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第二話「エンシェントドラゴン」

 丁度、食事を終えたところで、昼休みの終了を知らせる鐘の音が鳴り始めた。

「もう時間かあ」

 すぐさま片づけを済ませると、弁当箱を抱えて小走りに丘を下る。

 ニルヤたちと同じように屋外で体を休めていた生徒たちが、我さきへと次々と赤いレンガ造りの校舎へと向かっているのが遠目に見える。彼らに追いつけと歩調を速める。校舎を囲む木々を抜け、木造の渡り廊下を通り過ぎて、玄関から入る。

 今日は昼以降も座学だ。低学年は実習より座学の方が多い。本を読むことの好きなニルヤは、既に教科書を読み終えている。


 (今日は魔法学だから、三回は読み終わってる……)


 並走するミシャがニルヤをちらりと横目に見た。

「ニルヤ、つまんなさそうにしないでよ」

 ミシャに心を見透かされて、ニルヤは顔を赤くさせた。

「そんなこと、ないよ」

「はいはい」


 授業開始の鐘が鳴り始める。十二回の鐘が鳴った直後に、授業は開始される。ニルヤたちは丁度鐘が半分なっているところで教室に滑り込むと、ぎちぎちに生徒たちが座っている教室の、僅かに空いている中央あたりの席を瞬時に見つめ、飛び込むように着席した。なんとか、間に合った。


 金が鳴り終わる寸前で、老齢の女教師が入口に立ち、

「よろしい」

 ゆっくりと片手で教科書を開きながら、教壇へと歩を進めた。


「魔法とは、目に見えぬ引き合う力と反発し合う力である」

 教壇に立ち、生徒を見渡す。元々、高名な魔法使いであった女教師は教科書を持っていない、空いた手を小さく広げた。まるで小雨でも降ってきた、と言わんばかりの掌に、少しずつ光が灯る。蛍のような小さな光の粒子が掌の上に舞いながら集まり、ある形を作り出す。


 ニルヤは息をのんだ。女教師が魔法を使ったのを、初めて見る。それだけではない理由が、午後の授業は恐らく、ニルヤを退屈にさせないに違いなかった。

 光が寄り集まって作られたのは、一匹の小さな竜だった。ハチドリほどの小さな光の竜は羽を動かして女教師の周りを飛ぶと、ポンッと煙となって消えた。


「竜。竜には様々な種類があります。総じて希少であるものの、その性質は幅広い。手に乗るほど小さなものから、民家より大きなものまで。そして飛べないものから、モンストラシア山脈を揚々と飛び越え、更なる世界の果てへとまで飛ぶもの」


 さて、と一呼吸おいて、女教師はぐるりと教室を見渡した。

「竜はどうやって飛ぶか。答えよ」


 突然の問いかけだった。前席窓際に座っていた生徒が指を指され、「はいっ」と、立ち上がる。

「翼を使って飛びます」

「鳥と竜の飛び方の違いはあるか?」

「……分かりません」

「次!」


 隣の生徒が弾かれるように立ち上がる。

「えっと、えっと」

「鳥と竜の飛行方法の違いだ」

「……それは、その~」

「次!」


 次々と生徒が当てられ、何も答えられず撃沈していく。それもそのはず、


(……教科書に載ってない問題だ)


 ニルヤは胸が熱くなるのを感じた。女教師は生徒たちの知識を試しているのではない。これは、想像力を試している問題だ。


 ついにミシャが当てられた。ちらりとニルヤへ視線を泳がそうとして、ぎゅっと目を瞑り、意を決したように答え始める。


「……鳥よりも、竜は体が大きいです。とても重たいです。鳥のように軽くはないので、翼だけでは、飛ばないのではないかと思います」

 女教師が僅かに眉を上げる。欲しい反応が返ってきたのだろう。

「では、どうやって飛ぶか?」

「魔法ではないでしょうか」


 女教師の真一文字に締まった唇が少しだけ和らぐ。それをミシャは見逃さなかった。懸命に彼女は思考と勘とを働かせ、応えながら回答を探す。ニルヤもまた、手を握りながら同じように考えていた。

