいつに男児を生ませろ、そういうことだった。

この時代、側室は珍しくない。

零弦はその提案を一蹴した。


「菊の他には、女は抱かん」


頑固で、厄介なほど優しい男であった。


そして零弦は、妻と同じほどに娘を愛した。

親族一族から『あの娘が男児であったならば。どうして女子おなごとして生まれてきたのか』そう陰口を叩かれる娘を、愛した。深く愛していた。

だからこそ、愛娘を周囲の蔑視や悪意から守るために、叩き育てた。厳しく、容赦なく。


周囲が、絶対に認めざるを得ないような立派な人間に育て上げるために。

すべての無茶な教育は、すべて娘を思うが故であった。

猫であっても、虎に育て上げねばならない。

虎でなければ、生きてはいけない。

名家の中の名家、東雲家にあっては、望まれぬ女児が生きてゆくのは並大抵のことではない。

何よりも、いらない子として育てるつもりはなかった。


父の厳格な教育が深い愛情を源流としていることを幼い頃から東雲霊雲は感じ取っていた。

彼女は全身全霊を以ってその愛情に応えた。

そして、天童と呼ばれるほどの知識と実力を備えた。

12歳の頃には剣術試合で25歳の男を打ち負かし、歴史の知識では小学校の教師を圧倒していた。

朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも静かに眠った。

まさしく、秀才。


んが、なぜか口調だけは上品にならなかった。


「ふあぁ…ん〜いい朝だねぃ。お天道様も元気で何よりだ」


それはきっと、厳格に育てられたゆえの反動なのだろう。

厳しく育てられたがために、他人には優しく、暖かく接してしまう。

快活な性格も口調も、父の厳格な、しかし愛情が溢れた教育が生んだ幸運(?)な副作用であった。


「よいしょっと、さぁて、一つ顔でも洗いに…」


部屋を出かけて自室謹慎の身であることを思い出した。

あちゃ〜と額を叩くしぐさをしてから、ベッドに乱暴に腰を下ろす。

部屋は狭かった。

この狭苦しい部屋で一日を過ごさなければならない。

何もすることも無く。


「建前だけの処分…多分そうなんだろうけど、これは結構こらえるかもねぇ…」


今まで厳格に決められた行動予定表にしたがって一日を過ごしてきた東雲にとって、何もすることのない24時間とは想像の範疇外のものであった。

暇すぎる。そんなものは考えたこともない。

そう言えば、昔何かの書物で


「牢獄の罪人にとって一番つらいことは、何もすることがないことである。時の変化を感じさせるものが存在しない閉鎖空間は、まさに無限地獄ならぬ無限時刻なのだ」


そんな一文を目にしたことがある。

これはとんでもない。

しかし幸いなことに、東雲の部屋には牢獄と違い窓があった。

外の風景が見れることは幸いである。

時の変化を感じ取れる。

何よりも、空が見れることはありがたい。

東雲は空が大好きだった。


あの無限の青い空間は、風が吹き荒れる乱暴な一面はあってもとても美しい世界だ。

翼竜の背中に乗ると、本当にそう思う。

他の生徒がどう思っているかは知らないが、自分にとっては自由そのものを体験しているような気になって心がはずむのだ。


空は青く、でも透明で、寒く、それであっても涼しく、爽快である。

年中空を漂う雲たちは、さぞかし楽しい一生を過ごしているに違いない。

教導団は空がこれほどまでにすばらしいことを自分に教えてくれた。

だから自分を教導団に入れてくれた父親を、そして教導団自身に感謝している。


「いいねぃ。今日はいつも以上にいい青空だ。お天道様は元気だし、雲もどっかいっちまってるし、何より透き通ってる。こんな空を飛べたら、さぞかし気持ちいいんだろうなぁ。光風こうふうも飛びたがっているに違いない」


