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第一話「見習いモンスターキーパー」

 モンスターは絶滅危惧種である。


 そう、王国が宣言してからたった三十年。遂に今日、古の王“エンシェントドラゴン”が永遠の眠りについた。

 エンシェントドラゴン“カラハイ”。推定齢、七千八百四十歳(国内飼育最高齢個体)。南にある世界最大級の活火山“妖艶なる真紅”の生まれ。


 竜族は自然界の中で一万年を生きるという。最も初めの竜の血族であるエンシェントドラゴンに至っては、普通の竜族のおよそ三倍、三万年は生きるといわれていた。


 ――――私は、長くはないだろう。

 カラハイは死ぬ一週間前、そんなことを呟いていた。ニルヤはてっきり、優しくて、賢くて、でもどこか皮肉屋な彼の、いつもの冗談だと思っていた。


 ――――もし私が朝、冷たくなっていたら。……いや、なんでもない。

 ニルヤは思う。

 彼は何を伝えたかったんだろう。誇り高い彼は、誰かに願うようなことはしない。孤高な彼は、見習い飼育員の僕に何と言おうとし、どんな思いを飲み込んだんだろう……。


 今日の午後にはカラハイの遺体は運ばれる。カラハイは絶滅危惧種である魔物(モンスター)の中でも希少なエンシェントドラゴンとして、剥製となる。モンストラシア王国の中で最も、観察しづらいと言われていた、人の目に晒されることが大嫌いなカラハイは、研究の為にその気高い心臓を抉られホルマリンにつけられ、剥がされた革は剥製にされ、国立博物館に安置される。

 そして永遠のような時間、人間の好奇の目に晒され続ける。


 今日この国で最後の、古の王が死んだ。


*****


 魔物飼育員(モンスターキーパー)の朝は早い。

 月が眠り始めて、でもまだ太陽も眠っている、そんな濃紺の空の下、彼らの仕事は始まる。皆、同じように枯茶色の魔獣の革で出来たオーバーオール姿で、丘、草原を歩き、それぞれの担当の飼育小屋へと向かう。


 目覚めたばかりの体にグローブもブーツも恐ろしく冷たく、まだ頭に半分だけ残っていた夢の感覚も一瞬で吹き飛んでしまう。

 見習い少年ニルヤは、ゴーグルと耳当てのついたキャスケット帽を摘まむと、深々と被り息を吐いた。長めに伸びた黒い前髪の向こう側で、白い息が広がる。鼻先がじんじんと痛む。

 ……もうすぐ春のはずなんだけどな。


「ニルヤ、それ取って」

 魔物飼育小屋の清掃・管理は基本的に、二人一組を作って行う。それは今朝ニルヤが担当している、このスライム小屋でも同じことである。

 琥珀の瞳に時折橙色に光る赤毛の持ち主、相棒であるミシャが片手を振った。ニルヤは柵に立てかけられたピッチフォークを持ち上げ、手渡す。

 ミシャはピッチフォークの3本の歯で地面に落ちた藁を器用にかき集め始めた。慣れた手つきだ。もう一年近く毎朝行っているという事実が、普通の十二歳の少女には重たすぎるピッチフォークを、まるで食事用のそれのようにしている。


 手際よく、ひょいひょいと纏められた藁を、ニルヤが丁寧に麻袋に詰め込んでいく。

 昨日敷かれたばかりの藁には、ねっとりとした水色の粘液が輝き、こびりついていた。スライム達の寝床は、あっという間に湿ってしまう為、毎朝とり変えなければならない。湿った藁を放置してしまうと、カビが生えて見る見るうちに黒ずんでしまう。

 古い藁を回収し、新しい藁を敷き終わる。ふっくらとした乾燥した藁特有の優しい匂いを足元に、ニルヤはピィと口笛をふいた。


 石をかまくら状に重ねただけの簡素な住処から、粘着質な音が響く。しばらくして、水色のアメーバ状の塊が3匹、出てきた。流動するように、形を変化させながらゆっくりと進む。