 魔法。竜族でも種類による差がある。その差は何か。

 空を飛ぶ竜の幾多の物語。その特徴は何か。ニルヤの頭に、彼の姿が浮かぶ。夜のような翼を持つ、高貴な彼。


「巨体を支えるために、魔法を使う。飛べない竜は魔法力が足りない。竜は他の魔物と比べて、魔力が高いと云われています。でも、一部の竜は飛べない。飛べる竜は、皆、神話やおとぎ話に出てくる、人語を理解する程に頭のいい竜です。であれば、きっと高度な魔法です」

「つまり?」

「つまり……、それは」


 静かな緊張感が教室内を満たす。皆、ミシャの返答に注目していた。期待と、幼い嫉妬と。突き刺すような周囲の視線。そして中央に、剃刀のように峻厳な瞳。頭の隅から隅まで思考を巡らせ、回転させ……、皆がミシャに注目していた。

 そしてミシャだけが、俯きかけた視界の端に、ニルヤを見ていた。ニルヤは人差し指を頻りに動かしていた。素早く、そしてゆっくりと。


「魔法……陣」

 ミシャは顔をしっかりと上げた。

「魔法陣です。体内で作りあげる魔法をより長く、有効に使うために、魔法陣を形成するのではないでしょうか」


「……ご名答!」

 女教師はニヤリと頬を緩ませると、

「その通り。竜は魔法陣を形成しながら飛行する。このように」

 再び光の竜を掌から形成する。光の竜はその小さな体に様々な文様を刻むと、周囲へと飛散させる。飛散した複雑な模様は円となって竜を取り囲む。まるで曇りの夜、月に光の輪が浮かぶように。円は次々と竜を包み、竜は高らかに鳴くと、上空へと首を持ち上げ、飛翔した。

 ポンッと小さな煙となって、瞬く間に消える。


「竜は飛ぶ。それは魔石でしか魔法を使えない人間には、到底出来ないことだ。魔法は物を動かすことが出来る。滑車を回し、馬車のように箱を動かす。しかし、飛ぶことは出来ない。高い飛行能力は魔物の特性であり、竜の特徴でもある。ご名答だ、ミシャ。さすがだね」

 拍手を、と告げて女教師は手を叩いた。

 パラパラと、そして次第に大きくなる拍手は、恥じらうミシャを包む。

「……ありがとうございます」


 照れを隠すように口元に手を置いたミシャに、女教師はにこりと微笑んだ。

「感謝を述べるならば、そこの彼に述べたまえ」

 図星を点かれて思わず耳まで赤くなる。ミシャだけでなく、ニルヤも。どうやらバレバレだったようだ。

 緊張が緩和されて騒めく教室を背に、教師は教室の前面に張り付けられた薄板に向かうと、カッと甲高く打ち鳴らした。


「今日は魔物と魔法の関係性について。魔物はどのようにして魔法を蓄積するのか。解剖は魔生物学で習った通り。今回は、より詳しい機序を説明していく。三十八頁から」

 そして猛烈な速さで図形と字を板書していく。慌てて生徒たちは教科書を捲り、板書の内容を記帳するべくペンを走らせた。恐ろしく早い板書は大きな薄板をあっという間に埋めると、


「書くより覚えたまえ」


 教師は非情にも笑うと、端から魔法で消していく。

 ああ~っという嘆息が教室中に響き渡った。


*****


 その夜、学生寮の自室にてニルヤは魔法学の授業で書き写した内容を読み返していた。

 ランプの光を(たもと)に、学習帳には端から端までびっしりと、隙間なく授業の内容が書かれている。他の生徒たちは一休みとばかり筆を休めていた、教師の魔法学とは関係のない竜の生態に関する小話も、ニルヤは書き留めていた。


 魔法学の授業で竜のことについて学べるとは思ってはいなかった。そもそも竜に関して本格的に授業へ組み込まれるのは高等学校でも高学年からである。今日のことは、ニルヤにとって、うれしい誤算であった。


