たとえば原始の海で出会ったならば
【第53回フリーワンライ】
お題:
愛は言葉と態度の両方で示せ
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
こんな時、どうするのが正解だろうと緊張した頭で考える。
いくつかの考えが浮かんでは消えた。
どうもしっくり来ない。
自分には到底出来そうもないが、みんな軽々とこんなことをしているのか。いや、「みんな」――人間どころではない。動物でもやっている。
この地球上にいるありとあらゆる生物がそれを行っている。 綺麗に着飾るものがいる。
身体を大きく見せるものがいる。
美しく唄うものがいる。
身体を鳴らすものがいる。
動物に可能で、自分には不可能なのかと、気が滅入った。
何かを言いかけてはやめ、不定形を掴むような手振りを幾度か繰り返した。
そして、ふと、思った。
発想のフォーカスが人間から逸れたために、スケールの制約が時間的空間的束縛から解放された思考で。
太古、生命が生物の形を取る以前、身体も言葉もなかった頃、最も原始的なそれはどうであったのかと。
彼は黙ってベンチから腰を浮かせると、彼女の方へと近寄って座り直した。
「…………」
「…………」
一呼吸置いてから、彼女もまた彼の方へと近付いた。
二人は寄り添って、お互いにお互いの体重を預け合った。
緊張が弛緩していく頭で考えた。
つまりはそういうことなのだろうと。
『たとえば原始の海で出会ったならば』了
短いですね。出来ればもっと短くしたかった。極限まで圧縮してタイトルで落としたい。
やれと言われればやりたくない。やるなと言われればやりたくなる。
へそ曲がりでしょうか。いいえ、天の邪鬼です。
「両方で示せ」と言われると、どっちもやらずになんとか出来んもんかと考えたくなるのが人情。最初の着想では一次元とか二次元とか宇宙的なサムシング(言葉も身体もない!)だったんだが、上手くまとまらなくて気付いたらこうなった。