 スライムだ。彼らは新しい藁を見つけると、すぐさま嬉しそうに体を絡めた。一般的にはあまり知られていないが、スライムは清潔好きな魔物なのだ。


「あ、ミシャ。餌、どうした?」

「やってない」

 ニルヤは餌袋を探した。柵のそばに置かれた小さな紙袋。既に一匹のスライムが目ざとく、足のように先端を伸ばし絡めている。


「ごめんね。すぐ開けるから」

 開ける、という単語に反応して、スライムが体を変化させ、ニルヤへと紙袋を差し出す。知能の低い下級魔物であるが、習慣的に使われる簡単な単語は理解することができる。また、知能の低い下級魔物であるが、習慣的に使われる簡単な単語は理解することができる。

 紙袋を手に取ると、手早く破って、地面に撒く。途端に、他のスライム達も集まりだす。黒い豆のような餌は、藻や微生物を固めて乾燥させたものだ。黒い豆を包み込んで体に取り込み、まるで魚が跳ねるようなピチピチとした水音を立てる。この音は、喜んでいる時の音だ。


「毎日同じ餌でよく飽きないわよね。自然界にない味だからかしら」

「次、おばけありくいだね。その後は……」

「ゾンビ。今日、ゾンビの日」

 ミシャが琥珀の宝石のような目を細めて、苦々しげな顔で吐き捨てる。

「あいつらに清掃っているのかしら。清掃した日はいつも、居心地悪そうにしてるのに」

「まぁ、お客さんが汚いゾンビ小屋なんて見たくないだろうし」

「でも不自然よ……」

「ミシャ、本当にゾンビ嫌いだよね」

 ニルヤが苦笑いを浮かべると、

「だって臭いもの。モンスターの中で一番臭いじゃない。醜いし。ニルヤはなんで平気なの? 鼻が腐ってるの?」


 ミシャはぐいとニルヤの鼻を摘まみ上げた。ニルヤは痛みに涙目になりつつ、

「……べいき(平気)じゃないよ、じごと(仕事)だから」

「そ。ああ、早く初等魔物飼育員になりたい。綺麗な動物舎で、希少種の飼育をしてみたい」

 ニルヤの鼻から指を離して溜息をつくと、ミシャは思いっきりあくびをした。


*******


 モンスターキーパー。

 この国に住まう、魔物飼育員のことである。ニルヤたちが住む国“モンストラシア”には、4つのランクのキーパーが存在する。上から高等、中等、初等、そしてニルヤたち“見習い”キーパー。ランクが上がるにつれて、より飼育・管理の難しい希少な魔物を任されることとなる。


 見習いのニルヤたちが飼育を許されるのは、スライムやおばけありくい、ゾンビといった、比較的飼いやすい下級魔物だった。下級魔物は、家庭でも市の許可が得られれば1家庭3匹までの飼育を許されている。モンスターショップでは小型のスライムが、お勧めの愛玩種として子どものお小遣いで買えるほど安価な値段で売買されている。正にニルヤたちは“見習い”なのだ。


 『――――魔物は絶滅危惧種である――――』

 という魔物保護宣言が発表される前は、希少種キッズドラゴンの飼育が一部の上流家庭でなされていた。先輩にあたるキーパーたちの中には、見習いを単なる雑用係として使う者たちもいる。「見習いはかつての上流家庭以下の飼育能力しかない」という風潮が、キーパーたちの中で残っているのだろう。


 ニルヤは魔生物学の教科書の年表をじっと見ながら、溜息をついた。

「……僕だって、早く色んな魔物の飼育をしたいよ」

「ふむ。そうかね」


 ハッとして、ニルヤは年表から顔をあげた。目の前には、教科書を片手に眉間に皺を寄せる……、いや、常に皺が眉間に寄っている魔生物学の教師が立っていた。


「授業中に学ぶべきページを開かず、年表ばかり見ている君が、初等魔物飼育員試験にも受かるとは思えんがね」

「え、あ……」

「立ちたまえ」

 ガタンと、椅子から立ち上がる。大よそ三十人の生徒が学ぶ教室の中に、まるでたった一人になってしまったかのような静寂が襲う。

 ニルヤの背筋に氷が伝う。

 ……ボーっとし過ぎた。もう頁が進んでいたみたいだ。今、みんなは何頁を開いてる?