 ――――竜が好きだ。


 ニルヤが出会った最初の竜、カラハイ。彼との出会いが全ての始まりだった。彼と合わなければ、ニルヤはこの学び舎にいないだろう。


 もう、七年も前になる。


 幼い日々の記憶は、ニルヤの中で断片的に存在する。本の背を引きちぎって、頁をバラバラにしてしまったかのよう。本としての順を追った流れは思い出せない。その頁の一枚一枚はすっかり散らばってしまって、重なり合う記憶の奥深くにしまわれている。普段はすぐには思い出せない。しかしふとした時に、姿を現す。

 忘れようにも忘れられない日々の果て。

 そう、七年前、両親が死んだ。


*****


 赤ん坊の腹のようになだらかな緑の丘。背丈の高い白樺の木々が並ぶ美しい林。遠くには青い大山脈が横たわり、その背後には箒で掃いた後のような雲が薄らと伸びている。

 ニルヤは自身の背丈よりも高い黒い巌の上で、じっと故郷の景色を楽しんでいた。


「ニルヤ、帰るぞ」

 振り向くと、父が立っていた。猟や山での薬草取りを生業とする引き締まった長躯に、あっという間に抱きかかえられ、その肩に乗せられる。

 温かいと父の温もりを腹で感じた、その次の瞬間には、ニルヤは家の廊下にいた。

 たった一人、寝間着姿で見上げていた。木造のドアの隙間から、部屋の中を覗き込んでいた。


 淡い蝋燭の灯火。

 今にも消えてしまいそうな灯りの中に、簡素なベッド。白いはずのシーツは、黄色い染みが無数に散っている。ベッドの上に、黒ずんだ何かがある。蠢いている。所々赤くひび割れた部分があり、怪しげな鈍い光を湛えている。荒く、生臭い息をしている。

 黒ずんだものの傍らには、誰かがいた。椅子に座りながら、黒ずんだものに木の匙を使い、丁寧に液体を塗っている。


 ぬるぬるとした液体。ガラスの瓶に入って、揺らめいている。蜂蜜かしら、と思う。でも透明だから、きっと違う。不思議な匂いが漂う。甘いような、苦いような、不思議な匂いが鼻腔と共に好奇心を刺激する。


「それは何?」

 ニルヤの声に、誰かがハッとして振り向く。

 美しい銀色の髪に、紫水晶のような瞳、白い衣服から覗く細腕が驚きに震えている。或いは、後悔に。


「ソレは誰? お母さん」

 ニルヤの母は立ち上がると、しばし呆然と立ちすくみ、それからゆっくりとこちらへと足を向けた。近づく。ゆっくりと。次第に、早足に。


「だめ」

 母は呟く。目を細めている。口角を上げ、優しく微笑んでいる。手を差し伸べる。困ったように微笑んでいる。


 部屋から廊下へと? 違う。硝子を挟み、母の足取りは遮られる。

 格子の向こう、窓硝子。

 窓硝子に手を当てて、硝子越しに母は微笑み、

 そして。

「……逃げなさい」


 業火。


 烈火が母の背後で燃え立つ。轟々と激しい黒煙を巻き上げながら、橙の火炎が狂ったようにくねり、哄笑する。じりじりと皮膚を炙りながら、逼る。

 ―――――――炎の中に、母がいる。

 激しい火災に包まれ、地鳴りのような音を立てて崩れていく自身の生家、その中に取り残された母へとニルヤは絶叫した。

 呼吸をする度に、喉まで燻される。咳き込みながらも、ニルヤは叫び続けた。窓を開けようと一心不乱に手足を動かすが、進むことが出来ない。気づくと、大人たちに体を抑え込まれていた。


 離して、と訴えるも離してくれない。

 早く行かないと。あんな熱いところにいたら、お母さんも燃えてしまう。訴えるが、大人たちは離してくれない。

 だったら、あの火を消して。どうして何もしてくれないの? どうして家に水をかけてくれないの? 魔石を使ってはくれないの? なんで、どうして。


 黒ずみ始めたガラス窓の向こうで、母が咳き込みながら語りかけている。だが燃える家屋の断末魔が母の言葉をニルヤに届けてくれない。ニルヤに聞こえていない、と分かったのか、母はゆっくりと、たった一言分だけ、口を動かした