光風とは、教導団から東雲に与えられた翼竜であった。

今は足を少し痛めて療養中だ。

生まれてから7年。まだまだ子供である。

本来なら人間馴れしている成龍の方が生徒達の訓練には適しているのだが、なにぶん翼竜は個体数が少ない。

貴重な成龍たちは根こそぎ正規の竜兵部隊に持っていかれているのだった。

教導団では未来の翼竜兵と翼竜自体の養育を主任務にせざるおえなかった。

竜兵という存在は、まだまだ発展途上の存在であったからだ。


「軍隊の花形は戦闘歩兵か騎兵だと言うけれど、竜兵だって悪かないやねぃ」


東雲はすることもなく、小さく粗末なベッドに仰向けに倒れた。

ベッドかきしむ。


東雲が龍空教導団に入った理由は唯一つ。

そこしかなかったからだ。


東雲は父親の厳格な軍隊式の教育もあって、軍隊に入ることを希望した。親族達に自分を認めさせるには軍人になることがもっとも効果的だとも思った。

東雲本人は親族の目など気にしていなかったが、父親にとって大きな問題であるならば、払拭せねばならない。


しかし、軍隊は古来より男の領域であった。

ましてや女児に家督相続権を与えられていないこの時代では、女が軍に入隊するなど常識はずれもいいところである。

陸軍歩兵科からは断られ、

陸軍騎兵科からは謝絶され、

陸軍砲兵科からはそっぽを向かれ、

海軍からは黙殺された。


無理だと思われた。

例えいくら東雲の父親が陸軍の実力者であっても、こればかりは乗り越えられそうに無かった。


しかし、唯一つ、一つだけ、穴があった。


陸軍竜兵科である。

竜兵科は、女にもその門戸を開いていた希少な軍部であった。

翼竜の背中に乗るなら軽い人間の方がいい、という判断からであると知らされた。

さらに、竜兵科の所有する翼竜の多くが雄龍であったため、異性の方が懐きやすいという理由もあった。


かくして東雲という少女は陸軍龍空教導団に入団する。

そこは竜兵を育て上げる陸軍の教育機関であった。


入団の動機そのものは軍隊に入るための踏み台というものでしかなかったが、今となっては教導団にいることが心地よくなっている。

軍隊式の厳しい教育方針は、父親の厳格な教育を受けてきた東雲にとっては慣れ親しんだものであったし、空を飛ぶのは楽しくてしょうがない。


それに、いい友人にも出会えた。


「…神宮は今頃なにしてるのかねぃ」


ベッドに横たわりながら、天井を見つめていった。

粗末な板が貼り付けられてある。

校舎は全て木造であった。この時代、鉄筋製の建築物は一部の政府庁舎でしか採用されていなかった。


「それにしても神宮には迷惑かけちまったねぃ。卒業の暁には、よっぽど口を利いてやらないと。父上にはなんと言おう」


神宮をはじめに見たとき、東雲は新鮮な感覚に襲われた。

政治家や軍人の家系が多い教導団の中で、彼だけは平民出だった。

他の生徒達が自身の家柄や門地を引きずって生きている中、神宮はそういうことに関しては一切無頓着であり自由であった。

東雲自身が軍門名家東雲家の、そして陸軍の実力者である父親東雲零弦の名を背負って生きている身であったから、そういうものに一切縛られない自由な神宮が新しい発見であったし、興味が湧いた。


神宮本人と話してみると、興味はもっと違う感情へと昇華した。


神宮は皮肉屋で、とんがった世界観の持ち主で、他人に対して本音をあまり漏らさず、しかし、変に素直な性格であるように思えた。

簡単に言えばひねくれているのだ。それがまた子供らしくて母性をつっつくのだ。

それに理知的であった。

物事の本質を理解し、ある問題に対して容赦なく合理的な答えを叩き込む。

中途半端な答えや、問題をうやむやにして流そうとする人間に対しては異常というほどの軽蔑を抱く人間でもあった。

伝統や慣習よりも合理的なものを好む性格。

神宮は教導団内で友人が少なかった。

それにもうなずける。

教導団にいる政治家や軍人や貴族や役人の子息達は、神宮が否定する無意味な伝統や慣習を引き継ぎ背負う者達が大勢いたからだ。


神宮は教導団でのつまはじき者であったが、本人は一切気にしていないらしい。

確かに、鷹のように鋭く、汚泥のように鈍くにごったその大きな瞳は、周囲を寄せ付けまいとしているように思える。


「うっそつけー本当はさびしがりやのくせにぃー」


不意に口から言葉が漏れた。


「ああっと。やることがないと独り言が多くなっちゃうなぁ」


東雲はそう言うと愉快そうに微笑んだ。


さて、やることがない。

今日はどうするか。

こうやって昔の思い出に浸りながら一日を過ごすのも悪くはないかもしれない。


そう思って、窓辺に置いた一升の花瓶に目をやった。

龍連山脈からとってきた薄蓮花が挿されていた。

綺麗だ。


謹慎が解けたらこれを実家に送ろう。

病床に伏せる母に送ってやるのだ。


東雲の母は、6ヶ月前に血を吐いて倒れた。

元から病弱な母であった。

今は容態が安定しているが、常に医師がそばに控えているそうだ。


いつも父に厳しく躾けられる東雲を、遠巻きに見守っていた母だった。

夜はこっそり部屋に忍び込んで話をしてくれた。

風邪をひいたときに作ってくれた粥はうまかった。

父の存在が自身の大部分を占める東雲にとって、母は薄蓮花のように淡い存在であったが、しかし常に心地よい記憶と共にある。


元気になってくれれば、幸福なことこの上ない。

母は、男を生めない嫁とどれほど罵られただろうか。

自分と違い強くなれなかった母は耐えるしかなかった。

可哀想な人。

父は母よりも娘の自分に大きな時間を割いた。きっと母がそうするように頼んだのだろう。


弱いけれど強いひと。また今度一緒に話をしたいな。

今度実家に帰省するときには、元気になっていてくれているだろうか。


「そう言えば、私は自分の親についてはよく話すけど、神宮の親のことについては聞いてないなぁ」


ふと、そう思う。

実際のところ、東雲の日常的な対人思考の多くは神宮のために割かれていた。


「謹慎が解けたら、真っ先に話しかけにいくかぃ」


そう思って、もう一度眠りについた。


いつ話しに行こう。いつでもいいか。

時間が余っているときなら、いつでも。

きっと大きくよどんだ瞳を向けながら、時々皮肉めいた笑みを口元に浮かべて、めんどくさそうに迷惑そうに、

なんだかんだいって付き合ってくれるに違いない。


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