 辺りを伺おうと目を泳がせたニルヤを、教師の怒声が叩く。

「よそ見をするな。私の目を見て答えよ! ――――おばけきのこの小屋を清掃する際の注意点は何か?」

「はっ、はい! えーと……」


 頭が真っ白になる。塩湖のごとく真っ白な頭の中に、なんとかおばけきのこ達を思い浮かべる。毒々しい紫色のかさを広げ、ミミズのような職種をウネウネと伸ばして、踊る。お得意の混乱を呼ぶダンス。


「おばけきのこ……は、その、混乱……するので、あの……胞子に気をつけます」

「それは初等学校に入る前の子どもでも分かることだ。キーパーならば、何に、どうやって気を付け、どのように対処し、万が一の場合はどうするべきかまで答えられなければならないが?」

「えーと、えーと……」


 ダラダラと滝のように汗が流れる。一瞬でカラカラになった唇を動かして、

「分かりません。すみませんでした」

 ニルヤは頭を下げた。

 教室中、四方八方から同級の笑い声が聞こえる。忍びながら、でも僅かに聞こえるような嘲笑に、泣きそうになる。

 ……いつもだ。僕はなんですぐ、ボーっと考え事をしてしまうんだろう。ニルヤは自身を恥じた。


 教師は耳まで真紅に染めるニルヤに嘆息すると、

「では、ミシャ」

「はい」

 教師に当てられてすぐ、隣の席のミシャは椅子からスッと立ち上がった。

 長い赤毛を美しく伸ばし、落ち着いた琥珀の瞳で教員に向く姿は正に優等生のそれである。溌剌とした声で彼女は答え始めた。


「おばけきのこは混乱・幻覚・幻聴を動物に起こす胞子を出し、捕食しようとする肉食植物系魔物です。

 小屋を清掃する際は清掃担当と監視担当とに分かれます。清掃担当は必ずマスクを付け、換気を行い、おばけきのこを刺激しないように静かに清掃を行います。

 水を撒くと喜びます。信頼関係を築くと彼らは胞子を撒きません。」


 一言も咬まずに言い終えたミシャは、穏やかなに微笑むと、

「もし万が一、胞子を吸ってしまった場合は、直ちに新鮮な空気を吸うために外に出て、監視担当に報告し、助けを呼びます。

 もし多量に吸ってしまった場合は意識障害をきたすので、監視担当はすぐに上長を呼び、救援を要請します。意識障害の治療は高度医療機関で受ける必要があります」


「よろしい。……ニルヤは、おばけきのこに関するレポートを明日までに提出。帳面に二十枚以上書くこと」

 ミシャがフフンと、自慢げにニルヤへと視線を向ける。ニルヤはあまりの恥ずかしさに、そのまま脱力し座ると、両手で顔を隠した。


*****


 天気がいい。まっさらな青空だ。春が近いお陰で、太陽の日差しは温かく、心地よかった。

 学校の傍にあるなだらかな草原は、昼休みともなると生徒たちの憩いの場となる。

 こんな天気で、草原の草の香りをかぎながら食べるお弁当は本当に美味しいと、ニルヤは思った。

 ……心は暴れ馬にでも踏みつけられたようにボロボロであったが。


「ニルヤは、なんていうか、ゾンビ系よね」

 隣でパンを食んでいたミシャが、さらりと言う。

「……え」

 ニルヤは思わず袖を鼻に当てた。くんくんと嗅いでみる。

「くさい?」

「……臭かったら一緒の班になってないわよ。まあ、どん臭いけど」


 ミシャは食べかけのパンを広げてハムを挟むと、

「ぶきっちょ。ぶきっちょなのよね。ボーっとしてるの。知識はあるくせに。本番はからっきしダメってやつ? だって、おばけきのこ、よくよく考えたら、アンタなら簡単でしょ?」

 パクリと、頬張る。


「……うん。先生に当てられた時、真っ白だった、頭」

「損なタイプよねー。ホント」


 春を間近にした麗らかな日差しの中、ミシャの橙の髪が揺れる。この燃えるような色の髪の持ち主は、十二歳の少女とは思えぬほどの度胸の持ち主である。ニルヤとは正反対の、いわゆる“本番に強い”タイプだ。


 彼女が教師の前でスラスラと語った知識は元々、予習・復習を欠かさないニルヤが教えたものである。彼女は自ら望んで勉強をするタイプではなく、筆記試験の前などはニルヤの部屋に書物を持ち込み、手あたり次第質問をして教わり、一夜漬けで済ますことが多かった。それでも筆記試験は、ニルヤより成績が良い。ニルヤがいわゆる“本番に弱い”タイプであるのも、故ではある。