“愛してる”


「いやだああああああああああああああ――――――――――!!!!」


 刹那。


 ニルヤは暗闇で膝をついた。


 伽藍と寂しく広がる空間、そこは大聖堂だった。太陽神を祀っているのだろう、ステンドグラスによって高く大きくシンボルが組まれている。月明かりに照らされ、万華鏡のように輝いている。


「ここだよ、ニルヤ。ここにいる」

 月明かりの当たらない、闇の奥から声がする。荘厳な大聖堂の中にある暗がり。きっと本来ならば、恐ろしいと感じるはずのその漆黒から、穏やかで柔らかな声色がする。

一歩、また一歩と進むと、暗闇に目が慣れてきた為か、懇篤(こんとく)な声の主の輪郭がうかがえた。

 ニルヤは一瞬、呼吸を忘れた。


 大きい。あまりにも巨大だ。

 寥郭(りょうかく)たる大聖堂が突然、小さく縮んでしまったように感じるほど。闇の奥からの声ではなかった。闇そのものが、ニルヤに語り掛けているのだった。


 鳥のようだった。白鳥のような外形をしている。黒瑪瑙で作られたかのような爪はニルヤの背丈ほどもある。あまりにも鴻大(こうだい)な鳥。

 だが、皮膚や目玉をみるとどうにも違う。赤い鱗が鈍く輝く様は、蛇のようだ。蜥蜴(とかげ)のようだとも。表皮や遙か高みにある頭部は蛇や蜥蜴のそれであり、しかし、佇み方はまるで獅子のように、後ろ足を折り畳んでいる。よくよく見ると、翼もある。蝙蝠(こうもり)のような堅そうな翼だ。

 そして、水牛のような角が二本、天を貫くように生えている。


 闇を捉えようと左右を見渡し、上へ上へと仰ぎ続け、ニルヤはついに目に射抜かれた。

 濃く、澄んだ緑色をしている。緑だと思うのに、七色とも錯覚してしまうような、深淵を感じさせる。


「初めまして、ニルヤ。……ようこそ」

 大きなものは親しげに挨拶をした。(うやうや)しくお辞儀をしてみせる。ニルヤもそれ(なら)う。

「緊張はしなくていい。君と会いたかっただけだ。だから呼んだのだよ。君を近くに感じたから」


 ニルヤは思う。おじいちゃんかおにいちゃんか分からない、と。村の村長のような声風でありながら、青年のようにも感じる、不思議な声だった。


 突然、次々と興味がわいた。

「動物なのに、喋れるの? もしかして神様ですか?」

「どうしてそんなに大きいですか? 神様だから大きいですか?」

「どうして大聖堂にいるの? ここがおうちですか?」


 唐突に矢継ぎ早に始まった質問に、闇は面を食らったように瞳孔を大きく広げた。それからキュッと目蓋を細めると、高らかに笑った。くねくねと首を曲げて、巨躯をゆらゆら震わせると、大聖堂がミシリと音をたてた。


「おっと。……ニルヤは私を不思議に感じるのだね」

「うん。村にいなかったよ、本にも載ってなかった」

「そうか……。では、お国物語は知っているかい?」


「お国物語?」

「王様が国を作ったお話だよ」


「知ってる! お母さんに読んでもらった! 村に旅芸人が来た時に、お芝居もみたよ!」

「そうか。あの話に出てくる、“むかしむかしのあかいりゅう”は、私のことだ」

「えっ、すごい! 王様に魔法の剣をあげたの?」

「ああ、千年ほど前にね。すごいだろう?」

 首を傾げる竜に、ニルヤは花のように笑った。


「すごい! すごい!」

 両手を挙げ飛び跳ねてはしゃぐニルヤに、竜は安心したようにカラカラと喉を鳴らした。

「やっと笑った。私はこんな姿だからね。もしかしたら泣いてしまうかもしれないとは少し思った。……予想通り、君は面白い子だ」


 ニルヤはきょとんとして、

「……お国物語では、魔法使いの姿もしていたよ?」

「竜もね、年を取るのさ。私はもう、七千年は生きているのだよ、ニルヤ。無駄に魔法は使わない。この大聖堂を出る時は、人の姿にもなってはみるけれどね。あと万が一、君が泣いたら、子どもの姿にでもなろうかとも思ってはいた」


 ふぅん、とニルヤは鼻を鳴らした。神様ではなく竜であったということに納得し、ニルヤはふんふんと頷くと、すぐに頭を傾けた。


「どうして、ニルヤのことを知っていますか?」

「それは、ニルヤのことをずっと知っていたからだよ」

「ずっと?」

「そう、生まれる前から知っていた。君のことを。男の子か女の子かは分からなかったが。きっと、君は生まれてくるだろうと思っていたし、現に生まれてきてくれた。遠くにいる君たちを、ずっと感じていたのだ。だから……」


 ふいに、竜が口を閉ざした。くいっと首を挙げ、まるで遠くを見渡すように大きく開眼する。

「参ったな。笑いすぎて外にばれてしまったようだ。……人が来るから、もう君を送らなくては」

 大聖堂のステンドグラスの奥から、ざわめきが聞こえる。遠くから何人か、石畳を踏みながらこちらへと向かってきている。


「お別れなの? また会える?」

 ニルヤは悲しそうに眉を下げた。生まれて初めて竜に会えたというのに、もう去らなければならないなんて。


「会えるさ。私たちはもう、友人だろう?」

「うん!」

 ぶんぶんと首を縦に振って、ニルヤは同調した。そしてある大切な事を思い出した。


「あ! 名前。名前を知らないです。教えてください!」

 竜ははたと思い至って、

「そうか。私はニルヤの名前を知っているが、ニルヤは知らないのか」

「はい」


 ニルヤが頷くと、竜はやや気恥ずかしそうに頬を動かした後、

「……私の名はカラハイ。人間はエンシェントドラゴン・カラハイと言っている。友人となったニルヤにだけ言うと、本当の名は少し違うのだ」

 長い首を動かしてニルヤの耳元に大きな口を寄せると、隙間風のように小さな声でカラハイは告げた。

「ニヌファヴノイ・カラハイ。古い私たちの言葉で北に輝く羅針盤という意味だ。誰にも言わないでくれ。後、私と出会ったことも。――――――約束だ」

 頭部を戻すと、カラハイは目を瞑り、器用に右の前足を使って空中に円を描いた。

 ニルヤもそれに倣い、目を瞑ると右の前足で空中に円を描く。何もない虚空に、互いを信じて目を瞑り、剣を持つ右の手に太陽を表す円を描く。古い、誓いの意思表示。友人であることの深い誓い。

 ――――――約束を結び終わり、一匹と一人は見つめ合った。しばらくそうした後、先に口を開いたのはニルヤだった。


「……ぼくはニルヤです。初めまして」

 急に改まったニルヤにカラハイは苦笑すると、

「よろしく、ニルヤ。……さて」


 約束の印を解いて、次に竜は自身の胸元に前足を置いた。

 瞬間、赤い閃光が瞬いたかと思いきや、巨大な胸がより赤く、やがて橙色に輝き始めた。胸元に現れた光に、ゆっくりと巨大な黒爪が入っていく。まるで人が胸のポケットから時計でも取り出すような仕草で、竜は輝く何かを取り出した。