 二人は全く正反対の性質を持った、班の相棒(パートナー)だ。


 度胸も、思い切りも良い相棒(ミシャ)は、少しだけ時間を置いてから、言葉を続けた。バッサリと。

「ねえ、アンタ、キーパー向いてない」

 ニルヤは思わず固まった。まん丸の紫色の瞳が、ゆっくりと潤む。

 相棒はザクザクと言葉を続ける。

「泣かないでよね。本当のことなんだから。もし万が一、おばけきのこの小屋で失敗したら、助けを呼ぶ前にアンタ倒れちゃいそう。倒れるならまだ良いわ。混乱して、ピッチフォークで……ドンッ!」

 目を指さされ、思わず目を瞑る。一呼吸おき、恐る恐る目を開けると、ミシャが射抜くようにニルヤを見つめていた。


「自分のこと一突きでもしなさいよ、絶対痛いわよ。下手したら死ぬわよ」

 ピッチフォークの冷たい銀色の切っ先を思い出し、ずっしりとニルヤの胸は重くなった。

 分かっている。万が一の時、キーパーは冷静でなければならない。冷静でないと自分を守れない。それはつまり、魔物も守れないということだ。緊急時に我を忘れてしまう、それはキーパーとなる者にとって致命的な要素である。


「うん。分かってる。でも僕……魔物が好きなんだ」

 ニルヤは想う。

 スライムの瑞々しいつやめき。おばけありくいの驚異的な捕食能力。ゾンビの闇のような静けさ。おばけきのこの生き生きとした足並み。

 スライムはその魔力で、流動的な己の肉体を保ちウサギのように跳ねる。おばけありくいは魔力で、人間の赤ん坊ほどの大きさの巨大な蟻・ジャイアントアントの甲殻を舌で穿つ。ゾンビはその魔力で、土くれに隠れてながら死肉のような匂いを放ち、動物を呼び寄せ捕食する。おばけきのこはその魔力で大量の胞子をばら撒き、敵を混乱させて身を守ったり、時には踊りながら求愛行動を行うのだ。

 動物とはまた異なる、魔力を帯びた生き物独特の特徴、その豊かさ。言葉では言い表せない数々の魅力がニルヤの心を一瞬で躍らせる。


 頬をぱあっと赤らめたニルヤに、

「でしょうね。ゾンビ小屋でもワクワク楽しそうにしてるの、アンタだけだもの」

 ミシャは弁当箱からもうひとつ、ハム、そしてレタスを取り出すと、手際よくパンに挟んだ。


「でも、キーパーじゃなくても良いじゃない。例えば魔物学者とか。魔法研究家とか。まぁ、大学に進まなきゃならないし、勉強大変なんでしょうけど」

 ミシャは出来上がったハムサンドをくるりと回すと、ニルヤの膝の上にポンと投げて言った。

「アンタならきっと、なれるわよ」

 思いがけないミシャの優しい言葉に、

「そうかな……」

「だってアンタ、勉強虫じゃない。勉強虫が大学以外に行っても、他じゃ仕事が出来ないんじゃない?」

 どうやら慰めではなかったようである。

「が……頑張るよ」


 ミシャのハムサンドを口に運ぶ。ハムの丁度良い塩気とレタスの新鮮な歯ごたえ、朝に焼いたばかりのパンの薫りに癒される。

 ミシャは優しい。優しいからこそ、辛辣なセリフが出る。ニルヤの将来を、相棒として、友人として、真剣に考えてくれている。

 ニルヤは景色に顔を向けた。

 周囲に広がる草原、そして森、山々、大きな湖、川。点在する幾つかの大小の建物。この見渡す限りの全ての土地が、ニルヤたちの学ぶ国立魔法学校の敷地である。


 モンストラシアという王国は、古くから魔物と戦い続けてきた国である。魔界から流れる魔物たちを、歴代の勇者たちが討伐してきた。

 かつて、魔王が本格的な侵略を敢行したため、王国も勇者団による魔王討伐を開始。激しい聖戦の末に、魔王が勇者の勇敢な一太刀によって倒され、平和が訪れた。

 王国は更なる和平を創り保つため、あらゆる富国策を立ち上げた。農業と文化の研究、国民教育もそのひとつである。


 魔法省魔物保護部の管轄下にある国立魔法学校は、様々な魔法に関する学部を所有しており、モンスターに関して学ぶ学部は魔物学部である。また、その広大な敷地内に国立博物館、国立美術館、国立魔物園を有していた。これらの運営、管理とともに、国の援助を受け、魔法に関する学術研究を行っているのである。

 国立魔法学校には、各学部に初等学校、高等学校、大学校があり、初等学校で基礎知識をつけた学生たちは、市井で働き始めるか、合格すると高等学校に進むことが出来た。


 魔物学部の高等学校では見習いキーパーとなることが出来、ニルヤたちは今まさに見習いの真っ最中である。見習いキーパーのカリキュラムには学生らしい座学の他に、下級魔物の飼育といった実習教育が含まれている。

 学生の飼育とは言え、国立魔法学校の所有する魔物園は、一般的な魔物園と同じく魔物の飼育・研究とその生態に関する一般公開を行っており、飼育に求められるスキルは高度なものであった。


「大学校か……」


 高等学校で学び単位を取得すると、初等魔物飼育員受験資格が得られる。初等魔物飼育員でも十分に、一般的な魔物園で働くことはできる。

 しかし、知能や魔力の高い魔物の飼育・研究は出来ない。更に高度な教育を提供する大学校へと進み、中等魔物飼育員資格、高等魔物飼育員資格を得られなければそれは許されないのだ。

 加えると、竜族や魔人族などの歴代の魔王を出してきた“古き種”を飼育することが出来る高等魔物飼育員。その資格は、国王の許しを得なければ得られない『勅許(ちょっきょ)資格』である。


 国王の許しを得て下される資格。

 かつて世界の災厄のひとつとまでいわれていた魔物≪モンスター≫。

 魔王が討たれ、今はその数も減少しつつある希少種となってしまったものの、少しでも人が誤まれば脅威となりうる存在であることは間違いない。

 故に、高度な魔物研究・飼育を許される者は限定される。その道は狭き門。王に認められ許された、“選ばれし者たち”なのだった。

 選ばれし者たち。

 まるで勇者様たちみたいだ、とニルヤは思った。


 魔王を討ち、世界に平和をもたらした勇敢な猛者たち。

 もう百五十年以上前のこと。かつて魔法と剣で魔物を圧倒し、この国の礎を作った者たち。

 ……カラハイは、会ったことがあるんだろうか。

 カラハイ。

 この国で唯一のエンシェントドラゴン。

 魔物では最も長く生きる。いや、この世界の動植物で恐らく最も永く生きる。

 その気高き魂は孤独を好み、溶岩の流れる活火山の山頂や、荒波の先にある絶海の孤島、凍てつく氷の大地の果てなど、過酷な環境下に分布していると言われる。数十年に一度の割合で観察され、かつて“見た者には奇跡が訪れる”とまで言われていた。

 時に神格化され、祀る民もあった。これまで飼育記録があるのは二匹のみ。この国では彼だけだった。国王が決める十数年に一度の特別公開でのみ、それも数日のみ、国民の一部が目におさめることを許された。


 目蓋に浮かぶ、巨体。ニルヤの三倍以上の背丈を持って見下ろす、柔らかな緑玉の瞳。紅玉かと思うほどに美しい鱗。黒瑪瑙(くろめのう)よりも深い黒色の爪。

 何度目にしても、吸い込まれるほど、美しいと感じた。翼を広げれば、夜がそこに広がるようだった。

 神の如く語られることもあった、『エンシェントドラゴン』。

 時に魔族の王ともなり、魔物たちを従えていた、『古き種たち』。

 エンシェントドラゴンの飼育は、大学校に入って、更に高等魔物飼育員とならなければ行うことは許されない。恐ろしく険しい道のりなのだった。


 ああでも、とニルヤは呟いた。

 小さな胸が凍る。その姿を思い、憧憬と共に冷たく落ちる事実。

 ――――彼はもう、死んでしまったのだ。


「ちょっと、ニルヤ!?」

 肩を叩かれて、ハッとする。

「人の作ったハムサンドが食べられないとでも言うの?」

 ミシャが、眉間にしわを寄せている。

「まったく、すぐボーっと考える。食べるか、考えるのをやめて食べるか、どっちかになさい!」

 ミシャは無理やりニルヤの鼻をつまむと、酸素を求めて開いた口に、めいっぱいハムサンドを押し込んだ。

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