 器用に爪で摘まんだそれは、ニルヤの掌ほどの小さな小さな光の玉であった。星のように瞬くそれを、そっとニルヤへと手渡す。

 ニルヤは両手でそれを受取ろうとして、叶わなかった。目の前で光の玉がはじけ飛んでしまった。

パンっと音をたてて飛散する光。その破片がニルヤの体にぶつかると、不思議なことに次々と吸い込まれていく。


「あったかい?」

 ニルヤの中で今までに感じたことのない感覚が湧く。陽だまりに触れたかのように、急にポカポカと体が芯から温かくなる。


「こうしていれば、夢の中でまた会える。魔法の力が私たちを引き合わせるだろう。……さて」

 ざわめきが大きくなってきた。もうすぐ、大聖堂に誰かが到着するだろう。カチャカチャと金属がこすれ合う音に、ニルヤは怯えた。恐らく兵士だと、ニルヤは気づいたのだ。

「勝手に入ったから、怒られる?」

「大丈夫」


 カラハイは前足を置いて腰を上げると、柔らかに片方の後ろ足を踏み鳴らした。

 爪が床を弾き、硬質な音と共に火花が飛び、瞬く間に光が四散する。見たことのない複雑な文様が光を放ちながら大聖堂に広がり、一気に収束してニルヤを包む。

 あまりの眩しさにニルヤは目を瞑った。光は目蓋に遮られることなく、目蓋の裏側にニルヤは自身の血潮の色を見る。


 ニルヤを包み、収束した光は再び拡散する。

 丁度、大聖堂の扉が開かれた時だった。尋常ではない光の奔流が大聖堂の扉を超えて、扉を開いた兵士たちはあまりのことに体をこわばらせた。

 光の集合体は風よりも早く兵士たちを通り過ぎ、廊下を走りきり、螺旋階段を駆け上がり、一瞬の速さで大聖堂の頂き、塔に釣り下がる鐘を鳴らし、吸い込まれるように闇夜へと飛んでいった。


 光の瀑布が立ち去ると、やがて静謐な闇が降り立った。カラハイの佇む空間に再び、伽藍とした冷たい寂しさが訪れる。


 大聖堂の扉を開けて、恐る恐る兵士たちが中に入ってきた。足取り重い兵士たち。皆、驚愕と畏怖に襲われて、どうしたものかと扉の前で立ち尽くしている。

 そんな彼らを、ぬっと一人の男が押し分けた。随分と着崩した古い長外套に身を包む、飄々とした痩せ男。

 痩身長躯のその男は、カツカツと革靴を鳴らしながら大聖堂に入ると、顎をあげて古の竜を仰いだ。

 だらしのない見てくれに、不意に鋭い眼光が宿る。


「カラハイ。今、何をしていた?」

 刃のような視線に、だがカラハイはとぼけたような口調で返した。

「何も。……ただ光と戯れていただけだよ、ディキナ」


*******


 ふと、ニルヤは眠っていたことに気づいた。机に突っ伏して、教科書を枕代わりにうたた寝をしてしまっていたようだ。首と肩に重みを感じて、ニルヤは背伸びをした。


 珍しく、昔の夢を見た。この学園に入る前のことを。


 両親が死に落ち込む幼いニルヤを、村長が慰めようと発展した城下町へ連れて来てくれた。村の祭りよりも賑やかな街を見て、それでも全く笑顔を見せなかったニルヤが、たった一晩のうちに、笑うようになり、竜に会いたいだの、エンシェントドラゴンと話したいだの、どうやったら会えるだの何だのと活発になり始めて、村長はどれだけ当惑しただろうか。

 カラハイが公開されるのが十数年に一度、それも国民の中でもごく一部のみと知り、号泣して床の上でじたばたと暴れるニルヤに、村長が頭を抱えていたことを思い出して、ニルヤは赤くなった。

 大学校に入り高等魔法飼育員資格を得られれば、竜の飼育が許されるかもしれないと村長が思い至って慰めるまで、ニルヤはずっと泣きっぱなしだった。


 ――――――大人には説明のできない、不思議な出会いだった。

 思えば、どうやって会ったのかを覚えていない。どうして自分が大聖堂にいたのかも。恐らく魔法であったのだろうが、どうして自分を生まれる前から知っていた、などと言ったのかも、そういえば教えてはもらえなかった。


 ニルヤの夢に、何度も現れては色々なお伽噺や魔物の話をしてくれたのに。ニルヤが困った時には助言をくれ、涙する時には優しく爪で撫でてくれたのに。


 いつか大人になったら全て話そう。


 そう、カラハイは言っていたことを思い出す。結局何も聞けず、逝ってしまった。

「いつか僕が死んだ時、天国で会えるかな……」

 ニルヤは呟くと、そっとランプの光を吹き消した。


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